##7 英雄、勇姿を焼き付ける

 (これまでのあらすじ:ソルモンテーユ国の皇都、ロークレールで思い思いに過ごした一行。リフレッシュを済ませた彼らは、とうとう紫宸龍宮へ向かう船に搭乗する)


 フォボスたちが乗る船は、古い客船だった。

 外装はところどころ塗装が風化している。けれど、改修を重ねた結果、内部のモジュールは未だに一線級との触れ込みだ。


 「うあー」

 クロヴは、タラップの前で立ち往生している。

 無理もない。眼の前の足場はゆらゆらと揺れ、地に足の付いたドワーフの目からしてみれば、まさに不安定に映るのだ。


 「クロヴさん、怖くないよ。ほら」

 フォボスが、タラップの前後で反復ジャンプして見せる。

 彼も慣れているとはいい難いが、身軽な彼にとっては、この程度は恐れるに値しない。


 「まったく」

 「ぴゃっ!?」

 しびれを切らしたピリは、とうとうクロヴを抱えあげ、船内に運ぶ。

 力は明確にピリのほうが強い。

 抵抗する意思も起きず、彼女は力強い両腕に身を預け、大人しくなった。


 船室に移動し、作戦会議。

 ベッドはない。

 なぜなら、今日中に到着する予定だからだ。

 「えっと、今は朝七時前。出発は七時ちょうどで、ロークレールから紫宸龍宮の乙港城市イガンチェンシまで、大体十時間。ってことは、夕方に着く?」

 フォボスの計算に、メアはよしよしと頭を撫でる。


 「それにしても、最初の頃ってフォボスくんは鐘がなるまでテコでも起きなかったはずなんだけどなあ」

 ルゥが回想する。

 会って半年も経っていないが、生活リズムが冒険者に最適化されてきた、ということだろうか。

 「とにかく、出発するまではここに居て。出発したら外に出ていい。後、甲板に行くなら足元に気をつけて」

 ピリが注意事項を要約し、読み上げる。

 「なら、カードゲームでもやるか? ピリにねだって、ロークレールで買ってもらったやつだがよ」

 クロヴは、表面の絵柄が二色に分かれたカードの束を取り出す。

 絵柄には、一、二などの数字を示すものもあれば、召使いや王が象られているものもある。

 要は、トランプだ。

 「……なんでジョーカーがレヴィアテレーズ第一王女様なんだろ?」

 メアの疑問には、誰も答えられないようだった。

 

 とにかく、一行はもう遊ぶ準備ができているようで。


 「カード、か。子供っぽいかな」

 一歩引こうとするピリに対し。

 「良いじゃねえか。実際ここに子供フォボスが居るんだし。どうせやることないんだろ?」

 クロヴが言いくるめる。

 「やろうぜ、大富豪。揺れるからババ抜きの方が良いか?」

 なおも押す。やがて、ピリはため息をつき。

 「……ババ抜きで」

 根負けし、乗ることにしたようであった。


 船員がドアをノックし、四人が揃っていることを確認しに来る。

 「……よし! 区画C、全員乗船してます!」

 「了解! 貨物も全部積み込んだ! いつでも行けるぜ!」

 活気のある声が通り抜け、出港。


 船が汽笛を鳴らし、ブウンと加速を始める。

 動力は魔力炉だ。調整を間違えると爆発する代物だが、普段石油を燃料としている読者の世界からすれば、今更であろう。

 

