##6 水の都、来るものを歓待す
(これまでのあらすじ:紫宸龍宮にフォボスを探している人がいるらしい。紆余曲折あって、途中から船で向かうことに。その船の出発地である、ソルモンテーユ国の皇都、ロークレールでの滞在を楽しむことにしたのだった)
皇都ロークレールのテレポーターは、見晴らしのいい丘の上に作られている。
都市全体を見下ろすことのできるこの場所は、それだけで一つの観光スポットとして成り立つほどだ。
「すごい! すごいすごい!」
フォボスの目に飛び込んできたのは、港に面する大海原。
感極まり走り出そうとする彼を、ピリが抱えあげ、嗜める。
「護衛対象が迷子になるのは勘弁。クロヴ、手を繋いでやって」
「お、おう」
首を掴まれた子猫のようなフォボスを下ろし、クロヴに引き渡す。
「やっぱり、変わってないようで変わってるなあ」
メアは周囲をくるりと見渡し、そう呟く。
「あン? もしかしてソルモンテーユ出身?」
首を傾げたクロヴが問うと、メアは頷く。
「うん。私、
テレポーターの周りに居たエルフの一人が会話を耳にし、声をかけてくる。
「あれ? メアじゃない?」
メアよりは少し身長が高い、スレンダーなエルフだ。
「あ! お姉ちゃん! ここで働いてたんだ!」
駆け寄り、ハグ。
彼女の名は、ウィンセジラだ。当面は、ウィン姉と呼ぶことにする。
「妹が居たのか」
「服の紋章が同じだ。ってことはあの子もブレーウィスト家か」
「あいつが笑ってるの初めてみた」
「尊み……」
などという野次が飛んでくる。
「うっさいな! 十年ぶりの再会なんだから仕方ないじゃない!」
ぷんすこと怒り、テレポーターの管理者に向けて目配せ。
暫くにらみ合った後、管理者は「半休を認める」と、辛うじてほほえみ、告げた。
「先、予約してた宿に行っとく。合流するときはこれに呼びかけて」
ピリは、無造作にネックレスを投げ渡す。
彼女なりに気を利かせたようだ。
「ありがとー!」
ぶんぶんと手を振り、メアは去ってゆく三人を見送る。
「さ、メア。ここにいつまでも居ると、次の転移の邪魔になっちゃう。最近できた喫茶店があるから、そっちでお話しよう」
周囲の視線を感じて、ウィン姉はハグを解き、メアの手を引く。
「やーん、お姉ちゃん積極的」
フォボスの前でも見せない、甘えた声が出てしまう。
「そーゆーのは良いから」
軽いステップで丘を下り、出発側のテレポーターへ向かう人混みを抜ける。
「お姉ちゃんと手を繋いだの、久しぶりだなあ」
市街地に入り、迷いなく足を進めるウィン姉の手を離さないまま、するりと目的の店に到着。
「到着。『朝焼けを追うカモメ亭』。五年前から贔屓にしてる」
ウィン姉はドアを開け、先導する。
「五年前か、本当に最近なんだね」
長命種特有の会話をしながら、
「メニューはこれ。おすすめはこれまた最近メニューに入った、『かふぇもか』ってやつ。青の神子を唸らせるために作られたんだって。すごいよね」
この場合の『最近』は、三ヶ月前だ。
「神子かあ」
そういえば、フォボスが黒の神子がどうとか言っていた気がするな、などと思いながら、注文リストに加える。
「後はこれもおすすめ。チーズタルト。これは店ができたときからの定番。めっちゃ美味いよ」
「じゃあそれも」
注文に加え、ネックレスに「お昼、食べてから行くね」と呼びかける。
「あ、結構ガッツリ行って良いやつ? じゃあ、国産小豆トーストも追加だ」
「太っちゃうよ、もう」
と言いつつも、リストを肥やしてゆく。
その後、軽めのものをもう二品ほど増やし。
注文を終え、一息ついた。
「というかあんた、前見たときよりちょっと痩せてない?」
