##9 女戦士、死を覚悟する

 (あらすじ:紫宸龍宮での居住権を手に入れたフォボスたち。これで暫くは落ち着ける。けれど、いつのまにやら権力者の不興を買ってしまったようだ。不穏な影が迫る!)


 我々が言うところの春も終わりかけ、夏へと差し掛かろうとする、そんな夜。


 紫宸龍宮の、この季節にはよくあることだが、しとしとと長い雨が降っていた。


 「あ゛ー、雨ってヤダ。指がふやけるし、月明かりもなくて、あたりは暗いし。ここ三日間そうだろ。なあ?」


 クロヴはテントの中でぼやく。


 聞くものはいない。

 相方のピリは、外で雨に打たれながら体を洗っている。

 クロヴに掛けられたチョーカーへ伸びる紐により、彼女がいつも通りの動作を行っていることを知らせてくれる。


 フォボスとメアは別のテントだ。

 クロヴの心境を正直に言うと、「そのうちあいつらは一線を越えるんじゃないか」という思いと、「メアちゃん、責任取ってやれよ……?」という老婆心が織り交ぜになっていた。


 おもむろに小型の魔道具を取り出し、触れる。

 轟音のラッパと名付けられたそれは、ひとたび紐を引けばマンドラゴラのような叫び声を上げる。

 無論、クロヴによって作られたものだ。


 「これ、作ったは良いけどなあ」


 持て余す。


 防犯用にしては、音量があまりにも大きすぎる。

 戦闘用なら、グレネードのほうが手っ取り早い。

 

 ぼんやりとした時間を送っていると、不意に外が騒がしくなってくる。


 「ん……?」

 声は一切立てず、揉み合う音だ。

 

 襲撃だろうか。

 ただの獣や野良盗賊程度であれば、ピリ一人で、それも素手でなんとかできよう。


 だが、クロヴは今、言いようのない不安を覚えた。

 このまま彼女が何もしなければ、なにか致命的なことが起こるという、漠然とした不安だ。


 「ッ……!」

 寒気を覚える。

 

 クロヴは、純粋な後衛だ。

 近接戦闘の技量だけで言えば、アイアン級程度でしかない。

 ピリと一緒に乱戦に巻き込まれれば、真っ先に戦闘不能になるに違いない。


 テントのシートに手をかけ、外をうかがう。

 はっきりと、ピリと何者かが戦闘していることが伝わってくる。


 恐らく、ピリは劣勢だ。

 当たり前だ。武器も、防具も一切身につけていないのだ。


 手足が恐怖で痺れる。

 強者の気配を、すぐ近くに感じる。


 「ああ、クソッ!」

 身を奮い立たせ、雨の降り注ぐ、暗い空の下に躍り出る。


 洞窟の中で過ごすことに適したドワーフの目は、暗い場所も見通せる。

 

 ゆえに、ピリが今、襲撃者の短刀によって著しい傷を負い、息も絶え絶えに決死の抵抗を続けていることも、はっきりと見えてしまう。


 傷は、とても深い。


 脇腹に二箇所。

 太ももに三箇所。

 そして、胸元に一箇所。


 一瞬クロヴの脳裏に、ピリと過ごしてきた数年間もの楽しい思い出や、辛い出来事が去来する。

 

 彼女はそれが走馬灯だと理解する前に、行動を起こす。

 

 振り払う。有り得てはならない未来を。


 手繰り寄せる。素晴らしい現在を。


 そのためにやることは、とても単純だ。


 魔導具の紐を、引くだけ。


 手元から、最終戦争を告げるかのような爆音が鳴り響く。


 あまりの音量に、襲撃者も攻撃の手を止め、クロヴの方に向き直る。


 そして、達人たる彼は、すぐさま状況を理解する。

 このまま攻撃を続ければ、もう一つのテントから増援が現れ、自らの身が無事では済まない可能性が高いと想像する。


 襲撃者は不服げに舌打ちを漏らし、騎獣である影の馬に飛び乗り、遠くに走り去っていった。


 「ッ……!」

 ピリが何かを言おうとし、代わりに緑色の血を吐く。


 「おい……」

 力尽き、ゆっくりと倒れようとする彼女の元に駆け寄り、支えになる。

 

