##10 暗殺者、持てる全てを失う

 (あらすじ:ピリが『反転呪詛の』ユーデコスから襲撃を受けるも、メアたちの介抱で一命を取り留める。ここからは報復の時間だ。ヤツに休む時間など与えるものか!)


 麗家の領域、高級宿。


 『反転呪詛』のユーデコスは、影の馬に乗って滞在中の宿に戻る。


 夜の帳の中、つい先程こなした暗殺任務が脳裏をよぎり、不服気な顔を浮かべた。


 (確かに、致命傷を与えはした。顔も割れてない、はずだ)


 だが、死体を確認する前に妨害が入った。

 彼には珍しく、失敗した可能性があるわけだ。


 馬を預け、雨でぬかるんだ地面を歩き、泥を落としてから宿に入る。


 宿の主は、ユーデコスを気にもとめない。

 事前に《ドミネーション》によって支配してある。

 代金はしっかり払っているのだ、他は些細なことだろう。


 この宿に滞在するのは三日目。


 ここは麗家の大都市。いくらユーデコスが麗梅恭リメイゴンに雇われていると言っても、現地のものにバソディア家の者と知られれば、いくらか面倒なことになる。


 一応、まだこの近辺の人間は、一部を除いてユーデコスの存在すら把握していないはずだ。

 闇陰神ツェルイェソドの加護の深い身であるがゆえ、隠密は得意というわけだ。


 自室に入る。

 基礎的な火の魔法で蝋燭に明かりをつけ、フード付きマントを脱ぐ。


 薄暗いが、彼の容姿はぼんやりと分かる。


 暗い色の、雨に濡れてしっとりとした肌。

 乳のような、艶めく髪。

 その目は蝋燭の火を受け、赤褐色に輝いていた。

 

 彼は、ダークエルフであった。


 「ふぅ」

 嘆息し、備え付けの椅子に腰掛ける。

 椅子はユーデコスの軽い体を受け止め、キィと軋んだ。


 そのまま彼は、自らの武装をチェックする。


 「うへえ」

 思ったより、損傷している。


 短剣にべっとりと付着した、酸化して赤くなった血を洗い流し、薄れた呪いを吹き込む。

 拳の一撃を受けて凹んだ革鎧を、《リペア》で直す。


 今日の相手は、それなりに強かった。


 フル武装であれば、負けはありえないだろう。

 だが、もし互いに素手であったならば、体格差もあって勝利を掴めたか定かでない。


 まあ、それは良い。

 次は、確実に仕留める。


 「これで、よしと」

 

 たっぷり時間をかけて、装備を戦闘前の状態に戻す。

 その後、先程の戦闘を反省し、イメージトレーニングで己の動きを修正する。


 「今日の仕事は終わり、だな」


 と言いつつも、次の襲撃の計画を立てる。

 

 彼に命じられた暗殺の対象は、五人。

 相手は今日のようなミトラ=ゲ=テーアの使者に限らない。そして、こういう依頼には慣れている。


 (ピリニャスが生きていた場合、暫くの間警戒するだろうから、次はセン家に手を出すべきだろうか)

 思考を巡らせながら、時計を見る。

 

 「夜更けまでは、まだ時間があるな」

 言葉に出す。

 

 彼は、夜間に活動する男だ。

 特に日光が苦手なわけではないが、騒々しいのは嫌いだった。


 「女でも呼ぶか」

 