切り出したのは、ウィン姉だ。
「そうかなあ」
首を傾げる。
メアには、自覚がない。
「ちゃんと食べてる、よねえ。やつれたって感じじゃないもの」
まじまじと見つめられ、照れる。
少し考え、思い出したように言葉に出す。
「あ! そういえば、ここ数ヶ月は走り込みとかしてるからかな?」
「走り込み!? あんたが!?」
ウィン姉は仰天し、つい大声を上げてしまう。
一瞬だけ周囲の視線を釘付けにした後、小声で続ける。
「あ、いや、悪い意味じゃなくてね? お姉ちゃんはすごく良いことだと思うよ、うん」
とはいえ、どういう心境の変化があったか、という点は、気になるようで。
「好きな人ができた、とか?」
「うーん」
その質問には、曖昧に答えるが。
「どっちかというと、恋愛ってよりはお仕事かなあ。冒険者、流れで始めちゃったし」
一応、本心である。
「冒険者? あー、確かに旅には基礎体力が要るもんね。私にはムリだわ」
氷水入りのグラスをカラカラと揺らしながら、続ける。
「冒険者って言うとさ、また
「あ!」
今度は、メアが声を上げる。
「なによ」
「聞いてよお姉ちゃん! 私今、めっちゃ強い人? というか悪霊? に稽古付けてもらってるの」
ふわっとした表現だが、要はルゥのことである。
「ああ、うん。もしかして、あの
首を横に振り、否定する。
「ううん、ツノが生えた獣人に、取り憑いてる方。お姉ちゃんも見えたでしょ? 一つの肉体に、二人分入ってるの」
魔力視。
シュレへナグル大陸に伝わる血筋のうち数パーセントほどは、修練によって、魔力の流れを視認することができる、とされている。
呪文によっても可能になるため、唯一無二というわけではないが、全くの魔力消費なしにこの能力が使えるのは便利である。
そして、ブレーウィスト家の者には、稀に発現する場合があったのだった。
「メアも視えるようになったんだ。流石は我が妹って感じ。良いじゃん。一人で強くなるより、やっぱり師匠が居たほうが効率的だからね」
メインのメニューより先に、『かふぇもか』が届く。
濃厚なコーヒーミルクの上に、もったりとしたホイップクリーム、そしてチョコレートソースがかかっている。
芳醇な甘い香りを漂わせるそれに、メアは恐る恐る口をつける。
「思ったより、苦いかも」
ウィン姉の方は、スプーンでクリームを溶かしてからだ。
メアもそれにならい、今度は甘みが強調された『かふぇもか』を楽しむ。
話を戻す。
「で、その悪霊がなんだって?」
飲み物が尽きないように、ちびちびと口に運びながら、ウィン姉が促す。
「うん。その子、風属性と闇陰属性の超すごい使い手なんだけどさ。この組み合わせ、なにか心当たりない?」
「心当たりもなにも、『イスカーツェル・レガシー異変』を解決してから元の世界に帰ったとかいう、初代黒の神子が筆頭でしょ」
ああ、だから『黒の神子』に反応したのか、とウィン姉は納得する。
そして、硬直する。
青の神子を見たこともある彼女の目は、即座に正解を導き出す。
メアが言うところの、ルゥがまさに“それ”だ。
ルノフェンは、まだこの世界にいる。
「マジ、かあ」
その言葉に、メアは曖昧に微笑む。
「でも、何があったのか知らないけれど、記憶がないみたいなんだよね」
「記憶、ねえ」
ウィン姉は己の記憶を手繰り寄せる。
多くの神子がこの地に降り立ち、何かをなし。
そして、元の世界に帰ったものもいれば、骨を埋めたものもいる。
「うーん、どうしてそんなことになったのか、ちょっとわからないかも。でも、大事なのはさ」
顔を近づけ、親身に話す。
