##10 暗殺者、持てる全てを失う
(あらすじ:ピリが『反転呪詛の』ユーデコスから襲撃を受けるも、メアたちの介抱で一命を取り留める。ここからは報復の時間だ。ヤツに休む時間など与えるものか!)
麗家の領域、高級宿。
『反転呪詛』のユーデコスは、影の馬に乗って滞在中の宿に戻る。
夜の帳の中、つい先程こなした暗殺任務が脳裏をよぎり、不服気な顔を浮かべた。
(確かに、致命傷を与えはした。顔も割れてない、はずだ)
だが、死体を確認する前に妨害が入った。
彼には珍しく、失敗した可能性があるわけだ。
馬を預け、雨でぬかるんだ地面を歩き、泥を落としてから宿に入る。
宿の主は、ユーデコスを気にもとめない。
事前に《ドミネーション》によって支配してある。
代金はしっかり払っているのだ、他は些細なことだろう。
この宿に滞在するのは三日目。
ここは麗家の大都市。いくらユーデコスが
一応、まだこの近辺の人間は、一部を除いてユーデコスの存在すら把握していないはずだ。
闇陰神ツェルイェソドの加護の深い身であるがゆえ、隠密は得意というわけだ。
自室に入る。
基礎的な火の魔法で蝋燭に明かりをつけ、フード付きマントを脱ぐ。
薄暗いが、彼の容姿はぼんやりと分かる。
暗い色の、雨に濡れてしっとりとした肌。
乳のような、艶めく髪。
その目は蝋燭の火を受け、赤褐色に輝いていた。
彼は、ダークエルフであった。
「ふぅ」
嘆息し、備え付けの椅子に腰掛ける。
椅子はユーデコスの軽い体を受け止め、キィと軋んだ。
そのまま彼は、自らの武装をチェックする。
「うへえ」
思ったより、損傷している。
短剣にべっとりと付着した、酸化して赤くなった血を洗い流し、薄れた呪いを吹き込む。
拳の一撃を受けて凹んだ革鎧を、《リペア》で直す。
今日の相手は、それなりに強かった。
フル武装であれば、負けはありえないだろう。
だが、もし互いに素手であったならば、体格差もあって勝利を掴めたか定かでない。
まあ、それは良い。
次は、確実に仕留める。
「これで、よしと」
たっぷり時間をかけて、装備を戦闘前の状態に戻す。
その後、先程の戦闘を反省し、イメージトレーニングで己の動きを修正する。
「今日の仕事は終わり、だな」
と言いつつも、次の襲撃の計画を立てる。
彼に命じられた暗殺の対象は、五人。
相手は今日のようなミトラ=ゲ=テーアの使者に限らない。そして、こういう依頼には慣れている。
(ピリニャスが生きていた場合、暫くの間警戒するだろうから、次は
思考を巡らせながら、時計を見る。
「夜更けまでは、まだ時間があるな」
言葉に出す。
彼は、夜間に活動する男だ。
特に日光が苦手なわけではないが、騒々しいのは嫌いだった。
「女でも呼ぶか」
椅子から立ち上がり、壁にかけてある魔道具を手に取る。
紫宸龍宮にも根を張る奴隷商会に通信を入れ、まるで雑貨を頼むかのように、ヒトを注文する。
「
奴隷商会からの提案を反芻し、悪くないなと考える。
「代金は? ――16000シェルか。ああ、分かった。いつもの場所から適当に引き出してくれ。よろしく頼む」
二、三分の会話で注文を終えると、再度椅子に腰掛ける。
「『獣人狩り』が失踪してから、奴隷の値段は上がるばっかりだ」
蝋燭の火を見つめながら、彼はつぶやく。
彼が人知れず姿を消し、奴隷商会は大きく力を失った。
結果、最大の拠点はミトラ=ゲ=テーアから紫宸龍宮に移され、主力商品も獣人から
彼が、奴隷商会のパトロンである
程なくして、コン、コンとドアをノックする音が聞こえる。
来たか。
従順にも、わざわざ壊されるために。
期待に口角が上がる。
「入れ」
感情を押し殺し、尊大な声で犠牲者を呼ぶ。
まずは角を根本から切り、その角をねじ込んでやろうか。
そう考えていた彼の前に現れたのは。
「ど、どうもー……」
青い目をした、エルフだった。
上品な、フローラルな香りがする。
それに比して、衣服はところどころ透けており、扇情的だ。
「うん?」
想像していたものとは全く別タイプの女性が現れ、一瞬混乱する。
混乱しつつも、椅子から立ち上がり、彼女の手を握って部屋に招き入れる。
彼女に触れた途端、少年の声で「《ギアス:お前はボクに気付けない》」と呪文が掛けられたことには、当然、気付けなかった。
一瞬、奴隷商会への殺意が湧いたが、その意思は雲散霧消した。
考えてみる。
むしろ、彼女は並大抵の奴隷より上物だ。
クレームは後で入れればいい。こいつで楽しめば、帳尻は合う。
抱き寄せ、キスをしようとする。
「えっ?」
ところが彼女は、張り付いた笑みで、後ずさる。
なんだこいつ。
ヤられるつもりで来たんじゃないのか。
後ずさるエルフを追っていると、不意に。
「《ギアス:動くな》」
二つ目の制限が、通る。
流石に、これは違和感に気づく。
なぜなら呪文の行使とともに、ユーデコスの体は指一本として動かなくなってしまったからだ。
(罠!)