 椅子から立ち上がり、壁にかけてある魔道具を手に取る。

 紫宸龍宮にも根を張る奴隷商会に通信を入れ、まるで雑貨を頼むかのように、ヒトを注文する。


 「鬼人族オルクス。まだ若い。両方の角を削って丸くしてあるので、万一のときも安全。そして、壊しても構わない」


 奴隷商会からの提案を反芻し、悪くないなと考える。


 「代金は? ――16000シェルか。ああ、分かった。いつもの場所から適当に引き出してくれ。よろしく頼む」


 二、三分の会話で注文を終えると、再度椅子に腰掛ける。


 「『獣人狩り』が失踪してから、奴隷の値段は上がるばっかりだ」

 蝋燭の火を見つめながら、彼はつぶやく。


 彼が人知れず姿を消し、奴隷商会は大きく力を失った。

 結果、最大の拠点はミトラ=ゲ=テーアから紫宸龍宮に移され、主力商品も獣人から鬼人族オルクスに更新されたわけだ。

 彼が、奴隷商会のパトロンである麗梅恭リメイゴンの依頼を受けるのも、その絡みである。


 程なくして、コン、コンとドアをノックする音が聞こえる。


 来たか。

 従順にも、わざわざ壊されるために。


 期待に口角が上がる。


 「入れ」


 感情を押し殺し、尊大な声で犠牲者を呼ぶ。

 まずは角を根本から切り、その角をねじ込んでやろうか。


 そう考えていた彼の前に現れたのは。


 「ど、どうもー……」


 青い目をした、エルフだった。

 上品な、フローラルな香りがする。

 それに比して、衣服はところどころ透けており、扇情的だ。


 「うん?」


 想像していたものとは全く別タイプの女性が現れ、一瞬混乱する。

 混乱しつつも、椅子から立ち上がり、彼女の手を握って部屋に招き入れる。

 

 彼女に触れた途端、少年の声で「《ギアス:お前はボクに気付けない》」と呪文が掛けられたことには、当然、気付けなかった。


 一瞬、奴隷商会への殺意が湧いたが、その意思は雲散霧消した。


 考えてみる。


 むしろ、彼女は並大抵の奴隷より上物だ。

 クレームは後で入れればいい。こいつで楽しめば、帳尻は合う。


 抱き寄せ、キスをしようとする。


 「えっ?」

 ところが彼女は、張り付いた笑みで、後ずさる。

 

 なんだこいつ。

 ヤられるつもりで来たんじゃないのか。


 後ずさるエルフを追っていると、不意に。


 「《ギアス:動くな》」


 二つ目の制限が、通る。


 流石に、これは違和感に気づく。

 なぜなら呪文の行使とともに、ユーデコスの体は指一本として動かなくなってしまったからだ。

 

 (罠!)

 

 油断していた。


 まず、自分に対して呪いを通せる相手が居る事実に驚いた。

 次に、恐らく自分は、戦闘能力という強みを活かすことすらできず、嬲られるであろうことを悔いた。


 「《ギアス:抵抗するな》」

 「《ギアス:他人を害するな》」

 未だ姿を見せない術者は、次々とユーデコスの行動を縛ってゆく。


 エルフはその様子をうかがい、目を合わせたまま、今度は逆にユーデコスの手を取り、ゆっくりとドアの方に向かってゆく。

 矛盾した《ギアス》による制限は、術者によって自由に解釈される。

 

 もはや、ユーデコスはされるがままだ。


 「待て、何が望みだ……!」

 縋る。

 相手が何の目的でユーデコスを襲撃したのか、それすらわからずに散るのは、流石に許容できなかった。


 「だってそりゃあ、ねえ? 《ギアス:助けを呼ぶな》」

 五つめの制限。

 本来刑罰に使われるこの魔法は、濫用すれば罪に問われる。

 そのリスクを負ってでも、そいつはユーデコスを始末したいらしい。

 

 「これでよし。入っていいよ」

 少年の声を合図に、部屋に一人の女が入ってくる。


 緑色の肌、筋肉質な体。


 見間違えるはずもない。 

 それは、ピリニャスだった。


 エルフは彼女の手の甲にキスをして、部屋から去ってゆく。


 「さっきぶりだね、『反転呪詛』」

 ピリニャスは、ユーデコスの体を、軽くトン、と押す。


 彼はバランスを崩し、尻餅をつく。

 

 「え? あ?」

 言葉にならない喘ぎが漏れる。


 予想外の行動だった。

 殺すなら、既に殺しているはずだ。

 

 となれば。


 「拷問、するのか」

 これしか、あり得ない。


 ところが、ピリニャスは少し困った顔をして。


 「拷問、といえばそうかもね。大変だけど、がんばろう」

 

 (『がんばって』でなく『がんばろう』?)

 またも、疑問が頭に浮かぶ。


 ユーデコスにとって幸いだったのは、その疑問がすぐに氷解したことだ。

 

 (え? え?)

