##5 ぽんこつペア、追放される

 (あらすじ:無事、カッパー級の依頼にリベンジを果たした『夜明けのケール』一行。だが、彼らの知らぬ合間に、陰謀が張り巡らされていた!)


 テセラ・ティーグリ。粗末な宿。

 朝を知らせる鐘の音が響く。


 下着姿の、体格の良い女性が、ソファからゆっくりと起き上がる。

 その肌は、緑色だ。髪には、数枚の葉が付いている。これは、体の一部。


 彼女の名前は、ピリニャス・ザ=ヴァラニディア。略称は、ピリ。

 種族は樹妖族ドライアド樹木ダシャ。ベースは樫。


 ピリは起き抜けに、室外のトイレへ。

 浴槽併設だ。便座に座るも、用を足しはせず、首元から下げていたネックレスに何かを呟く。

 シルバーの鎖に、着色クォーツ。シンプルなネックレス。

 ピリの言葉から数秒後、今度はネックレスの方から声が聞こえだす。

 つまりは、小型の通信用魔導具なのだ。

 内容はわからない。部外者に聞かれないように、小声でやりとりしている。


 やがて会話が終わると、彼女は深くため息を付き、今度こそ用を足す。

 それもすぐに終わり、洗顔。

 パン、パン、と顔を叩き、目を覚ましてから、また部屋に戻る。


 スキニーなパンツスタイルに着替えた後、ソファに結び付けられていた手綱をほどき、軽く引く。

 リードの先には、首輪が着けられたドワーフの少女。

 鐘が鳴ったというのに、ぐっすりとだらしなく眠っている。


 「朝になった、起きて」

 気だるげに、リードを揺する。

 起きる気はなさそうだ。


 もう一度深くため息を吐きながら、彼女の耳元に近寄る。

 そして、一言。


 「ご飯、アーシが作るね」


 「んのわああああ!?」

 その言葉を聞いた途端、少女は奇声を上げながら飛び起きる。


 寝間着のまま逃げ出そうと扉を開け、部屋から飛び出したところを首輪によって引き戻され、すてんと転ぶ。


 「おはよ、クロヴ」

 ピリはリードを巻き取り、クロヴと呼ばれた少女を立ち上がらせてやる。

 彼女のフルネームは、クロートーヴァ・ティンタナム。略称はクロヴ。

 

 クロヴはボサボサの、ビビッドピンクの髪を振り回しながら、ピリをぽかぽかと叩く。

 「もっと起こし方ってものがあるだろうがよ。朝っぱらから、オメーの作った面白物体を思い出させてくれんなよ……」

 叩きながら、震え上がっている。

 ピリの料理は、味という視点において、既にその領域を超越している。

 嗅げば頭痛を催し、舐めれば頭上に星が見える。

 更におぞましいことに、ぎらぎらと青白く光るのだ。

 

 なお、当時のクロヴは一口だけ、実際に食べた。

 

 吐いた。


 話を戻す。


 「ごめんね、急ぎの仕事が来た。遠出することになる」

 応答しながらクロヴの荷物を漁り、比較的マシな服を取り出す。

 

 下着にスカート、シャツ。烏のように黒いベスト。それと、コート。

 クロヴは嫌な顔ひとつせずに受け取り、手早く着替え始める。


 「遠出って、どこにだよ」

 ワンピースのバックボタンを外し、脱ぎ去る。

 