油断していた。
まず、自分に対して呪いを通せる相手が居る事実に驚いた。
次に、恐らく自分は、戦闘能力という強みを活かすことすらできず、嬲られるであろうことを悔いた。
「《ギアス:抵抗するな》」
「《ギアス:他人を害するな》」
未だ姿を見せない術者は、次々とユーデコスの行動を縛ってゆく。
エルフはその様子をうかがい、目を合わせたまま、今度は逆にユーデコスの手を取り、ゆっくりとドアの方に向かってゆく。
矛盾した《ギアス》による制限は、術者によって自由に解釈される。
もはや、ユーデコスはされるがままだ。
「待て、何が望みだ……!」
縋る。
相手が何の目的でユーデコスを襲撃したのか、それすらわからずに散るのは、流石に許容できなかった。
「だってそりゃあ、ねえ? 《ギアス:助けを呼ぶな》」
五つめの制限。
本来刑罰に使われるこの魔法は、濫用すれば罪に問われる。
そのリスクを負ってでも、そいつはユーデコスを始末したいらしい。
「これでよし。入っていいよ」
少年の声を合図に、部屋に一人の女が入ってくる。
緑色の肌、筋肉質な体。
見間違えるはずもない。
それは、ピリニャスだった。
エルフは彼女の手の甲にキスをして、部屋から去ってゆく。
「さっきぶりだね、『反転呪詛』」
ピリニャスは、ユーデコスの体を、軽くトン、と押す。
彼はバランスを崩し、尻餅をつく。
「え? あ?」
言葉にならない喘ぎが漏れる。
予想外の行動だった。
殺すなら、既に殺しているはずだ。
となれば。
「拷問、するのか」
これしか、あり得ない。
ところが、ピリニャスは少し困った顔をして。
「拷問、といえばそうかもね。大変だけど、がんばろう」
(『がんばって』でなく『がんばろう』?)
またも、疑問が頭に浮かぶ。
ユーデコスにとって幸いだったのは、その疑問がすぐに氷解したことだ。
(え? え?)
ピリの手で、彼のシャツが瞬く間にたくし上げられる。
褐色の素肌があらわとなり、恐怖に荒れた呼吸がはっきりと分かってしまう。
「ここまでやれば、分かるよね?」
例の術者の声だ。
ピリニャスのそばから、聞こえてくる。
「そこにいるのか? 誰なんだ? 今、何と言った!?」
問う。
ユーデコスは今、彼を認識することができない。
「おっと、そうだった。術式を解除して、と」
言葉とともに、ピリニャスからユーデコスに繋がった魔力の線が見えるようになる。
正確には、ルゥの魔力だ。
ピリニャスは、ユーデコスに体を重ねる。
「《ギアス:快感を我慢するな》」
さらに、呪縛が強くなる。
《ギアス》は接触が条件となる呪文だ。
思い返せば、あのエルフの挙動も妙だった。
だが、全ては後の祭り。
ユーデコスは、もはやピリニャスによる調理を待つ身となっていた。
「楽しもうね、ユーデコスくん」
また、少年の声がした。
それからのことは、暫く思い出したくない。
◆◆
少し時を遡る。
ヤツの
ピリなりに“ヤマを張った”結果だ。そして、今回は見事に的中した。
襲撃の作戦は、ルゥが立てた。
メアによって油断させ、後はその隙にルゥが術を叩き込み、ピリによってあらゆる情報を吐かせる、というもの。
もっともその実態は、ルゥの趣味によるところが大きいようで。
「つーことで、俺様とフォボスはお留守番というわけだ」
ユーデコスが根城とする宿屋の、隣にある空き家。
地主に無断で、暗がりで息を潜めながら、フォボスとクロヴは記録の魔導具を見つめる。
魔導具の機能は、ターゲット一人の用いた術式をひたすら筆記する、というだけのものだ。
そして、今はルゥの術式を記録している。