 「この船室、海面の下なんだよな。妙な気分だぜ」

 クロヴはピリからカードを受け取り、手元のカードにペアがないことを確認する。

 この部屋に窓はない。

 なので、体に伝わる加速度からしか、状況を知ることはできない。

 「んー」

 鉱石ランタンのやや薄暗い明かりに照らされながら、次はメアの手番が回ってくる。

 「あ! ペアあった!」

 十のカードを二つ捨て、フォボスの番。

 「ほらほら、どれ取る? 好きなの取りなよ」

 メアのカードは、互い違いに高さを変えてある。

 ジョーカーはフォボスの手元にあるので、メアの行動に特に意味はないのだろうが、気にはなる。

 「これだ!」

 ペアなし。手元のカードは後四枚だ。

 「ちょっとまっててね」

 シャッフル。

 「お? ジョーカーでも引いたか?」

 クロヴが煽る。最初にジョーカーを持っていたのは彼女だ。

 「どーだろうねー。引けば分かるんじゃない? 引くのはピリさんだけど」

 応戦したのはルゥ。

 「やっぱ、こういうシーンになると自分の肉体が欲しくなっちゃうよね」

 輪に入りたい、という気持ちらしい。

 「おっけー。ピリさん、どーぞ」

 フォボスのカードは、一枚だけ突出させた状態でピリに向けられる。

 「ふむ」

 彼女は慎重にカードを触り、突出したカードの横の、少し低く配置したカードを抜き取る。

 「っはー!」

 「よし!」

 フォボスはガッツポーズし、ピリは額に手を当ててのけぞる。


 ジョーカーだ。


 「ぷっ」

 「くすっ」

 その様子を見て、メアとクロヴは吹き出す。

 「裏をかいたつもりが読まれてたねえ」

 ルゥも煽り、ピリは歯を食いしばる。

 「こいつ……」

 つい、熱中してしまう。

 

 「ほら、手札見せてみろよ。次は俺様の番だ。ちゃんと! しっかり! ジョーカー避けてやるから見てろ!」

 

 概ね、こんな感じでわちゃわちゃとゲームは進んでいった。

 

 五ゲーム程度プレイして、順位の集計。

 

 一位。メア。

 幼少期からカードはよくやっていた。

 駆け引きや心理戦も、ぱっと見の穏やかさとは裏腹に強い。

 後、シンプルに運がいい。


 二位。フォボス。

 最初の数回は低調だったが、慣れたら強かった。

 作戦に乗りたくなってしまうあどけなさもプラス。

 運は四人の中で一番良い。


 三位。クロヴ。

 フォボスとは逆に、最初の数回だけは好調だった。

 のだが、三回戦あたりからピリと一緒に酒を飲み始め、おかしくなっていった。

 運は微妙な所。


 四位。ピリ。

 ザ・脳筋。あらゆる心理戦に引っかかっている。

 特に後半はなにも考えていないと言っていい。

 運は最悪の一言だ。


 「負けてばっかりはいい気がしない。他のルールもやろう」

 ピリの提案で、ポーカーやブラックジャックもプレイ。


 なぜか彼女は、ポーカーだけは強かった。


 ◆◆


 二時間ほど、カードで時間を潰した後。


 「うーし、ちょっとお姉ちゃんトイレ行ってくるわぁ……」

 クロヴがおもむろに席を立ち、室外へ。

 

 「飲み始めだから、そんなに酔ってるってことはないとは思うけど」

 彼女を見送り、ピリはカードをまとめる。


 ひとたび、船が大きくゴウンと揺れる。

 「うーん、お酒よりも船酔いの方じゃない? フォーくんは大丈夫?」

 

 「ううー?」

 あまり良くない、といった具合だろうか。


 「甲板、行こっか。外に行くだけで、結構スッキリするものだから。ピリさん、この部屋任せていい?」

 「行ってきなよ」

 ピリはフラフラと手を振り、酒瓶から直接すする。


 「……お酒、ほどほどにね」

 釘を差し、フォボスの手を引く。


 鋼の床が、歩く度にカン、カンと鳴る。

 「困ったなあ。お酒だったら《キュア・ポイズン》で治せるんだけど、船酔いに効く呪文は《レストレーション》しか習得してないからなあ。ごめんね」


 《レストレーション》を唱えれば、全ての不調を取り除くことができる。

 ただ、効果範囲が広いゆえに、コストや詠唱難易度がかなり高いという問題があった。

 例えると、蚊を潰すのに肉切り包丁を持ち出すようなものである。

 

