##3 神人魔術師、奴隷少年に同行す

 (あらすじ:テセラ・ティーグリに到着したその日の夜。謎のエルフとともに、またも囚われの身となったフォボス。この窮地をどう切り抜ける?)


 狭い室内に、エルフの魔術師とフォボス。

 部屋は暗い。だが、二人には呪いの目隠しが装着されているため、仮に明かりがついていたとしても、互いの顔は見えないだろう。


 「えっ? あれっ? 目が見えない!? なんで!?」

 飛び起きるやいなや、狼狽えるフォボス。

 顔をぺちぺちと触り、目隠しの存在に気がついた彼は、すぐさま後頭部の結び目に手をかける。

 エルフの方は気づいているが、これは呪いの品だ。

 「んん? 全然ほどけない。なんでだ?」

 正確には、ほどいたそばから再度ひとりでに結ばれるような仕掛けが施されている。

 「それ、私にも着けられてるけど、多分《ハード・タイ》が掛けられてる。手で外すのはムリだと思うよ」

 エルフが口を出す。彼女は、既に一通り取れる手段を試したあとだ。

 「……誰? そこにいるの?」

 フォボスは声に気づくと、その方向へ恐る恐る近づく。


 しなやかに。足音は、ほとんど立てない。


 すん、すんと鼻を鳴らし、位置を特定する。

 彼は獣人だ。当然、鼻も効く。


 「ちょっ、ええっ……?」

 エルフの顔のあたりに鼻を持っていき、匂いを覚える。

 鼻先同士でキスをし、敵対する意志がないことを確認する。

 「は、恥ずかしいよ!」

 少し遅れて、エルフはやんわりと腕を押し出し、距離を取る。


 「あ……ご、ごめん。獣人じゃない匂いがしたから、つい」

 しょんぼり。

 流石に、獣人以外では一般的とはいえないコミュニケーションだ。

 「そうよ。私は誇り高きエルフの一族なの。キミの方は獣人? 名前は?」

 気を取り直すかのように、エルフが問う。

 「フォボス。名字は知らない」

 恐怖フォボス。奇妙な名前だ。

 「そう。私はメアフィオーラ・ブレーウィスト。メアって呼ばれてる」

 「わかった」


 彼らは簡素に名乗りを終え、次の一手を考える。

 