 鉄の匂いがした。


 「おい、大丈夫かよ、おい!」

 大丈夫なはずがない。

 

 ゆっくりと地面に横たえ、脈を測る。


 ドク、ドクと、弱々しい鼓動を感じる。


 爆音の魔導具は雨に濡れ故障し、一転して静謐な空気に満たされる。


 「ピリさん!?」

 もう一つのテントから、フォボスとメアがやってきて。


 「生命の申し子たるテヴァネツァクよ――」

 「待って!」

 回復魔法を唱えようとしたフォボスを、メアが制止する。


 「なんで――」

 抗議する。

 なぜ、回復魔法を止める。

 一刻を争うというのに、なぜ。


 そう問いただそうとしたクロヴの言葉を待たず、メアは説明する。

 「体力回復の魔力に反応して、傷を深くする呪いが掛かってる。《リムーブ・カース》」

 

 唱えた呪文は、解呪。

 ピリに仕掛けられた呪いは、かの襲撃者の武装に込められていた、悪辣なものであった。

 あのままフォボスの呪文が成立していれば、ピリは間違いなく死亡していただろう。


 「これでよし。フォーくんも手伝って。《グレーター・ヒール》」

 「生命を司るテヴァネツァクよ、癒やしの力をお借り申し上げます。《グレーター・キュア》!」

 今度こそ、回復呪文を唱える。

 二つの異なる系統の回復呪文は、互いの効果を阻害せず、効率的に傷を癒やす。


 余剰の魔力が近くに生えた紫陽花にまで行き届き、鮮やかな花を咲かせた。

 もっとも、これは暗視能力を持つクロヴにしか見えていなかったけれど。

 