「フォボス、寝たきゃ寝て良いんだぞ?」
眠い目をこする彼に対し、クロヴが提案する。
「でも、メアさんだけを危ない目にはあわせられないし」
気合で起きている。
奴隷であった頃と比較すると、随分とタフになったものである。
「じゃあ終わったら寝ろ。――お」
早速、術式が記録される。
《ヴェイル・オブ・ツェルイェソド》。隠密の魔法だ。
浮遊するペンのような形をした魔導具は、カリカリと共通語で記録していく。
「んー……」
ちなみに、本来ユーデコスに送られるはずだった
抵抗するつもりであれば猿ぐつわも付けるつもりだったが、従順だったので手枷だけである。
「《ギアス》、《ギアス》……。おー、こわ。絶対アイツを敵に回したくねえわ」
ルゥはバレないうちに、行動制限を重ねていく。
ところで、術式の中には亜型を持つものもある。
《シールド》で言えば、《シールド:バッシュ》と宣言すれば、盾殴りが実現できるというわけだ。
魔導具には、呪文の亜型を記す効果もあった。
「かいかん? どゆこと?」
フォボスが、《ギアス:快感を我慢するな》に反応する。
「それはメアに聞け。ほら、帰ってきたぞ」
空き家のドアが開くと、いわゆるベビードールを着たメアがスタスタと入ってくる。
「おかえり、エルフのお姉ちゃん」
「うす」
奴隷とクロヴは、気さくにメアを出迎える。
フォボスは目をそらし、上ずった声で。
「はやくきがえて。それ、見ててへんになる」
と、前かがみになりながら、辛うじて告げた。
「ごめんごめん、寝間着に着替えるね。シャオファちゃん、服貸してくれてありがと!」
メアはフォボスの様子を見て、逃げるように別室へ。
「ふーん、獣人クンはエルフのお姉ちゃんのこと、えっちな目で見てるんだ」
シャオファと呼ばれた
彼女は今、メアが用意したローブの替えを着ている。
青い肌と白いローブのコントラストが、美しい。
「今のが、えっちってことなの?」
フォボスは俯きながら、上目遣いでシャオファを見る。
何も分かっていない顔だ。
「え? そこ? キミ、何歳? シャオは六歳くらいのときには一通り知ってたけど」
謎のマウントを取り始める。
同じ元奴隷でも、差は大きいようだった。
「そーゆーのはナシだ。俺様たちは今、真面目にルゥの挙動を見ているわけだからな。見ろ」
クロヴが魔導具を指すと、今度は《ラッティング・ガス》と記録される。
気まずい空気が流れる。
「ドワーフのお姉ちゃん、それ発情ガスの呪文だよ。全然『ナシ』じゃないじゃん」
容赦なく突っ込みを入れるシャオファ。
「え? え?」と、話についていけないフォボス。
クロヴの方はというと、当然頭を抱えていた。
「おーい、メア。至急フォボスを教育してやってくれない? やりづらいぞ」
お願いは「あと一分待って!」と、素気なく断られた。
「というかお姉さんたち、シャオを拉致ってやることがこれ? お仕事に行かなきゃなんだけど」
「いっけね」
事情を説明しそびれたことを詫び、クロヴが簡潔に情報を渡す。
それを聞くと、シャオファはケラケラと笑った。
「ウケる。わたしの飼い主、今襲われてるってこと? 助かったわ、ありがと」
ユーデコスの評判は、奴隷商会内でもかなり悪辣だったようだ。
「また呪文が記録されたみたい」
今度は、フォボスが気づく。
呪文の名は、《エナジードレイン》。
その次の行も、《エナジードレイン》だ。
この呪文は、相手の精気を奪い取る。いわば利己的な呪文である。
では、精気を奪いつくされた相手にこの呪文を掛け続けるとどうなるか?