 ピリの手で、彼のシャツが瞬く間にたくし上げられる。

 褐色の素肌があらわとなり、恐怖に荒れた呼吸がはっきりと分かってしまう。


 「ここまでやれば、分かるよね?」

 例の術者の声だ。

 ピリニャスのそばから、聞こえてくる。


 「そこにいるのか? 誰なんだ? 今、何と言った!?」

 問う。

 ユーデコスは今、彼を認識することができない。


 「おっと、そうだった。術式を解除して、と」

 言葉とともに、ピリニャスからユーデコスに繋がった魔力の線が見えるようになる。

 正確には、ルゥの魔力だ。

 

 ピリニャスは、ユーデコスに体を重ねる。


 「《ギアス:快感を我慢するな》」

 さらに、呪縛が強くなる。

 《ギアス》は接触が条件となる呪文だ。

 思い返せば、あのエルフの挙動も妙だった。


 だが、全ては後の祭り。

 ユーデコスは、もはやピリニャスによる調理を待つ身となっていた。


 「楽しもうね、ユーデコスくん」

 また、少年の声がした。


 それからのことは、暫く思い出したくない。


 ◆◆


 少し時を遡る。


 ヤツの居所ヤサを特定したとフレヴァ・フィロ葉脈から連絡が入ったときには、フォボスたちは麗家の領域に侵入していた。


 ピリなりに“ヤマを張った”結果だ。そして、今回は見事に的中した。


 襲撃の作戦は、ルゥが立てた。

 メアによって油断させ、後はその隙にルゥが術を叩き込み、ピリによってあらゆる情報を吐かせる、というもの。


 もっともその実態は、ルゥの趣味によるところが大きいようで。


 「つーことで、俺様とフォボスはお留守番というわけだ」

 ユーデコスが根城とする宿屋の、隣にある空き家。

 

 地主に無断で、暗がりで息を潜めながら、フォボスとクロヴは記録の魔導具を見つめる。

 魔導具の機能は、ターゲット一人の用いた術式をひたすら筆記する、というだけのものだ。

 そして、今はルゥの術式を記録している。


 「フォボス、寝たきゃ寝て良いんだぞ?」

 眠い目をこする彼に対し、クロヴが提案する。


 「でも、メアさんだけを危ない目にはあわせられないし」

 気合で起きている。

 奴隷であった頃と比較すると、随分とタフになったものである。

 

 「じゃあ終わったら寝ろ。――お」

 早速、術式が記録される。

 《ヴェイル・オブ・ツェルイェソド》。隠密の魔法だ。


 浮遊するペンのような形をした魔導具は、カリカリと共通語で記録していく。


 「んー……」

 ちなみに、本来ユーデコスに送られるはずだった鬼人族オルクスの奴隷は、縄で両手を縛られた上で、フォボスたちと一緒に魔導具を見ている。

 抵抗するつもりであれば猿ぐつわも付けるつもりだったが、従順だったので手枷だけである。


 「《ギアス》、《ギアス》……。おー、こわ。絶対アイツを敵に回したくねえわ」

 ルゥはバレないうちに、行動制限を重ねていく。

 

 ところで、術式の中には亜型を持つものもある。

 《シールド》で言えば、《シールド:バッシュ》と宣言すれば、盾殴りが実現できるというわけだ。


 魔導具には、呪文の亜型を記す効果もあった。

 「かいかん? どゆこと?」

 フォボスが、《ギアス:快感を我慢するな》に反応する。


 「それはメアに聞け。ほら、帰ってきたぞ」

 空き家のドアが開くと、いわゆるベビードールを着たメアがスタスタと入ってくる。


 「おかえり、エルフのお姉ちゃん」

 「うす」

 奴隷とクロヴは、気さくにメアを出迎える。

 

 フォボスは目をそらし、上ずった声で。


 「はやくきがえて。それ、見ててへんになる」

 と、前かがみになりながら、辛うじて告げた。


 「ごめんごめん、寝間着に着替えるね。シャオファちゃん、服貸してくれてありがと!」

 メアはフォボスの様子を見て、逃げるように別室へ。

 