 「う……」

 ピリからうめき声が漏れる。 

 致命傷はあらかた治ったが、まだ苦しそうだ。


 「続きはテントでやろう。《レビテイト》」

 ルゥがピリを魔法で浮かせ、運びやすくする。

 鍛えられた彼女の肉体は重いが、浮かせてしまえば動かすのは楽だった。


 血の匂いを、雨が洗い流す。


 テントに運び込み、寝袋の上に寝かせる。

 裸のままだが、緊急事態だった。フォボスに配慮している場合ではない。


 「ありがと。後は、私一人で治しきれると思う」

 メアは魔力効率の良い《ヒール・オーバータイム》を唱えると、無造作においてあったびわをかじり、魔力の補給に取り掛かった。


 その様子を、クロヴは固唾をのんで見守っている。

 ピリは、クロヴにとって大切な人だ。

 言うまでもなく、相棒だ。


 そして同時に、彼女にとっての救世主だった。


 人生を捧げていた魔導具研究の資金が尽き、実家にも帰りたくはなく、ゴミのような生活を送っていた毎日。

 テセラ・ティーグリの片隅でボロキレを着て、ゴミを漁って食事を取り、一週間に一度しか体を洗えず。

 それでいて、肝心の魔導具には一切触れない、虚無の日々。


 そんな彼女に、ピリは手を差し出してくれた。


 まず、パンをくれた。

 涙とともに口にしたそれは、硬かったけれど塩の味がした。


 次に、風呂を貸してくれた。

 ドブみてェな臭いは、三日掛けてようやく取れた。


 服を一緒に買いに行ってくれた。

 買いに行くための服がなかったので、ぶかぶかのシャツを貸してくれた。

 その柔らかな肌触りは、今も覚えている。


 「なあ、ピリニャス……さん? どうしてあたしに、そんなに親切にしてくれるんだ?」

 服を買った帰り、不安を覚えて聞いたことがある。

 なぜ、見ず知らずのクロヴにここまで親切にしてくれるのか。

 典型的なドワーフである彼女は、直接的な理由を求めた。


 「ん」

 ピリは少し逡巡し、ポーチから一つのブレスレットを取り出す。


 「ッ!」

 ひと目見て、分かる。

 あれは、自分自身が作った魔導具。

 罠探知、座標確認、生命探知、アンデッド探知を含む、情報系効果を詰め込んだ一品。

 そしてクロヴが天狗だった頃の、あるいは栄光に浸っていた頃の、傑作マスターピース品。


 一瞬、恥ずかしさに逃げ出そうと思った。

 けれど、ピリニャスのまっすぐな視線から目を背けることは、できなかった。


 「反応を見るに、作ったのはクロヴちゃんであってるのね」

 ピリはしゃがみ込み、目線を合わせる。

 胸元から、包み込むようなシダーウッドの香りがした。

 

 「これ、良い品だよね。これも」

 もう一つ、魔導具の写真を取り出す。

 今度は戦闘用の大盾。ブレスレットよりは格が落ちるものの、攻撃に対し麻痺の魔力で反撃するという効果は、単純ながら強力だ。


 「う……」

 顔が赤くなる。

 増長していた頃のクロヴには決して掛けられなかった言葉を、正面から受け止める。


 「それで、何が望みなんだよ」

 小さな声で、そうつぶやく。

 往来に、二人を気にかける者はいない。

 

 「んー」

 ピリは言葉に迷う。

 声をかけた目的自体はあるが、言い方を選んでいるという感じだ。


 あまりに長く悩んでいるので、クロヴから提案する。


 「奴隷でもなんでも、好きにしろよ。あたし、ピリニャスさんになら何されても良いって思ってるぜ」


 「え」

 流石に予想外だったのか、間抜けな声が漏れる。


 「アーシとしては、単に後衛が欲しいって思ってたんだけど」

 素直じゃねえやつだ、と思いつつ。


 「なら、それでいい。後、あたしの噂を知ってるなら話は早いけど。あたしは手元に少しでも資金があったら全部魔導具に突っ込んじまう。分かるだろ?」

 そう言って、ボロボロになった財布を手に持ち、ピリに差し出す。


 「これ、ピリニャスさんが管理してくれ。あと、これも」

 クロヴが手に持っているものを見て、ピリは顔をしかめる。


 首輪のリードだ。


 「奴隷契約は嫌いか? 言っとくけどあたしはマジだぜ。あたしは、魔導具研究ができるなら、後は何もいらない。予算はピリニャスさんが出すことになるけど、逆に言うと懸念はそれだけ」

 そう言うと、首輪をさっさと自分の首に掛けてしまう。


 今度は逆に、ピリの方に疑問が生じたようで。

 「聞く。どうしてアーシのためにそこまで身を投げ出せる?」

 

 クロヴは、ハッと笑って告げる。

 「だってお前、カネ持ってるだろ? 身にまとう空気でわかる。互いの利害は一致しているし、それで十分だ。あたしはそう思うね」

 

 ピリニャスは呆気にとられる。

 だが、すぐに顔を振り、魅力的な選択肢を受け入れる。

 

 「そう。そこまで言うなら、アーシを信用して。それと、宿に戻ったら、まず持ち運び可能なあなたの工房を作って」

 立ち上がり、リードを持って歩み始める。


 クロヴは、笑みを浮かべ、着いていく。

 「よろしく頼むぜ、“ご主人”」


 それが、二人の始まりだった。


 そして、今。


 雨の降る夜のテントで、重苦しい沈黙が流れる。


 その沈黙を、嗚咽が割る。

 襲撃を受けて死にかけていたピリを前にした、クロヴの泣く声だ。

 