これは、相手の技能や身体能力を、ほんの少しずつ吸い取る、という結果となる。
無論、並の術者であれば先に魔力が尽きるため、能力を奪えたとしてもごく僅かなものとなる。
並の術者であれば、だが。
「ただいまー。あれ?」
寝巻きに着替えたメアが一行のもとに戻ってくると、奇妙な空気に包まれていた。
まず、フォボス。
《エナジードレイン》はアンデッドの呪文であるという先入観から、戦慄している。
次に、クロヴ。
「とうとうやりやがった、あいつ」という表情で、背もたれに体を預け、脱力している。
最後に、シャオファ。
声を抑えながら、縛られた両手で腹を抱え、足をバタつかせ笑っている。
メアも魔導具の方に注意を向ける。
魔導具は、壊れたように《エナジードレイン》を次々と書きなぐっていた。
彼女は、一言だけ呟いた。
「これ、同人誌で見たやつだ」
その言葉を聞いて、シャオファはとうとう吹き出してしまった。
◆◆
《エナジードレイン》の連打は、夜明けまで続いた。
流石にシャオファも飽きたようで、今は拘束も解かれ、フォボスとトランプで遊んでいる。
魔道具による筆記が終わると、蝶番が軋む音とともに、ピリが戻ってくる。
「っふー……」
服は着ている。
やりきった、という表情だ。
彼女の背中には、腰が抜けて動けないユーデコスがおんぶされている。
彼は、しきりに尻を押さえていた。今もヒリヒリと疼くようだ。
「ウケる。ご主人様、
ひと目見て、シャオファが煽る。
樹妖族のうち、ベースの植物が雌雄同体の種は、両方の性を持つ。
ピリも、同様だった。
「クロヴ、報告入れる。テーブル空けて」
どこかぼんやりとした表情で、ピリが指示を出す。
「おう、大丈夫か? 疲れてるなら俺様がやるぞ?」
クロヴはピリを気遣いつつ、素直に従う。
「シャオは聞かない方がいい?」
トランプをシャッフルしながら、シャオファは直感的にシリアスな雰囲気を感じ、提案する。
答えは、ルゥによる「《デフネス》」であった。
ピリが、通信用魔導具を起動する。
今度は、
「やったのか」
作戦については、彼女にも共有してある。
「……まあ」
羞恥心で答えあぐねるピリを見かね、ルゥが代わりに口を挟む。
「とっても気持ちよかったよ。ユーデコスくん、三百歳とは思えないくらい反応がいい。吸い取った力は、全部ピリにあげた。これで良いんだよね?」
つばを飲み込む音がした。
「……協力、感謝するぜ。ウチからの報酬が欲しいなら、『反転呪詛』は冒険者ギルドに突き出してくれ。ただ、まあ、なんというか――」
フレヴァ・フィロは、少し咳き込んで。
「紫宸龍宮のギルドが今の『反転呪詛』を見て、本人だって沙汰が下りる保証がねえな。ウチとしては、奴隷商会の力を削げればそれでいい。上手くそいつから蜜を吸えそうならそうしろ。以上だ」
通信は、一方的に切られた。
「議会は『あんまり関わりたくない』みたい」
ピリが要約する。
曰く、神子の力はヒトの身に余る。
当代の黒の神子に奴隷集落を襲撃させたとき、彼らの持つ力を軽々しく使うことのリスクを、事後処理の大変さで思い知った、とのことである。
「神子怖い。神子、気持ちいい……」
地面に横たえられたユーデコスの様子を見ても、その恐ろしさはよく伝わってくる。
まず、今の彼からは、ろくに魔力を感じない。
メアが見ても「一般人より弱くない?」との評価だ。
そして、身体能力も同様に減じている。
フォボスが、おもむろに彼の前に座る。
「なんだよ、殺せよ……!」
《ギアス》の効果で未だに動けない彼は、精一杯の挑発を行う。
「えいっ」
フォボスは手をシャツの中に潜らせ、人差し指で腹筋を触る。
ツルツルだった。
柔らかく、ぷにぷにしていた。
「うう……」
抵抗もできない。
ユーデコスはただうめき、フォボスのおもちゃとなっていた。
「かわいそうだから、最低限ヒトとして生きられるようにはしてあげるね」
ルゥが見かね、一部の《ギアス》を解く。
その瞬間、ユーデコスは立ち上がって、《ポケット・ディメンジョン》から予備の短剣を取り出し、フォボスに襲いかかろうとした。
だが、実際の行動は、腹筋で上体を起こすことに失敗し、柱に寄りかかって立ちはするものの、魔術の発動にも失敗。短剣を握るはずだったその手は虚空を掴み、荒い息を吐くという結果に終わった。
