##4 魔物、初心者を辱める

 (あらすじ:冒険者としてパーティを組んだフォボスとメア。カッパーランクの依頼を受けるために、ルゥから『安全な負け方を覚えろ』という条件を提示され……?)


 冒険者ギルド、テセラ・ティーグリ支部。


 意外なことに、冒険者の神として第一に名が挙がるのは、雷雨神アナンコクマーである。象徴は雲や雨ないし雷。遣いは二枚貝だ。

 世界を理解する前段階、知恵の領域を権能として持つ彼。

 モンスターの対処や危機への立ち向かい方など、新しいものを探しに行くという冒険者のあり方は、まさに担当領域なのだ。


 話を戻そう。


 三階建ての堅固な建物は、つい最近、五年前に建て直されたという。

 雨雲の装飾を施された正門をくぐれば、喧騒が君を出迎えるだろう。

 一階が受付兼冒険者の溜まり場。冒険者たちの強い希望もあって、酒場も併設されている。喧騒の主はここだ。常にやかましい。

 二階は、各種会議のために複数の部屋が用意されている。応接室もここに含まれる。

 そして三階は、主に事務スペースとマジックアイテムの保管室。こぢんまりとした支部長室もある。


 フォボス一行は、一階の受付に居た。

 「とゆーことで、この子たちをカッパー級冒険者にランクアップさせてほしい」

 わざわざフォボスを《レビテイト》で浮遊させ、腕組みをしながら言い放ったのは、ルゥだ。

 対外的には悪霊で通している。ルゥの分の報酬は得られない決まりとなったが、特に問題はないと了承済みだ。


 「おっ、ようやくその気になったか!」

 「アイアン級冒険者卒業おめー」

 「早くシルバー級まで上がってこいよ!」


 話を耳にし、隣の酒場から、即座に野次が飛ぶ。

 全員歓迎ムードである。

 実力的にも、確かにカッパー相当だ。

 受付は大きく頷くと、早業で昇格のための書類を作り、三階へダッシュ。

 二つの貝殻を抱え、瞬く間に戻ってきて、一行に告げる。

 「はい、昇格の承認が降りました! 今からカッパー級の貝殻ツェデフタグにお名前を刻みますので、アイアンのものをお返しいただきますね!」

 「はーい」

 「どうぞ」

 隣のメアも同様に、鉄で装飾されたタグを首から外し、受付に渡す。


 タグの装飾素材は、冒険者の等級クラスで大まかに定められており、等級名と連動している。


 最初に貰えるものは、木札。俗称はウッディ級。タグは貝殻ですらない。木材に名前と受付番号、および担当支部のスタンプが押されただけの、言ってしまえば粗末なカードだ。

 このクラスの冒険者は、正式に認められるまでの試用期間のようなものである。大体は軽く実績を積んで、さっさとアイアン級に上がってしまう。


 試験的なクエストか研修を終えると、アイアン級になる。正式に冒険者を名乗れるのはここからではあるが、まだまだ下積み。便宜上、Eランクとも呼ばれる。

 基本的に、都市近郊の安全な依頼のみが受注可能だ。


 その次がカッパー級。Dランクとも呼ばれる。ここまで来ると一人前の冒険者と言える。特殊な才覚がある場合、強い適性がある属性などの特記事項が彫られることもある。


 そこから先は、シルバー級、ゴールド級、白金プラチナ級と続く。別の表現だと、CからAまで。

 それ以上もあるにはあるが、そこまで来ると各国で最強クラスの者にしか与えられない。宝石ジュエル級と呼ばれる彼らは、装飾の素材も一人一人違う。

 一例としては、黒の神子にはマナタイト。デフィデリヴェッタの聖騎士団長には金剛石装飾のタグが与えられている。

 もっとも、黒の神子はともかく、かの聖騎士団長が冒険者の仕事をすることは、恐らくないだろう。


 「お名前のつづりは、こちらでお間違いないですか?」

 受付は、紙の切れ端に二人の名前を書いて手渡す。

 「……あってます!」

 フォボスが答える。

 四ヶ月間、彼は依頼の合間にメアから勉強を教わっていた。

 自分の名前と、後は簡単な単語であれば、問題なく読み取れるようになったのだ。


 念のためメアの方でも確認する。

 「うん、合ってます。フォーくんは賢いね」

 頭をポンポンと撫で、褒める。

 「えへへ」

 しっぽをぶんぶんと振り、なすがままだ。


 受付は、コホンと咳払いし。

 「では、十分ほどお待ち下さい。その間に、依頼ボードを見ておくと良いでしょうね」

 と言い、作業に取り掛かってしまった。


 依頼ボードは、酒場の壁に吊り下げられている。

 大きなコルク板に、木の額縁だ。

 依頼を受けるときは、ピン止めされている依頼書をちぎって受付に持っていく。事前に評価された難易度ごとに対応クラスのスタンプが押されているので、間違えることはほぼない。