 「ひっく、えっぐ。居なくならないでくれよぉ、ピリ……」


 彼女はテントの隅に小さく座って、混乱している。


 普段の勝ち気な彼女とは打って変わって、手折られかけた花のような繊細さが表に出ていた。


 フォボスはメアの方を一度見て、「そっちは任せる」と言わんばかりにクロヴのそばに座る。


 「ううっ、ぐす」

 クロヴは、フォボスに気づいても泣き止まない。

 だが、拒絶もしなかった。


 「大丈夫。ピリさんは、生きてるから」

 言葉を選び、伝える。

 事実だ。少なくとも、急場は脱している。


 「ほんと……?」

 彼女はすがるような目で、フォボスを見る。

 もしかして普段はキャラクターを演じていて、こっちが素なのだろうか。

 

 「うん。メアさんを信じてよ」

 普段とは逆に、フォボスの方から頭を撫でる。

 身長は、同じくらいだ。無理なく、ボサボサとしていて鮮やかな桃色の髪をなでつける。


 「ありが、とう」

 クロヴは、抵抗しない。

 フォボスにされるがまま、時間とともに慰められてゆく。


 「《ヒール・オーバータイム》。この魔法の効果が終わる頃には、体の傷はだいたい癒えるかな」

 メアによる処置も、とりあえずは終わったようだ。


 雨の音が、小さくなってゆく。


 ピリの体力が戻り、寝息が穏やかになるにつれ、クロヴも安心を覚え始める。


 一時間ほど、経った。

 雨が上がり、カエルの合唱が場を満たす。


 風の音、樹から滴る水滴の音。


 その全てを上書きする、カエルの声。


 合唱のあまりの煩さに、クロヴは吹き出してしまう。


 「その、なんだ。流石に恥ずかしいぞ」

 そして彼女は、ようやくいつもの口調に戻った。


 「あ……」

 フォボスは、パッと手を離す。


 過ぎた真似をしたのではないかという考えも浮かんだが、クロヴの反応を見る限り、そうでもないようだ。


 「悪い、さっきは取り乱した。ありがとな」

 ゆっくりと立ち上がり、ピリの荷物の方に向かう。


 そして、ゴソゴソと漁り始めた。


 「漁っていいの?」

 フォボスの問いには、「緊急事態だからな」で返す。


 ほどなく、目当てのものを見つけ出す。


 それは、一冊の日誌だ。

 