 「とにかく、どうするにしたってこの目隠しを取らないとなあ」

 「ん。メアさんはここから脱出したいの?」

 認識の共有は、大事である。

 「脱出したいよ。奴隷として売られるなんて、私はイヤ」

 ある程度の事情は、商会の屋敷に放り込まれる際に耳にしているようだ。

 「そ、そっか」

 つい数日前まではフォボスも奴隷ではあったのだが。

 「わかった。ぼくも手伝う。何をすればいい?」

 旅が予想以上に楽しかったのか、フォボスもこの話に乗ることにしたようだ。

 「この部屋にあるかわからないけど、ごはんと、後は杖を見つけたいかな。《ディスペル》は自信ないけど使えるから、多分状況を良くすれば解呪して目隠しは外せる」

 「りょーかい。じゃあ、探すのはぼくがやる。ぶつかるのが怖いから、メアさんはそこに居て」

 「はーい」


 探索、開始。


 まず、拳でコンコンと床を叩く。

 木製だ。商会というだけあって、中々丈夫そうだ。

 「音、出しすぎないようにね」

 エルフから小言を食らい、音での探索はそれでおしまいにする。

 次に、壁。フォボスの近くの側の窓は打ち付けられ、塞がれている。

 人を閉じ込めるのだから、当然かもしれない。

 その流れで隅の方に移動しているうちに、なにか小さく丸いものがつま先に当たる。

 感触からして、ガラスのボールだろうか。

 「お?」

 ころころと転がるボールが壁にぶつかると、今度は背後から、小さなモサモサしたものがフォボスの足の間を潜り着け、ガラス玉に向けて突進して行く。

 「ふおおうっ!?」

 情けない悲鳴だ。

 その存在は、瞬く間にガラス玉に夢中になり、ぺしっと叩き、移動した先でまた同じように転がしていた。

 「なんか、もさもさしたのがいる!」

 「もさもさ?」

 「もさもさしてて速いの!」

 それこそ、ふわふわとしたやり取りを繰り広げる。

 「転がる音、もさもさしたもの、そして速いもの」


 メアは推理する。

 というより、直感で答えを導き出す。


 「それ、猫じゃない?」

 確かに、猫なら挙動としては不自然ではない。

 「そっか、猫か」

 猫。

 この暗い室内において、場違いに可愛らしい存在だ。


 「ん? 待って?」

 メアが、気づく。

 「この子、食事とかトイレとか、どうしてるんだろう」

 今もなお走り回る猫は、極めて元気そうに騒音を立てている。

 「たしかに」

 フォボスも同調する。

 餌の匂いは感じない。粗相についてもだ。


 となると。


 「じゃあこの部屋は、密室ってわけじゃないのかな?」

 猫が通れる出入り口が、どこかにある。

 

 「なぁん」

 部屋の外から、小さな蝶番が軋む音とともに、新たな猫が侵入してくる。

 その子はメアに頭を擦り付け、膝に乗ると、そのまま毛づくろいを始めてしまう。


 結論。

 「猫用の出入り口がある」

 というのが、メアの答えだった。


 「見てくるね」

 フォボスはかがみ、二匹目の猫が侵入してきた場所に移動し、ドアをあらためる。


 「……あった」

 ドアの下の方に、一枚のプレートで出来た、小さな出入り口が見つかった。

 散々に引っかかれて傷だらけになったそれをめくり、サイズを確認する。


 「出られそう? あっ、いてっ、いててて」

 メアの方は、二匹の猫が膝の上でパンチの応酬を始め、巻き添えになっているようだ。


 フォボスは寝そべり、足の方から這い出してゆく。

 ツノだけは心配だったが、そもそもが小柄な彼は、問題なく部屋から脱出することに成功する。

 「うん、ぼくはここから出られる。メアさんは多分無理」

 「わかった。念のため、鍵だけ開けてくれると助かるかな」

 「はーい」

 ぺたぺたと扉を触り、サムターンを探し出して回す。


 「開けたよ。食べ物、すぐ持ってくるから待ってて」

 小声で知らせ、音を立てないように、慎重に歩き出す。


 周囲の匂いを嗅ぎ、狭い通路から隣の部屋を伺う。

 その部屋からは、ヒト特有の匂いはしない。鍵は開いている。

 警戒せずに入るには罠が怖いが、贅沢を言っていられる状況ではないため、こっそり入る。

 (にしても、ルゥがここまで一言も喋らないのは、やっぱなんか変だ)

 読者はご存知のことだろうが、彼は今、魔術的な薬によって眠らされている。

 むしろ、フォボスが起きていることのほうが幸運だった、というのが実情だろう。


 (うう、不安だなあ)

 室内から漂ってくるのは、甘ったるい香りだ。自然なものではない。

 (濃くて、ひどい臭いだ。ツーンとする)

 たまらず左手で鼻を覆い、右手で探るようにして進むと、机に行き当たる。

 ガタン、と音を立ててしまい、咄嗟に体を引きつらせる。

 

 数秒待ち、誰も来ないことを確認した後、慎重に机の上を触る。

 (……底が丸い、ガラスの瓶だ。すぐ取り外せそう)

 フラスコだ。フラスコが列をなし、机上の棚に並んでいるようである。


 となると、ここは。

 

 (薬品庫だ。食べ物はなさそうだけど、ポーションが見つかるかもしれない)

 ポーションを棚から一つ取り外し、くるくると回すと、確かに液体が入っているようだった。


 コルクを開け、匂いを嗅ぐ。

 (うっ)

 部屋中に充満する甘ったるい臭いは、これが原因か。

 舌で我慢して一滴だけ舐め取り、即効性の毒でないことを確認する。

 (味もきついや)

 念のため、二本目も開ける。

 同じものだった。


 (このポーションを持っていってみよう。役に立たなかったら、また行けばいい)

 ポーションに再度封をしてから二本だけ持ち、監禁されていた部屋に戻る。


 開いたままのドアを通り、メアの様子を確認する。

 彼女は猫まみれになっていた。

 