 「んー」

 ルゥが依頼書を眺める。

 カッパー級依頼の魔物は死人こそ出づらいものの、人を襲う魔物が中心だ。死人が出づらいとは言うものの、運と立ち回りが悪ければ当然死ぬ。

 魔物の一例を挙げると、ポーションスロワー、バーニングゾンビ、アーマーイーターなどである。

 これらについては、フォボスたちにとって比較的相性が良い。だから、除外。

 

 「これとかどう?」

 フォボスの手を使い、指差す。

 「なになに? 『街道付近に発生したフローティングハンドの巣、殲滅。旅程は徒歩半日。報酬二千百シェル』……?」

 メアが読み上げる。

 アイアン級の報酬は、近場で千シェル前後が相場である。

 確かに、割は良くなっている。


 「でも、これを失敗しなきゃいけないんだよね」

 おずおずと、メア。

 これまでの依頼には幸運にも全て成功してきたがゆえに、不安が勝るようだ。


 「うん。フローティングハンドは、今のボクたちととても相性が悪い。そして、この相手なら負けても死にはしない。そーゆーわけで、安心して負けられると思うよ」

 負ける前提である。


 「そんなに相性悪いの?」

 フォボスが素直な疑問を投げかける。


 「戦えば分かるよ。だよね? みんな!」

 ルゥは、唐突に酒場に向けて話題を振る。

 

 愛すべき酒飲みぼうけんしゃどもは、一瞬だけ静まり返ると。


 「確か、フォボスくんの武器はソード両手持ちだったろ? カッパーの技量だと無理だな。ゴールド級下位くらいあれば上手くいくだろうがなあ。俺なら武器を変えるか、魔法に頼るな」

 ドワーフの屈強な重戦士が、沈黙を破る。

 彼はシルバー級だ。いい意味で、現実を見ている。


 この意見に周囲は頷き、魔術師の意見も集める。

 「メアちゃんの攻撃魔法も《ウォーター・ショット》よね。確かに、フローティングハンドに射出系の魔法はイマイチなのよね」

 これは、ダークエルフの魔法軽戦士による意見である。

 彼女はカッパー級だが、近々昇格が見えている有望株だ。


 「なんとなく見えてきたかも。多分、めっちゃ小さくてすばしっこいんだ」

 メアがそうまとめると、ノリの良い冒険者たちは、一斉に「そう!」と合いの手。


 「ま、わかってたらやること単純だわな。負け方を覚えに行くんだろ? だったらむしろ装備はそのままでいい。相性の大切さをその身に刻んできな」

 ドワーフがそう言ったあたりで、受付から声がかかる。


 「お、タグが出来たみたい。じゃ、行こっか!」

 

 なお、ここまでの話で。


 “負けたらどうなるか”を誰も説明していないあたりが、皆がとっくに失敗慣れしている証拠であることは付記しておく。


 ◆◆

 

 フォボス一行は翌日朝に出発し、今は昼。

 アルケー街道から離れ、五分ほど歩いた場所に、その巣はあった。


 ぱっと見、平凡な洞窟だ。

 丘をくり抜く形で形成されている。広さはそれほどでもなさそうだが、外から全容が見通せるわけでもない。


 「見張りとかは居ないかな」

 フォボスが目を凝らし、物陰から観察する。

 

 いくら敗北が前提と言えど、多少の戦果はあげたいようであった。

 

 「今回は、マズいと思ったら逃げることを優先してね」

 ルゥは念を押す。

 撤退タイミングの誤りは、文字通り致命的だからだ。


 「うん。私も気をつける」

 メアも同調する。


 「陣形は、いつもどおりぼくが前に出るね」

 二人は顔を見合わせうなずくと、忍び足で洞窟前に。

 