 「紫宸龍宮。二人連れて行く。詳細は内秘」

 答えながら、宿を立ち退く準備を始める。


 ピリとクロヴが一緒に行動し始めて、三年。


 三年は、魔法商店で素寒貧になっていたクロヴを、ピリが“買い取って”からの時間だ。

 言わば、個人所有の奴隷、というべきだろうか。

 財布は全てピリが管理している。少しでもクロヴに手綱を渡すと、即座に破産へ向けてスプリントを始めるだろう。


 当のクロヴが思うのは、ピリにはとにかく秘密が多い、ということである。

 クロヴは、魔導具の研究を行っている。彼女が破産したのも、魔導具が原因だ。

 ピリは、クロヴに十分なリソースを与えてくれる。

 金銭、素材。それと、時間。

 なぜピリがクロヴにこうもかまってくれるのか、彼女自身には全くわからないのである。


 「うへえ、ガチの海外旅行じゃねぇか。何モンなんだよピリは。そろそろ教えてくれてもいーんじゃねーの?」

 下着を脱ぎ、畳む。

 料理以外の家事は、ピリがやっている。

 衣服の畳み方で小言を言われたことは、数しれない。


 「何度も言ってるけど、ただの社畜よ。少なくとも外にはそれで通してる」

 答えてはくれない。

 いつものやり取りだ。


 「じゃ、別の質問。一緒に連れてく二人について教えろ」

 着替えに袖を通す。

 クロヴの衣服は、首輪を邪魔しないような作りになっている。

 ごく最近まで奴隷商会がのさばっていたくらいだ。需要は、まだある。


 「獣人の子供とエルフ。パトラ家が暗躍してる。ほっとくと追放されて最悪飢え死ぬ。そして、その二人に野垂れ死なれると、場合によっては勤め先が滅ぶ。聞けたのはそれだけ」

 こともなげに話す。

 ピリのことは信頼しているが、それにしたって今回は異様だ。


 「うっわ、きな臭え。荒事になった時はどこまで使って良い?」

 コートを数回叩いて払い、クロヴも立ち退き準備を手伝う。


 「マジック級上位まで。でもなるべくプレフィクスド級以下に抑えて。予算も無限じゃない」

 魔導具の品質のことだ。

 クロヴは、マジック級までであれば自作できる。そのひとつ上の、マスターピース級には現在手が届かない。


 「大盤振る舞いだな。任せろ」

 《ポケット・ディメンジョン》を唱え、まとめたものを片っ端から収納していく。

 ピリも大容量のカバンを持ってはいるが、そこには旅に必要なものを詰め込む予定だ。


 短時間ですっかりきれいになった部屋を眺める。

 私物が残っていないかどうかを念入りに確認し、階下のキッチンへ。


 「余りモンで適当に作るわ。それでいいか?」

 火を起こそうとしたクロヴを、ピリが制止する。


 彼女は《メッセージ》で直接聞こえてくる声の指示を受け、呆れたように額に手を置く。


 「どうやら、今日は朝食抜きみたい。パトラ家が動き出した。ヴァルチャーのリング、ちょうだい」


 ◆◆


 商業区、ケヤキマーケット。


 「なんなんですか、貴方達は!」

 街路の中央に、フォボスとメア。


 群衆は、彼らから大きく距離をおいている。

 その原因は、二人を取り囲むバラクラバの集団にあった。


 彼らは手に手にナイフやボウガン、ハンドアックスなどの危険武器を持ち、ゆっくりと距離を詰めてゆく。


 「へへへ……」

 ならず者たちは粘ついた笑みを浮かべながら、包囲を狭める。


 「メアさん」

 フォボスは目配せし、鉄爪を装備。

 

 彼はやる気だ。

 相手の実力は分からないが、ならず者相手に無抵抗を貫くつもりはなさそうだ。


 「わかった」

 メアも杖を抜く。

 木製の短杖だ。生活魔法用の安価な発動体だが、仕方ない。


 にらみ合う。

 フォボスとメアは互いに背中を預け、いつでも戦える体制を組む。


 一触即発の空気。


 そこに、場違いなトランペットの音が鳴り響く。


 突然の騒音に、ビョク、とフォボスが身を震わせるも、ならず者たちは襲ってこない。


 「総員、敬礼!」

 群衆の中から、通りの良い声が駆け抜ける。

 すると、ならず者たちは武器を収め、フォボスたちと群衆の間に道を作り、敬礼。


 二人は訝しむ。

 道の先から、小綺麗なスーツを着た男エルフとその従者が、規則正しい歩みでやってくる。

 エルフの方は、ほのかに白い輝きを放つ手袋をはめている。従者は、ステッキを携える。


 両脇のならず者たちは、敬礼を崩さぬまま、彼らを見守っている。


 「……どゆこと?」

 フォボスは武器を構えたまま、メアに伺う。


 「わかんない。でも、男の方はパトラ家当主の息子。私たち、なんかやっちゃったかなあ」

 当惑しつつ、メアは男の方に向き直る。

 