そこにいつの間にか、《デフネス》の効果が切れたシャオファが、すぐ側に立っていた。
「ひっ!」
彼女の周りに漂う、情欲を刺激する香りに、彼は怯えた。
先程の《エナジードレイン》を思い出してしまったのだ。
「ご主人様、かわいそ」
耳元で、ささやく。
奴隷にすら、同情されている。
その事実が、彼の敗北を一層惨めなものとした。
彼は柱に背を預け、ずるずると崩れ落ちる。
そして、泣きじゃくる。
赤子のように、声を上げながら。
「あらら、心が折れちゃったみたい」
彼女は、正面に回り込む。
取り乱すユーデコスの頬を、両手で支え。
おもむろに、接吻した。
「っ……」
ユーデコスは、逆らえない。
泣きながら、舌を受け入れる。
「いい子、いい子……」
甘やかす。
シャオファはキスをやめ、ローブ越しに胸で彼の頭を包み込む。
彼女は、ヒトの堕とし方を心得ていた。
契約ではなく、心による鎖の作り方を。
「はいはい、あなただけのシャオファですよ、ふふっ」
誰にも見えぬよう、シャオファは笑う。
声に出さぬ、魂の笑み。
口角を上げた、邪悪な笑みだ。
ユーデコスが、彼女の背中に手を回したことで、確信する。
(――やった、堕ちた♪)
今、シャオファは、ユーデコスという奴隷を獲得したのであった。
◆◆
「女ってこっわー。俺様にはあのムーブは無理だわ」
「クロヴも女性でしょ……」
「そこ! 聞こえてるからね!」
◆◆
上記の惨劇が、ようやく過去の出来事となった頃の話。
光臨節。
一年で最も明るい日と、その前後の三日間、計七日の期間を指す。
白日教にて“最も光に祝福された日”として祝日に指定されており、多くの国でも休日と定められている。
そういう日であっても、当然夜は来る。
提灯で照らされた街全体に、醤油の塗られたとうもろこしやイカ、あるいは鉄板で焼いた麺、綿飴の香りが漂う。
光臨節最後のイベントを前にした書き入れ時だ。もはや半分枯れかけた声で、店主たちは参加者の食欲に訴えかけている。
「んーっ! お祭り、楽しかった!」
「だね!」
屋台街から抜け、街外れの丘へと向かうフォボスとメア。
彼らは、紫宸龍宮伝統の衣装に身を包んでいる。
いわゆる、浴衣である。
フォボスに至っては木彫りのお面まで付けている。
狐の面だ。角に引っ掛けるようにして装備していた。
「いーなー。ボクも体があったら、いっぱい食べたのになー!」
ルゥはわざとらしく訴えかける。
味覚はフォボスと共有なのに、だ。
二人は人混みの流れに逆らわず、ゆっくりと歩みを進める。
「クロヴさんとピリさんが来れないのは残念だけど」
別行動だ。
ピリの方は付き添いだが、クロヴに関しては、これからの催しで大きな役割を任されていた。
普段、この丘は子どもたちの遊び場となっている。
ちょうどいい広さ、開けた視界。
球技をやるのにうってつけというわけだ。
その環境は、空を見るのに好都合だった。
「押さないでねー! 結構高くまで上がるから焦らないで! ちっちゃい子は肩車とかしてもらってね!」
「《レビテイト》」
ルゥが呪文を唱え、フォボスの目線をメアのそれに合わせる。
周りと比べて高くなりすぎないよう、奥ゆかしい具合だ。
「ありがと、ルゥ」
「ボクも見たいもん」
やり取りを聞いて、メアはクスッと笑った。
麗家の都市、
その方角から、「あ、あー。聞こえるか? 聞こえてそうだな。よし」と、クロヴの声が聞こえてきた。
声は、魔導具によって音量を引き上げられている。
「待ってました!」
「よっ! 錫鉱脈の新鋭!」
「やっちまえ!」
といった声援が飛ぶ。
皆が皆、期待に胸を弾ませていた。
「会場はまだまだ元気みてェだな! よっしゃ、俺様に任せな! 時間も押してるから、さっさと行くぜ!」
パフォーマンスは程々に、彼女は魔力を
「まずは一発! 《イグニッション》!」
点火。
導火線を辿り、赤い軌跡が大砲へと向かう。
順調に、引火。
ドム、という音を鳴らし、砲弾が上空に飛び立つ。
その砲弾は、上空で爆発し、体に響く衝撃波とともに、暗がりを照らす花を咲かせた。
打ち上げ花火だった。
