##11 夜明けのケール、強敵に挑む

 ねえ、見てよ。

 

 フォボスをリーダーとする冒険者パーティ、『夜明けのケール』の、シルバー級昇格試験の日程が決まったんだ。

 その日は、読者世界における八月十四日。こっちの世界だと、結実の月だね。


 この記録に書いたことは、まだまだたくさんある。

 けれど、物語には終わりがある。

 だからボクたちに、ピリオドを打つための準備をさせてほしい。


 そして、安心してほしい。

 この物語に、バッドエンドはありえない。


 見たかな? じゃあ、始めよっか!


 ◆◆


 「う、ん?」

 朝の光を受けて、フォボスが微睡みの底から、意識を取り戻す。

 かつてユーデコスが使っていた部屋だ。

 彼の痕跡はきれいに掃除され、今は一行が長期滞在するための拠点となっている。


 窓から見える景色は、平和そのもの。

 街の外に行けば流石に危険もあるだろうけれど、それは依頼を受けてから考えればいい。


 隣には、メア。

 まだ“そういうこと”はしていないけれど、あれからたまに、添い寝を要求されるようになった。


 頬に、二回キスをする。

 それで、メアは起きる。

 「ん」

 彼女はぼんやりとした目で、フォボスを見つめる。


 「おはよ、メア。今日が昇格試験の日、だよね」

 見つめ合い、微笑む。


 これで、一日が始まった。


 顔を洗い、歯を磨き、着替える。

 メアは香水も付ける。

 安いものではないが、今の彼らには嗜好品を維持できるだけの収入がある。


 「メシ、できてんぞー」

 階下で、クロヴが皆を呼ぶ。

 茹でた卵と、よく焼けたソーセージ。はちみつの掛かったオートミールの香りが、宿全体に漂ってくる。


 「分かった! すぐ行くね!」

 タッタッと駆け下り、食堂へ。

 そこでは、既にピリが黙々と朝食を口に運んでいた。


 「おはよ、クロヴさん、ピリさん」

 挨拶をし、フォボスも席につく。

 

 「オートミールか。初めて会った時を思い出すね」

 ルゥが言及する。

 そういえば、昔は素のオートミールを食べていたっけ。


 「オーナー、ちゃんと十六人分作っといたぜ」

 入り口の番をする店主に向けて、クロヴが呼びかける。

 今や、彼女にも首輪はない。

 首輪などなくとも、クロヴはピリのもとにいる。


 「いつもすまないね! 助かるよ」

 宿のオーナーも、上機嫌だ。


 「食材が宿負担だからな、俺様としても文句はねえよ。さて」

 遅れてやってきたメアと一緒に、クロヴも着席。

 「待っててくれてありがとね」

 メアはよしよしとフォボスのツノを撫でたあと、スプーンを握る。


 「じゃあ」

 フォボスの合図に従って、各自の神に祈りを捧げ。

 「「「いただきます!」」」

 一緒に、食事を開始した。


 食事自体は、速やかに終わる。

 

 今日は、ちょっとだけやることが多い。

 だから、長々と時間を掛けていられない事情もあった。

 卵、ソーセージ、オートミール。

 どれも、食べやすいメニューだというのも、その関係だ。


 「ごちそうさま!」

 一行が食べ終わる頃には、他の客も食堂に訪れていた。


 「頑張れよ、フォボス!」

 入れ替わるようにやってきたアイアン級冒険者の少年が、フォボスの肩を叩く。

 同年代の友達だ。

 彼は拳を前に突き出し、リアクションを要求している。


 試験に合格すれば、フォボスたちはここを去る。

 世界は、広い。

 今生の別れとなる可能性だって、もちろんある。


 一抹の寂しさは、今は忘れることにした。

 「うん、やってくるよ!」と、フォボスは拳を合わせ、対応する。

 