 先に口を開いたのは、男の方だ。

 「どうも、フォボスくん。はじめまして。僕はセルジオス・パトラ。四大商会パトラ家の長男だ。怖がらせてすまないね」

 

 彼はかがみ、目線を合わせる。

 油断ならない、交渉人の目だ。


 「あ、はじめまして」

 雰囲気に飲まれそうになりながら、どうにか対応する。


 ミントの、爽やかな匂いがした。

 

 握手を要求するセルジオスを、メアが咎める。

 

 「ただの挨拶にしては、戦力を集め過ぎじゃないかな?」

 然り。

 現四大商会であるパトラ家の、次期当主候補が出てきたとなると、周囲のならず者の意味合いも変わる。

 一時的な雇われにしろ、そうでないにしろ。私兵であることはほぼ確定。

 であれば、一人一人がただのチンピラではあるまい。


 「それに、その手袋。魔力を感じる。私の予想だけど、多分魅了のエンチャント品だよね?」

 メアの指摘を受け、セルジオスは大げさにリアクション。


 図星か。


 「ふむ、そう上手くは行きませんか。基礎の出来る術者がそばに居たとは。どうです? ウチで働きませんか? 事業拡大に伴い、常に人手不足でしてね」

 即座に勧誘を掛けるが。


 「結構。仕事は間に合ってる」

 きっぱりと、断る。


 「ふうー、む。我が商会にはまだまだ魅力が足りませんか」

 張り付いたような笑みで、言葉をかわす。


 ピリピリとした空気の中。


 「おにいさん、ぼくたちになんのよう?」

 フォボスが横槍を入れる。

 メアの様子から、警戒は解かずに対応する。

 

 「おっと、そうでした」

 セルジオスは、冷めた目つきの従者から、一枚の巻物を受け取る。

 くるりと広げ、フォボスに見せる。


 「なんかむずかしいことが書いてある」

 フォボスにはまだ内容が読めないようなので、メアに投げる。

 彼女は、魔力が込められていないことを確認し、読み上げた。


 「えーと、なになに?」

 読み進めるにつれ、メアの顔が青ざめる。

 フォボスを一回見て、もう一度巻物に目をやる。


 「メアさん? なにがかいてたの?」

 彼の問いかけに対し、答えたのはセルジオス。


 「要は、パトラ家は、フォボスくんたちをこの国から追放する必要がある、ということです」


 「えっ?」

 聞き返す。

 唐突な話だ。理解が追いつかない。


 「パトラ家は、ピルゴス家を吸収することで今の地位にのし上がりました。それは、既に我が商会が公開している情報です」


 一呼吸。


 「それがどういうわけか、ピルゴス家が消滅する今際の際に、当時の当主がフォボスくんへの復讐を命じたわけです。何故そういう判断をなさったのかは、かの家の資料が消滅しているため、我々には判断ができません。正直、愚かだと思います」


 率直だ。歯に衣着せぬ、という具合か。


 「ですが、その復讐には、《クエスト》による強制力が伴っています。ピルゴス家の、全盛期に在籍していた魔術師が作ったスクロールの効果です。それが、パトラ家全体に効果を及ぼしました。白金プラチナ級の術師であれば術を無効化出来るでしょうが、我々全員の術を解くのは手間だ。コストも掛かる」


 滔々とうとうと説明する。


 「でも、だからってフォーくんを追放して良いわけないでしょ」

 

 メアは正論を言い放つ。


 「なので、我々はフォボスくんを魅了の後に誘拐し、有無を言わさず当商会保有のテレポーターでシュヴェルトハーゲン国境に転送する手はずで動いていました。貴女が止めた以上、別のプランを練る必要が出ましたがね」


 その言葉とともに、ならず者たちが、一歩だけ包囲を狭める。


 「力づく、ってこと? 言っとくけど、フォーくんは弱くないよ?」

 メアは杖に魔力を込める。

 フォボスもハッとし、鉄爪にエンチャント呪文を唱える。

 