 「なにか見つかった?」

 巨大な猫に布団代わりにされていたメアは、膝の痛みをこらえながらフォボスに問う。


 「うん。隣の部屋に、めちゃくちゃ甘いポーションがいっぱい。二本持ってきた」

 近寄り、一本を渡す。

 ふかふかした巨大な猫が、唸り声を上げた。

 「……いくらなんでも、猫居すぎじゃない? いつ入ってきたの?」

 「フォボスくんが出てってからすぐ。この子、猫にしては大きすぎるよねえ」

 コルクを開け、わざとらしい香りに咳き込む。

 「うえっ、なにこれ」

 「一応、舐めてはみた。飲んでないけど」

 とんでもなく甘かったよ、と情報を共有する。

 「甘い、か。体には悪そうだけど、魔力は回復するかも」

 メアは意を決し、瓶を傾け、喉の焼けそうな感覚をこらえながら、飲み干す。

 

 「どう?」

 恐る恐る、フォボスは様子を伺う。

 数十秒の沈黙の後、彼女は「うん」と頷いた。

 「思ったとおり、お腹は膨れたかも」

 「じゃあ、後は杖だね」

 探索に行こうとするフォボスを、呼び止める。

 「んー、ちょっと確かめたいことがあって。さっき、ガラス玉が転がってたでしょ? あれ、取ってくれないかな」

 「んん? わかった」

 素直に取りに行く。猫も玉転がしには飽きたらしく、盲目の中探すのには苦労したが、どうにか見つかった。

 「何に使うの?」

 空のポーション瓶を床に置き、スモモほどの大きさをしたガラス玉を受け取る。

 「杖の代わりの、発動体として使えないかなって」

 手の上でくるくると回し、体内に行き渡る魔力を通す。

 「うん、行けそう。フォボスくん、こっち来て。頭、寄せて」

 素直に従う。

 メアの方は、ガラス玉を持っていない方の手で、フォボスの頭に触れる。


 位置が定まると、彼女は一度大きく息を吸い。

 「至高の神よ、創世の主よ。我らを阻む術式を取り去り給え! 《ディスペル》!」


 発動。

 メアの澄んだ魔力が、一瞬でフォボスに触れた部分から流れ込み、彼を満たす。

 《ディスペル》は、呪文一つを無効化するための、打ち消し呪文だ。

 また、この呪文は複数の属性に存在する。水属性から発動したそれは、対象の魔力を流し去るようなイメージだ。


 「……どう?」

 術式の発動を終え、恐る恐る問う。

 フォボスは己に装着させられた目隠しの結び目を弄る。


 「取れない」

 「うそぉ!? 成功したはずなんだけどなあ。ちょっと待ってて、もっかい試す」


 二度目の詠唱は省略。


 「取れた」

 「ええー……?」

 術を掛けたメアのほうが困惑している。


 「なんだったんだろ。あ、もう少し魔力補充したいから、二本目のポーション貰えるかな? 私の分も解呪するね」

 「はーい」


 激甘ポーションを勢いよく飲み干し、三度目の詠唱。


 成功。

 メアは目隠しを取り去り、大きく伸びをして。

 「ふぅ、やっと取れた。後はここからどう、やって……脱出……を……?」

 

 固まる。

 

 視線の先には、膝の上で心地よさそうにだらけている、巨大な猫。


 実際視界に入れてみると、想像以上に、デカい。人間一人程度の大きさはある。

 ここまで来ると、たとえ普通の猫であっても被捕食者としての恐怖を感じることだろう。

 

 だが、何より。


 その猫の体毛は、黒と黄色の縞模様となっていた。

 メアの膝の上に乗っている固体だけでなく、他の猫も同様である。


 つまり、彼らはイエネコではなく、虎なのだ。

 

 「ひっ!?」

 メアは反射的に、鋭い声を上げてしまう。

 怯えた声に反応し、膝上の虎が彼女に顔を向ける。


 「ひゅえっ!?」

 遅れて、フォボスも虎に気づく。

 彼は虎など見たことはなかったが、あまりの力強さに怖気づく。


 少し。

 少しだけではあるが、彼は漏らした。

 

 「がるる」

 かの大虎は不快な臭いを感じ取り、ようやく立ち上がる。

 メアを意に介さず、目一杯あくびをし、床をひっかきながら大きく伸びをした後、悠々と部屋から歩き去り、次の寝床に向かってゆく。


 フォボスは腰を抜かし、しゃがみ込む。

 「こ……」

 メアと目を合わせ、喉から絞り出すように。


 「「怖かった~~……」」

 