 「メアさん、明かりちょうだい」

 フォボスが左手をメアの前に掲げ、促す。

 「我らに光を、照らしの術を! 《ライト》!」

 彼の手袋に触れ、光源を作成する。


 「行こう」

 正面から乗り込むと、早くも闇の中からターゲットが現れる。


 その魔物は、まさに浮遊する人間の手。

 正確には、それを模したアンデッドである。

 性質としては、ゾンビやスケルトンよりもゴーストに近い。触れた相手の生気を吸い取り、それを糧として増殖するのだ。


 「いきなりだっ!」

 フォボスの胸を狙って飛びかかるフローティングハンドに対し、剣を抜かずに右手で迎え撃つ。

 「PY!?」

 哀れな犠牲者一号は、殴り飛ばされ儚くも消滅する。 

 とっさの判断だ。視界が狭く、武器を振り回すだけでもリスクがある中で、長剣は抜いていられない。


 「び、びっくりしたぁ」

 はっきり言って、魔物としては弱いが、対応の猶予も短いことがわかる。

 高鳴る心臓を抑えながら、歩みを進める。

 

 「また来るよ!」

 後方からメアが注意。


 今度は四体だ。

 指をわきわきと動かしながら、本能で生者ににじり寄る。


 「結構、多いよ!?」

 フォボスは手近なハンドを殴り倒し、メアに向かう二体目を掴んで壁に叩きつける。


 「ごめん! そっち行った!」

 遅れてやってきた三体目を踏み潰しつつ、討ち漏らしの方を見る。


 メアの方も、何もしないわけではない。


 「えいっ!」

 念のためにと持ってきた金属製の短杖で、飛んでくるハンドを突き刺す。


 「PYY……」

 突き刺されたハンドは、純粋なマナへとその身を変じ、虚しく消え失せた。

 

 「やるぅ!」

 フォボスの方から褒める。

 「えへへへ……」

 メアは表情を綻ばせる。

 シンプルに、嬉しいようだ。


 そうこうしつつ、奥に進む。


 少しずつ進むにつれ、あることがわかってくる。


 フォボスが同時に処理できるのは、三体まで。

 それ以上は、メアが処理することになる。


 幸運か、あるいは不幸か。

 安定した処理方法を見つけてしまった彼らは、少しずつ進む方針に切り替えた。


 「これ、もしかしたら行けるんじゃない?」

 断続的にやってくるハンドを処理しながら、フォボス。


 メアとフォボスで合わせると、既に二十五体は倒している。

 一般的な魔物であれば、それなりの群れと言える数だ。


 だが、フローティングハンドは、見ての通り小型である。

 恐らく、もっと居るだろう。


 油断は、危険を誘う。


 「ひゃあ!? なんで!?」

 不意に、メアの方から悲鳴が上がる。


 「メアさん!?」

 振り返ると、一体のハンドが、ローブの腕部分に取り付いている。


 「この、このっ!」

 メアは腕をぶんぶんと振り回す。

 ハンドは、振り落とされないようにしがみついている。


 「離れ、ろっ!」

 フォボスはメアの方にステップし、動揺しつつもどうにかハンドを引き剥がし。


 「めっ!」

 壁にぶつけ、消滅させる。


 「あ、ありがと!」

 唐突な奇襲だった。衣服の乱れを直し、どうにか息を整える。


 メアの肩越しに後方を見るフォボス。

 

 首を傾げる。

 一本道。正面、後方ともに、魔物は見当たらない。

 

 「おっかしーなー。正面から来たのは全部倒したはずなんだけど」

 その台詞を聞き、メアの表情がひきつる。


 「じゃあ、さ。挟み撃ちされてるのかな」

 ルゥが代弁する。

 

 となると。

 

 これは、まずい状況なのでは?


 「あれ、もしかして」


 ぼとっ。


 答えを示すように、フォボスの肩へ、一匹のハンドが落ちてくる。


 「げっ!?」

 ハンドを握り潰して消滅させ、メアと顔を見合わせる。


 恐らく、天井に群れが居る。


 上を、見たくない。


 「ね、フォーくん。『せーの』で、入り口に向けてダッシュしよう」

 メアの提案に対し、こくこくと頷く。


 これは、分が悪い。

 一旦、予定通り撤退するべきだろう。


 「よし、行くよ。せー、のっ!」


 遁走を始める二人の足首に、何かが引っかかる。


 「ぎゃーっ!」

 「きゃああっ!」

 