 「ふーん、獣人クンはエルフのお姉ちゃんのこと、えっちな目で見てるんだ」

 シャオファと呼ばれた鬼人族オルクスの奴隷は、フォボスを茶化す。

 彼女は今、メアが用意したローブの替えを着ている。

 青い肌と白いローブのコントラストが、美しい。


 「今のが、えっちってことなの?」

 フォボスは俯きながら、上目遣いでシャオファを見る。

 何も分かっていない顔だ。


 「え? そこ? キミ、何歳? シャオは六歳くらいのときには一通り知ってたけど」

 謎のマウントを取り始める。

 同じ元奴隷でも、差は大きいようだった。


 「そーゆーのはナシだ。俺様たちは今、真面目にルゥの挙動を見ているわけだからな。見ろ」

 クロヴが魔導具を指すと、今度は《ラッティング・ガス》と記録される。


 気まずい空気が流れる。


 「ドワーフのお姉ちゃん、それ発情ガスの呪文だよ。全然『ナシ』じゃないじゃん」

 容赦なく突っ込みを入れるシャオファ。

 「え? え?」と、話についていけないフォボス。


 クロヴの方はというと、当然頭を抱えていた。

 「おーい、メア。至急フォボスを教育してやってくれない? やりづらいぞ」


 お願いは「あと一分待って!」と、素気なく断られた。


 「というかお姉さんたち、シャオを拉致ってやることがこれ? お仕事に行かなきゃなんだけど」

 「いっけね」


 事情を説明しそびれたことを詫び、クロヴが簡潔に情報を渡す。

 それを聞くと、シャオファはケラケラと笑った。


 「ウケる。わたしの飼い主、今襲われてるってこと? 助かったわ、ありがと」

 ユーデコスの評判は、奴隷商会内でもかなり悪辣だったようだ。


 「また呪文が記録されたみたい」

 今度は、フォボスが気づく。

 呪文の名は、《エナジードレイン》。

 その次の行も、《エナジードレイン》だ。


 この呪文は、相手の精気を奪い取る。いわば利己的な呪文である。

 

 では、精気を奪いつくされた相手にこの呪文を掛け続けるとどうなるか?

 これは、相手の技能や身体能力を、ほんの少しずつ吸い取る、という結果となる。


 無論、並の術者であれば先に魔力が尽きるため、能力を奪えたとしてもごく僅かなものとなる。


 並の術者であれば、だが。


 「ただいまー。あれ?」

 寝巻きに着替えたメアが一行のもとに戻ってくると、奇妙な空気に包まれていた。


 まず、フォボス。

 《エナジードレイン》はアンデッドの呪文であるという先入観から、戦慄している。


 次に、クロヴ。

 「とうとうやりやがった、あいつ」という表情で、背もたれに体を預け、脱力している。


 最後に、シャオファ。

 声を抑えながら、縛られた両手で腹を抱え、足をバタつかせ笑っている。


 メアも魔導具の方に注意を向ける。

 魔導具は、壊れたように《エナジードレイン》を次々と書きなぐっていた。


 彼女は、一言だけ呟いた。


 「これ、同人誌で見たやつだ」


 その言葉を聞いて、シャオファはとうとう吹き出してしまった。


 ◆◆


 《エナジードレイン》の連打は、夜明けまで続いた。


 流石にシャオファも飽きたようで、今は拘束も解かれ、フォボスとトランプで遊んでいる。


 魔道具による筆記が終わると、蝶番が軋む音とともに、ピリが戻ってくる。


 「っふー……」


 服は着ている。

 やりきった、という表情だ。

 

 彼女の背中には、腰が抜けて動けないユーデコスがおんぶされている。

 彼は、しきりに尻を押さえていた。今もヒリヒリと疼くようだ。


 「ウケる。ご主人様、樹妖族ドライアドにヤられてやんの」

 ひと目見て、シャオファが煽る。


 樹妖族のうち、ベースの植物が雌雄同体の種は、両方の性を持つ。

 ピリも、同様だった。


 「クロヴ、報告入れる。テーブル空けて」

 どこかぼんやりとした表情で、ピリが指示を出す。


 「おう、大丈夫か? 疲れてるなら俺様がやるぞ?」

 クロヴはピリを気遣いつつ、素直に従う。

 

