##6 水の都、来るものを歓待す

 (これまでのあらすじ:紫宸龍宮にフォボスを探している人がいるらしい。紆余曲折あって、途中から船で向かうことに。その船の出発地である、ソルモンテーユ国の皇都、ロークレールでの滞在を楽しむことにしたのだった)


 皇都ロークレールのテレポーターは、見晴らしのいい丘の上に作られている。

 都市全体を見下ろすことのできるこの場所は、それだけで一つの観光スポットとして成り立つほどだ。


 「すごい! すごいすごい!」

 フォボスの目に飛び込んできたのは、港に面する大海原。

 

 感極まり走り出そうとする彼を、ピリが抱えあげ、嗜める。

 「護衛対象が迷子になるのは勘弁。クロヴ、手を繋いでやって」

 「お、おう」

 首を掴まれた子猫のようなフォボスを下ろし、クロヴに引き渡す。


 「やっぱり、変わってないようで変わってるなあ」

 メアは周囲をくるりと見渡し、そう呟く。


 「あン? もしかしてソルモンテーユ出身?」

 首を傾げたクロヴが問うと、メアは頷く。

 「うん。私、シーエルフなんだ。育ったのはミトラ=ゲ=テーアだけど、生まれはここ」

 テレポーターの周りに居たエルフの一人が会話を耳にし、声をかけてくる。

 「あれ? メアじゃない?」

 メアよりは少し身長が高い、スレンダーなエルフだ。

 「あ! お姉ちゃん! ここで働いてたんだ!」

 駆け寄り、ハグ。

 彼女の名は、ウィンセジラだ。当面は、ウィン姉と呼ぶことにする。


 「妹が居たのか」

 「服の紋章が同じだ。ってことはあの子もブレーウィスト家か」

 「あいつが笑ってるの初めてみた」

 「尊み……」

 などという野次が飛んでくる。


 「うっさいな! 十年ぶりの再会なんだから仕方ないじゃない!」

 ぷんすこと怒り、テレポーターの管理者に向けて目配せ。

 暫くにらみ合った後、管理者は「半休を認める」と、辛うじてほほえみ、告げた。


 「先、予約してた宿に行っとく。合流するときはこれに呼びかけて」

 ピリは、無造作にネックレスを投げ渡す。

 彼女なりに気を利かせたようだ。


 「ありがとー!」

 ぶんぶんと手を振り、メアは去ってゆく三人を見送る。


 「さ、メア。ここにいつまでも居ると、次の転移の邪魔になっちゃう。最近できた喫茶店があるから、そっちでお話しよう」

 周囲の視線を感じて、ウィン姉はハグを解き、メアの手を引く。

 「やーん、お姉ちゃん積極的」

 フォボスの前でも見せない、甘えた声が出てしまう。

 「そーゆーのは良いから」

 軽いステップで丘を下り、出発側のテレポーターへ向かう人混みを抜ける。

 「お姉ちゃんと手を繋いだの、久しぶりだなあ」

 市街地に入り、迷いなく足を進めるウィン姉の手を離さないまま、するりと目的の店に到着。

 「到着。『朝焼けを追うカモメ亭』。五年前から贔屓にしてる」

 ウィン姉はドアを開け、先導する。

 「五年前か、本当に最近なんだね」

 長命種特有の会話をしながら、水精族マーマンのスタッフに案内され、席につく。

 