「メアと神子本人がどうしたいか、でしょ。記憶を取り戻すにせよ、そうでないにせよ」
小豆トーストがやってくる。
ほかほかと湯気を立てる焼き立てのハーフトーストの表面には余すところなくバターが塗られ、中央には密度の高いあんこがどかっと乗っている。
それが、二本。
「わあ、すごく美味しそう!」
メアはトーストを掴み、はむ、と咥える。
「んー!」
至福。
言葉を聞くまでもなく、見ればわかる。
「まあ、そいつに恩返ししたいんなら、私に相談するまでもなくやればいいじゃん。今のメア、実力的には
そこは、実績不足で
「ふう。結構ボリュームあるね。でもそっか、ルゥさん本人がどうしたいか、まだ聞いてなかったんだった」
「そこは先に聞いときなさいよ」
チーズタルトも到着したので、手をつける。
「そうだ、お姉ちゃんの話も聞きたいな」
「えー。あんまり話すことないよ? 毎日テレポーターに魔力を注ぎ込むだけの日々だし。今の職場が安定しすぎてて、転職しようって気すら起こらないし。メアはすごいよ、うん」
強引にボールを戻された気もしたが、続けることにする。
「じゃあ、好きな人の話をしようよ。お姉ちゃんは狙ってる人、居る?」
「そうね。狙ってるというよりは、もう付き合ってるんだけど」
「ンぐっ!?」
タルトが喉に詰まる。
けほけほと咳をし、どうにか平常心を取り戻す。
「なにそれ、早く言ってよ! どんな人?」
メアは急かす。興味津々だ。
「〈赤のレドフィレア〉家の、傍流の騎士。テレポーター業務してたら、一目惚れされちゃってね。実は週二くらいでデートしてる」
「ほえー、すごいじゃない! 今度見たいなあ。ちょっと今回はタイミング合わなさそうだけど」
ホットドッグがテーブルに置かれる。
ふわふわした茶色いパン。それに挟まれたカリカリのフランクフルトは、ペッパーとガーリックで香り付けされている。
シンプルに、肉の旨味を強調するスタイルだ。
噛むと、パリッと音を立てた。
「んんー! サイコー!」
その様子を、ウィン姉はにこやかに見つめている。
合間に、ふと、言葉を漏らす。
「やっぱり、私ももっと食べるべきかな。太りたくはないけど、あの人にはもっと好かれたいっていうか」
「無理することないんじゃない? だってその人、今のお姉ちゃんが好きなんでしょ?」
「そりゃあそうだけど。あるでしょ。抱き心地とか」
煮えきらない様子だ。
「とゆーか、それこそ私とルゥさんに向けてアドバイスしたようにさ、本人と相談すれば良いんじゃない? パートナーになるんだったら」
「ん」
ウィン姉は、それもそうね、と締めた。
「じゃ、こっちから反撃。メアの好きな人、教えて」
話が長くなってきたので、追加でドリンクをオーダーする。
カフェ・アロンジェ。薄めた加圧コーヒー、というものらしい。
メアも同じものを注文する。こちらは、ミルク付き。
「んー、恋なのかわかんないけど、
「へえ? もっと聞かせてよ」
残り少ない『かふぇもか』を飲み干し、言葉を続ける。
「なんてゆーか、見てて胸が焦がれるって感じじゃないんだけど、一緒にご飯食べてると安心するってゆーか。頭撫でさせてもらったときに、ついでに抱きしめたくなるって感じ」
「ふーん」
ウィン姉はニヤニヤと笑い、返す。
「それ、どっちかというと姉の感性、もっと言うと母性じゃない?」
「母性!?」
確かに言われてみれば、腑に落ちるところはあるが。
「気をつけなよ、あんまり距離近いと、子供の性癖って簡単に壊れるから」
「せいへ、性癖……」
正直、もう手遅れな気もする。
「それか、あっちがその気ならちゃんと責任取る、って選択肢もあるかな」
「ほええ……」