 「気分回復の《リフレッシュ》が生命属性だもんね。多分船に乗るのはこれで最後じゃないんだし、フォボスくんも覚えてみたら?」

 ルゥの提案には。

 「……うん。着いたらまっさきに覚える」

 と、素直に従う気のようだ。


 そして、甲板に到着。

 まず彼らを出迎えたのは、むせ返るほどの潮の香りと、眩しすぎない程度の陽の光。

 既に数名の先客が上がっており、商談や日常会話を弾ませている。

 また、釣り人も何人か居る。手持ちの釣り竿で、ハマチやサワラを狙い、虎視眈々と海面を睨んでいる。


 それと、これを忘れてはいけない。景色だ。

 見渡す限りの、海、海、海

 皇都ロークレールの港は今や遠く離れ、水平線の彼方へ沈み。

 遠くではイルカがジャンプし、真っ青な海に白い飛沫を上げていた。


 「懐かしいなあ。子供の頃の船は、今よりもっと遅かったっけ」

 海面を切る船の軌跡から、メアはそう解釈した。


 「ジュースか何か、持ってくればよかったかな」

 手頃なベンチに腰掛け、フォボスもそれに従う。

 「ううん、外に出ただけで、だいぶ良くなったかも」

 伸びをして、元気であることをアピールする。

 「良かった。でも、吐きそうになったらちゃんと言ってね。うがい用のお水、作るから」

 「……ありがと」

 メアは、フォボスの手をぎゅっと握る。

 「心配性なんだから、もう」

 ルゥがぼやくも、ありがたくはあるようだ。


 釣り人の一人が四十センチ級の戦果を釣り上げ、どよめきが上がった。

 

