##2 風の悪霊、甲斐甲斐しく世話を焼く
(これまでのあらすじ:生まれつきの奴隷としてこき使われていたフォボスくん。集落の壊滅とともに命を失った彼を、風の精霊であるルゥが蘇生する。でも、ルゥはフォボスの肉体から出られなくなっちゃったみたいだ!)
「あー、温かいな……」
初めての邂逅で、無様にも漏らしてしまったフォボスくん。
誰もいない管理棟のシャワー室。彼はルゥに体の主導権を委ね、なすがままに洗われている。
事情は、既に説明した。フォボスを蘇生したのは“悪霊”であるルゥであること。フォボスの肉体から出られないのは事故のようなものであり、ルゥとしても不本意であること。
伝わってくる思考を読んだ感じだと、渋々ながら共存は許してくれたようだ。
ちなみに、フォボスの思考はルゥに伝わるが、逆方向には伝わらないらしい。
まあ、ルゥの思考の多くは発禁モノだから、これに関しては幸運だったかもしれない。
相談した結果、ルゥからの意思疎通はフォボスの肉体を借りず、《ウィスパー》を用いることにした。
精霊になってから初めての発動だったから、ルゥは自分の地声の無邪気さに驚いた。
「フォボスくん、案外体はしっかりしてるよね。マッチョでこそないけど、ちゃんと筋肉は付いてるってゆーか」
鏡を見て、感想を述べる。
ルゥが持つ奴隷のイメージは、痩せぎすで最低限の脂肪もついていない、という具合である。
「なんか恥ずかしい。みんなはもっとすごかった」
実際のところ、このプランテーションでは農作業が中心だったので、多くの奴隷は相応にタフである。
正しく戦闘訓練を積めば下級の魔物程度はまとめて倒せるくらいに、基礎はできているのだ。
「ん、そう」
まだそれほど毛の生えていない体を洗いながら、ルゥは今後の方針について考える。
現在のところ、施設の機能は生きている。
魔力による湯沸かし。水の汲み取りと浄化。防虫。それと、照明。
ただ、ルゥが見た限り、これらの機能はそのうち停止する。込められた魔力は、無限ではない。
なので、ここに永住することは難しい。
何より、時間が経てば集落崩壊の事後調査を命じられた騎士がやってきて、機能維持に重要なパーツ自体を回収しに来ることは明らかだ。一般人が持ち運べるものではないが、集団であれば話も変わろう。
となると、消耗品と少しの通貨を拝借し、早々に街へ向かうべきだろう。
「ねえ、フォボスくん。これから、やりたいことある?」
問いかける。
「やりたいこと?」
きょとんと、聞き返す。
「そ。フォボスくんは晴れて自由の身になったわけじゃん? やりたかったこととか、ないの?」
自由。
瓢風神の信徒としては、何よりも尊いものである。
ところが、今のフォボスの考えは違うようだ。
「うーん。なにもかもが突然すぎて、よくわかんないや。ずっとここに居たかった気持ちもあるし、今もみんながいなくて寂しいし」
あるいは、幼すぎて奴隷集落の外側の世界について想像がうまくできていない、ということだろうか。
となれば、質問の範囲を絞っていくべきだろう。
「じゃあさ、美味しいご飯とか、食べたくない?」
「食べたい」
食いついた。
「良いね。ちゃんと調達すれば、三食別のものを食べられるんだ。自由だからね」
「別のもの?」
「そう。あんまり偏りすぎると体を壊すけど、ビスケットだっていつでもイける。お金、お店の人に払えばね」
「お店? お金?」
矢継ぎ早に質問を投げてくる。
フォボスくんは素直だ。
比較的マシな奴隷集落だったからか、子供の疑問を抑圧しないスタイルなのは助かった。
「そう。お店に行って、お金でビスケットを買うの。街に行けば、大体の人はそうしてる。お金を稼ぐのはちょっと大変だけどね」
「へー。なんでも買えるの?」
ぐいぐい来る。若干辟易しながら、答える。
「あー、流石に人間そのものとかはダメだと思うよ? 一応、奴隷集落があるってことは、違法でもやる人は居るって証拠なんだけどさ」
「ダメなのか。クレオネスおじちゃん、買えないかなって思ってた」
要は、英雄譚が聞きたいと。
子供の発想、欲求に直結してて怖い。
「まあ、買うのは違法でも、話を聞くために雇うのならできるかも。でも、キミの記憶読んだから言えることなんだけど、アレだけ強かったら雇うにしたって結構掛かるんじゃないかなあ」