メアは顔を赤らめ、コーヒーがテーブルに置かれたことにも気づいていない。
「獣人も人間も、エルフに比べると成長がすごく早いからさ。気まぐれだし、危なっかしいし。あいつらの二ヶ月は、私たちにとっての一年よりも重い」
ずず、とコーヒーに口をつけ、言葉を選ぶ。
「だから、もしフォボスくんと付き合うなら、花火みたいな一生に寄り添ってやる覚悟は要るかもね」
「……うん。そうかも」
メアも、コーヒーのカップを持ち、唇を近づける。
「あっつ」
「締まらねーの」
そんなこんなで、家族との再会は和やかであったとさ。
◆◆
一方その頃。フォボスたち。
借りた宿は、ツインを二部屋。
海が見える部屋だ。春風に立つ白波が美しい。
爽やかな香りのするシーツに、通気性の良い枕。
三人は、その横で宿泊に必要な最低限の荷物だけを出している。
「へくちっ」
突然、フォボスが可愛くくしゃみをする。
「お、どうした? 風邪か?」
未だに手を繋いでいるクロヴは、フォボスを気遣う。
「潮のにおいがする。慣れるまではしばらく掛かりそう」
「分かるわ。俺様も海は初めてだ。魔導具がサビなきゃ良いけどな」
クロヴの作った魔導具は、錫、もしくはブリキのフレームを持つものが多い。
というのも、ティンタナムの姓が示す通り、錫鉱脈に住まう家系であることに由来しているからだ。
護身用の、術が込められた指輪。それと、最近試作した翼を取り出し、残りは《ポケット・ディメンジョン》にもう一度しまう。
「つばさ、触って良い?」
フォボスの質問に対して、クロヴは全力で拒否する。
「最悪指が飛ぶからやめろ。商用じゃねえから各種安全規格は無視してる。指輪の方は別にいい」
「はぁい」
妥協し、ぺたぺたと。
「……楽しいのか? 触ってて」
やや辟易とした様子で、フォボスに問う。
「うん! ザラザラしてて飽きない!」
「ほーん」
感心したように、リアクションした後。
《ポケット・ディメンジョン》を再度発動し、似た指輪を取り出す。
「やるよ」
「いいの?」
クロヴは尊大に笑い、快諾。
「今付けてるやつのベータ版だ。一日に二回まで、ノーコストで《バックラー》が発動できる。上手く使え」
「ありがと!」
早速、装着。
「《バックラー》!」
言葉で術式を起動すると、空中に一瞬だけ小盾が生じ、スッと消えた。
「ま、それはおもちゃみたいなもんだ。正直、スペルパワーが弱すぎて
「でも、ありがと!」
フォボスは指輪をかざし、眺める。
「良いってことよ」
クロヴのものとうり二つだった。
「ふむ」
簡易な荷ほどきを済ませると。
「お? どったの?」
ピリは、メアからの連絡が届いたとルゥに返事をする。
「メアは昼食を済ませてくるみたい。アーシたちも何か食べよう」
立ち上がり、残りの二人を連れて宿から出る。
「宿のメシじゃなくて良いのか?」
その質問には、肯定。
「うん。会社の人と待ち合わせしてる。悪いけど、テーブルは分ける」
「へー」
反応したのは、ルゥ。
「ちなみに、どこで食べる予定?」
「ラ・メール商会直営のレストラン。くれぐれも暴れたりはしないで。大衆向けだけど、簡単なテーブルマナー自体はある。クロヴを真似してくれればいい」
ソルモンテーユ皇国で活動する商会の、三分の二を影響下に置いているとされるほどの大商会だ。
「やりィ。費用は会社持ちか?」
クロヴが口を挟む。
この質問にも、ピリは肯定で返す。
「しっかし、ソルモンテーユ式のテーブルマナーだろ? 自信がないぞ」
「あまり緊張しなくていい。わかりやすく派手なことをしなければ問題ない」
フォボスは「すごいなあ、これが大人なんだ」と、勝手に感心している。
「着いた」