 「フォボスくんはともかく、貴女まで怪我をする必要はないでしょう」

 セルジオスは肩をすくめ、一歩下がる。


 敵は、十名。

 情報から察するに、この戦いには勝てない。


 だが、フォボスとメアの心地よい時間を、ただで奪わせる気も、さらさら無かった。


 必死の抵抗が始まろうとする、その時。


 「もぎゃあーっ!?」


 セルジオスが、情けない声を上げて崩れ落ちる。


 崩れ落ちるというよりは、むしろ。

 フォボスは、彼が地面に“引き倒される”瞬間を見ていた。

 

 上空から、ブリキのハゲタカに掴まっていた二人の女性が降りてきて、着地の際にセルジオスを見事に踏みつけたのだ。


 「若ーっ!?」

 降りてきた女性のうち体格の良い方が、駆け寄る従者のみぞおちに肘を入れ、ひるませる。

 

 「ルゥ! 合わせて! 《ライオン・ドレッド》!」

 「《マス・フィアー》!」

 フォボスは隙を突き、周囲のならず者たちに恐怖の術を唱える。

 

 効果はてきめんだ。

 彼らは腰を抜かし、武器を手放す。

 包囲を放棄し、その場から逃げ出すものまで現れる始末だ。

 従者も影響を受けていた。立ちすくみビリビリと震える四肢で、痛みも忘れ、何も出来ずにいる。


 戦闘において敵から集中を逸らした瞬間は、脆弱ということだ。


 「へえ、思ったよりやるじゃん。おいピリ! こいつらがフォボスとメアで合ってるか?」

 セルジオスをうつぶせに押し倒し、魔法のロープで拘束しながら、クロヴがぞんざいに問う。


 「獣人とエルフのペア。近くにはパトラ家の使い。確定ね。よくやったわ、クロヴ」

 ピリの方は早々にセルジオスから降りている。

 クロヴの頭を撫で、フォボス一行に向き直る。


 「おねえさんたちはだれ?」

 緊張しつつ、無邪気に話しかける。

 少なくともパトラ家の増援ではなさそうだ、とは分かる。


 「アーシはピリニャス。こいつはクロヴ。そっちの事情は聞いてる。だから、要件を先に言う」

 ピリはならず者たちを目線で威圧し、告げる。


 「紫宸龍宮に、フォボスくんを探している者が居る。アーシについてくる気はない?」


 「ししんりゅうぐう?」

 問い返す。フォボスは、まだ国外に関する知識がない。


 「紫宸龍宮って、海の向こうの国じゃない。だいぶ遠いよね?」

 メアが補足する。


 「ええ。鬼人族オルクスを重用する、武の国ね。冒険者ランクで言うと、シルバー級でようやく一人前とされるほどに基準が高い。だけどどういうわけか、確かに君は名指しで呼ばれている。奇妙なことだろうけど、事実」


 不安げに、メアはフォボスの顔を覗き込む。


 目の前の存在を信用して良いものかどうか?

 仮に信用したとして、その旅路はフォボスにとって過酷に過ぎないか?


 でも、フォボスの目を見る限り。

 そういった感情は、全て杞憂だと分かった。


 彼は、至極楽しそうな顔をしていた。


 「行く!」

 尻尾をパタパタと振り、そう宣言する。

 メアは「ひょえー」と驚いた。

 フォボスが行くなら、彼女も同行することになる。


 「おう! 勢いの良いヤツは好きだぜ!」

 とクロヴ。


 「待って、待ってくださいよ、ねえ。パトラ家の邪魔をするのですか、あなた方は」

 組み敷かれながら、セルゲオスが抗議。


 「何を勘違いしているのかは知らないけれど」

 ピリは振り返ってかがみ、セルゲオスに対応する。


 「フォボスくんが国外に行けば、それでパトラ家の《クエスト》も解けるんじゃない? 解除の条件は?」

 ぶっきらぼうに言い捨てた。

 