 二人は盛大に転ぶ。

 見ると、物陰に潜んでいた複数のハンドが互いを掴み、縄のような形態となっていた。


 「寄るな! よるなぁっ!」

 慌てる二人に、ハンドの群れが次々と飛びかかっていく。


 メアの杖、フォボスの手袋は器用に引き剥がされ、地面に落ちる。


 「やあっ!? 入り込まないでえっ!」

 フローティングハンドの生気吸収は、当然服の上からよりも素肌を好む。

 

 獲物にくっついたハンドどもは、二人の服に潜り込み、汗ばんだ肌から思い思いに《ドレイン・タッチ》を行使している。


 「お゛っ、あ゛あ゛っ!?」

 苦痛こそないが、強い虚脱感が襲いかかる。

 

 しょわあああ……。


 「あっ、あっ、あっ!」

 メアと向かい合うように転がされたフォボスは、初めての敗北を目前に感じ取り、失禁。


 彼女はドレインされつつも赤面し、その様子から目が離せない。

 「やめてっ、見ないでえっ!」

 隠そうにも、既に多くのハンドによって拘束されているため、抵抗のしようがない。

 

 ところで、生命からこぼれる液体にも、微量の生気が込められている。


 すかさず、複数のハンドが潜り込み。

 

 すするように、ドレイン。

 

 「のんでるっ!? 魔物がぼくのおしっこのんでるっ!?」

 黄金の雫は、地に落ちることはない。


 放出が止まっても、ハンドは暫くパンツの下で蠢いていた。


 やがて、フォボスの羞恥の証は全てハンドによって吸収される。

 

 「う……」

 「ぐぅ……」

 十分ほどかけ。

 肌から摂取できる生気も吸い付くされ、二人はぐったりとうなだれる。

 

 二人を拘束したハンドたちは、彼らを洞窟の入り口に運び。


 「うぎゅっ」

 「おあ゛っ」

 装備とともに乱暴に外へ投げ出し、一斉に中指を立てて洞窟の中に戻ってしまう。


 考えうる限り、最悪の負け方であった。


 無言で、倒れたままの二人。

 打ちひしがれていると、洞窟の外を走っていた巨大リスが彼らを見咎め、ちょんちょんと体に触れる。

 呼吸はあるが、微動だにしない。

 

 巨大リスは二度ほど首を傾げ、興味を失ってどこかに行ってしまう。


 三十分ほど経って、ようやく寝返りを打てるようになった。

 「ゔぉあ……」

 「うえ……」


 ハンドによる影響は、虚脱感だけではない。

 生気を奪われた肌はがさがさになり、頬も若干痩ける程度には、健康に悪影響がある。


 上位種になると獲物を持ち帰り、健康管理を行いつつ継続的に生気を吸収する知恵を持つ程度には、フローティングハンドは厄介な存在であった。


 二時間ほどだめになっていると、流石に回復の兆しが見え始める。


 「《ポケット・ディメンジョン》」

 二人は近くの立ち木に這いずり、それを支えに、どうにか体を起こす。

 殆ど残っていない魔力を元手に、ルゥが水袋と食料を引っ張り出し、二人に与える。


 魔力も体力も限界まで吸われたのだ。

 当然、腹が減る。


 それはもう、ガツガツと食べた。

 普段の倍くらい。胃袋が満たされるまで。


 「《マス・レビテイト》」

 あたりが暗くなる前に、街道まで移動する。

 フローティングハンドは本来内向的で、基本的には湿った洞窟でコケなどから生気を吸って暮らす魔物だ。

 とはいえ、夜は別の危険がある。

 先程二人に近寄ったものが巨大リスだったから良かったものの、熊などであれば、まずかった。


 野営の準備を行い、近場で食料を確保したあと、フォボスはようやく口を開く。


 「『見ないで』って言ったのに」

 フォボスは目をそらし、ぼそりと。

 「……ごめん」

 メアの方も、彼を直視できない。


 衣服を破られたわけではないが、その下で行われていた行為については、見えなかったがゆえに、互いの想像を掻き立ててしまう。


 もちろん、致命的な傷を負っているわけではない。それでも、この敗北は心に残るものとなったようだ。


 「あー、お二人とも。気まずいところ申し訳ないんだけど」

 ルゥが取り持つ。


 二人に聞いたのは、これからどうしたいか、だ。


 フォボスは、食い気味に。

 「あのハンドを、ぶん殴らないと気がすまない」

 と、言い放つ。

 「私も、同意見かな。やられっぱなしなの、悔しいし。でも」

 メアは少しためらい、言いづらそうに。


 「でも、私の力じゃ無理かも」

 弱音を吐く。


 初めての敗北だ。当然、無力感もつきまとう。


 「ふーん、なるほどねえ」

 ルゥは値踏みするように、メアを見る。

 体を操られているフォボスからすれば、目を逸らしたいのに無理やり見せつけられているわけだが、それはともかく。


 「力をつける手段、なくはないよ。上手くいく保証はないけど」

 