レストランの外観は、石造りの二階建て。
灰色のレンガで覆われたそれは、質素というよりは堅牢な印象を与える。
天面は小さなドームで覆われており、恐らくではあるが、かつては別の用途として使われていたことが示唆される。
「へえ、吹き抜けか。内装は割と新しいな」
ピリに先導されながら、クロヴが品評する。
「元は集会場だったりするのかな? どこからでも中央に射線が通るや」
ルゥは、戦闘員視点で解説。
「フォボスくん、これ持ってて」
ウェイターの案内を受けた後、ピリはクロヴの手綱を手渡す。
「えっ?」
ぽかんとするフォボスに、クロヴ本人が説明を入れる。
「ああ、たまにあるんだよ。ピリの会話、極秘なことがあるからさ。そういうときは大抵リードを机にくくりつけられてるんだけど、今はフォボスが居るからな」
クロヴの扱いが悪い気もするが、とりあえず引き受ける。
「話が終わったら合流する。それまではゆっくりしてて」
そう言って、ピリは吹き抜けの上に行ってしまった。
二人は着席。
メニューの冊子を探し、開いてみる。
「共通語のは……あった。フォボス、読めるか?」
言葉のみならず図表でも説明されている、親切なメニューだ。
「てりーぬ? ステーキフライは多分わかる」
フォボスの語彙では、半分くらいは理解できる、という具合だ。
「どうせ費用はあっち持ちなんだし、直感で好きに頼めよ。大衆向けだからひどいことにはなんないはずだぜ」
好きに悩ませた後、クロヴはウェイターを呼ぶ。
「じゃあ、しちゅーとステーキフライ! あと丸パン!」
「俺様もステーキフライ。ポトフも欲しい。丸パンも。
一瞬フォボスの方を見て、本能的に出そうとした言葉を飲み込む。
「俺様もぶどうジュースでいい。酒って気分じゃねえ。ありがとな」
「かしこまりました」
ウェイターは注文を届けに、店の奥へ行ってしまった。
「飲みたきゃ飲めばいいじゃん」
ルゥが指摘する。
クロヴはドワーフの例に漏れず、酒好きではある。
「言ったろ? 気分じゃねえ。俺様は酒好き同士でワイワイ飲むのが好きなんだ。別に忖度したわけじゃねえからな」
一応は、半分くらい本心らしい。
「お酒っておいしいの?」
フォボスのよくある問いに対しては。
「場合による、としか言えん。俺様にとっては、黙って飲む酒は最悪だ。自分を慰めるだけの酒だからな。複数人で、その場の誰かをバカにしながら飲む酒こそが最高。そうだろ? ルゥ」
「ボク、飲むための肉体がないんだけどなあ」
さもありなん。
「ちなみに、味は結構苦いぞ。俺様はドワーフだから旨く感じるが、ガキのうちはやめときな。何より健康にも悪い」
「そーなの?」
大きく頷く。
「毒完全耐性装備なら話は変わるけどよ、そんなモンは超レアだ。完全耐性はレリック級からで、
「はぁい。わかった!」
「わかったらよし。ところでさ、ルゥ」
話を振られたルゥは、何らかの術を行使していた。
「何やってんの? お前」
「盗聴」
悪びれもせず、答える。
「は!?」
一体誰を? という問いには、フォボスの体による指差しで答えられる。
ピリのテーブルだ。
「なんてことを……」
呆れたように頭を抱えるクロヴ。
「エグめの防諜呪文が掛かってるはずなんだが。どうやってすり抜けた」
指の隙間から、ルゥを睨む。
「《ヴェイル・オブ・ツェルイェソド》。不可知化って便利だよね」
クロヴは、「やりやがった、こいつ」という視線を向けている。
ルゥは涼しげに行っているが、ピリの警戒を突破するのは並のスペルパワーではムリだ。
「クロヴさんは、ピリさんのお話が気にならないの?」
フォボスが無垢に投げかけてくる。