 上質な紙、耐久性の高いカバー。

 見るからに高級そうな表紙には、ピリのフルネームが記されている。


 「前、ピリがさ。『アーシに万が一のことがあったら、これを読め』って言っててさ」

 床に置き、フォボスとメアを呼ぶ。

 一緒に見てもらうつもりのようだ。


 「今がその時だろ。悪いけど、俺様一人でこれを読む勇気はない。付き合ってもらうぞ」

 表紙を開く。


 一ページ目には、ミトラ=ゲ=テーアの国章が大きく押されていた。


 「はんこ?」

 フォボスはただ首を傾げるが、ルゥおよび残りの二人は、その意味に気づく。


 「国の象徴だよ。勝利の盃と、生命神テヴァネツァクを意味する半植物の牡鹿」

 ルゥが説明する。


 それは分かっている。問題なのは――


 「これ、政府機関の印だ。それも、外交官の」

 三枚の葉が乗った牡鹿の舌の印を、メアが見咎める。

 国章の下に、少し小さなサイズで押されたこの印が、ピリの公的な立場を証明していた。


 「道理で、勤めてる商会の名前を聞いても答えてくれねェわけだ」

 クロヴは納得する。


 ピリニャスは、商会の人間ではない。

 ミトラ=ゲ=テーアの外交官であった。


 そして、その外交官にも、何種類かある。


 議会と連携し、外交方針や政策をダイレクトに決める官僚。

 公的な表舞台に立ち、華々しい活躍を報じられる大使。

 それらを陰ながら支え、目立ちこそしないものの居ないと困る事務方。

 あるいは日々を市民として過ごし、隠れた情報をあぶり出すスパイ。


 ピリは、そのどれでもない。


 政府から独自に命令を受け、直接国家のミッションを遂行する立場の者。


 つまり。


 「キャッチーな言い方をすると、特殊部隊のエージェントだね」


 その力強い響きに、フォボスはゴクリとつばを飲む。


 「日誌、めくってみようよ。もしかしたら、そこから今回襲われた理由もわかるかもしれない」

 メアが提案し、クロヴが頷く。


 開いたページは、今から約一ヶ月前。

 フォボスがテセラ・ティーグリから追放される、その日だった。


 ◆◆


 開花の月(注:五月に相当)、十一日。

 上司から指令が渡る。

 重要度、大陸マター。

 内容を聞いたときは、耳を疑った。


 『テセラ・ティーグリに、先代の黒の神子が転生した存在を確認した。放置するとこの都市から追放され、死亡する可能性が高いため、介入せよ』

 『今は不確定事項が多く、詳しくは語れないが、紫宸龍宮のいくつかの勢力が彼を欲している。当座はそちらに逃がしたい』


 指令の前半は、こうだった。

 心臓が痛む。失敗すれば、当代の黒の神子に何をされるかわかったものではない。


 そういう意味では、悔しいが私は適任だ。

 戦闘で言えば、防御系の技術に特化している。今いる人員の中では、一番護送に向いている。


 問題は、後半であった。


 『もし仮に、黒の神子がミトラ=ゲ=テーアに害する存在であれば、始末せよ』

 『これは、ただの護送ではない。監視を兼ねることをゆめゆめ忘れるな』


 ◆


 開花の月、十四日。

 パトラ家のテレポーターを用い、ソルモンテーユ皇国に入国を果たした。

 とはいえ、ここは経由地だ。

 明日の朝にもここを発ち、紫宸龍宮に向かう必要がある。


 皇国で活動するスパイから、対面での連絡を受けた。

 ソルモンテーユには、隣国である紫宸龍宮から漏れ聞こえる情報が蓄積されている。


 情報の方だが、端的に言ってきな臭い。

 

 フォボスを呼んでいる家は、いくつかある。

 当代の黒神子と親交を持つ、角折れの鬼人族オルクスが復権したことで知られるセン家。

 巫后候補は有力だが、配偶者に悩むというコウ家。


 そして、巫后の属す家だ。


 今、麗家は二つに割れている。

 巫后その人である麗梅馨リメイシン派。これは妹派閥としよう。

 そして、その兄にして、巫后になる資格を持たなかった麗梅恭リメイゴン派。こちらは兄派閥。


 仮に妹派閥がフォボスを欲しているならば、まだ良い。

 彼女は、他家から牽制されている。あまり派手なことはできない。


 問題は、兄派閥であった場合だ。

 麗梅恭は苛烈にして強欲で知られる。もし彼が女性として生まれていた場合、巫后となっていたのは彼であった可能性も十分にある。


 願わくば、穏便に行ってほしいものだが。


 ◆


 少し、ページを飛ばす。

 

 光明の月(注:六月に相当)、一日。


 信じられない報せが届いた。

 大使が暗殺されかけた。

 アサシンに捕まり、拷問を受けているところを他家の介入で乗り切ったとのことだが、ただごとではない。


 かのアサシンは、主人のしたためた巻物を残し、影に溶けるように消えていった。

 曰く、黒の神子の態度に対する報復、だそうだ。


 状況から察するに、間違いなく麗家の兄派閥の仕業だ。

 なんとも器の小さなことだとは思うが、事件が起こってしまったからには仕方がない。


 幸いにも、ルゥを始末せよという指令は出ていない。

 兄派閥の、あまりの沸点の低さに対応を決めかねている、という具合だ。


 下手人は、回ってきた情報から察するに、ミトラ=ゲ=テーア本国で奴隷商会の重鎮として活動する、『獣人狩り』に関係がある。

 彼の、一番弟子を名乗る者。

 『反転呪詛の』ユーデコスだろう。

 〈紫のバソディア〉家に籍を置く、危険な人物でもある。


 ◆◆

 

 「見て、しまったのね」

 

 背後から声がかかり、日誌をめくる手が止まる。

 