 「シャオは聞かない方がいい?」

 トランプをシャッフルしながら、シャオファは直感的にシリアスな雰囲気を感じ、提案する。

 答えは、ルゥによる「《デフネス》」であった。


 ピリが、通信用魔導具を起動する。

 今度は、フレヴァ・フィロ葉脈がすぐに応答した。


 「やったのか」

 作戦については、彼女にも共有してある。


 「……まあ」

 羞恥心で答えあぐねるピリを見かね、ルゥが代わりに口を挟む。

 「とっても気持ちよかったよ。ユーデコスくん、三百歳とは思えないくらい反応がいい。吸い取った力は、全部ピリにあげた。これで良いんだよね?」

 

 つばを飲み込む音がした。


 「……協力、感謝するぜ。ウチからの報酬が欲しいなら、『反転呪詛』は冒険者ギルドに突き出してくれ。ただ、まあ、なんというか――」


 フレヴァ・フィロは、少し咳き込んで。


 「紫宸龍宮のギルドが今の『反転呪詛』を見て、本人だって沙汰が下りる保証がねえな。ウチとしては、奴隷商会の力を削げればそれでいい。上手くそいつから蜜を吸えそうならそうしろ。以上だ」


 通信は、一方的に切られた。


 「議会は『あんまり関わりたくない』みたい」

 ピリが要約する。


 曰く、神子の力はヒトの身に余る。

 当代の黒の神子に奴隷集落を襲撃させたとき、彼らの持つ力を軽々しく使うことのリスクを、事後処理の大変さで思い知った、とのことである。


 「神子怖い。神子、気持ちいい……」

 地面に横たえられたユーデコスの様子を見ても、その恐ろしさはよく伝わってくる。

 

 まず、今の彼からは、ろくに魔力を感じない。

 メアが見ても「一般人より弱くない?」との評価だ。


 そして、身体能力も同様に減じている。


 フォボスが、おもむろに彼の前に座る。

 

 「なんだよ、殺せよ……!」

 《ギアス》の効果で未だに動けない彼は、精一杯の挑発を行う。


 「えいっ」

 フォボスは手をシャツの中に潜らせ、人差し指で腹筋を触る。


 ツルツルだった。

 柔らかく、ぷにぷにしていた。


 「うう……」

 抵抗もできない。

 ユーデコスはただうめき、フォボスのおもちゃとなっていた。


 「かわいそうだから、最低限ヒトとして生きられるようにはしてあげるね」

 ルゥが見かね、一部の《ギアス》を解く。


 その瞬間、ユーデコスは立ち上がって、《ポケット・ディメンジョン》から予備の短剣を取り出し、フォボスに襲いかかろうとした。


 だが、実際の行動は、腹筋で上体を起こすことに失敗し、柱に寄りかかって立ちはするものの、魔術の発動にも失敗。短剣を握るはずだったその手は虚空を掴み、荒い息を吐くという結果に終わった。


 そこにいつの間にか、《デフネス》の効果が切れたシャオファが、すぐ側に立っていた。


 「ひっ!」

 彼女の周りに漂う、情欲を刺激する香りに、彼は怯えた。

 先程の《エナジードレイン》を思い出してしまったのだ。


 「ご主人様、かわいそ」

 耳元で、ささやく。


 奴隷にすら、同情されている。

 その事実が、彼の敗北を一層惨めなものとした。


 彼は柱に背を預け、ずるずると崩れ落ちる。


 そして、泣きじゃくる。

 赤子のように、声を上げながら。

 

 「あらら、心が折れちゃったみたい」

 彼女は、正面に回り込む。

 

 取り乱すユーデコスの頬を、両手で支え。


 おもむろに、接吻した。

 

 「っ……」

 ユーデコスは、逆らえない。

 

 泣きながら、舌を受け入れる。

 

 「いい子、いい子……」

 甘やかす。

 シャオファはキスをやめ、ローブ越しに胸で彼の頭を包み込む。


 彼女は、ヒトの堕とし方を心得ていた。

 契約ではなく、心による鎖の作り方を。


 「はいはい、あなただけのシャオファですよ、ふふっ」

 誰にも見えぬよう、シャオファは笑う。


 声に出さぬ、魂の笑み。

 口角を上げた、邪悪な笑みだ。


 ユーデコスが、彼女の背中に手を回したことで、確信する。


 (――やった、堕ちた♪)