 「メニューはこれ。おすすめはこれまた最近メニューに入った、『かふぇもか』ってやつ。青の神子を唸らせるために作られたんだって。すごいよね」

 この場合の『最近』は、三ヶ月前だ。

 「神子かあ」

 そういえば、フォボスが黒の神子がどうとか言っていた気がするな、などと思いながら、注文リストに加える。

 「後はこれもおすすめ。チーズタルト。これは店ができたときからの定番。めっちゃ美味いよ」

 「じゃあそれも」

 注文に加え、ネックレスに「お昼、食べてから行くね」と呼びかける。

 「あ、結構ガッツリ行って良いやつ? じゃあ、国産小豆トーストも追加だ」

 「太っちゃうよ、もう」

 と言いつつも、リストを肥やしてゆく。


 その後、軽めのものをもう二品ほど増やし。

 注文を終え、一息ついた。


 「というかあんた、前見たときよりちょっと痩せてない?」

 切り出したのは、ウィン姉だ。

 「そうかなあ」

 首を傾げる。

 メアには、自覚がない。

 「ちゃんと食べてる、よねえ。やつれたって感じじゃないもの」

 まじまじと見つめられ、照れる。


 少し考え、思い出したように言葉に出す。

 「あ! そういえば、ここ数ヶ月は走り込みとかしてるからかな?」

 「走り込み!? あんたが!?」

 ウィン姉は仰天し、つい大声を上げてしまう。


 一瞬だけ周囲の視線を釘付けにした後、小声で続ける。


 「あ、いや、悪い意味じゃなくてね? お姉ちゃんはすごく良いことだと思うよ、うん」

 とはいえ、どういう心境の変化があったか、という点は、気になるようで。

 「好きな人ができた、とか?」

 「うーん」

 その質問には、曖昧に答えるが。

 「どっちかというと、恋愛ってよりはお仕事かなあ。冒険者、流れで始めちゃったし」

 一応、本心である。

 「冒険者? あー、確かに旅には基礎体力が要るもんね。私にはムリだわ」

 

 氷水入りのグラスをカラカラと揺らしながら、続ける。


 「冒険者って言うとさ、また宝石ジュエル級の冒険者が認定されたらしいじゃない? 今度は竜人族。元々黒の神子パーティに居たってんだから、すごいよね」

 「あ!」

 今度は、メアが声を上げる。

 「なによ」

 「聞いてよお姉ちゃん! 私今、めっちゃ強い人? というか悪霊? に稽古付けてもらってるの」

 ふわっとした表現だが、要はルゥのことである。

 「ああ、うん。もしかして、あの樹妖族ドライアド? 気迫がすごいよね」

 首を横に振り、否定する。

 「ううん、ツノが生えた獣人に、取り憑いてる方。お姉ちゃんも見えたでしょ? 一つの肉体に、二人分入ってるの」


 魔力視。

 シュレへナグル大陸に伝わる血筋のうち数パーセントほどは、修練によって、魔力の流れを視認することができる、とされている。

 呪文によっても可能になるため、唯一無二というわけではないが、全くの魔力消費なしにこの能力が使えるのは便利である。

 そして、ブレーウィスト家の者には、稀に発現する場合があったのだった。


 「メアも視えるようになったんだ。流石は我が妹って感じ。良いじゃん。一人で強くなるより、やっぱり師匠が居たほうが効率的だからね」


 メインのメニューより先に、『かふぇもか』が届く。

 濃厚なコーヒーミルクの上に、もったりとしたホイップクリーム、そしてチョコレートソースがかかっている。

 

 芳醇な甘い香りを漂わせるそれに、メアは恐る恐る口をつける。

 「思ったより、苦いかも」

 ウィン姉の方は、スプーンでクリームを溶かしてからだ。

 メアもそれにならい、今度は甘みが強調された『かふぇもか』を楽しむ。


 話を戻す。


 「で、その悪霊がなんだって?」

 飲み物が尽きないように、ちびちびと口に運びながら、ウィン姉が促す。


 「うん。その子、風属性と闇陰属性の超すごい使い手なんだけどさ。この組み合わせ、なにか心当たりない?」

 「心当たりもなにも、『イスカーツェル・レガシー異変』を解決してから元の世界に帰ったとかいう、初代黒の神子が筆頭でしょ」


 ああ、だから『黒の神子』に反応したのか、とウィン姉は納得する。


 そして、硬直する。

 青の神子を見たこともある彼女の目は、即座に正解を導き出す。

 メアが言うところの、ルゥがまさに“それ”だ。

 ルノフェンは、まだこの世界にいる。


 「マジ、かあ」

 その言葉に、メアは曖昧に微笑む。

 「でも、何があったのか知らないけれど、記憶がないみたいなんだよね」

 「記憶、ねえ」

 ウィン姉は己の記憶を手繰り寄せる。

 多くの神子がこの地に降り立ち、何かをなし。

 そして、元の世界に帰ったものもいれば、骨を埋めたものもいる。

 「うーん、どうしてそんなことになったのか、ちょっとわからないかも。でも、大事なのはさ」

 顔を近づけ、親身に話す。

 「メアと神子本人がどうしたいか、でしょ。記憶を取り戻すにせよ、そうでないにせよ」

 