 「む……」

 言われてみれば、確かに。

 《クエスト》の制約は、厳密には、フォボスのミトラ=ゲ=テーアからの永久追放を意味してはいない。

 感覚では、概ね半年ほど国外に追い出せば、それで解決するはずである。

 ピリの言う通りにすれば、パトラ家は法的にピルゴス家の遺産を好きにできるようになる。


 彼は、一枚噛むことにした。


 「ふふふ、良いでしょう。貴方がたの言葉には、一理ある。交渉しませんか」


 その上で、利益を追求すべきだ、と考えた。


 「交渉? 小さな女の子、それもたった一人に組み敷かれているのにか?」

 クロヴが煽るも、無視。


 「確か、行き先は紫宸龍宮でしたよね。当商会は儀式テレポーターを所有しています。御存知の通り、転移は燃費がすこぶる悪い。コストは概ね距離の自乗に比例だ。ですが、我々は元々彼をシュヴェルトハーゲン国境まで飛ばすつもりだった」

 必死で語る。

 とにかく商談に持ち込まねば、彼に勝機はない。


 ピリは、黙って続きを促す。


 「貴方がたがどの組織に所属するのかは知りませんが、そちらが提供するリソース次第では、もっと遠くまで飛ばせます。直通でも良いですし、船旅がお好みならソルモンテーユまで送れる。つまり、旅を楽にできる」


 いかがですか、と締める。


 場は、シンと静まり返る。

 春風の吹く中、額に汗がにじむ。


 やがて、ピリが口を開く。


 「うん、悪くない。アーシはソロじゃない。だから、報復を考えれば、そちらが裏切るメリットは薄い。パトラ家の家訓は、『テーブルに着かせよ。商機は信用がもたらす』だったよね」

 苦もなく暗唱する。

 彼女はこういったシチュエーションに、慣れている。


 「アーシの見解は今言った通り。パトラ家はコネを重視する。こいつの話に乗るなら、途中は楽できる。コストはアーシのボスが払う。乗らないなら港までは陸路。フォボスくん、どうしたい?」

 あくまでも、決断はフォボスに任せるようだ。

 

 「テレポーター乗りたい!」

 フォボスは幼い欲望のまま、そう返す。


 交渉は、成立した。


 「では、決まりですね」

 いつの間にか拘束を解かれたセルゲオスが立ち上がり、服の埃を払う。


 「ひゃー、大変なことになっちゃったなあ」

 メアは《レッサー・ヒール》を唱え、彼の擦り傷を治してやる。


 「どうもありがとう。セッティングはどうします?」

 地面に落ちた手袋を従者に渡し、今度は素手で握手を求める。


 フォボスは、今度こそ応じた。


 「調整会議をやるなら今日でも構わないわ。ボスに使いを送らせる。フォボスくんとメアちゃんも出てくれると助かる」

 その様子をピリは認めつつ、腰の抜けた私兵を助け起こす。


 「天から降ってきたような話だけどよ、まあ安心しろや。俺様とピリが責任持って送り届けるからよ」

 フォボスの背中をバシバシと叩き、クロヴは活を入れる。


 「ところで、気になってたんだけどさ」

 ここで、ルゥが口を挟む。


 「あんだよ?」

 フォボスの目は、クロヴの首輪を見ている。

 そこからリード、ピリの手の順に視点を動かす。


 「ピリニャスさんとクロヴちゃんの関係性、差し支えなければだけど、教えてほしいなって」

 「あっ、それ私も聞きたいな」

 メアが乗る。彼女は耳年増であった。


 「ああ、これ《首輪》のことか?」

 リードを揺すると、ピリが顔を向ける。


 「俺様とピリがどういう関係なのか聞きたいってよ。『いっせーの』で言おうぜ」

 「そうね。そうしましょう」


 ピリは髪をかきあげ、クロヴの言葉を待つ。


 「いっせーの」


 タイミングを揃えて、言葉にする。


 「相棒ね」

 「ペットだろ」


 二人は目を合わせ、『信じられない』とでも言うような表情で、互いをじっと見た。


 沈黙が。

 それも先程とは違い、気まずい沈黙が、そよ風のように抜けてゆく。


 当事者は言うまでもなく、フォボス、ルゥ、メアも、セルゲオスと従者も、まだ残っていたパトラ家の私兵すらも、一言も口を出せなかった。


 沈黙を破ったのは、ぐぅ、という腹の音。


 「あっ、いっけねえ。まだ朝飯食ってねんだわ。おいピリ。今から戻んのもアレだし店でなんか胃に入れようぜ」

 クロヴはリードを上下方向に細かく動かし、波を作って要求する。

 