 今、シャオファは、ユーデコスという奴隷を獲得したのであった。


 ◆◆


 「女ってこっわー。俺様にはあのムーブは無理だわ」

 「クロヴも女性でしょ……」

 「そこ! 聞こえてるからね!」


 ◆◆

 

 上記の惨劇が、ようやく過去の出来事となった頃の話。


 光臨節。


 一年で最も明るい日と、その前後の三日間、計七日の期間を指す。

 白日教にて“最も光に祝福された日”として祝日に指定されており、多くの国でも休日と定められている。


 そういう日であっても、当然夜は来る。


 提灯で照らされた街全体に、醤油の塗られたとうもろこしやイカ、あるいは鉄板で焼いた麺、綿飴の香りが漂う。

 光臨節最後のイベントを前にした書き入れ時だ。もはや半分枯れかけた声で、店主たちは参加者の食欲に訴えかけている。


 「んーっ! お祭り、楽しかった!」

 「だね!」

 屋台街から抜け、街外れの丘へと向かうフォボスとメア。


 彼らは、紫宸龍宮伝統の衣装に身を包んでいる。

 いわゆる、浴衣である。


 フォボスに至っては木彫りのお面まで付けている。

 狐の面だ。角に引っ掛けるようにして装備していた。


 「いーなー。ボクも体があったら、いっぱい食べたのになー!」

 ルゥはわざとらしく訴えかける。

 味覚はフォボスと共有なのに、だ。


 二人は人混みの流れに逆らわず、ゆっくりと歩みを進める。


 「クロヴさんとピリさんが来れないのは残念だけど」

 別行動だ。

 ピリの方は付き添いだが、クロヴに関しては、これからの催しで大きな役割を任されていた。


 普段、この丘は子どもたちの遊び場となっている。

 ちょうどいい広さ、開けた視界。

 球技をやるのにうってつけというわけだ。


 その環境は、空を見るのに好都合だった。


 「押さないでねー! 結構高くまで上がるから焦らないで! ちっちゃい子は肩車とかしてもらってね!」

 法被はっぴを着た若者が、群衆を制御する。


 「《レビテイト》」

 ルゥが呪文を唱え、フォボスの目線をメアのそれに合わせる。

 周りと比べて高くなりすぎないよう、奥ゆかしい具合だ。


 「ありがと、ルゥ」

 「ボクも見たいもん」

 やり取りを聞いて、メアはクスッと笑った。


 麗家の都市、不折梅都おれざるうめのみやこの外には、急流の川が流れている。


 その方角から、「あ、あー。聞こえるか? 聞こえてそうだな。よし」と、クロヴの声が聞こえてきた。

 声は、魔導具によって音量を引き上げられている。


 「待ってました!」

 「よっ! 錫鉱脈の新鋭!」

 「やっちまえ!」

 といった声援が飛ぶ。


 皆が皆、期待に胸を弾ませていた。


 「会場はまだまだ元気みてェだな! よっしゃ、俺様に任せな! 時間も押してるから、さっさと行くぜ!」

 パフォーマンスは程々に、彼女は魔力をたぎらせる。


 「まずは一発! 《イグニッション》!」

 点火。

 導火線を辿り、赤い軌跡が大砲へと向かう。


 順調に、引火。

 ドム、という音を鳴らし、砲弾が上空に飛び立つ。


 その砲弾は、上空で爆発し、体に響く衝撃波とともに、暗がりを照らす花を咲かせた。

 