「そりゃあ気になるけどさ。俺様とあいつはビジネスライクな関係なんだよ。少なくとも俺様はそう思ってる」
「でもピリさんは、クロヴさんのこと相棒だって」
テーブルの上に置かれたぶどうジュースを、ストローでゆっくりと吸って。
「まあ、好奇心はある。あいつがどんな人間なのか、未だに全くわかんねーし」
ため息をつく。
そして、決心する。
「おい、ルゥ。その音声、こっちにも流せるか」
答えの代わりに、呪文で答える。
「《ウィスパー》」
ルゥを中継し、音を流し込む。
会話しているのは、ピリの他にもう一人居るようだ。
「葉の擦れる音が聞こえる。
ピリの方を見るも、後付のフェンスに遮られ、姿が見えない。
二人の声の他に、トン、トンと、不規則に指先で机を叩く音が耳に入る。
だが、それよりも興味を引くのは、会話の中身である。
「なんだこれ、ぜんっぜん分かんねえ。語彙は共通語だよな。文法はエヴリス=クロロ大森林近辺の古文法か?」
顔をしかめ、なおも盗み聞きを続ける。
「使う語彙も品詞しか合ってねえ。『工業用のコーヒーカップが魔術師を照らした』だって? どういうことだ?」
混乱するクロヴを宥めて、ルゥが見解を告げる。
「暗号だよね、ほぼ間違いなく。防諜した上で、盗聴されてもすぐには解けないようにしてる」
「暗号、か。ってことは、鍵もあるってことだよな。あ、そっか。机を叩く音がそれか」
納得はしたようだ。
だが、理解はできない。
「なあ、ルゥ。なおさらピリのことが分からなくなったぞ。ただの労働者が、ここまで厳重な防諜をする理由があるか?」
「うーん」
これは、ルゥも分からないようである。
「ピリさんが、実はとっても偉いとか」
フォボスの思いつきに関しても、この場の誰も否定できない状況だ。
「あー、もう。分かんねえ。とりあえず、メシにしようぜ」
ちょうどいいタイミングで、様々な料理が運ばれてくる。
「おいしそう!」
ステーキの焼ける音、ポトフがぐつぐつと煮える音。
そのどれもが湯気を立て、頭を酷使した後に効きそうな香りを放っていた。
「火傷するなよ! いっただきまーす!」
「いただきます!」
そして、二人は貪るように、昼食を掻き込んだ。
◆◆
一行は、無事合流を果たした。翌日朝の出港まで暇なので、二手に分かれて旅に役立ちそうな物資を購入することにした。
子供用衣服店『アリーウォーカー』にて。
「フォーくん、似合ってるよ」
メアはパチパチと手をたたき、褒める。
フォボスが着ているのは、ストリート柄のTシャツ。それと、獣人用穴空きキャップだ。
タン、タンとステップを踏み、調子を確かめる。
「とても軽い。これでレザーアーマーより強いの、すごいや」
マジック等級のTシャツ。防御力向上と悪環境耐性のエンチャントが施されている。ベースの価格が安いこともあり、知覚強化のキャップと合わせて三百シェルだ。
「ンンンー。子供用ウェアもデザイン性が必要になってきたからねェー。神子様々だよォー!」
神がかり的なリアクションを取る店主とは、ウィン姉の仲介で知り合った。
先の異変で起きた戦いをもとにインスピレーションを沸き立たせ、思うがままにシャツをペイントしたという。
「これから紫宸龍宮に向かうのでショ? どうせならあっちで宣伝してもらえませんかねェー?」
そう言って店の奥から取り出したのは、カラフルな数着のシャツだ。
「良いんですか!?」
恐縮だと固辞する二人に、押し付ける。
「見たところ、あなたそれなりに強そうでショ? フォボスくんくらいのトシの広告塔、そう居ないわヨ? それ着て紙面にでも乗ってくれると助かるねェー!」
「なんか照れるな」