 小豆トーストがやってくる。

 ほかほかと湯気を立てる焼き立てのハーフトーストの表面には余すところなくバターが塗られ、中央には密度の高いあんこがどかっと乗っている。

 それが、二本。


 「わあ、すごく美味しそう!」

 メアはトーストを掴み、はむ、と咥える。

 「んー!」

 至福。

 言葉を聞くまでもなく、見ればわかる。

 

 「まあ、そいつに恩返ししたいんなら、私に相談するまでもなくやればいいじゃん。今のメア、実力的にはシルバー級くらいでしょ? できること、増えてくる頃合いじゃない?」

 そこは、実績不足でカッパー級だと訂正しておく。


 「ふう。結構ボリュームあるね。でもそっか、ルゥさん本人がどうしたいか、まだ聞いてなかったんだった」

 「そこは先に聞いときなさいよ」

 チーズタルトも到着したので、手をつける。


 「そうだ、お姉ちゃんの話も聞きたいな」

 「えー。あんまり話すことないよ? 毎日テレポーターに魔力を注ぎ込むだけの日々だし。今の職場が安定しすぎてて、転職しようって気すら起こらないし。メアはすごいよ、うん」

 強引にボールを戻された気もしたが、続けることにする。

 「じゃあ、好きな人の話をしようよ。お姉ちゃんは狙ってる人、居る?」

 「そうね。狙ってるというよりは、もう付き合ってるんだけど」


 「ンぐっ!?」

 タルトが喉に詰まる。

 けほけほと咳をし、どうにか平常心を取り戻す。

 「なにそれ、早く言ってよ! どんな人?」

 メアは急かす。興味津々だ。

 

 「〈赤のレドフィレア〉家の、傍流の騎士。テレポーター業務してたら、一目惚れされちゃってね。実は週二くらいでデートしてる」

 「ほえー、すごいじゃない! 今度見たいなあ。ちょっと今回はタイミング合わなさそうだけど」


 ホットドッグがテーブルに置かれる。

 ふわふわした茶色いパン。それに挟まれたカリカリのフランクフルトは、ペッパーとガーリックで香り付けされている。

 シンプルに、肉の旨味を強調するスタイルだ。


 噛むと、パリッと音を立てた。

 「んんー! サイコー!」

 その様子を、ウィン姉はにこやかに見つめている。

 合間に、ふと、言葉を漏らす。

 「やっぱり、私ももっと食べるべきかな。太りたくはないけど、あの人にはもっと好かれたいっていうか」


 「無理することないんじゃない? だってその人、今のお姉ちゃんが好きなんでしょ?」

 「そりゃあそうだけど。あるでしょ。抱き心地とか」

 煮えきらない様子だ。

 「とゆーか、それこそ私とルゥさんに向けてアドバイスしたようにさ、本人と相談すれば良いんじゃない? パートナーになるんだったら」

 「ん」

 ウィン姉は、それもそうね、と締めた。

 

 「じゃ、こっちから反撃。メアの好きな人、教えて」

 話が長くなってきたので、追加でドリンクをオーダーする。

 カフェ・アロンジェ。薄めた加圧コーヒー、というものらしい。

 メアも同じものを注文する。こちらは、ミルク付き。


 「んー、恋なのかわかんないけど、一緒に居た獣人の子フォボスくんは気になるかなって」

 「へえ? もっと聞かせてよ」

 残り少ない『かふぇもか』を飲み干し、言葉を続ける。

 「なんてゆーか、見てて胸が焦がれるって感じじゃないんだけど、一緒にご飯食べてると安心するってゆーか。頭撫でさせてもらったときに、ついでに抱きしめたくなるって感じ」


 「ふーん」

 ウィン姉はニヤニヤと笑い、返す。

 「それ、どっちかというと姉の感性、もっと言うと母性じゃない?」

 「母性!?」

 確かに言われてみれば、腑に落ちるところはあるが。

 「気をつけなよ、あんまり距離近いと、子供の性癖って簡単に壊れるから」

 「せいへ、性癖……」

 正直、もう手遅れな気もする。

 「それか、あっちがその気ならちゃんと責任取る、って選択肢もあるかな」

 「ほええ……」

 メアは顔を赤らめ、コーヒーがテーブルに置かれたことにも気づいていない。

 