「そっかあ」
しょんぼり。
体を洗い終わり、泡をシャワーで洗い流す。
「強い人の話を聞きたいんだったら、本を読めばいいんじゃない?」
思考を読み取り、フォローする。
「本って、文字がみみずみたいにびっしり書いてあるやつ? ぼく、文字読めない」
そりゃそうだ。フォボスは教育を受けていない。
「勉強して読めるようになればいいじゃん。自由なんだから」
あえて軽々と言う。
ちなみに、ルゥはこの世界の文字が読める。
人間だった頃は、さぞかし頭が回ったに違いない。
「うー。自由ってなんだ? 意外と、やること多いのかな?」
若干、混乱させてしまったか。
強引に軌道修正しよう。
「まあとにかく、何をやるにしたって街に行かないと始まらない。だから、明日すぐに消耗品と装備をかき集めて、明るいうちに出る。整備されている街道まで出れば、ある程度魔物避けされてて危険度がぐっと落ちるから、早めにそこまで行く」
「ほえー。色々考えてるんだ」
当たり前だ。
一蓮托生なのだから、四の五の言ってはいられない。
「ん。今のところ、キミが幸せになって二番目に得するのはボクなんだから、とーぜんだよ。ちなみに、一番目はキミね」
「そうなのか。じゃあ、今日はこの後何もせず寝ちゃった方が良いのかな?」
「そーしてくれると助かるよ。あ、ちゃんと歯は磨いてね。悪くしちゃうと、いくら魔法でどうにかなると言っても面倒だから」
シャワーの栓を締め、温かい室内から、涼しい脱衣所に出る。
「なんかママみたい。ママ、知らないけど」
ママ。
ルゥは、自らと全く縁のないであろう単語を耳にし、吹き出す。
「なんかおかしかった?」
「ママもなにも、ボクはどっちかというと男だから」
乾いた手ぬぐいを取り出し、水滴を拭き取る。
体は子供だけど、所作はおじさんのそれだ。
「じゃあパパだ」
パパというか、そもそも親って感じじゃないのだけれど。
ただやっぱり、フォボスの親について実情を知っている者からすると、胸が痛む。
彼の感情の根底は、“寂しさ”なのだろうか、とも思った。
「フォボスくん、街に行ったらいっぱい友達作ろうね」
「急になに」
「やっぱ、なんでもない。ボクは先に休むから。じゃあね」
《ウィスパー》の効果を切る。
感覚の共有を停止し、ルゥは意識を落とす。
「友達、作ってみたいな」
フォボスは今度こそ、誰にも聞かれることのないつぶやきを漏らす。
言いつけどおり歯を磨き、勝手に管理棟のベッドに潜る。
明かりを消すと、集団で眠っていた普段と違い、周囲を完全な静寂が支配する。
(みんなに、また会えるかな)
言葉を受け取る者は、自分だけだ。
初めてのふかふかした毛布に包まり、目を閉じる。
疲労が全身を覆い、意識を削り取ってゆく。
「……すぅ」
おやすみ、フォボス。
願わくば、キミの旅路に幸多からんことを。
◆◆
翌朝。
(そろーり、そろり)
早めに復活したルゥは、フォボスの体で実験をしていた。
彼の体を操り、まずは予め用意していた普段着に着替える。
起こさないように。
刺激を与えすぎないように。
(……よし)
ハーフパンツに、Tシャツ。
よくある少年のスタイルだ。
(とりあえず、日常動作なら問題ない、と)
ルゥがこのような実験をしているのには、理由がある。
前提として、フォボスが眠っている間、ルゥが体を動かして作業できれば、かなりのアドバンテージを得られる。
であれば、どのラインまで許されるか、というラインを探るのは、ルゥにとっては自然なことだ。
他の人が見れば明らかに奇行だが、それはそれである。
(いくらなんでも、ぐっすり行きすぎじゃない? ボクにとっては都合がいいけどさ)
彼はこれまでの実験の中で既に、顔を洗い、簡単な食事を行っている。
それでも、彼は起きなかった。この時点で、ルゥが取れる選択肢は幅広い。
事務作業程度なら、問題なく行える。そうなれば、フォボスを街での日常に慣れさせながら、外貨を稼ぐことも可能だろう。
(となると、これもやっとくか。ごめんね)
自然な振る舞いを装い、右足を振り上げる。
蹴り上げの軌道には、テーブル。
(っ~~~~!)