 「ねえ、見て。あそこの人」

 メアが指差した方向には、ハーピィの男性が居た。

 胸にはサラシを巻いており、締まりのいい腹筋を惜しげもなく晒している。

 下半身の衣装もゆったりとしており、見る人が見れば中性的な印象すら持たれるだろう。

 彼は釣り人の方へ向かい、惜しみなく称賛の言葉を投げかけている。

 「紫宸龍宮の人なのかな? あんな感じの衣装、こっちでは見ないからさ」

 そのハーピィはこちらの視線に気づくと、ウィンクで応答。


 「……すごい。いまのでぼくたちに気づいたんだ。あの人、とても強いのかも」

 フォボスは驚く。

 もし彼が紫宸龍宮の標準的な市民だとすれば、フォボスたちは中の下にも満たないと直感する。


 否。

 場合によっては下の上にも至れないくらいの力量差を、一瞬で感じ取った。


 彼を眺めていると、不意に視線が途切れ、見失ってしまう。

 「あれ? あの人どこ行ったんだろ?」

 メアも同じようだ。

 「魔力の流れが一瞬で消えた。あれー?」


 当惑する彼らに、後ろから声がかかる。

 「よぉ、オレの噂か? 照れるじゃねェか」

 振り返れば、ベンチのフチに直立している彼がいた。

 「うわっ!?」

 フォボスは反射的にベンチから飛び退く。


 「『うわっ』とはなんだよ、せっかく来てやったのに」

 ジャンプ。フリップして、フォボスの目の前に降り立つ。


 「うそ、さっきの消えて現れるやつ、どうやったんですか!?」

 メアは逆に、興味津々だ。


 「あ? タネはねェよ。単なる短距離《テレポーテーション》だ。そう難しくはねえ。咄嗟に出すには経験が要るがな」

 そう言って、また《テレポーテーション》。今度はメアの前に立つ。


 「できるかなあ。私、これでもそこそこの術師なんだけど、事前動作無しにやるのは怖いかなって」

 彼女の視線は、ハーピィが首元から下げている貝殻ツェデフタグに向かう。

 「白金プラチナ級……!」

 「おうよ」

 翼でタグを持ち上げ、強調する。

 常人が到れる最高位階に、このハーピィは到達している。

 「まあ、それはいい。オレのラインまでは、努力すればたどり着けるからな」


 「ふーん?」

 ルゥが口を挟む。

 その口調に、ハーピィはぎょっとした様子で、フォボスの方に振り向く。


 「え? オマエ……え?」

 混乱しているハーピィに対し、フォボスが説明する。


 「あ、ぼくの体に住んでる、ルゥって名前の悪霊なんです!」

 「ルゥ? へぇ」

 その名前を聞き、なにかに合点がいったのか、暫く考え込み。

 「ふーん、ふーん、ふーん」

 ニヤリと笑い、ルゥを対象に向けて《アナライズ》。


 その結果を見て、ハーピィは告げる。


 「似合わねェ名前。それに悪霊ってなんだよ。そもそもアンデッドじゃねェだろオマエ」

 罵倒だ。

 それも、見知った相手に向けての気安い軽口だ。


 「あー! なんだとー!」

 沸点が低いルゥは《ウィンド》を唱えて転ばせようとするも、ただの跳躍でかわされてしまう。

 「ちょっとルゥ!」

 フォボスが静止。

 「わりィわりィ。つい、昔の友人を思い出してな。謝るよ、このとおりだ」

 ハーピィの方も、翼を前に出して簡易に謝罪。

 「ボクはルゥだもん! わかってくれたらいいよ!」

 尊大な振る舞いで、認めさせる。

 「……もう。ごめんね」

 矛は収めてくれたということで、とりあえず落ち着いた。


 「そうだ、釣りでもやっていくか? オレの分の釣り竿も用意されてたンだが、見ての通りハーピィには手が無くてな」

 翼をひらひらと振り、背を向ける。

 フォボスとメアは案内され、釣り人たちのエリアに移動する。

 「どっちかッつうと、オレたちは海面の魚を爪で掴む方が得意だからさ。竿を遊ばせとくのもアレだし、貸すぜ」

 備えられている釣り竿は、比較的丈夫そうだ。

 「いいんですか!? ありがとうございます!」

 「ありがとございます!」

 礼を言い、フォボスはメアからやり方を教わる。

 小さなエサを付け、投げる準備を整える。


 「釣りも久しぶりだなー。海で釣るの、実は初めてかもしれない。シーエルフなのにね」

 はにかみ、釣り竿を持つフォボスと手を重ねる。

 「なに? オマエらもしかしてそういう関係?」

 ハーピィの突っ込みを無視して、キャスティング。

 釣り針は放物線を描いて飛び、海面にぽちゃっと落ちた。


 「お、面白いことやってんねえ」

 復活したクロヴ、ピリも甲板にやってきた。

 「仲間か? クラフターにファイターか」

 ハーピィの問いに対し、「当面は、な」とクロヴは返した。

 「メア、ピリ。これ使え」

 クロヴが取り出したのは、軽量化のエンチャントが施された、錫の釣り竿だ。

 「ありがとー!」

 メアは素直に受け取り、準備。

 「クロヴは?」

 「釣りは緩急がありすぎる。見てる方が好きだ」

 とのことで、酒を片手に他の釣り人をからかいに向かってしまった。


 「ん!」

 早速、フォボスの釣り竿が反応する。

 「いいね。ここらは暖流が流れてる。エサを食いにシュヴィルニャへ向かうサカナ共が、続々とやってきてるってわけだ」

 重さに苦戦しつつもリールを巻き、釣り上げる。

 「アジ、二十五センチ。オマエ、初めてだろ? 中々やるじゃねえか」

 フォボスは褒められ、えへへと照れる。


 「ん? んんん!?」

 今度はメアだ。

 獲物の力が強いのか、いくら力を入れてもラインは巻き取られず、逆に引き出されてゆく。

 これ以上はラインがなくなる、というあたりで、メア自ら釣り糸を切った。

 「あっちゃあ、ごめん」

 釣り糸を付け替えようとしたところで、ピリが口を開く。

 「根掛かり……はありえないよね」

 訝しむ。

 船から海底まで、百メートル以上あるはずだ。

 「あれッ!?」

 「おッ!?」

 ふと横を見ると、他の釣り人も同じような状況に陥っているようだ。

 「なんだ? 《クレアボヤンス》!」

 不審に思ったハーピィが呪文を唱え、海面を見つめる。

 透視の呪文だ。


 「うげっ!?」

 彼は見たくないものを見てしまった、という表情を、一瞬だけ浮かべる。

 とはいえすぐに我を取り戻し、行動に移った。

 