 「おう! 今度会えたら、戦闘技術をもっと教えてくれよ!」

 「任せてよ!」

 見送られながら、部屋に戻る。


 やることは、荷物の整理。

 「《ポケット・ディメンジョン》」

 格納の呪文を使い、手当たり次第放り込んでゆく。

 フォボスには闇陰魔法の適性はないが、これだけは利便性が突出しているので無理やり覚えた。ルゥやクロヴといった、師の助けも大きい。

 もちろん、試験に落ちて麗梅恭リメイゴンに会えなければこの作業は無駄になる。けれど、今日までしか宿を予約していないのだから、いずれにせよ取り掛かる必要があった。


 メアも《エクステンド・ストレージ》の掛かったポシェットに、様々なものを詰め込む。

 武装、消耗品、着替え、他諸々。

 それと、光臨祭で開催された、即売会の戦利品もだ。


 「これでいいかな」

 広々とした部屋を眺め、忘れ物がないか確かめる。


 「こっちも準備できた。クロヴも準備万端」

 ピリとクロヴの部屋も、問題なく片付いたらしい。


 流れで、宿からチェックアウト。

 「今までありがとね。そうだ、ちょっと待ってよ」

 去り際に、オーナーが一枚の紙切れをフォボスに手渡す。

 古ぼけた紙切れだ。見ると、地図のように思える。

 「今も使えるかわからないけど。君たちと同じようにシルバー級に挑んだ冒険者が“もう不要だ”って置いていった、試験会場の地図だ。役に立つと良いね」

 「ありがとう!」

 ぺこり、とお辞儀。

 「達者でね」

 「おじいちゃんこそ、長生きしてよ!」

 手を振り、玄関のドアを開ける。

 四人は退出しながら、オーナーが「そうするとも」と呟く声を、耳にした。

 

 外は、限りなく暑かった。

 黄砂連合ほどではないが、とにかく体力がすり減りそうな暑さだ。

 「《クール・ミスト》。よし、ギルドに行こう!」

 メアが先手を打って、一行の周囲に涼しい霧をまとわせる。


 「お、とうとう試験かい。頑張りなよ!」

 「うん! 頑張る!」

 「飴ちゃんあげるねえ!」

 「ありがと!」

 「花火の人だ! うわー! 本物だ!」

 「“クロヴちゃん”って名前で呼べよ、名前で!」

 などと、思い思いの声援を受けながら、進む。


 そうしていれば、ギルドまでの距離は無いようなものだ。


 「お待ちしていましたよ、『夜明けのケール』ご一行」

 麗家の冒険者ギルド本部。

 歌うような声で迎え入れる彼は、水精族マーマン

 名前は、“白貝海岸の”ケラート。耳が二枚貝だが、れっきとしたヒトだ。

 

 「よろしくおねがいします!」

 カウンター越しに、メンバーそれぞれ握手。

 今日は、ケラートが担当官となるらしい。


 「麗家の領域では、シルバー級昇格試験において、皆等しく同じクエストを用意しております」

 彼はそう言って、カウンターから依頼書を取り出す。

 何十枚も重なっている。全て、同じ依頼書のようだ。


 「このギルドの地下には、小規模なダンジョンがあります。その最奥に、〈拡散の水盆〉というマジックアイテムが配置されています」

 依頼書の一枚をちぎり、彼は言葉で説明する。

 「その割に、都市内に魔物が出たって依頼はないですよね」

 メアが問う。

 「ええ、この都市が安全なのは、まさにその〈拡散の水盆〉が関係していまして。水盆には、定期的に『魔除けの湧水』を注いでもらっています。水の効果を都市全体に拡散させることで、内側の魔物を封じ込め、外の魔物を遠ざけているわけです」

 「わかった! ぼくたちが『魔除けの湧水』を補充するのがクエストなんですね!」


 ケラートは、「半分は正解です」として、補足する。


 「ただ、それだけですとシルバー級の試験としては簡単すぎます。なので、補充したあとに短距離テレポーターに乗っていただき、分散して飛ばされた先で、ゴールド級冒険者と試合をしてもらいます」

 「紫宸龍宮のゴールド級ともなれば、かなりの猛者だよね。勝てるものなの?」

 ピリが口を挟む。

 本気でやり合った場合、彼女でも苦戦する相手だろう。

 「勝つ必要はありません。初手をいなし、そこそこ戦えると判断されれば、そのまま合格になります」

 「おっけ、分かった。『魔除けの湧水』は?」

 「こちらに」

 クロヴの問いを受け、カウンターに、革の水袋が置かれた。

 「結果によらず、容器は返却してください。説明は以上です」

 