当然、盛大に小指を打つ。
とても、痛い。
右足を押さえながら、ぴょんぴょんと跳ねる。
跳ねながらフォボスが目覚めないかどうか、確かめる。
(……マジ?)
起きない。
フォボスは、何が起こっても時間まで寝続けられる子だった。
もはやここまで来ると昏睡である。
(逆にどうやったら起きるんだ)
手がかりを探そうと彼の記憶を読む、ルゥ。
旅の中で、確実に起きていてほしい場面が一つある。
それは、フォボスの知り合いに出くわしたときだ。
耳が変化しているのでバレづらくはあるだろうが、バレたときにフォボスが寝ていると、今の状況が露呈して面倒くさいことになるのだ。
現在、ルゥは名を上げるつもりはない。
風の精霊が入り込んだヒト。これは珍しい。衆目を集める。
だから、可能な限りステルスするつもりで居たのだ。
ということで、いつも彼が起きる時のシチュエーションを用意してやった。
ゴーン……。
《ウィスパー》を使い、彼の耳元で起床の鐘を再現する。
「ウワーッ! 朝だ!」
「うわーっ!?」
一瞬で目をカッと見開いた彼は、毎朝のようにネックスプリングで起きようとし、既に自分が立っていることにすら気づかず、盛大に後ろに転ぶ。
転んだ勢いで後ろに一回転し、壁に激突。尻を上に向けたダンゴムシのような体勢で、ようやく我を取り戻す。
「??? ?????」
まるで状況が掴めていない。
「お、おはよ。フォボスくん。ルゥだよ」
面食らいながら、とりあえず挨拶。
「おはよー? えっ、ベッドどこ? なんでもう着替え終わってるの!?」
例のごとく漏らしそうになる彼を、ルゥが押し留める。
正直、危なかった。
「いやー、ちょっとね。朝急ぎたかったから、早いうちに動いておいたって感じ」
ごまかす一方で、(痛みに耐えられるんだったら、あの仕事も行けるな)などと考えている。
「なんだ、そーゆーことか。びっくりした」
食事を終えたことも伝える。
ちなみに、調味料の位置が分からなかったので、朝食は全く味のしないオートミールだった。
「で、フォボスくん。早速なんだけど、今から言うものがありそうな場所、案内してもらえるかな?」
要は、旅の準備である。
以下は内訳。
非常用バックパック。余裕を持って、一週間分の腐りづらい食料と水袋。魔力の自然回復を促進してくれる甘味。《コンティニュアル・ライト》が掛かった光源。衣服一式。フックつきロープ、テント、毛布、火口箱、スコップ、戦闘用ダガー、ナイフ、柔らかい紙、地図。それと、五百シェルほどの現金。
フォボスが持つにはあまりにも多すぎる量だが、非常用バックパックにごく一部を詰めた後は、全てルゥが《ポケット・ディメンジョン》で収納する。
なお、《ポケット・ディメンジョン》の中は完全に未使用だった。生前のルゥでなく、フォボスの空間を参照している、のだろうか。
朝から作業して、全て揃えたときにはもう昼ごろになっていた。
「すごい量の荷物だったね。これ、全部要るの?」
「万全を期すならね」
旅では、施設のパワーに頼れないということである。
そして、彼らはこの施設での最後の食事をとる。
そのまま食べられるパンの類はこれから旅で消費するのだから、もちろん最後もオートミールだ。フォボスがドライフルーツをありったけ入れたので、とんでもなく甘くなった。
食べ終わった後は、すぐ出発だ。
「《ロングタイム・マジック》《レビテイト》」
ルゥが唱えた呪文は、術者を地面から数十センチだけ浮かせる効果を持つ。
重要なのは、そこそこのスピードで、足に負担をかけることなく移動できるという点である。
《フライ》だと鉛直方向への機動も出来るようになるが、それはコストが重すぎるので、下位の呪文を用いたというわけだ。
「不思議な感じだ」
足を動かさず、体全体を前後左右に倒して移動する。
フォボスはすぐに慣れ、自由に動けるようになった。