 振り向くと、寝ていたはずのピリが立ち上がり、ため息とともに一行を見下ろしていた。


 クロヴは重い空気を読まずに、彼女へ駆け寄り、抱きつく。

 傷の治った腹部にひとしきり頬ずりし、困惑するピリの顔を見上げ、語る。


 「ばっかお前。面倒くさい話は後だ。まずは生きててよかったってのと、あと」

 

 残りの二人の方を向き。


 「こいつらに、『ありがとう』って言わなきゃな」


 「ん」

 それもそうか、と納得し。


 「ありがとう。とても、助かった」


 頭を下げる。

 そのぎこちない動きを見て、メアが脇腹を小突く。


 「いっ!」

 声に出し、痛がる。

 パッと見で傷は塞がっているが、完治というわけではないらしい。


 「まだ寝てた方がいいよ。死にかけだったんだから、今くらいはゆっくりしてね」

 メアの指示を受け、渋々という感じで、今度は寝袋の中に入る。

 

 フォボスが残っていたびわをピリに渡す。

 渡した後、戸惑う彼女の頭をよしよしと撫で、また一歩下がった。


 「あたしさ、ピリの奴隷になったとき、どうしてあんな嫌そうな顔してたのか、不思議だったんだ」

 寝袋の隣に腰掛け、クロヴが話しかける。


 「ミトラ=ゲ=テーアは、しばらく前から奴隷制をやめたがってる。その執行者であるピリが奴隷を持ちたがらないのって、今考えてみれば当然だよな」

 「……」

 沈黙するピリ。

 図星だった。


 「アーシは、奴隷制が苦手だ」

 そのうち、ぽつりとつぶやく。


 「大昔。子供だったころ、親友ってほどじゃないけど、親しかった獣人の友達が居てさ」

 フォボスを見る。

 彼を通して、ピリは思い出を巡らせる。


 「一緒に遊んでた。でも、ある日突然居なくなった。親に聞いても、『彼の行方についてはタブーだ』の一点張りだった」

 一行は、黙って聞く。

 ピリが自らのことを語るのは、珍しい。


 「三十年経って、公僕になってから真実を知ったよ。あいつ、売られてた。今じゃ買われた先も破産して、聖都デフィデリヴェッタで神官をやってる」

 鉛のような、重い話だった。


 「会いに行かないの?」

 フォボスが問うと、ピリは首を横に振る。


 「あっちは妻子持ち。幸せにやってるなら、アーシとしては言うことないよ」

 彼女にとっての初恋、ということだろうか。

 諦めたように、あるいは諭すように、ピリは語った。


 「そっか」

 次に反応したのは、クロヴ。

 己の首輪に手をかけ、迷わず外してしまう。


 「なにを――」

 そして、首輪に繋がった紐を巻き取って、回収する。

 簡易な奴隷の証は、そのまま《ポケット・ディメンジョン》へ、乱雑に放り込まれた。


 「ごめんな、ピリ。知らずに、誇りを傷つけちまった。そんな背景があったなんて知らなくてさ」

 謝罪する。

 クロヴなりに、ピリと向き合っての行動だった。


 うつむく彼女に対し。

 「勘違いすんなよ。あたしはピリのために奴隷をやめるだけであって、ピリについていく気持ちは変わんねえからな!」

 不安を隠し、あえて明るく宣言する。


 「アーシも、今まで言えなくてごめん。そうしてくれると、助かる」

 ピリはか細く、そう返した。


 「あと、あらかじめ先手を打っておくとよ」

 引き続き、クロヴは目を見て話しかける。


 「『身バレしたからひっそりと消える』はナシだぜ」

 「……むぅ」

 うろたえる。

 傷が治り次第、すぐにでもそうするつもりだったのだろう。


 「なら、どうすればいい。一度襲撃された以上、恐らくアーシを狙って二度目が来る。そのとき、クロヴも巻き込まれる可能性がある」

 これは、そのとおりだ。

 ピリとしても、自分以外を巻き込むのは不本意ということである。