 事前情報は、これで終わり。


 まとめると、まずパーティ全員でダンジョン最奥のマジックアイテムに薬品を補充して、次に各自ソロで試合をして帰ってくる、というものだ。


 一行は、そのままギルドの地下に案内される。

 木製の扉の奥から、魔除けの神聖な空気が漏れている。

 扉のかんぬきが外され、鉱石ランプによって照らされた、硬質な石の通路が姿を表す。

 三叉に分かれた通路だ。

 地図によると、一方は最下層まで直通の縦穴。もう片方は緩やかに下っている。


 そして、皆の視線の先。

 丸ノコのような形状をした低級機械種族オートマトンが唸りながら、通り抜けて行った。


 「言い忘れていましたが」

 ケラートが、付け加える。

 「このダンジョンには自然湧きする魔物の排除のため、オートマトンが放たれています。やむを得ない場合は破壊しても構いませんが、その場合は報告してください」


 そして、試験が始まった。


 ところで、一行は時間に余裕を持ってやってきている。

 だから、初手はバフである。


 「《ディテクト・トラップ》! 《集団投射物防御マス・プロジェクタイル・プロテクション》!」

 「《ロングタイム・マジック》! 《マス・アーマー》!」

 「《エンチャント:ディケイ》! 《センス:イービル》!」

 「《センス:ディータ》! 《ランバー・ガード》!」

 「うーん、ボクは何使おう。そうだ、《マス・スピードアップ》!」


 防御系を中心に、各自適切な支援魔法を掛けておく。


 「先頭はピリさんで、次がメア。ぼくが続いて、最後にクロヴさんが良さそうだ」

 隊列を組み替える。

 罠探知持ちを前に出したい気持ちはあるが、メアには前衛を任せられないので、ピリが出る。


 「小規模なダンジョンっつってたから、バフは初手とテレポーター前で足りるよな? 地図もあるし」

 と、クロヴ。

 地図は、フォボスが持っている。

 ピリの背後から進む方向に指示を出し、自身も警戒を怠らない。

 

 いよいよ、ダンジョンの攻略を開始する。

 石の回廊は進むにつれ、螺旋を描くように深く潜ってゆく。

 鉱石ランプがあるからか明るさは変わらないが、湿度は増してゆく。


 「この先の広間には、左側に小部屋があるはず。《センス・イービル》には引っかからないけど、奇襲に気をつけて」

 反響するフォボスの声を受け、ピリは武器を持ち直す。

 普段遣いの大盾はそのままに、武器の方は閉所でも使いやすい短剣だ。

 元『反転呪詛』のものである。


 少し歩いただけで、広間が姿を見せる。

 地図は、正確だ。


 広間に入ろうとしたピリの背中を、メアが引き戻す。

 「なによ」

 「トラップ。フォーくんも言ってたけど、小部屋に冷気の魔力が詰まってる。ちょっと前出るね」

 彼女の左手には、一シェルの鉄片貨。

 広間の中央へ向けて、ぽいっと投げる。


 鉄片は、二回ほど跳ねた後。


 DOOOOM! という砲撃音に続く、巨大な冷気の塊を一身に受け、そのまま砕け散った。


 「うん、思った通り。暫くは再装填に時間がかかるみたい。この隙に行こう」

 「あれ、オートマトンじゃなくて魔導具か。研究できないのが惜しいぜ」

 隊列を戻し、広間を突破する。

 

 道中、小型のオートマトンに絡まれるが、これらは難なく撃破できた。

 「《サージ》! ……うん、これで終わり」

 二体や三体程度では、もはや相手にもならない。

 ルゥの、手加減した一撃で十分だった。


 ダンジョンの終盤に差し掛かる頃、フォボスがまた口を開く。

 「少し先にまた広間がある。何かが隠れる場所はないみたいだけど、地図に交戦記録が残ってる」

 「わかった」

 ピリは警戒し、歩く速度を落とす。

 

 唐突に、フォボスの尻尾がビクっと跳ね、毛が逆立った。

 「フォボス、どした?」

 クロヴの言葉で、進行を止める。


 「《センス:イービル》になにか引っかかった。やっぱり広間に魔物が居る」

 フォボスの反応から見るに、かなり厄介な敵だろう。

 「《センス:ライフ》」

 ピリの探知にも、反応があった。


 広間の手前まで、足を進める。

 