 彼らが再び動けるようになるまで、三十秒はかかった。


 気を取り直し――。

 

 「と、とにかく。ここから出よっか。人が来るとも限らないし、脱出するなら急ごう」

 切り出したのはメアだ。

 フォボスも同意する。この屋敷は、危険すぎる。


 「わかった。こわいけど、ぼくが前に出る。ついてきて」

 見るからに後衛なメアが先行するよりは、フォボスの方がまだマシと言う判断だ。


 「うん。何から何まで、ごめんね」

 気後れしつつ、フォボスについていく。


 彼らが閉じ込められていた部屋から出ると、開け放たれた薬品庫のドアから、光が差し込んでいることに気づく。

 「お?」

 フォボスはメアに知らせ、一緒に室内に。そのまま鼻をつまみ、部屋の奥に向かう。


 窓だ。

 打ち付けられていない、窓だ。


 「ここから出られるかも」

 ためらいなく窓を開け、外の様子を確認する。

 

 どうやら、高さ的にはここは三階のようで。

 眼下は人通りの少ないゴミ捨て場。今日はまだ回収されていない。クッションにはなるかもしれないが、当然、汚い。

 正面を見ると、遠くには街の壁沿いに並ぶ住宅街。近づくにつれ商店の割合が増えてゆき、一番近くの建物は少し下方にある二階建て、二メートル先の商店だ。

 商店の壁には長いはしごが立てかけられており、屋根に飛び移りさえすればそこから安全に降りることもできるだろう。

 

 「うん。このくらいならよゆー。せーのっ!」

 フォボスは窓から身を乗り出し、全身をバネにジャンプ。

 小柄な肉体が宙に飛び出し、しゅたっと屋根の上に着地する。


 「……え?」

 メアは、フォボスの唐突な行動に、当惑する。


 彼女は魔術の上達を目論んで、家から飛び出してきた。


 いわば、修行だ。


 その修行には、肉体の修練はほとんど含まれていない。

 商店のバイトで資金を稼ぎ、本を買い、読みふける毎日。

 運動をほとんどしないため、お腹はぷにぷにしているし、胸もエルフの割にはそこそこ出ている。

 

 要するに、フォボスとは間逆なのだ。


 「むりむりむりむり! こんな距離ムリだって! 絶対落ちる!」

 声を抑えつつ、抗議する。

 

 「えー?」

 とフォボス。意外そうにしている。

 

 経験値の差、種族差もそれなりにはあるだろう。

 だが、それ以上に、運動をすることへの抵抗感が、彼女を襲っていた。


 「そ、そうだ! そこのはしごをこっちに寄せてよ! 飛ぶのはムリだけど、ゆっくりなら行けるかも。ね!」

 必死で提案する。

 フォボスとしては、自分にできて他人にできないことがこれまで無かったこともあり、動揺しつつも、素直にはしごをメアの方に倒す。

 

 「うん。ありがとう。これなら行ける……メアフィオーラはできる子……ブレーウィスト家なんだからこのくらいは……!」

 自己暗示を掛け、窓から身を乗り出す。

 ローブは動きづらい。この時ばかりは下の方が裂かれていて不幸中の幸いだったと思うしかない。

 窓枠をまたぎ、言うことを聞かない股関節を呪いながら、どうにか外へ。

 外気を運ぶ強い風に触れ、怖気づく。

 

 「メアさん! がんばって!」

 フォボスは健気に応援してくれる。

 はしごに足をかけ、窓枠を掴む。

 

 その時、屋敷の方から大きな声が上がる。


 「あっ!? 捕まえてた奴隷が部屋に居ねえぞ! どこ行きやがった!」

  

 とうとう、バレた。

 バレただけならまだいい。

 タイミングが最悪だった。


 唐突に時間制限がついた脱出。

 メアはひどく慌てる。

 慌てた結果、脚に重心を移す前に、窓枠から手を離してしまう。

 

 「え?」

 つるり、と足が滑り。


 彼女の体は宙に浮く。


 「メアさ――!?」

 フォボスが叫ぶ。

 高さ的に、魔法を使えぬフォボスはカバーできない。


 そう、フォボスなら。


 「《フライ》!」


 どこからともなく、少年の声がした。

 