 「獣人も人間も、エルフに比べると成長がすごく早いからさ。気まぐれだし、危なっかしいし。あいつらの二ヶ月は、私たちにとっての一年よりも重い」

 ずず、とコーヒーに口をつけ、言葉を選ぶ。

 「だから、もしフォボスくんと付き合うなら、花火みたいな一生に寄り添ってやる覚悟は要るかもね」

 「……うん。そうかも」

 メアも、コーヒーのカップを持ち、唇を近づける。


 「あっつ」

 「締まらねーの」


 そんなこんなで、家族との再会は和やかであったとさ。


 ◆◆


 一方その頃。フォボスたち。


 借りた宿は、ツインを二部屋。

 海が見える部屋だ。春風に立つ白波が美しい。


 爽やかな香りのするシーツに、通気性の良い枕。

 三人は、その横で宿泊に必要な最低限の荷物だけを出している。


 「へくちっ」

 突然、フォボスが可愛くくしゃみをする。

 

 「お、どうした? 風邪か?」

 未だに手を繋いでいるクロヴは、フォボスを気遣う。


 「潮のにおいがする。慣れるまではしばらく掛かりそう」

 「分かるわ。俺様も海は初めてだ。魔導具がサビなきゃ良いけどな」

 クロヴの作った魔導具は、錫、もしくはブリキのフレームを持つものが多い。

 というのも、ティンタナムの姓が示す通り、錫鉱脈に住まう家系であることに由来しているからだ。

 護身用の、術が込められた指輪。それと、最近試作した翼を取り出し、残りは《ポケット・ディメンジョン》にもう一度しまう。

 