 見えたのは、胴体の太さが一メートルほどもある、巨大なヘビだ。

 舌をチロチロと出しながら、居心地悪そうに眠っている。


 「バジリスクね」

 石化の魔眼を持つ、邪悪な大蛇。

 ピリの判断に、外のメンバーも異存はない。

 自然湧きの魔物だろうが、ここまで大型のものも居ようとは。


 「迂回できそう?」

 メアが問い、フォボスが首を横に振る。

 「奥の出口を塞いでる。戦うしかない」

 戦闘準備を整える。

 クロヴは状態異常耐性のポーションを振りかけた上で《マス・アンチ・ペトリフィケーション》。ルゥは《マス・アンチ・バインド》で拘束を予防する。

 最後に、フォボスが《マス・イミューニティ》で毒に対処した。


 「耐性は高めたけど、魔眼には気をつけろよ。きれいに入れば精神力も体力もごっそりだ」

 改めて忠告を共有し、二つ目の広間に突入した。


 バジリスクは、足音で目覚める。


 「SHHHH……」

 初手は鎌首をもたげ、威嚇。

 視界を確保し、獲物が見えたら丸呑みできないか、状況を見る。


 隊列の中ほどに、柔らかそうな女がいる。

 メアだ。


 目を光らせる。

 (では、一飲みにしてやろう)

 頭を振りかぶり、攻撃の構えを取る。


 「《ピーコック・プレゼンス》!」

 考えた瞬間に、ピリが術を唱える。

 その結果、強制的に注意が逸らされる。

 バジリスクは、(やはり、大きいほうが栄養があるに違いない)と考える。


 メアが受けるはずだった噛みつきの一撃は、代わりにピリに向かうことになった。


 (味わわせろ)

 骨を砕き、その血の甘さを想像する。

 迷宮に生まれ落ちて以降、彼は何も口にしていない。

 オートマトンを食らったことはあるが、消化することはできなかった。


 「《ウィンド・ステップ》!」

 妨害により、噛撃は空を切る。

 牙にまとわりつく毒液が飛び散り、盾に触れて蒸発する。


 BLAMN!

 後衛のクロヴが、目を狙って短銃で射撃。

 身を捩って鱗で受ける。弾がめり込むが、貫通するほどの威力はない。


 「メアは被弾に備えて魔力残しとけ!」

 そのままリロード。回転式か。


 クロヴに向けて魔眼を放ちたかったが、ピリの呪文が邪魔だった。

 長い胴体を使い、薙ぎ払う。

 広間といえど、逃げ場は殆どない。

 

 湿った空気を切り、尾が伸びる。

 ピリは盾で防御する。

 防御役タンクであるところの彼女をこの一撃で倒せるとは、もとより思っていない。

 狙いはクロヴ。範囲攻撃に巻き込むようにして、ノックアウトを狙う。

 「《ダブル・マジック》! 《シールド》!」

 メアが射線を遮り、二重に呼び出した光の盾で受ける。


 盾はパリ、パリと順に割れ、幾分弱まった衝撃がメアに届く。

 「きゃあ!」

 吹き飛ばす。通路の方に押し出したので、暫く戦線復帰は難しいだろう。


 「作戦継続!」

 ピリが宣言する。

 決してバジリスクを舐めて掛かっているわけではないのは、緊迫した口調から伝わってくる。


 「もう一発喰らいな!」

 再び、クロヴが射撃。

 胴に向けた牽制射撃。威力は分かっているので胴体で受ける。

 「掛かったな! 起動!」

 銃弾から発動した魔法は、《イヴィル・スフィア》。

 着弾点を起点に質量のある闇の球体が膨らみ、バジリスクは壁に押し付けられる。


 (ぐ……!)

 苦し紛れに、魔眼の一撃を放つ。

 精度を犠牲にした光線は、鉱石ランプの一つを消灯するだけの結果となった。

 