「うん、いいね。じゃ、行こっか。日が暮れる前に安全圏まで移動しよう」
目指すは、ミトラ=ゲ=テーア共和国の領地の中で、ここから一番近い大都市。
東側のソルモンテーユ皇国寄りに位置する都市の名は、テセラ・ティーグリ(四ツ虎の都市)。
頭に叩き込んだ地図を頼りに、まずは街道へ向かう。
アルケー街道。エヴリス=クロロ大森林に、今の共和国ができるずっと前。誰かが言った。
『世界樹の周りに都市を作って、そこから大陸全土を一つの街道で繋ごう』
その志は道半ばで終わった。
今では森林全体を一つの国が統治しているが、かつてはより小さな国が、多数存在していた。
各国との調整に失敗したのだ。
彼女の思い描いていた、シンプルな街道を望んでいた国は、少なかったからだ。
だが、それでも幾つかの街道は未だに機能している。
このアルケー街道もそうだ。マナを自動で取り込み、アンデッドや危険な魔物を遠ざけるための、陽光の術式に変換する。夜になれば弱く光を放ち、暗闇での悪事を働かせない。
旅路は順調だった。一切の休憩なくその日のうちに街道に出たフォボスは、ルゥの助言に従って野営を行い、人生初のパンに感激するなど、実に楽しそうに過ごしている。
川が遠く、体を洗えないのは仕方ないけど、それも街に到着するまでの辛抱だ。
街道に出てからは、よりスピードを上げた。
一晩だけしっかりと休んだ後は、昼間にフォボスを、夜間にルゥを表に出すことで、二十四時間体制で街に向けて移動した。
途中、ルゥが表に出ているときに奴隷集落調査と思われる騎士団に遭遇したから、適当に隠れてやり過ごした。
だって、街まで数時間ってところでUターンはヤだからね。そうでしょ?
ということで、フォボスたちは無事に、テセラ・ティーグリに辿り着いたんだ。
◆◆
「くっっっせ! お前らアレか? 《クリンネス》使えないタイプの旅人か!?」
開口一番、門番はそう言い放つ。
《クリンネス》は、対象を清潔にする呪文である。
「ひどいよ!」
フォボスはそう言うが、ルゥとしては言い返せない。
この世界の住民は、魔法を使えるものが多い。
属性は、陽光と闇陰でまず二つ。火、水、風を合わせて五つ。最後に、土が陽と陰でそれぞれ別で生命と鉱石になるから、全部で七つ。
フォボスはまだ魔法を使えないし、ボクは闇陰と風こそエキスパートだけど、それ以外が全くできない。『だって、一応これでも風の精霊だもん』とのことである
だから、陽光属性に属する《クリンネス》は、確かに使えないのである。
門番は大きく舌打ちし、呪文を唱える。
すると、ボサボサだったフォボスの髪は整い、泥や垢で汚くなっていた皮膚はつやつやと光を取り戻し、衣服のシミすらも、綺麗に取り除かれた。
「勘違いするなよ? 小僧。これはサービス。あの状態で都市に入られると迷惑だったってだけだ」
「……ありがと」
意外と、親切なものである。
パァン、と、門番は手を叩く。
「全く、まさか大人が歩いて三日の位置にプランテーションがあったなんてな。道理で失踪事件が相次いでたわけだわ」
ルゥのことを伏せた上で事情を話し、代わりに奴隷集落壊滅のニュースが、既に広まっていたことを知る。
黒の神子の動向としては、集落の人員を捕縛した後に儀式《テレポーテーション》を用い、集団でこの都市に転移してきた、とのことである。
《テレポーテーション》の極悪燃費を、事前に用意したマナバッテリーと長時間の儀式でカバーして、無理やり発動させた、だとかなんとか。
「ま、お前さんを含めれば、奴隷集落の首魁が知ってる中での、全員の安否が確認できたってことだろ。この先どうなるかはわからんが、暫くは知ってる顔に出くわすかもな?」
彼は、「とにかく」と間を置き。
「テセラ・ティーグリにようこそ。秀でた街とは言えないが、大体のモンは満足させられるつもりだぜ」
フォボスのツノをぽん、と叩き、快く迎え入れてくれた。