はにかむ。その表情に、庇護欲が掻き立てられる。
「マ、防御の呪文が掛かってるのは今着てる一着だけだけどネ。また来なヨ。その時もやってたら、オーダーメイドで作っても良いよォー?」
「ありがと! また来たい!」
元気に挨拶するフォボス。
店主は両手を振り、オーバーリアクション気味に見送ってくれる。
二人は両手に抱えた戦利品を、ひとまず《ポケット・ディメンジョン》に収め、店を後にした。
「ふぅ。消耗品と装備を買うだけで結構時間かかっちゃったね」
空を見ると、日が暮れようとしている。
夕方のやや冷えた風が、二人の間を吹き抜けてゆく。
「あ! そうだ! ルゥさんに質問しなきゃだったんだ!」
「んえ? ボク?」
唐突に話を振られたルゥが、反射的にフォボスの顔をメアの方に向ける。
「うん。あなた、黒の神子なんでしょ? 記憶、取り戻したくないのかなって」
黒の神子という名を耳にした市民たちは一瞬だけ振り返る。が、すぐに元々向かっていた方向へ歩きだしていった。
「そうなの? ボクが?」
当の本人がポカンとしている。
これは、あれだ。神子だったことすら忘れているのだ。
メアもしばらく意外そうに見つめていたが、気を取り直し、補足する。
「えっと、その。ルゥさんは風と闇陰のエキスパートでしょ? それも、無詠唱で《フライ》を唱えられたり、儀式無しで死者の蘇生までできるレベルの」
「うん、そうだよ。ボクってすごいよね」
なにもわかってなさそうなルゥに、なおも切り込んでゆく。
「それで、そのレベルの術師って、最低でも
「あー……」
なんとなく、わかってきた。
普通の精霊に、そこまでできるはずがない。
ルゥが、神子だったとして。
心の奥底から、これまで避けてきた疑問が、湧き上がってくる。
なぜ肉体を失ったのか。
なぜ記憶を持たないのか。
かの神の不興でも買ったのだろうか。
そもそもなぜボクは、ここにいる?
彼の心はいま、不確かなルーツという、暗い霧の中に放り込まれた。
「ボク、本当に神子なのかな」
一転、不安げな様子になり、メアに聞き返す。
「少なくとも私と、私のお姉ちゃんはそうだと思った。でもさ? だからこそだよ」
フォボスの頬に、両手を当てる。
彼の目を通し、ルゥを見つめる。
「ルゥさんはやりたいこと、ない? 私たちに、恩返しさせてもらえないかな?」
「……」
彼は視線に耐えかね、目線をそらす。
やがて。
ぽつり、ぽつりと、降り始めの雨のように、言葉を吐き出してゆく。
「……それ、ずるいよ。ボクは好きなことばっかりやってたのに、何かイイコトしたみたいじゃない」
それは、転生しても変わらない、偽悪的な彼の本心だ。
「でも、言われてみたら、黒の神子がどんな人だったか気になるかも」
そして、好奇心だって彼の本質だ。
ハラハラとした様子で下界を伺っていた神は、とりあえずホッと胸をなでおろした。
「でしょ? 色んな人に聞いてみる。約束はできないけど、手は尽くすよ」
メアはようやく両手を離し、宿の方にゆっくりと歩み始める。
「そーいや、フォボスくんと最初に会ったとき、ボクも同じ質問したんだっけなあ。人のこと、言えないや」
「うん。あのとき、ルゥが居なかったらずっと奴隷集落に居たかもしれない」
フォボスは、にっこりと笑う。
彼らには、今がある。
「ねえ、その話もっと聞かせてよ!」
メアがフォボスの手を取り、引っ張る。
「宿に着いたらね」
フォボスは応じ、軽やかに身を寄せる。
彼らの日常が、にぎやかに過ぎてゆく。
【続く】
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