 「まずいぞ! みんな糸を切れ!」

 ハーピィは指示を出す。

 「わかった! 《ソニック・カッター》!」

 ルゥがいち早く反応し、手間取っている他の釣り人の手助けをする。

 「こっちの弦には寄るな! 揺れるから船の真ン中あたりで掴まってろ!」

 「は、はい!」

 メアたちは他の客を誘導し、自らもハーピィの言葉に従う。


 「くっそ、結構デカいぞ! 武装なしでやれッかなあ!」

 ハーピィのぼやく声が聞こえる。


 「ルゥ! お願い!」

 フォボスはルゥに頼み込む。

 「分かってるよ! 《フライ》! 《ポケット・ディメンジョン》!」

 船から飛び出し、瞬時に武装する。

 得物はスリング。クロヴから事前に渡された弾丸を、もう片方の手に持っている。


 「やれンだな! 二分弱、いや、一分だ! 武器を取ってくる! 任せていいか!?」

 ハーピィの問いかけに、フォボスは大きく頷く。

 

 「《テレポーテーション》!」

 彼が自室に戻るやいなや、海面が大きく隆起し、船を揺らす。

 「きゃあ!」

 尻もちをつき、乗客の一人が転がり落ちかけるところを、ピリがギリギリのところで救助した。

 

 隆起した海水の塊が、海面へと戻ってゆく。


 「わァたァしのォオオオオ!」

 その場に居た全員に向け、ザラついた声が響き渡る。


 それは、全長十メートル。

 巨大な十本の足、二つの目。

 半透明に白くぬめった肌は、陽の光を受け、つやつやと輝いている。


 「クラーケンプリンセスかッ!」

 ピリが、その魔物の名を叫ぶ。


 「私のォ! 旦那さァまァアアア!」

 クラーケンプリンセスは、魔術を用いて人語を解する。


 彼女は足の一本を振り上げ、船に向けて狙いを定めた!


 「《ピーコック・プレゼンス》!」

 フォボスが術を唱えると、彼の背後にクジャクのような後光が一瞬現れ、拡散する。

 効果は、存在感の上昇。モンスターからの攻撃をフォボスに集中させる、という意味だ。

 一発でも船に入れば、ジ・エンド。

 彼は盾役には向かないが、やむを得ない。


 「素敵なァ獣人ねェエエエ!」

 敵は振り上げた足を戻し、フォボスに掴みかかる。


 「ひゃあっ!?」

 すんでのところで、上に回避する。

 身近な死の予感が、彼に恐怖を与える。


 「おしっこの匂いがするねェエエエ!」

 次は、左右で挟み込むような打撃。

 これは、下にかわす。

 避けた先に、すくい上げるような一撃が置いてあった。


 「《シールド:バッシュ》!」

 メアが援護し、下からの一撃を軽減する。


 「ぐぅっ!」

 べちゃり。

 フォボスは足を開いた状態で、股からクラーケンプリンセスの吸盤に着地する。

 衝撃に備えた彼は、代わりにパンツから伝わる粘液の気持ち悪い感触を覚え、速やかに飛び立った。


 クラーケンプリンセスはその吸盤を口元に持っていき、口触手で舐め取った!


 「オスの味だねェエエ!」

 興奮し、突きを見舞う!


 「変態!」

 紙一重で回避!

 フォボスは反撃とばかりに、スリングで弾を投擲!

 弾は空中で火を吹き、加速!


 敵は反応しきれない! 左目に命中!


 BOOM!


 弾は爆発するとともに、尖った金属片を撒き散らした!


 「なァアァアアア!?」

 予想外の一撃に、半狂乱となる!


 触腕を振り回し、四方八方に致死領域を作り出す!

 

 「フォボス! 離れろ!」

 後方の船からクロヴの声!

 見ると甲板には、いつの間にやら巨大な金属筒が取り付けられている!


 「ンン、ンッ!」

 金属筒の根本にはピリ!

 縄のような筋肉を両腕に浮かべ、巨大な錫弾を筒の中に押し込んでゆく!


 ガコン!

 錫弾はセットされ、クロヴがクラーケンプリンセスに狙いを定め――


 「《イグニッション》!」

 点火!