 ニヤリ、と笑みを浮かべる。

 悪霊らしい、湿った笑みだ。


 「教えて、ほしい」

 メアは懇願する。

 

 力が、ほしい。

 フォボスとともに戦えるだけの、力が。


 「ねえ、メア。キミ、チョロいって言われない?」

 小言を言いつつも、悪霊は承諾する。


 そして、その手段を、メアに耳打ちする。


 「~~~~!?」

 途端に顔を真っ赤に染める。

 「えっ!?」

 フォボスもだ。


 「ルゥさん、本気!?」

 声を荒げる。


 「うん。やりたくないならやんなくていいよ」

 と、ルゥはいつもの口調だ。

 

 「フォーくんはどうなの? その、イヤじゃない?」

 フォボスに問う。


 「べつに、いいけど」

 若干、声が上ずっている。


 「――……」

 メアは言葉を失う。


 なぜか、心臓が期待に高鳴る。

 

 ルゥに言い渡された手段。


 それは、フォボスとのキスである。


 「たちばを悪用してないよね?」

 念のためフォボスが確認するが、ルゥは「これが最短経路」と言い張る。


 「オーケー出たんだし、ライトキスでいいから早くやりなよ」

 他人の気持ちなどいざしらず、ルゥは急かす。

 

 (なんでルゥはこんなに冷静なの)

 自身の鼓動を意識しつつ、メアは膝立ちに。


 「ん」

 両手を広げ、フォボスを待つ。

 自分からは、恥ずかしくて到底無理だ。


 「えと、その」

 フォボスは慌てつつも、意図を汲み取る。


 彼は、いざなわれるように、胸の中に。

 

 互いの息が、体温が、徐々に伝わってくる。

 

 「っ……」

 見つめ合う。


 お互いをこんなに近い距離で感じ取ったのは、初めてだ。


 恥ずかしさで、今すぐ逃げ出したい。

 でも、メアの口から出る言葉は。

 「早くして」

 と、求めているかのような、はしたないフレーズだった。


 目を閉じ、フォボスの唇を待つ。

 目を閉じていても、フォボスの行動がわかる。


 暗闇の中永遠とも思える長い時を過ごし、不意に。


 「……!」

 唇が、一瞬だけ触れ合う。


 その瞬間。


 接合部から、想像を絶する量の魔力が、メアに流れ込んできた。


 ◆◆


 「まったく、キスにどんだけ時間かけてるのさ」

 ルゥが、愚痴を漏らす。


 その声の出処は、メアの喉元。


 「だって初めてだったし。こうなるなら先に言ってよ」

 メアは抗議する。

 フォボスも同じ思いだ。

 さらに言えば、受けた精神的衝撃は彼のほうが強く、メアに背を向けたまま、無言でうずくまっている。

 

 二人に何が起こったか。

 これは、キスを通じてルゥの魔力を流し込み、彼の依代をメアに変更した、ということらしい。


 「ほら、フォボスくん。キミにも手伝ってもらうんだから」

 メアは体を操られ、強引にフォボスを立たせながら、(鬼か)と密かに思う。


 「誰が“鬼”だって?」

 「なんでもないです」

 ルゥは思考が読めるタイプの悪霊であった。


 「うー。でも、なにをすればいいの?」

 前かがみになりつつ、フォボスが促す。


 「まずは武器抜いて。それから、そこに細めの木があるでしょ。あれを斬って」

 ルゥが指し示すのは、直径十五センチほどの生木である。

 