年季の入ったプラニ木製の門をくぐり、フォボスは初めての街を、ようやく目にする。
「わぁ……!」
正面いっぱいに、大通り。街の広場まで障害なく続くその道は、この都市に多少の問題こそあっても、平和である象徴だと言えるだろう。
フォボスは、忙しなく左右に首を回す。
ツタが美しく絡んだ、二階建ての木造建築。一階部分はマーケットとなっており、様々な食品や酒類、調味料が詰まった瓶が、ところ狭しと並んでいる。
「すごい! 見たことないのがいっぱいある!」
人混みをすり抜け、目新しいものにいちいち興奮し、ちょこまかと駆け回る。
彼がこれから通るであろう商店の一つ。一人の女性が、彼の存在に気づく。
「ん? あれフォボスちゃんじゃない?」
奴隷集落ではレヘ45と呼ばれていた彼女は、この街に護送された後、すぐさま商店に再就職を決めた。
ちなみに、相方は衛兵志望だそうだ。彼らが奴隷集落で貯めた資金は、概ね入籍に費やされたらしい。
とにかく、フォボスの方も気づく。同じ棟で就寝していたので、外見の違いはあっても、振る舞いでバレるのだ。
「あ! 45さんだ!」
知り合いを見つけ、すぐさまダッシュ。
目の前にたどり着くと、レヘ45は彼の髪をわしゃわしゃと崩した。
ツノについては、ひとまずスルーする。後天的に大きく肉体が変化するのは、とんでもないことが起こった証。あえて聞かぬが吉だ。
「もうレヘ45じゃなくて、“エピオーサ”って名乗ってるけどね」
「そっか、もう番号じゃないんだ」
呼称は大切である。
「フォボスちゃんも、別の名前名乗ったら?」
軽い気持ちでの提案である。
「ぼくはフォボスがいい!」
首を傾げる。意外な反応だった。
「そ。あっ、そういえば。ここ、お菓子売ってるんだよね。見ていく?」
「見る!」
即答。
ルゥが止める隙もなかった。
カラフルで甘い砂糖菓子。酸味のキツいラムネ菓子。黄砂連合から輸入したカカオで作られたという、チョコレート。
子供にとっては、間違いなく魅力的な品々である。
エピオーサは、各商品をフォボスにアピールする。
そういう仕事だ。私情はあるにしても、やることはやるのである。
「じゃあ、これください!」
フォボスは、星型をしたカラフルな砂糖菓子の小瓶を指し、元気よく宣言する。
「いいね。代金は三シェルになるわ」
現代日本で言えば、概ね三百円ほどである。
この価格は、妥当だ。魔法は便利だが、小さなモノを大量生産できるほどの精度を持つとは言い難い。
精密作業は、どちらかというと
故に、商業化にはハードルがある。奴隷集落に関しても、同じ型番の
そういう事情はともかく、ルゥはこの価格に納得した。
フォボスはどうか?
「えっ? さん?」
動転している。
「ん? 一と、二の次。鉄片三つだよ」
固まる。
ルゥに肉体があれば、両手で頭を押さえ、頭痛をこらえていたに違いない。
フォボスは、教育を受けていない。
なので、数を数えられないのだ。
状況を理解し、絶句するエピオーサ。
いや、確かに奴隷集落では勉強する機会なんて殆どなかったけれど、これは。
このままでは埒が明かないので、ルゥが主導権を乗っ取る。
「おっけー、分かった。三シェルだね。ちょっと待ってて」
バックパックを下ろし、手早く銅片を取り出す。十シェルだ。
「ど、どうも」
先ほどとは様子が違うフォボスの様子に面食らいながらも、エピオーサはお釣りの七シェルを渡す。一枚の鉄貨と、二枚の鉄片だ。
「ん、ありがと。またよろしくね!」
砂糖菓子とお釣りをバックパックにしまい、フォボスは慌てるように店を飛び出す。
「また来てねー!」
背中に声を受け、彼女から見えないところまで走り去る。
(あ、あっぶねー……)
物陰で、早鐘を打つ心臓を自覚しながら、ルゥは冷静さを取り戻そうとする。
(そうだよ、数の概念が分かんなかったら、この子は一人でお店にいけないじゃん!)