 

 砲弾が、衝撃波をまといながら一直線に魔物へ向かってゆく!


 避けられない!

 否、この速度には、彼女では反応すらできやしない!


 KRATOOOOOM!


 大爆発!

 並みの魔物では塵すら残らぬ一撃が、クラーケンプリンセスに直撃!

 

 「艦砲射撃ってやつ、一回やってみたかったんだよなァ!」

 ガッツポーズ!

 

 だが、ピリは警戒を怠らない!


 「こっちに来る!」

 

 ピリの言葉は正しい!

 

 怒りに満ちたクラーケンプリンセスは、左目と頭部の一部を失いつつも、焼けたイカの匂いを漂わせながら、船に向けて突撃を敢行する!


 「《ピーコック・プレゼンス》!」

 フォボスの呪文も効果を示さない!

 艦砲射撃の威力が高すぎたのだ!


 「やべェ! 二発目は間に合わねえぞ!」

 万事休すか!?


 否!


 まだこの男が残っている!


 慌てるクロヴの頭上を、一つの影が飛び越してゆく!


 「旦那さァアアアマアアア!」

 クラーケンプリンセスは船に対し、最も太い触腕で叩きつけにかかる!


 「潰れろォォオ!」

 最大限の力で振り下ろす!


 が!


 「あ、れェ!?」

 振り上げた触腕は宙を舞い、そのまま細切れとなって、船の周囲にどばどばと落下する。


 「悪いな、ルゥ。ちょっと遅れちまった」

 船と魔物を挟むように降り立ったハーピィの得物は、光を放出する剣。


 「はァアアアア!?」

 少し遅れ、クラーケンプリンセスは、自らの身に何が起こったかを知る。

 振り上げた触腕は、痛みもなく切断され。

 その後、船にまるごと落下せぬようにと、念入りに切り刻まれたのだ!


 「グッジョブだ、みんな!」

 彼は、《テレポーテーション》で敵の眼前に転移。


 「やっちゃえ! 《エンチャント:カース》!」

 ルゥがサポートし、剣は禍々しく輝く。


 「ア……ア……!?」

 クラーケンプリンセスは他の触腕を集め、この男に対処しようと考えた。

 

 しかし、この男の攻撃は、既に準備動作を終えている!


 「これで!」

 彼は剣をクラーケンの脳に突き入れ!


 「終わりだ!」

 そのまま光刃の出力を最大にして切り開いた!


 ◆◆


 太陽が、西の空に傾き始める頃合いに。


 「もちっ! もちいっ! もちちっ!」

 乗客の半分が甲板に出て、白い何かを貪っている。

 

 「おかわり!」

 フォボスが紙皿を掲げると、よく焼けた塊が提供された。


 「うンめえな! おかわり!」

 ハーピィも夢中になっている。


 彼らが貪っている食べ物の正体。

 それは、先程戦ったクラーケンプリンセスの、触腕の一つである。


 先の戦闘で活躍した五人は、甲板に居た商人から提案を受ける。

 内容としては、「かの魔物を積み込んでいただければ、ある程度の現金と商人お抱えの料理人による焼きイカをお渡しします」という具合である。

 彼が用意周到だったのは、他の乗客に対して既に小銭を渡し、遅延について事前に黙らせていたことである。


 結局、全長十メートルもあった彼女の巨躯は解体され、今やほとんどが商人の拡張済み保冷バッグの中に収まったというわけだ。


 「っかあーッ! シュヴェルトハーゲン王制時代の五年モノ、ここで開けるかァ! 《ポケット・ディメンジョン》!」

 クロヴとピリ、その他諸々の乗客は完全に酒宴を始めてしまっている。

 

 「メアちゃんも飲みなよォ」

 ピリが絡む。

 彼女は、クロヴによって散々に酔わされていた。


 「へー、私、結構酒癖悪いですよ?」

 唇に手を当て、形式的に遠慮する。


 「見せてみてよ。メアちゃんの酔ったところォ!」

 周囲からも歓声が上がる。


 「クロヴさん、一杯貰えるかな」

 トン、トンと肩を叩き、催促。


 「ア? ほらよ」

 クロヴは雑にグラスを満たす。

 したたかに王制時代のボトルは避けている。

 