 「……かなり太くない?」

 とメア。

 フォボスの脚と見比べても、明らかに太い。


 彼は言われるがまま、背中に携えたロングソードを抜く。


 「あ、詠唱はやんなくていいけど、ちゃんと魔力は込めてね」

 ルゥが追加で指示。


 「わかった」

 ロングソードを脇に構え、中腰に。

 無詠唱で、トリガーワードすら使わずにバフをかけていく。


 「《ゴリラ・マッスル》と《エンチャント:ディケイ》、《マンティス・エッジ》。あとはなんだろ……?」

 メアは感覚でマナの流れを捉え、彼が唱えたいであろう魔術を代わりに言葉に出す。


 もどかしい。

 発動体なし、詠唱なし、トリガーワードなし。

 そして、既に開発された呪文の“型”を一切利用しない、気力だけの魔術。


 はっきり言って、効率は最悪だ。


 「……行ける!」

 心配などお構いなしに、フォボスはロングソードを逆袈裟に一閃。

 

 すると、彼の一撃は生木をバターのように斬り抜ける。


 一瞬遅れ、朽ちた切断面から崩れるように、木は倒れ伏していった。


 「ほえ……」

 理解が追いつかない。


 いつの間に、これだけの魔術を行使できるようになっていたのだろう。

 いつの間に、ここまで成長していたのだろう。


 たった四ヶ月の時間を経て、フォボスが遠くに行ったように感じられてしまう。


 「あのね、メア。これ、実はからくりがあってね」

 ルゥが補足しつつ、フォボスに水袋を渡す。

 

 「ぐぅ、はじめてやったけど、魔法ってつかれるんだね」

 肩で息をして、受け取る。

 当たり前だ。あれだけ無茶な出力をすれば、カッパー級は誰だってそうなる。

 

 「そもそも、あのやり方で発動できる事自体が不思議なんだけどな」

 とメア。

 

 普通は、無茶しようとすれば、何らかのストッパーが働くはずである。


 ルゥは、迂遠な答え方をした。

 「まあその、フォボスの肉体を使って、ボクが何度も魔術を行使してるじゃない?」

 悪霊はたった今出来た切り株の断面を、《ソニック・カッター》でなめらかにしてから、腰掛ける。

 「うん」

 促す。続きを聞きたい。

 「その結果として、フォボスの魔力的な出力孔がガバガバになっちゃったんだよね。ボクが無理やりこじ開けたからだと思う」


 「あー」

 理解する。仕組みが分かれば、簡単だ。


 多くの魔術は、体内に取り込んだ魔力を出力することで行使される。

 魔術の才能には、いくつかある。

 属性を司る神の加護が強いこと。健啖であり、魔力の取り込みに支障がないこと。魔力のコントロールに長けていること。


 それらの中に、魔力の放出量が多いことという、シンプルな要素も含まれるのだ。


 「つまりルゥさんは、これから私の魔力の出力を上げるために、私の体で呪文を唱え続ける、と」

 「せーかい。予め言っておくと、滅茶苦茶つらいよ。フォボスは小出しだったから良いけど、数日でモノにしたいなら、血を吐くほどの覚悟が居る」


 どうかな? と、ルゥが問う。


 答えは、一つだ。

 

 「やる。フォーくんに負けては居られないもの!」


 そうして、地獄の特訓が始まるのであった。


 ◆◆


 依頼の失敗報告を行い、一週間ほどが経過した。


 彼らのパーティ『夜明けのケール』には、多少の蓄えがあった。

 それゆえ、メアは一日中魔術の修練に明け暮れることができた。


 フォボスは簡単な料理を作ってみたり、洗濯をしたり。

 とにかく、メアをサポートした。

 その合間に、自らも魔術の訓練に参加し、いくつかの呪文を習得した。


 メアの出力は、日に日に、見違えるように高まってゆく。

 最初は下級魔法すら詠唱を要した彼女。

 今は、中級程度ならトリガーワードだけで発動できるようになった。


 十年間の基礎修練が、ようやく花開く。


 訓練を終え、まず最初にやること。


 二人は、改めてフローティングハンド殲滅依頼を受注する。

 再び、因縁の洞窟の前に立つ。


 「《コンティニュアル・ライト》」

 フォボスの手袋に、前回と同じように触れて、呪文を行使。


 彼は、武器を変えている。

 洞窟内では取り回しづらいロングソードを拠点に置き、素手と同じように扱えるクローを装着している。


 「《ロングタイム・マジック》《リミテッド・マジック》《エクステンド・マジック》」

 疲労を感じつつ、呪文強化を発動する。


 今回、フローティングハンドの殲滅に使うのは、ただ一つの呪文だけ。


 「《シールド》!」

 呼び出されたのは、《リミテッド・マジック》の効果で地形を貫通するように造られた、光の盾。


 その盾は、洞窟を埋め尽くす広さを持つ。


 「作戦どおり、やるね。《ロングタイム・マジック》《ストレングス》! 《エンチャント:ポイズン》!」

 フォボスは腕力を強化し、それとは別に、光の盾に毒を付与する。

 