 「つばさ、触って良い?」

 フォボスの質問に対して、クロヴは全力で拒否する。

 「最悪指が飛ぶからやめろ。商用じゃねえから各種安全規格は無視してる。指輪の方は別にいい」

 「はぁい」

 妥協し、ぺたぺたと。


 「……楽しいのか? 触ってて」

 やや辟易とした様子で、フォボスに問う。

 「うん! ザラザラしてて飽きない!」

 「ほーん」

 感心したように、リアクションした後。

 《ポケット・ディメンジョン》を再度発動し、似た指輪を取り出す。

 「やるよ」

 「いいの?」

 クロヴは尊大に笑い、快諾。

 「今付けてるやつのベータ版だ。一日に二回まで、ノーコストで《バックラー》が発動できる。上手く使え」

 「ありがと!」

 早速、装着。

 「《バックラー》!」

 言葉で術式を起動すると、空中に一瞬だけ小盾が生じ、スッと消えた。

 「ま、それはおもちゃみたいなもんだ。正直、スペルパワーが弱すぎてカッパー級でもそんなに役には立たん。とはいえ、不意は打てるかもな」

 「でも、ありがと!」

 フォボスは指輪をかざし、眺める。

 「良いってことよ」

 クロヴのものとうり二つだった。


 「ふむ」

 簡易な荷ほどきを済ませると。

 「お? どったの?」

 ピリは、メアからの連絡が届いたとルゥに返事をする。

 「メアは昼食を済ませてくるみたい。アーシたちも何か食べよう」

 立ち上がり、残りの二人を連れて宿から出る。


 「宿のメシじゃなくて良いのか?」

 その質問には、肯定。

 「うん。会社の人と待ち合わせしてる。悪いけど、テーブルは分ける」

 「へー」

 反応したのは、ルゥ。

 「ちなみに、どこで食べる予定?」

 「ラ・メール商会直営のレストラン。くれぐれも暴れたりはしないで。大衆向けだけど、簡単なテーブルマナー自体はある。クロヴを真似してくれればいい」

 ソルモンテーユ皇国で活動する商会の、三分の二を影響下に置いているとされるほどの大商会だ。

 「やりィ。費用は会社持ちか?」

 クロヴが口を挟む。

 この質問にも、ピリは肯定で返す。

 「しっかし、ソルモンテーユ式のテーブルマナーだろ? 自信がないぞ」

 「あまり緊張しなくていい。わかりやすく派手なことをしなければ問題ない」

 フォボスは「すごいなあ、これが大人なんだ」と、勝手に感心している。


 「着いた」

 レストランの外観は、石造りの二階建て。

 灰色のレンガで覆われたそれは、質素というよりは堅牢な印象を与える。

 天面は小さなドームで覆われており、恐らくではあるが、かつては別の用途として使われていたことが示唆される。


 「へえ、吹き抜けか。内装は割と新しいな」

 ピリに先導されながら、クロヴが品評する。

 「元は集会場だったりするのかな? どこからでも中央に射線が通るや」

 ルゥは、戦闘員視点で解説。


 「フォボスくん、これ持ってて」

 ウェイターの案内を受けた後、ピリはクロヴの手綱を手渡す。

 「えっ?」

 ぽかんとするフォボスに、クロヴ本人が説明を入れる。

 「ああ、たまにあるんだよ。ピリの会話、極秘なことがあるからさ。そういうときは大抵リードを机にくくりつけられてるんだけど、今はフォボスが居るからな」

 クロヴの扱いが悪い気もするが、とりあえず引き受ける。

 

 「話が終わったら合流する。それまではゆっくりしてて」

 そう言って、ピリは吹き抜けの上に行ってしまった。


 二人は着席。

 メニューの冊子を探し、開いてみる。

 「共通語のは……あった。フォボス、読めるか?」

 言葉のみならず図表でも説明されている、親切なメニューだ。


 「てりーぬ? ステーキフライは多分わかる」

 フォボスの語彙では、半分くらいは理解できる、という具合だ。

 「どうせ費用はあっち持ちなんだし、直感で好きに頼めよ。大衆向けだからひどいことにはなんないはずだぜ」


 好きに悩ませた後、クロヴはウェイターを呼ぶ。 

 「じゃあ、しちゅーとステーキフライ! あと丸パン!」

 「俺様もステーキフライ。ポトフも欲しい。丸パンも。フォボスこいつにはぶどうジュースを付けてくれ。俺様の飲み物は――」

 一瞬フォボスの方を見て、本能的に出そうとした言葉を飲み込む。

 「俺様もぶどうジュースでいい。酒って気分じゃねえ。ありがとな」

 「かしこまりました」

 ウェイターは注文を届けに、店の奥へ行ってしまった。


 「飲みたきゃ飲めばいいじゃん」

 ルゥが指摘する。

 クロヴはドワーフの例に漏れず、酒好きではある。

 「言ったろ? 気分じゃねえ。俺様は酒好き同士でワイワイ飲むのが好きなんだ。別に忖度したわけじゃねえからな」

 一応は、半分くらい本心らしい。


 「お酒っておいしいの?」

 フォボスのよくある問いに対しては。

 「場合による、としか言えん。俺様にとっては、黙って飲む酒は最悪だ。自分を慰めるだけの酒だからな。複数人で、その場の誰かをバカにしながら飲む酒こそが最高。そうだろ? ルゥ」

 「ボク、飲むための肉体がないんだけどなあ」

 さもありなん。

 「ちなみに、味は結構苦いぞ。俺様はドワーフだから旨く感じるが、ガキのうちはやめときな。何より健康にも悪い」

 「そーなの?」

 大きく頷く。

 「毒完全耐性装備なら話は変わるけどよ、そんなモンは超レアだ。完全耐性はレリック級からで、白金プラチナ級冒険者がたまに発掘してくるくらいの貴重さだ。飲むなら大人になってからにしな」

 「はぁい。わかった!」


 「わかったらよし。ところでさ、ルゥ」

 話を振られたルゥは、何らかの術を行使していた。

 「何やってんの? お前」

 「盗聴」

 悪びれもせず、答える。

 「は!?」

 一体誰を? という問いには、フォボスの体による指差しで答えられる。

 

 ピリのテーブルだ。

 