 「じゃあ私たちが奢るよ。これからお世話になることだしね」

 メアは手早く復帰。外見はともかく、実年齢は長命なピリとも似たようなものである。


 「良いね。腹割って話そうや。パトラ家もメシ食う時間くらいはくれるよな?」

 セルゲオスが辛うじて頷いたことを確認し、ピリとフォボスを急かす。

 

 そういうわけで、ピリニャスとクロートーヴァが、『夜明けのケール』に加入することになった。


 ◆◆


 一行は大衆食堂で食事を取り、その足で会談に臨む。


 フォボスとメアは、ピリニャスが指定した喫茶店に案内される。

 暫く紅茶を飲んでいると、両陣営の代理人が到着。


 二人に対する口調は和やかであったものの、代理人は明らかにキリングオーラを放っており、フォボスは失禁の我慢に必死だったそうな。


 議論の争点は、パトラ家にどれだけの物資を送ることが出来るか、というもの。

 一滴でも多く掠め取りたいパトラ家と、なるべくなら程々で済ませたいピリニャス陣営で火花が散っていた。


 「フォボスくん、紫宸龍宮まで直通が良いですよね?」

 「フォボスくん、船旅の経験を積む気はないか?」

 「直通ならそちらも楽ができるのでは?」

 「ピリニャス陣営こちらには期日の制限がない。そちらにはある」

 「多少ならおまけしても構いませんが?」

 「ロークレールと紫陽花港では距離が倍近くある。コストは四倍だ。多少でどうにかなるものではないだろう。それとも、追加分の費用を全て出してくれるのか?」

 「おふねのりたいかも」

 「……(交渉の軸を折られた……!)」


 こんな感じで、侃々諤々。

 

 最終的には、《クエスト》の制約で交渉を打ち切れないパトラ家が折れる形で、ソルモンテーユ皇国の皇都ロークレールまで転送することと相成った。


 三日後。


 挨拶回りと荷物整理を終わらせた一行は、パトラ家の屋敷に招待されていた。


 以前、フォボスたちが監禁された屋敷でもある。


 「なんというか、因果だよね」

 玄関の前で、ルゥが呟く。


 「ルゥは寝てたじゃん」

 フォボスがツッコミを入れ、呼び鈴を鳴らす。


 返事は、すぐに返ってくる。

 「『夜明けのケール』様ですね? 使用人を送ります。その者が案内いたしますので、暫くお待ち下さい」

 「はーい」


 フォボスの鋭敏な聴覚は、にわかにドタドタと屋敷内が慌ただしくなったのを感じ取る。


 「んんー?」

 訝しむ。

 

 転送の準備ができていないわけでもあるまい。であれば、屋敷の内側で突然何かが起こったか。


 答えは、目の前の扉が蹴り開けられたことで明らかになる。


 「《ウィンド・ステップ》」

 扉での不意打ちは、ルゥの呪文によって軽やかに回避される。


 続く拳の一撃は、割って入ったピリニャスに手のひらで受け止められる。

 

 そのままグッと握り込まれてしまい。


 「い゛だい゛い゛だい゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 やかましい悲鳴を上げる。


 攻撃者は、緑肌の少女メイドだった。


 「ん? お前は……」

 暴れる少女の顔を見て、クロヴがなにかに気づく。


 「はな゛じでよ゛ぉ! てめえふぉぼす゛う゛う゛う゛!」

 遅れて屋敷内からやってきた数人のメイドが、半狂乱となった少女を取り押さえ、連れ帰っていった。


 ため息をつきながら、今度はセルゲオスが直々に現れる。


 「お客様、この度は大変失礼いたしました」

 頭を下げる。

 今回の事態は、彼としても想定していなかったように見受けられる。

 