 「狙い通りだ! やっちゃって!」

 通路のメアが、何者かに向けて指示を出す。

 その者は、最初から戦場に居た。

 隠密の呪文を唱え、最後までバジリスクの眼中に居なかった彼は、魔眼を浪費する瞬間を虎視眈々と待っていた。


 壁を蹴り、一直線に頭部へ向かう彼は、フォボス。

 口を開け威嚇するも、彼はひるまない。

 「SHSHHHHH!?」

 力を失った両目に、深々と鉄爪が刺さる。

 魔眼が破壊されると同時に、彼は鉄爪を腕から取り外し、虚空から取り出したロングソードへと持ち替える。

 抵抗はできない。闇の球体が、今もバジリスクの体を抑え込んでいるからだ。


 頭に取り付き、ロングソードを両手持ちに引き絞る。

 「よい、しょっと!」

 爪の上から、左目に向けて突き刺す。

 潰れた眼球、眼窩を抜け、細い脳を突き破る。


 「SH……」

 その瞬間、バジリスクの体は力を失い、闇の球体からずり落ちる。

 倒れ込み、どさっと重い音がする。

 フォボスは、宙返りして距離を取って。

 再び魔物が動き出さないかどうか入念に様子を見てから、突き刺した武器を回収した。


 討伐、完了だ。


 「メア!」

 戦闘が終わった途端、フォボスは通路へ吹き飛ばされたメアに向けて、一目散に駆け寄る。

 「大丈夫!?」

 手を差し出そうとし、毒の血が武器や手袋に付着していることに気づく。

 「うん、大丈夫。痛みはないよ。《ピュリファイ・ウォーター》」

 メアの短杖から水が吹き出て、フォボスを浄化。

 彼女を改めて助け起こし、広間に戻る。


 「水盆の効果で弱体化してるっつっても、結構ヒヤっとしたぜ」

 クロヴはそう言いつつも、既に採集道具を取り出している。

 牙、毒腺どくせんの順にミスリル製ナイフで切り剥がし、他の素材と混ざらないように袋へ入れてから、《ポケット・ディメンジョン》に格納する。

 最も貴重な素材は眼球だが、魔眼を潰さず、必殺の一撃を警戒しながら戦うのは至難の業だ。

 対バジリスクに有効な、鏡盾といった装備は値が張るということもあり、シルバー級では討伐さえできれば十分である。


 「それにしても、バジリスクが出るダンジョンなら、ドレイクやグレーター・ハンドも出そうね」

 装備を点検しながら、ピリが話す。

 ドレイクは、四肢で歩く翼のないドラゴン。グレーター・ハンドは、人間を握りつぶせるサイズのハンド系魔物だ。

 「よくこんなところに都市を建てようと思ったよね。大名蜘蛛とかブラック・ドッグもアリじゃない?」

 ルゥが応じる。

 いずれも、バジリスクに匹敵する上級の魔物である。

 「でも、紫宸龍宮の人たちなら『そっちのほうが凄そうじゃん』って言いそう」

 事実としてダンジョンの上に都市が立っているのだから、否定はしづらかった。


 十分後。

 「うっし、時間かけてすまねえ。牙と毒腺と鱗と、後は潰れた目玉だけ回収した。残りは我慢する」

 汚れた採集道具をメアに浄化してもらい、ようやくクロヴが立ち上がる。

 残りは置き去りだ。

 放っておけばダンジョンの力を受け、ただのマナとなってしまうだろう。


 「最奥まであと少し。気をつけて進もう!」

 再び、ピリを先頭に歩き出す。

 遭遇したオートマトンは、一行を無視してバジリスクの居た広間に向かってゆく。

 あの丸ノコはもしかしたら、死体を解体してマナへの分解を早めるためにあるのかもしれない。

 「戦ってるときに援護してほしかったんだけどな」

 クロヴがぼやく。

 アイアン級でも対処できるほど弱いオートマトンに、上級の魔物と戦えというのは酷な話である。


 「お」

 地面の傾斜が小さくなり、視界がひらける。

 中央には、水盆。これが、目標のマジックアイテムだろう。

 その奥には開け放たれた鉄格子と、魔法陣に囲まれた小部屋がある。こちらは、恐らくテレポーターか。


 しかしその手前に、一行の気を引くモノが転がっていた。


 「あ゛ー……しんじゃう……」

 コウモリのような翼の生えた、女性。

 種族上は、翼人族の天使マルアクだ。

 ただし、今の彼女がヒトとして扱われることはない。

 なぜなら、彼女に白日教の加護は掛かっていないからだ。

 何らかの理由で加護を失った者、あるいは捨てた者は、蛮族として扱われる。


 もっとも、加護自体はシュレヘナグルにおわす神々のどれかに祈れば復活するので、この大陸においてはただの縛りプレイのようなものである。


 「加護なしね。どうする?」

 ピリは短剣を構える。

 呪いが吹き出し、女はぎょっとした。