 打ち上げ花火だった。


 「へへっ、上手く行ったみてェだ。まあ? 俺様に失敗はあり得ねえけどな? 続けていくぜ! 《マス・イグニッション》!」


 続けて、二発、三発と、スケジュール通りに花火を打ち上げていく。

 花火はドム、ドムと続けて発射され、期待通りに弾け、その度に観客は湧いた。


 「きれい」

 フォボスは、目に映る花火を見つめ、心からそうつぶやく。


 ルゥに生かされ、メアに出会って。

 クロヴに導かれ、ピリに学んで。


 旅を通して、多くのものが変わった。

 多くのものを、得た。


 気づけば遠い異国の地で、現地のヒトたちに囲まれ、楽しくやっている。


 「あ! 見て! ネコだ!」

 メアが指差す先には、猫の顔を模した、白い花火。

 それも、少し経てば暗闇に散り、儚く姿を消してしまう。


 この日常を、もうしばらく味わっていたい。

 いま見えている花火よりは、もっと長く。


 もっと。


 ぎゅっと、メアの手を握る。


 「どしたの? 急に」

 彼女は、花火を見ながらフォボスに注意を向ける。


 空に輝く炎の花は、より大きく、より多層的になってゆく。


 「ここからは五号玉解禁だ! 見上げすぎて首を痛めんなよ! 《イグニッション》!」

 クロヴのテンションも上がってゆく。

 時間が、どんどん過ぎてゆく。


 「さっさと言いなよ。別に、どういうリアクションでも、フォボスくんが死ぬわけじゃないんだからさ」

 ルゥが、後押しする。

 フォボスは、勇気を振り絞る。


 「あのね、メアさん」

 浮いたまま、隣に身を寄せる。

 彼女の手を、自分の胸に重ねる。


 痛いほど跳ねる心臓の、確かな鼓動が、彼女に伝わる。


 「……聞かせて」

 メアは、察した。

 次に来る言葉を予想し、準備を整える。

 

 「これまで、色んなところを旅して、いろんなことがあったよね」

 商会に監禁されたり、魔物にこっぴどく負けたりもした。

 でも、楽しいことのほうが、多かった。


 「うん」

 メアは言葉少なに、フォボスの次を促す。


 「もう、ぼくたちが出会ってから、半年過ぎちゃったんだよね。それで、この間、『メアさんをえっちな目で見てるよね』って言われて、考えてみたんだけど」

 「ふふ、続けて」

 笑い、なおも促す。


 これはフォボスが言わなければ、意味がない。

 彼が恐怖を乗り越え、勇気を持たねば、先がない。


 「やっぱり、ぼくはメアさんのことが好きだ」


 告白が終わるのを待っていたかのように、彼らの眼前で、六号玉の大輪が咲く。


 情熱的な赤い炎が、彼らを儚く照らす。


 やがてその炎も小さく薄れ、消え、静寂があたりを支配する。


 花火の時間が終わり、周囲の観客が、去り始める。


 彼らは二人には気づかず、二人だけを、置いてけぼりにして。


 皆が帰って、ようやくメアが口を開く。


 「知ってるよ、ほら」

 そう言って、今度はフォボスの手を彼女の胸に導く。


 汗ばんだ彼女の肌を通して、分かる。

 フォボスと同じように、高鳴っていた。

 

 「嬉しいよ、フォーくん」

 メアは笑いながら、目を見て答える。

 

 そして、抱き寄せる。


 「わわっ」

 フォボスは急に抱き寄せられ、頬を赤く染める。

 汗とフローラルが混ざった香りを目一杯吸い込み、一瞬息が止まる。


 「実は、いつ言ってくれるのかなって待ってた。ほら、年の差があるから、私から言い出すのはアレかなって」

 「あうう……」

 何もかも、メアのほうが上手だった。


 群衆に遅れて、フォボスたちも宿屋の方へと歩み始める。


 「『この日常が、いつまでも続いてほしい』って思うこと、あるよね」

 奇しくも、二人は同じことを考えていたようだ。


 「私は、それよりも『今の一瞬を全力で味わう』ほうが好きかな。だって、そもそも寿命に差があるし」

 「それは、そうかも」


 永遠は、ない。

 かつて永遠を探求した者は、確かに居た。 

 けれど永劫の時を過ごせば、ヒトの精神はいくらか変わってしまう。

 だから、永遠はない。そういう結論だった。


 「なら、もっと思い出を作ろうよ。どんな形でも、忘れられないくらいの思い出を」

 今度はフォボスが手を引き、メアの前に立つ。


 「うん、そうしよう!」

 メアも応じ、踊るように進み出る。


 二人の関係が、また一つ進む。


 彼らを祝福するかのように、撃ち忘れの花火が一房、上空で輝いた。


 【続く】

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