 「ほえ?」

 彼女は暫くもがき、着地の衝撃がやってこないことに、訝しむ。


 「まったく。誰だか知らないけど、面白いことやってるじゃん?」

 「ルゥ! 助かったよ!」

 すんでのところだった。

 メアが落下する直前に、ルゥが意識を取り戻し、飛行呪文を行使したのだ。

 

 その効果でメアの体は落下を止め、空中で静止している。


 「ほら、体、動くでしょ。説明は後。ボクも今起きたばっかりだから状況わかんないけど、まずはここから離れよう」

 フォボスは頷き、屋根からはしごに飛び移る。

 そのまま跳ね返るように地面に降り、メアを待つ。


 「……ありがと」

 呆気にとられつつ、従う。

 どうにか着地し、フォボスの背中を追いながら、考える。


 《フライ》は、上級の呪文だ。

 並の魔術師であれば、ちょうど先程メアが《ディスペル》を行使したように、短い詠唱と発動体を必要とする。

 魔力効率強化の詠唱と、発動易化の発動体。

 この二つは魔術師として事実上必須だと、入門書には書かれている。

 それを、ルゥと呼ばれる存在は。

 素手で、トリガーワードだけで、発動してみせた。


 悶々としながら、歩き続ける。

 一行は、ひとまずフォボスたちの拠点に逃げ込むことにした。

 フォボスは自分から奴隷商会の巣穴に乗り込んでいったようなものだが、メアに関しては、商店でのバイトから自宅に帰った瞬間に拉致されているため、暫くは自宅に戻りづらいのだ。


 道中、ルゥがフォボスに取り憑いていることと、彼らはこの街に来たばかりだということを聞かせてもらう。

 精霊が死体に入り込んで体を動かすケースは、これまでにないわけでもない。

 だが、そのまま蘇生まで行い、二つの魂が同じ体に入っているのは、レアだ。

 

 俄然、興味が湧いてくる。

 これまで行き詰まっていた魔術の研鑽が、ようやく突破口を見つけられるかもしれない。

 ローブのすそをギュッと握る。

 十年越しに訪れたこのチャンスを、掴んでやる。

 

 拠点に到着し、貸主の老婆が服を切り裂かれたメアを見てぎょっとしたが、簡潔に事情を話す。

 そうすると、「仕方ないね。泊まるなら追加料金。泊まらないなら静かにしとくれよ」と妥協してくれた。


 二階に上がるや否や、二人はぐったりと倒れ込んだ。

 疲労だ。特に、メアの方。


 「メアちゃん。お疲れのところ悪いんだけどさ」

 空気を読まずにルゥが切り出す。

 「うー」

 床で蠢きながら、フォボスが辛うじて反応する。

 「いやまあ、大事な話をする前に言っとくけど。脱出する前に飲んだポーション、アレ、多分媚薬と精力剤のカクテルだよ」

 

 「びっ!?」

 メアが飛び起きた。

 「うん。持続性のやつ。精力剤の方で魔力も回復するわけだけどさ。あれから三十分くらい経ってるから、そろそろマズいんじゃない?」

 「びやくってなあに?」

 フォボスを無視し、やり取りを続ける。

 「うう、やっぱり? 二本も飲んじゃったし、実は大分効いてると思う」

 奴隷商会の、監禁部屋の隣に保管されていたものである。

 

 当然、ろくなものではないのだ。


 「メアちゃんはエルフの魔術師だよね? 《ヒール・ポイズン》とかは使えない?」

 「……」

 黙り込む。

 ルゥは、訝しむ。

 「魔力が足りないなら、ごはん作ってもらおうか?」

 その提案には、首を弱々しく横に振る。


 「私、その、確かにちょっとした魔法は使えるんだけど」

 言いづらそうに、言葉を紡ぐ。

 「エルフの集落では落ちこぼれで、《レッサー・ヒール》と、《ディスペル》と、《ピュア・ウォーター》、あと《ウォーター・ショット》くらいしか使えなくて」

 「あー」

 納得する。

 要は、初心者なのだ。

 十年間で、実際に使えるようになった魔法がその四つ。

 エルフの成長は遅いとはいえ、あまりにも少なすぎる。


 「呪文はちゃんと習得してるんだよ? でも発動が全然出来ないの。正直、行き詰まってる」

 「うーん、そう来たか」

 ルゥは考える。

 幾つか原因が思いつく。

 マナ総量の不足、出力の弱さ。

 だが、そのどれもが、メアの普段やるような座学では解決できない問題である。

 