 「ありがと。いっただきまーす」

 一息に、ゴクっと飲み干す。


 「一気!?」「マジ!? ボトル見たけど二十度だぞ!?」「タフな女……」

 甲板の上は、どよめきと興奮で満たされる。

 

 「……ふー」

 グラスを勢いよく置き、顔をパン、と強く叩く。


 乗客が、彼女の一挙手一投足に注目している。


 「ねーえ! ふぉーくん!」

 甘い声で、フォボスにしなだれかかる。


 「んぐんぐ、ごくん」

 フォボスは塊イカ肉を飲み干し、メアに向き直る。


 「なあに?」

 有無を言わさず、メアの顔が迫ってくる。

 

 ちゅっ。


 唇と唇の、短いキスだ。


 世界が静まり返る。


 「!??!?!?!?」

 唐突のアルコールを含んだキスに、フォボスは理解が追いつかない。

 「ちょおっ!?」

 当然、ルゥの宿主はメアに移動する。


 「んあ?」

 ハーピィが、周囲の空気が変わったことに気づく。


 「はーぴぃさあん」

 彼が振り返ると、目の前にはいつの間にやら怪しい様子のメアが立っていた。


 (短距離《テレポーテーション》か……!)

 反応したときには、もう遅かった。


 ちゅっ。


 またも、キス。


 「ちょっとおおおおお!?」

 ルゥの所有権は、今度はハーピィのもとに。

 魔力が循環し、彼は見知った感覚に納得する。


 「てめっ……!」

 彼はメアを振り払おうとしたが、あまり派手に暴れるわけにもいかず、ため息で返す。


 「オレ、向こうで嫁さん待たせてるんだけどなあ。勘弁してほしいぜ」

 やんわりと、押しのけた。


 「ふぉーぼーすー! たすけてー!」

 ルゥが悲鳴を上げ、フォボスを呼ぶ。


 「《アナライズ》」

 ハーピィは自分自身に向けて、解析の呪文を放つ。


 「なにこれ? 『オレに憑依している存在は、キスで転移する』? ルゥ、そんな難儀なことになってんの?」

 「そうだよ! フォボスくんの体に戻りたいよー!」

 贅沢なやつだな、とつぶやく。


 「というか、オレは別に男同士でキスしてもいいけどさ。そこの……フォボスくん? は良いのかよ。それに、なんでエルフの方はニヤニヤしてるんだよ。そんなに見たいのか? 男同士のキス」


 矢継ぎ早に質問を投げかけるハーピィに対し、メアは一言。

 「見たい!」

 全く、欲求に素直なものである。


 再び、ため息。

 「じゃあサービスしてやっか。これは事故、これは事故……」

 ハーピィはそう自らに言い聞かせ、フォボスに対し、跪く。


 「右手、出してくれ。別に唇じゃなくて良いんだろ?」

 「そうだったの!?」

 メアが素っ頓狂な声を上げる。

 ハーピィが行使した《アナライズ》曰く、何らかの感情がこもっていれば、キスの部位はどこでも構わない、だとかなんとか。


 「ん」

 フォボスは右の拳を差し出す。


 その手をハーピィは翼で抱きかかえ、指に対して、キス。


 夕方のやや赤らんだ太陽が、遠くに見える港と、一行を乗せる船を照らす。

 

 「ふぉおおおぉぉ……」

 メアは感極まり、崩れ落ちる。

 逆光の二人は、彼女から見て影絵のようだ。


 やがて。


 「……うん、戻った!」

 ルゥが宣言すると、キスは終わりを迎える。


 「まったく、手間かけさせやがって。ほら、後数十分もすれば到着するぜ」

 彼は立ち上がり、フォボスの頬を撫で、気を取り直させ。

 少しだけ後ろに下がり、翼を広げて、皆に向けて叫ぶ。


 「とにかく、紫宸龍宮へようこそだ、お客人! 大陸で見たことねえヒトやモノ。ウチには大量にあるぜ!」


 【続く】

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