 「なんてことを……」

 呆れたように頭を抱えるクロヴ。

 「エグめの防諜呪文が掛かってるはずなんだが。どうやってすり抜けた」

 指の隙間から、ルゥを睨む。

 「《ヴェイル・オブ・ツェルイェソド》。不可知化って便利だよね」

 クロヴは、「やりやがった、こいつ」という視線を向けている。

 ルゥは涼しげに行っているが、ピリの警戒を突破するのは並のスペルパワーではムリだ。


 「クロヴさんは、ピリさんのお話が気にならないの?」

 フォボスが無垢に投げかけてくる。

 「そりゃあ気になるけどさ。俺様とあいつはビジネスライクな関係なんだよ。少なくとも俺様はそう思ってる」

 「でもピリさんは、クロヴさんのこと相棒だって」

 テーブルの上に置かれたぶどうジュースを、ストローでゆっくりと吸って。

 「まあ、好奇心はある。あいつがどんな人間なのか、未だに全くわかんねーし」


 ため息をつく。

 そして、決心する。


 「おい、ルゥ。その音声、こっちにも流せるか」

 答えの代わりに、呪文で答える。

 「《ウィスパー》」

 ルゥを中継し、音を流し込む。

 会話しているのは、ピリの他にもう一人居るようだ。

 「葉の擦れる音が聞こえる。樹妖種ドライアドか?」

 ピリの方を見るも、後付のフェンスに遮られ、姿が見えない。

 二人の声の他に、トン、トンと、不規則に指先で机を叩く音が耳に入る。


 だが、それよりも興味を引くのは、会話の中身である。


 「なんだこれ、ぜんっぜん分かんねえ。語彙は共通語だよな。文法はエヴリス=クロロ大森林近辺の古文法か?」

 顔をしかめ、なおも盗み聞きを続ける。

 「使う語彙も品詞しか合ってねえ。『工業用のコーヒーカップが魔術師を照らした』だって? どういうことだ?」

 混乱するクロヴを宥めて、ルゥが見解を告げる。

 「暗号だよね、ほぼ間違いなく。防諜した上で、盗聴されてもすぐには解けないようにしてる」

 「暗号、か。ってことは、鍵もあるってことだよな。あ、そっか。机を叩く音がそれか」


 納得はしたようだ。

 

 だが、理解はできない。


 「なあ、ルゥ。なおさらピリのことが分からなくなったぞ。ただの労働者が、ここまで厳重な防諜をする理由があるか?」

 「うーん」

 これは、ルゥも分からないようである。

 「ピリさんが、実はとっても偉いとか」

 フォボスの思いつきに関しても、この場の誰も否定できない状況だ。


 「あー、もう。分かんねえ。とりあえず、メシにしようぜ」

 ちょうどいいタイミングで、様々な料理が運ばれてくる。

 「おいしそう!」

 ステーキの焼ける音、ポトフがぐつぐつと煮える音。

 そのどれもが湯気を立て、頭を酷使した後に効きそうな香りを放っていた。

 

 「火傷するなよ! いっただきまーす!」

 「いただきます!」


 そして、二人は貪るように、昼食を掻き込んだ。


 ◆◆


 一行は、無事合流を果たした。翌日朝の出港まで暇なので、二手に分かれて旅に役立ちそうな物資を購入することにした。


 子供用衣服店『アリーウォーカー』にて。


 「フォーくん、似合ってるよ」

 メアはパチパチと手をたたき、褒める。

 フォボスが着ているのは、ストリート柄のTシャツ。それと、獣人用穴空きキャップだ。


 タン、タンとステップを踏み、調子を確かめる。

 「とても軽い。これでレザーアーマーより強いの、すごいや」

 マジック等級のTシャツ。防御力向上と悪環境耐性のエンチャントが施されている。ベースの価格が安いこともあり、知覚強化のキャップと合わせて三百シェルだ。


 「ンンンー。子供用ウェアもデザイン性が必要になってきたからねェー。神子様々だよォー!」

 神がかり的なリアクションを取る店主とは、ウィン姉の仲介で知り合った。

 先の異変で起きた戦いをもとにインスピレーションを沸き立たせ、思うがままにシャツをペイントしたという。


 「これから紫宸龍宮に向かうのでショ? どうせならあっちで宣伝してもらえませんかねェー?」

 そう言って店の奥から取り出したのは、カラフルな数着のシャツだ。

 「良いんですか!?」

 恐縮だと固辞する二人に、押し付ける。


 「見たところ、あなたそれなりに強そうでショ? フォボスくんくらいのトシの広告塔、そう居ないわヨ? それ着て紙面にでも乗ってくれると助かるねェー!」

 「なんか照れるな」

 はにかむ。その表情に、庇護欲が掻き立てられる。

 