「へへっ、上手く行ったみてェだ。まあ? 俺様に失敗はあり得ねえけどな? 続けていくぜ! 《マス・イグニッション》!」
続けて、二発、三発と、スケジュール通りに花火を打ち上げていく。
花火はドム、ドムと続けて発射され、期待通りに弾け、その度に観客は湧いた。
「きれい」
フォボスは、目に映る花火を見つめ、心からそうつぶやく。
ルゥに生かされ、メアに出会って。
クロヴに導かれ、ピリに学んで。
旅を通して、多くのものが変わった。
多くのものを、得た。
気づけば遠い異国の地で、現地のヒトたちに囲まれ、楽しくやっている。
「あ! 見て! ネコだ!」
メアが指差す先には、猫の顔を模した、白い花火。
それも、少し経てば暗闇に散り、儚く姿を消してしまう。
この日常を、もうしばらく味わっていたい。
いま見えている花火よりは、もっと長く。
もっと。
ぎゅっと、メアの手を握る。
「どしたの? 急に」
彼女は、花火を見ながらフォボスに注意を向ける。
空に輝く炎の花は、より大きく、より多層的になってゆく。
「ここからは五号玉解禁だ! 見上げすぎて首を痛めんなよ! 《イグニッション》!」
クロヴのテンションも上がってゆく。
時間が、どんどん過ぎてゆく。
「さっさと言いなよ。別に、どういうリアクションでも、フォボスくんが死ぬわけじゃないんだからさ」
ルゥが、後押しする。
フォボスは、勇気を振り絞る。
「あのね、メアさん」
浮いたまま、隣に身を寄せる。
彼女の手を、自分の胸に重ねる。
痛いほど跳ねる心臓の、確かな鼓動が、彼女に伝わる。
「……聞かせて」
メアは、察した。
次に来る言葉を予想し、準備を整える。
「これまで、色んなところを旅して、いろんなことがあったよね」
商会に監禁されたり、魔物にこっぴどく負けたりもした。
でも、楽しいことのほうが、多かった。
「うん」
メアは言葉少なに、フォボスの次を促す。
「もう、ぼくたちが出会ってから、半年過ぎちゃったんだよね。それで、この間、『メアさんをえっちな目で見てるよね』って言われて、考えてみたんだけど」
「ふふ、続けて」
笑い、なおも促す。
これはフォボスが言わなければ、意味がない。
彼が恐怖を乗り越え、勇気を持たねば、先がない。
「やっぱり、ぼくはメアさんのことが好きだ」
告白が終わるのを待っていたかのように、彼らの眼前で、六号玉の大輪が咲く。
情熱的な赤い炎が、彼らを儚く照らす。
やがてその炎も小さく薄れ、消え、静寂があたりを支配する。
花火の時間が終わり、周囲の観客が、去り始める。
彼らは二人には気づかず、二人だけを、置いてけぼりにして。
皆が帰って、ようやくメアが口を開く。
「知ってるよ、ほら」
そう言って、今度はフォボスの手を彼女の胸に導く。
汗ばんだ彼女の肌を通して、分かる。
フォボスと同じように、高鳴っていた。
「嬉しいよ、フォーくん」
メアは笑いながら、目を見て答える。
そして、抱き寄せる。
「わわっ」
フォボスは急に抱き寄せられ、頬を赤く染める。
汗とフローラルが混ざった香りを目一杯吸い込み、一瞬息が止まる。
「実は、いつ言ってくれるのかなって待ってた。ほら、年の差があるから、私から言い出すのはアレかなって」
「あうう……」
何もかも、メアのほうが上手だった。
群衆に遅れて、フォボスたちも宿屋の方へと歩み始める。
「『この日常が、いつまでも続いてほしい』って思うこと、あるよね」
奇しくも、二人は同じことを考えていたようだ。
「私は、それよりも『今の一瞬を全力で味わう』ほうが好きかな。だって、そもそも寿命に差があるし」
「それは、そうかも」
永遠は、ない。
かつて永遠を探求した者は、確かに居た。
けれど永劫の時を過ごせば、ヒトの精神はいくらか変わってしまう。
だから、永遠はない。そういう結論だった。
「なら、もっと思い出を作ろうよ。どんな形でも、忘れられないくらいの思い出を」
今度はフォボスが手を引き、メアの前に立つ。
「うん、そうしよう!」
メアも応じ、踊るように進み出る。
二人の関係が、また一つ進む。
彼らを祝福するかのように、撃ち忘れの花火が一房、上空で輝いた。
【続く】
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