 「ちょっと、そんな物騒なマジックアイテムこっちに向けないでよ。もっと穏便に行こうよ」

 黒く染色した翼や、長く伸びたツノを見るに、彼女はサキュバスと名乗る一族の一人だろう。

 布面積はともかくとして、服は着ている。その程度の良識はあるようだ。

 いずれにせよ、その場から動きたくないという様子である。だらしなく、四肢を広げ寝転がっている。

 何より、魔除けの効果をモロに受けているように思える。

 「罠じゃないみたいだけど」

 メアが指摘する。あまりにも力が弱まっているせいか、フォボスの《センス:イービル》もほとんど反応を返さない。


 一行が三歩の距離まで近づいて、ようやく彼女はフォボスに気づく。

 「あ、よく見たらかわいい男の子じゃん。精気吸わせて」

 顔を向けながら、一言目に《エナジードレイン》を要求する。

 彼らは、とにかく欲望に素直だった。


 「その、どうしてそうなったの?」

 フォボスが、引き気味に問う。

 「んー、言ったら助けてくれる?」

 寝転がり、うつ伏せになる。

 胸を強調し、見せつけるポーズだ。

 「……できることなら」

 フォボスは一歩下がり、承諾した。


 「ありがと。いやー実はさ、族長が『冒険者ギルド内部の地図を作ってこい』って言ってきてさ。でもサキュバス一族って、各自の性癖を信仰してるから人権ないじゃない?」

 「フォーくん、聞かなくていいかも」

 メアの提案に従い、フォボスは自身のツノを押さえ、音をシャットアウトする。

 「だから、この前冒険者から盗んだ、透明化のスクロールを使って見つからないように侵入して、最深部までマッピングしたの。ほら」

 すぐそばには、確かに地図が転がっている。

 割と雑な地図だ。

 「そしたら、なんかいきなり力が抜けちゃって。立てないの。一日くらいなにも食べてないの」

 なんとも、間抜けな話である。


 「そうね」

 ピリが、武器をしまう。

 「あ! 分かってくれた? お姉さん嬉しいなあ」

 そのままサキュバスの側まで歩き、彼女を米俵のように担ぐ。

 「やあん、マッシブ。女の人でも私はいいよ」

 姿勢を変えず、テレポーターの方へ。

 「まず何からしてくれる? 舐めてもいいよ? いろんな――」

 テレポーターへ、乱雑に投げる。

 続く言葉は、転移の音に紛れ、かき消えた。


 「ギルド機密部への無断侵入。加護関係なしに、犯罪じゃない……」

 ピリは呆れたように嘆息し、戻ってくる。

 テレポーターの先では、上位の冒険者が待ち構えているはずだ。任せてよいだろう。


 「よっと」

 元の場所では、クロヴが〈拡散の水盆〉に水を注いでいた。

 注ぐ前の時点で、七割程度は残っていた。余裕を持って補充する仕組みが出来上がっているのだろう。


 「クロヴさん、おつかれ。これで前半は終わり、かな」

 フォボスが言葉でねぎらう。


 「ま、本番はここからだろうけどな」

 逆に、クロヴは気を引き締める。

 文字通り、ここからは互いの支援を得られない。

 

 「一応、みんなにバフを掛けていこう」

 メアが提案し、他のメンバーも乗る。

 《ヒール・オーバータイム》や《グレーター・ストレングス》といった汎用的な呪文から、《スピードアップ》や《アクセラレーション》、《ファナティシズム》に至るまで。

 思いつく限りの支援呪文を共有し、準備ができる。


 「誰から行っても良いんだよな? じゃ、俺様が一番だ」

 まず、クロヴがテレポーターに入り、飛ぶ。

 「頑張って。アーシも頑張る」

 次に、ピリ。

 「一緒に合格しようね」

 フォボスのツノを優しくひとなでした後、メアも消える。

 

 オートマトンの稼働音だけが響く空間で、フォボスは。


 「すぅ――」

 一度だけ、深呼吸。

 湿った空気を肺に吸い込み、ゆっくりと吐く。


 「――よし」

 覚悟を決め、テレポーターに乗る。


 一瞬、天地が反転するかのような感覚を得て。

 彼は、強敵の待つ地に転移した。


 ◆◆


 「ここは」

 フォボスが降り立ったのは、光差す聖堂。

 太陽の光だ。となれば、ここはダンジョンの外か。


 周囲を見渡し、試験官が居ないかどうか確かめる。

 彼の中のルゥも同様に索敵する。


 そして、目に映ったものを疑う。


 「……あれは、まさか」

 フォボスの肉体を、一時的に奪う。


 ルゥが見たもの。

 記憶をなくしたルゥが、自分のことについて、唯一覚えていたもの。


 瓢風神アヴィルティファレトとの情交の中、彼の後ろにあったもの。

 