 「襲撃者を、逆にこっちから襲うってのはどう?」

 横から、ルゥが提案する。


 「ユーデコスは強い。四人がかりでも勝てるかわからない」

 ピリは反論するが。


 「ボクが戦力だってこと、忘れてない? 五人ならどう?」

 言うまでもなく、ルゥには神子としての力が宿っている。

 このメンバーの中では最も強い。


 だが、騒動の発端である彼に委ねるのはどうなのか、という考えが、ピリの頭によぎる。


 「日誌読んだけどさ。やだなー、ボク、国に殺されたくないなー。そうなる前に『責任』取らせてくれないかなー」

 要するに、協力は惜しまないということであるが。

 正論であるがゆえに、断りづらい提案だった。 


 「……分かった。でも、やる前に上司に確認を取る。クロヴ、通信用ペンダント、取って」

 「あいよ。いつも着けてるアレだな?」

 着替えから探り、投げ渡す。

 ピリはペンダントの裏側をカチャカチャと操作し、出力音量を上げる。


 一度咳払いし、ペンダントの向こう側に向け、話しかける。

 「こちら、ピリニャス・ザ=ヴァラニディア。『反転呪詛』から襲撃を受けた。命に別条はない。至急戦略について相談したい。オーバー」

 

 返答の代わりに、バタバタと慌ただしい音が聞こえてきた。

 騒動が落ち着くと、年老いた女性の声によって応答が戻ってくる。


 「こちら、フレヴァ・フィロ葉脈。ったく、真夜中だぞ。寝ぼけて聞き逃してたかもしれねェから確認頼む。聞き違えでなければ、あの『反転呪詛』の襲撃から生き延びたんだって?」

 メアが「豪快なおばあちゃんだ」と言おうとして、口をつぐんだ。


 「ええ。死にかけはしたけど、同行者のお陰で今も生きてる。それで、黒の神子に対し抹殺の指令が出る前に、こちらから下手人を始末してチャラにしたい。作戦に許可は出そう?」


 うめき声と、考え込むような息遣い。


 だが、特殊部隊をまとめ上げる彼女が悩む時間は、短い。


 「協力者次第だ。いくらお前でも、ソロでやるわけじゃねえよな? 誰が味方してくれる」

 「報告済みの同行者全員。だから、黒の神子が動く」

 フォボス、メア、クロヴ。

 それと、ルゥだ。


 「へえ。なら、十分ブッ殺せるな。分かった、許可を――」

 「待った待ったー!」

 当のルゥが割って入る。


 「反撃には手を貸すって言ったけど、殺すとは言ってないよ!」

 「あン? ――ああ、なるほど、てめェがルゥか。部下が世話になってる。ルゥに聞こえてるってことは、他の皆にも聞こえてるってわけだな」

 ピリは、追認した。


 「殺さないってんだったら、どうしてくれるって言うんだい。言っとくが、骨折させるくらいだったら許可は出せねェ。再起不能にするのが条件だ」

 ピシャリと言い放つ。


 だが、ルゥの作戦は、よりえげつないものだった。


 「あったりまえじゃん! ボクは、ピリさんが襲撃されたことについて、とっても怒ってる。だから」


 一呼吸、置く。


 「死ぬよりも、もっと、ずうっと! 惨めな目に遭わせてあげなくちゃね!」


 そのどこまでも軽い声に、フレヴァ・フィロは戦慄した。


 【続く】


 【追補】

 紫宸龍宮の十二月家の読み方は、複数あります。


 例えば、梅の家紋を持つ麗家。

 これは、うらら家と呼ばれることもあれば、レイ家だったり、リ家だったりするわけです。読者世界の言語で言えば、ピンイン読みと日本語読みですね。


 従って、人名自体も複数の読みを持ちます。


 当代巫后の麗梅馨であれば「うらら・うめかおる」「リ・メイシン」の二つの名のりがあるということですね。

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