 きょとんとした目でメアを見るフォボスのことを意識しつつ、次の手を練る。

 こちらとしても、歓楽街での仕事が極めて危険であると判明した以上、夜に独断で金策を行うのは、困難になってくる。


 となると。


 一つ、全ての問題を解決しうる策を、思いつく。

 それは、一人では心もとない。メアの協力が不可欠だ。

 お互いにとって利用価値がある状況だ。断られることは、多分ない。


 でも、言葉に出す、その前に。


 「メアちゃん」

 呼びながら、ルゥはある方角を指差す。

 「んえ?」

 その方向には、トイレがある。


 「おうちの住所、教えて。暫く戻る気ないんでしょ? だったら、すばしっこいボクたちがこれからゆーっくり歩いて必要なものを取ってくるから、その間にそこのトイレでやることやって」

 暗に、薬を抜いて回復しろ、と言っている。

 詳しく書くと年齢制限が発生するので書かないが、要はフォボスが居合わせると教育にまずいことをやるのである。

 「また歩くのー?」

 不平を漏らすフォボス。「《レビテイト》使うから」と宥めて、メアの反応を伺う。


 メアは赤面している。

 ルゥが取り憑いているフォボスは、まだ子供ではあるが、それでも男の子である。

 メアにとってまだストライクゾーンとは言い難いものの、薬の影響下にあり続ければ、いつ意識をし始めるかわからない。

 一瞬、成長した彼の姿を想像しかけてしまい、ぶんぶんと頭を振る。

 良くない。きっと格好いい。

 薬のせいとはいえ、放っておくと本当に惚れる。まずい。

 

 うん、ここは大人しく言われたとおりにしよう。

 ブレーウィスト家たるもの、常に心を凪いだ海のごとく澄ますべし。


 「わかった。鍵、渡すね。できれば小物含めて全部あるとありがたいけど、最低限替えの服とお金だけは持ってきてくれると助かるかな」

 それだけ言って、そそくさとトイレに駆け込む。

 ドロワーズを脱ぎ去る音が聞こえ、ルゥがそれをかき消すような音量の鼻歌を歌いながら、体の主導権を奪って足早に拠点から出る。


 「なんだったんだろう?」

 フォボスは、何も知らない。


 まだ、今のところは。


 ◆◆


 無事、メアの自宅から必要なものを拝借し、帰宅する。


 「なんかすーすーする」

 狩猟の月も終わる頃だというのに、二階はわざとらしいほどに換気してある。


 「ありがとね、配慮してくれて」

 再び窓を閉めながら、いくぶんかスッキリとした面持ちのメアの様子を伺い、ルゥが礼を言う。


 「どうも。それより、必要なものは持ってきてくれた?」

 ついでに水も浴びたようである。


 「うん。《ポケット・ディメンジョン》」

 例によって無詠唱で魔法を発動し、格納してあったものを一つずつ取り出してゆく。


 ローブと下着それぞれ数着、換えのとんがり帽子。現金はおおよそ千シェル。小回りの効く小杖。室内に散らばっていた本全部。化粧品、生鮮食品、化粧品。ローテーブル。ベッド。

 あと、ベッドの下に隠されていた、耽美な――

 

 「待って待って待って」

 ルゥによって取り出された何冊もの耽美本を掻っ攫い、フォボスの目に入らないように、換えのローブの下に隠す。


 「これどっちかというとフォボスくんの方に起きるイベントだよね!? どうして私が」

 「さあ? 全部欲しいって言われたから全部持ってきたけど」

 すっとぼける。

 一応、ルゥからしてみれば完全に善意である。

 彼はとびきり好色であるがゆえ、そういった物品も、彼の常識の範疇で「多分要るでしょ」と、フォボスに説明しないまま持ってきたのだ。


 なお、フォボスは字が読めないので、「なんか表紙にかっこいい男の人が写ってるな」くらいの感覚である。


 「というかベッドも持ってきたの!? 《ポケット・ディメンジョン》怖すぎない!?」

 「だって、この部屋ベッド一つしかないし。持ってこなかったらフォボスくんとメアちゃんで添い寝だよ? フォボスくんは良いかもだけど、最悪ボクが我慢できないから」

 種族は精霊、人格は成人男性。それがルゥである。

 「まあ、それは確かに」

 メアは、とりあえず納得したようだ。


 「これで全部だよね?」

 フォボスが確認する。

 メアが認めると、持ってきたものを二人で整理し、改めて拠点を構築する。


 満足したので、まずはお茶を淹れる。


 「……よし」

 ローテーブルをはさみ、フォボスとメアは向かい合う。


 「やっと本題に入れるぞ」

 ここまで、結構長かった。


 フォボスの教育、メアの魔法修練、そして、長期的な金策。

 