 「マ、防御の呪文が掛かってるのは今着てる一着だけだけどネ。また来なヨ。その時もやってたら、オーダーメイドで作っても良いよォー?」

 「ありがと! また来たい!」

 元気に挨拶するフォボス。

 店主は両手を振り、オーバーリアクション気味に見送ってくれる。

 

 二人は両手に抱えた戦利品を、ひとまず《ポケット・ディメンジョン》に収め、店を後にした。


 「ふぅ。消耗品と装備を買うだけで結構時間かかっちゃったね」

 空を見ると、日が暮れようとしている。

 夕方のやや冷えた風が、二人の間を吹き抜けてゆく。


 「あ! そうだ! ルゥさんに質問しなきゃだったんだ!」

 「んえ? ボク?」

 唐突に話を振られたルゥが、反射的にフォボスの顔をメアの方に向ける。


 「うん。あなた、黒の神子なんでしょ? 記憶、取り戻したくないのかなって」


 黒の神子という名を耳にした市民たちは一瞬だけ振り返る。が、すぐに元々向かっていた方向へ歩きだしていった。


 「そうなの? ボクが?」

 当の本人がポカンとしている。

 これは、あれだ。神子だったことすら忘れているのだ。


 メアもしばらく意外そうに見つめていたが、気を取り直し、補足する。

 「えっと、その。ルゥさんは風と闇陰のエキスパートでしょ? それも、無詠唱で《フライ》を唱えられたり、儀式無しで死者の蘇生までできるレベルの」

 「うん、そうだよ。ボクってすごいよね」


 なにもわかってなさそうなルゥに、なおも切り込んでゆく。

 「それで、そのレベルの術師って、最低でも白金プラチナ級……ううん、多分、宝石ジュエル級に相当するの」


 「あー……」

 なんとなく、わかってきた。

 普通の精霊に、そこまでできるはずがない。


 ルゥが、神子だったとして。

 心の奥底から、これまで避けてきた疑問が、湧き上がってくる。


 なぜ肉体を失ったのか。

 なぜ記憶を持たないのか。

 かの神の不興でも買ったのだろうか。

 

 そもそもなぜボクは、ここにいる?


 彼の心はいま、不確かなルーツという、暗い霧の中に放り込まれた。


 「ボク、本当に神子なのかな」

 一転、不安げな様子になり、メアに聞き返す。

 「少なくとも私と、私のお姉ちゃんはそうだと思った。でもさ? だからこそだよ」

 フォボスの頬に、両手を当てる。

 彼の目を通し、ルゥを見つめる。

 

 「ルゥさんはやりたいこと、ない? 私たちに、恩返しさせてもらえないかな?」


 「……」

 彼は視線に耐えかね、目線をそらす。


 やがて。

 ぽつり、ぽつりと、降り始めの雨のように、言葉を吐き出してゆく。

 「……それ、ずるいよ。ボクは好きなことばっかりやってたのに、何かイイコトしたみたいじゃない」

 それは、転生しても変わらない、偽悪的な彼の本心だ。


 「でも、言われてみたら、黒の神子がどんな人だったか気になるかも」

 そして、好奇心だって彼の本質だ。


 ハラハラとした様子で下界を伺っていた神は、とりあえずホッと胸をなでおろした。


 「でしょ? 色んな人に聞いてみる。約束はできないけど、手は尽くすよ」

 メアはようやく両手を離し、宿の方にゆっくりと歩み始める。


 「そーいや、フォボスくんと最初に会ったとき、ボクも同じ質問したんだっけなあ。人のこと、言えないや」

 「うん。あのとき、ルゥが居なかったらずっと奴隷集落に居たかもしれない」

 フォボスは、にっこりと笑う。


 彼らには、今がある。


 「ねえ、その話もっと聞かせてよ!」

 メアがフォボスの手を取り、引っ張る。

 「宿に着いたらね」

 フォボスは応じ、軽やかに身を寄せる。


 彼らの日常が、にぎやかに過ぎてゆく。


 【続く】

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