 そして。

 光の盾を、両手で押し始める。


 洞窟の中に向けて。

 押しつぶすように。

 逃げる隙など与えぬように。


 ゆっくりと。


 「PY!?」

 「PYYY……」


 フローティングハンドたちが事態を把握する頃には、既に詰みの状況となっていた。


 魔物が光の盾に触れれば、毒にやられて死ぬ。

 逃げ場を探そうと物陰に潜り込めば、隙間に巻き込まれて死ぬ。


 「なんというか、冒険ってよりは駆除だよね」

 メアは悠々と、フォボスに合わせて歩み続ける。

 

 道中《ディテクト・トラップ》で隠れ場所や別のルートがないかどうか探索しつつ、ハンドたちを追い詰めてゆく。


 やがて。


 「ん」

 フォボスの手が止まる。

 光の盾を押した時の、手応えが変わったのだ。


 「最奥っぽいね」

 ルゥが助言する。


 となると今、光の盾の向こう側には、ハンドたちがひしめいている状況なのだろう。

 彼らが毒によって倒れ、ぷちぷちと潰れ、魔力の甘い香りへと変わってゆく感触がある。


 「手伝うよ」

 と、メア。

 二人とも酷い目に合わされたのだ。

 容赦は、しない。


 光の盾を、腕力で押し込んでゆく。

 彼らの悲鳴が、作戦の順調な推移を意味している。


 「PYYYY……」

 最後のハンドを無事に潰し切ると、光の盾は勢い余って壁をすり抜け、どこかに消えてしまう。


 改めて、周囲を確認する。


 トラップの反応、ハンドの奇襲、ともになし。


 依頼は、成功した。


 「ふー……」

 フォボスは、ぺたんと地面に座り込む。

 上手くいくだろうと分かっていた作戦も、実際に完了するまでは油断ができないものである。

 意外に思うかもしれないが、この作戦はフォボス立案だ。

 敗北しながらも、洞窟の広さの情報をしっかり持ち帰り、メアの魔術に合わせて方針を組み立てたのだ。

 

 「お疲れ。いい感じだったんじゃない?」

 ルゥは、再びフォボスを依代に戻している。

 労い、フォボス自身の腕で、彼の頭を撫でる。


 「なんとかなって良かったあ」

 メアは、フォボスの隣に座る。

 一度ハグし、彼のツノを撫でる。


 「ん」

 フォボスは愛撫を受け入れる。

 言葉には出さず、しおらしく、だ。


 意図してか、意図せずか。


 結果として、二人は今回の騒動で、お互いのことを、今までより意識することになった。

 

 今、二人の感情が分かるのは。

 二人の思考を直接知った、ルゥだけの特権だ。


 ◆◆


 幕間。


 ピルゴス家。

 フォボスたちを拉致しようとした、一つの商会。


 かの家は、落ちぶれていた。

 事業は地下化し、四大商会の座もパトラ家に奪われた。


 そして今、その存在をも、パトラ家に明け渡そうとしている。


 互いの顔が闇のヴェールで覆われ、声でのみコミュニケーションが可能な会議にて。


 「では、会長どの。そちらの商会における全権限を我々に引き渡す代わりに、貴女が我々に対し課す条件を、もう一度、お話しください」

 パトラ家の代理人が、マジックスクロールを片手に問う。

 込められた呪文は、《クエスト》。他者に行動を一つ強制する、邪なる呪文だ。


 「ふん! 決まっておるわ!」


 息を吸い込み、叫ぶように宣言。


 「我らをここまで追い込むきっかけとなったフォボスとやらを、この国から追放するのじゃ!」


 契約、成立。

 スクロールが一瞬強く光り、パトラ家の代理人に吸い込まれる。


 「承知いたしました」

 彼は、全てを失った元ピルゴス会長に深く一礼し、その場を去る。


 どうやら、フォボスの受難は、これからも続くようである。


 【続く】

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