 その全てを、一挙に解決する手段を、提示する。


 フォボスは目を輝かせ、メアは熟考したのち、首肯する。


 「ボクたちで、冒険者パーティを組もうと思う」

 

 これが、パーティ名『夜明けのケール』の始まりだった。


 ◆◆


 そして、四ヶ月が経った。


 雪骨の月から啓蟄の月(注:それぞれ、二月と三月に相当)に差し替わるころ。

 季節がめぐり、鉱石の季節から生命の季節に移る頃。


 テセラ・ティーグリ郊外。雪解けの地で、泥を跳ね飛ばしながら、二体の白菜もどきが街に迫ってきている。


 「せやーっ!」

 その一体とすれ違いざまに、気合の声とともに両手剣で斬撃を見舞う少年。

 それが、フォボスだ。

 両手剣と言っても、大人であれば片手で振るえるロングソードだ。四ヶ月の成長はあれど、まだまだ顔もあどけない。

 とはいえ、その一撃で白菜もどきは大きく切り裂かれ、倒れ込む。

 止めはさせていない。だが、動きは止まった。


 もう一体は変わらず、どすどすと音を立てながら街に近づいている。

 行く手を阻むのは、魔術師の少女。

 メアだ。


 「《スリッピー・リキッド》!」

 短杖の先から勢いよく飛び出した液体が、白菜もどきの足元に降りかかる。

 「ピ!?」

 勢いよく踏んでしまい、盛大に転ぶ。


 「《フラッシュ》!」

 体勢を立て直そうとする魔物に、追い打ちをかけ、なおも束縛する。


 「せー、のっ!」

 戻ってきたフォボスが飛びかかり、野菜もどきのコアを突き刺すと、暫くビクビクと痙攣した後、完全に沈黙。


 最後にもう片方のコアも破壊すると、ルゥが声をかけてくる。

 「お疲れ。Eランクのクエストなら、ボクなしでもこなせるようになってきたね」

 労う。

 勢いで始めた冒険者業も、どうにか軌道に乗り始めたと言ったところだ。


 「フォーくんも、ルゥさんもおつかれさま」

 メアは、フォボスとハイタッチ。

 四ヶ月も経てば、それなりに親しくなるというものだ。


 「ルゥ、《ポケット・ディメンジョン》お願い。今日は白菜鍋だ」

 「ちゃんと討伐の証拠用に、葉っぱを切り取ったかな?」

 「あっ、忘れてた!」

 野菜もどき。それほど美味しくはないのだが、冒険者にとっては貴重な食料でもあるのだ。


 「にしても、ルゥ。そろそろカッパー級の依頼に挑ませてくれても良いんじゃない?」

 野菜もどきを格納しながら、フォボスが提案する。


 「んー……」

 迷う。

 ルゥとしては、なるべく安全なルートを選びたい。

 実際、以前にも数回提案はあったが、『危険だから』と、彼らには最低ランクのアイアン級依頼を受け続けさせてきた。


 だが、フォボスのパーティ『夜明けのケール』は勤勉であり、冒険者ギルドからも認められつつある。

 これは、確かにステップを進めてもいい頃合いだ。


 「わかった。次の依頼は、カッパー級にする」

 「やった!」


 喜ぶフォボスを、制止する。

 「でも、条件がある。メアも聞いて」

 呼び寄せ、告げる。


 「カッパー級の魔物は、結構危険だ。まず、今のフォボスくんたちと相性の悪い依頼を選ぶ」

 

 (意味がわからない)

 (危険だからこそ、相性のいい相手を選ぶべきでは?)

 そんな様子の二人に、真意を話す。


 「キミたちには、安全な負け方を覚えてもらう。本格的に挑むのは、それからだ」


 【続く】

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