 「あれ、ピルゴス家の元会長だよな。手元で飼ってたのか?」

 飼う、という表現にピリが眉をしかめた。


 「ええ、見ての通り、使用人として雇用していますね。期待の新人ですよ」

 一行を地下室に案内しながら、臆せず答える。

 『新人』を強調した言葉であった。


 「めっちゃフォボスのこと睨んでたけど、話聞く限り逆恨みだろアレ。どーしてああなったんだよ」

 地下へ行く途中で、数人の会員とすれ違う。

 今回ほどの長距離テレポートは、相当に久しぶりらしい。

 皆が、活気を醸し出していた。


 「彼女の狂気については、天運の巡り合わせとしか……。我々が出会ったときには既にあんな感じでした。斜陽というのは、恐ろしいものですね」

 彼女は商会が傾いてゆくストレスで狂った、という推測であった。

 

 「まあ、安心してください。今の彼女に、権力はない。唯一我々を拘束する《クエスト》も、貴方がたを無事に飛ばせば効果を失う。それに、今回パトラ家がヘマをすれば、それで顔に泥を塗られる組織は多い」

 ピリの方に目をやる。

 セルゲオスは、相変わらず油断ならない目をしていた。


 一行は地下のテレポータールームにたどり着く。

 一辺十メートルほどの巨大な立方体状の空間、というべきだろうか。

 ミトラ=ゲ=テーアには珍しく、石で造られた部屋だ。

 中央には直径五メートルほどの魔法陣が描かれている。その魔法陣は煌々と白く輝き、今すぐにでも術を発動できそうである。

 その外側には、魔法陣に魔力を注ぎ込む術師や、テレポート先との通信を行うオペレータ、一行を案内する作業員など、多種多様なスタッフが詰めていた。


 「じゃあ、信頼させてもらおっかな」

 一足先に、メアが乗り込む。

 その手に引かれるように、フォボスが。

 ピリニャス、クロートーヴァと続き、四人が揃う。


 鹿頭の主任技術者が、魔法陣の向こう側から語りかけてくる。

 「では、説明しますね! これから、我々は転送術式を起動します。一瞬だけ、転送先が見えると思いますので、合っていたら抵抗しないでください! そうすれば無事に飛べますので! くれぐれも抵抗しないように! 転送事故はホント怖いですから! みんな一緒のところに飛ばしますから! 抵抗だけは絶対しないでください!」

 「わかった!」

 この世界では、魔法への抵抗は生命レベルで備わった能力であることを、ご了承されたし。


 「ロークレール郊外、トレオ=マロニエ拠点より通信! 転移許可降りました!」

 「了解! 魔力の様子も素直だぜ! 術師班オールグリーン! 主任! 合図頼む!」

 転送準備が着々と完了してゆく。


 主任はセルゲオスを横目で見て、頷いたことを確認。


 「転送開始!」

 その言葉を合図とし、魔法陣から放たれていた光が部屋を満たす。

 

 眩い輝きの中、フォボスは眼下に広がる大量の水を幻視する。


 彼は、海を見たことがない。

 であれば、あれが海だろうか。


 魔力の流れに、身を委ねる。

 視界が真っ白になり、方向感覚が歪む。


 一瞬だけ、グンと体が強く引かれる感覚を覚える。


 途端にあたりの匂いが、音が、変わる。

 

 潮の匂い。

 チョルル、チョルルと海鳥が鳴く。


 その情景は、あまりにも初めてで。


 暫くこうしていたかった。

 たゆたう意識の中、誰かがフォボスの手を掴む。


 「フォーくん、いつまで目を閉じてるの?」

 メアの言葉で、ようやく気づく。


 言葉に従い、目を開ける。

 

 波打ち際のしぶきを、彼方で跳ねるイルカを。

 視界に入ってきたもの全てを、記憶に焼き付ける。


 そして、自覚する。


 フォボスは今、異国ソルモンテーユに足を踏み入れたことを。


 【続く】

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