 ……鏡に、映っていたもの。


 駆け寄り、近づき、確信する。


 「……ボクの、体だ」

 水色の、耳まで伸びた髪。

 閉じた目から伸びる、長いまつげ。

 衣装まで元通りだ。

 寝かせられ、マットブラックのチアコスチュームを着せられている。


 ただし、その体には、四肢がない。

 肩や腿があるはずの部分には、なめらかな肌が露出している。


 「これが、ルゥの体なの?」

 好奇心から、フォボスが問う。


 「うん。でも、どうしてここにあるんだろう」

 分からない。

 誰が、どのような目的で。


 「ちょっと、この体に移ってみていいかな」

 本能で、ルゥが要求する。


 「……分かった」

 断る理由もない。

 フォボスは、自らの意思で、ルゥの両頬に手を当てる。


 「……ん」

 唇同士を、重ね合わせる。

 ルゥの魔力が空っぽの体に流れ込み、満たしてゆく。


 刹那、フォボスは目を見開く。


 咄嗟に前方に宙返りし、奇襲をかわす。

 一瞬前にフォボスが居た場所を、燃える薙刀が通り過ぎる。


 「フン! ヌゥン!」

 続く斬り上げを半身で避け、突きはダッキング。追撃の前蹴りを逆に蹴り返し、クルクルと回転して距離を取る。

 

 試合とは思えない、明らかに殺意のこもった攻撃だった。


 「ふぅむ。思ったより良い動きをする」

 奇襲を仕掛けた者は、薙刀を頭上で回し、地面に突く。


 「だれだ!」

 「む、このわしの顔を知らぬか」


 ツカツカと、近寄りながら。


 「儂の名は麗梅恭リメイゴン。麗家当主の兄にして、神子の力を狙う者」

 

 薙刀を再度構え、自身に有利な距離へと近づいてゆく。

 すなわち、リーチギリギリの中距離だ。


 「その過程で、貴様の存在が邪魔で邪魔で仕方なくてな。先の一撃で倒れておれば、苦しまず死ねたものを」

 「やだ。ぼくは死なないもん」


 言葉を交わしながら、力量を測る。

 麗梅恭リメイゴンは、強敵だ。

 全力で戦っても、ルゥなしでやりあえるか到底自信がない。


 だが、恐らく。

 ここで逃げれば、ルゥは彼の好きにされてしまうだろう。


 それは、とても嫌だった。


 「ほう、あくまで戦うというのか」

 武器を構える。

 まずは、インファイトに向いた鉄爪だ。

 初手で弾き、懐に潜り込むべし。


 薙刀の戦士は、いやらしく笑う。

 フォボスは、目で抗う。

 

 一触即発。

 よく晴れた、暑い夏。

 聖堂外の杉に張り付いたツクツクボウシが、鳴き始める。


 あれが鳴き止んだ時が、はじまりか。


 麗梅恭リメイゴンの額から汗が流れる。

 緊張状態は、あっちも同じというわけだ。


 「なあ、そろそろ良いか?」

 敵の背後から、別の声。


 「ッ!?」

 フォボスに集中していた麗梅恭リメイゴンは、咄嗟に横にステップし、その者に注意を向ける。


 「貴様は!」

 二人とも、彼のことは知っていた。


 彼は半鳥ハーピィだった。

 緑色の翼をしていた。

 

 鉤爪には、先の尖ったブーツのような、鋭いミスリル刃が装着されており、飾り紐が垂れている。


 「よう、久しぶりだな、坊主。それと、麗家の名手」


 フォボス、麗梅恭リメイゴン、ハーピィ。

 三人で、向き合う。

 互いに警戒し合い、牽制し。

 正三角形のような陣形を取ると。


 ハーピィは、ようやく名乗る。

 ニヤリ、と情熱的に笑い、言葉に出す。


 「オレは、ソルカ・セン。ここに、戦いにきた」


 彼が力強く右脚を踏み鳴らすと、大地は蒼炎を漏らした。


 【続く】


 【次回、第二部最終話】

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