盲点であった。
なまじルゥに知識があるゆえ、想像を絶するほどの無教養に、考えが及ばなかったのだ。
「みっつ、いち、にの次……?」
フォボスは指を動かし、先程のシーンを反芻している。
(学校……そもそもこの街にあるかわかんないし、コストが予想できないな。となると家庭教師……は、住む所探してからだ。五百シェルは二週間で使い果たす量だし、夜にボクが動いて稼ぐ必要もある)
考える。
やることが、あまりにも多い。
「とりあえず、優先度付けて考えよう。ひとまず当座の宿の確保だ。読みが正しければ、そこそこ良いところに泊まっていい。価格はボクが判断する。それと、朝食が出る所が良い」
《ウィスパー》を使い、声に出す。
「わかった。何をすればいい?」
通行人に宿場と居住区の方角を聞き、一軒一軒当たってみる。
熟慮を重ねた結果、一泊二十五シェルの民泊を見つけることができた。朝食で五、宿泊で二十。昼と夕食は自分で確保する必要があるが、悪くない。
「ルゥって、もしかして結構頭いい?」
「多分ふつーにフォボスが無教養なだけだと思う。明日本を買ってくるから、まずはそれで単語と文字覚えて」
「ひどい!?」
こういうやり取りをしつつ、どうにか夕方を迎える。
食事は、当面は保存食の処分だ。悪くなる前に、食べてしまう。
お風呂も借りて、さっぱりする。久しぶりのお風呂に、フォボスのみならずルゥの気分も晴れやかだ。
そのまま時刻は夜に。フォボスを寝かしつけ、意識が落ちたことを確認すると、ルゥは主導権を奪う。
ベッドから下り、靴を履く。
窓から外に出て、ツノを撫でて音を拾う。
歓楽街から漏れる明かりを見つめ、悪霊らしい笑みを浮かべる。
「じゃ、ボクは早速仕事だ。上手くいくかな?」
フォボスは夜の街に消える。
でもまさか、この行動があんな結果をもたらすなんて。
◆◆
「――て、起きて!」
暗闇の、狭い室内。
フォボスの体を揺する者が居る。
豊かな金髪に、三角帽子。
青い虹彩が美しい、顔立ちの整ったエルフの少女。
ただし、その様子は尋常ではない。
普段着だったローブは大きく破れ、ドロワーズが見えている。
先程言及した虹彩についても、窺い知ることはできない。呪いで取り外しが困難な目隠しをされ、手探りでフォボスを揺すっている。
そして、魔術師の象徴である杖は持っていない。没収されたようだ。
では、彼女は誰に襲われたのか?
フォボスは知る由もないが、この“四ツ虎の都市”では、文字通り四家の商会がしのぎを削っている。
そのうちの一つ、ピルゴス家は、現在最も力が弱い家である。
何故なら、生業としていた奴隷プランテーションの一つが、黒の神子の手により、為す術もなく一瞬で廃墟と化したためである。
それゆえに、かの家は別の商売に手を出した。
より直接的な、奴隷の販売である。
ルゥはあれから真っ先に歓楽街に向かい、“割のいいバイト”に応募した。
いわゆる、いかがわしいバイトだ。フォボスの肉体を使って何をやっているのだと言う話ではあるが、ルゥにとって効率が良いのは間違いない。
そのバイトが、罠だったというわけである。
面接室に入るや否や、フォボスは武器を持ったごろつき数人に囲まれる。
ルゥの自我で奮闘するも、体を床に押さえつけられ、その上で薬をたっぷりと嗅がされ気絶。
大の大人二人がかりで留置室に運ばれ、暫くぐっすりと眠っていたところ、先程のエルフも同じ部屋に叩き込まれたわけだ。
「うー、テコでも起きない。なんなの、この子」
エルフの息が上がる。彼女は、運動不足だ。
正攻法で起こすことは諦め、頬のあたりをつんつんと突き、弾力のある感触に夢中になり始める。
放っておけば、まずいことになるだろう。
「魔法は……ダメだ。お腹空いて、魔力が集まらない」
彼女は、途方に暮れた。
一応、魔術師の端くれではある。
使える属性は、陽光と水。
問題は、今は使えないということだ。発動補助用の杖も、今はない。
重い虚無が、室内を満たす。
とはいえ。
全ての星が、彼らを見放したわけではないようだ。
ゴー……ン……。
それは、遠くから聞こえる、鐘の音。
それは、四ツ虎の神殿、大樹に吊るされた時の番人。
そして。
それは、彼にとって目覚めの合図。
フォボスは目を見開く。
「きゃっ!?」
ネックスプリングで体を起こし、一瞬で立ち上がる。
「えっ? えっ?」
エルフは急に起き上がった彼に驚く。
この瞬間。
光差さぬ牢において、互いに姿こそ見えないが。
彼らはようやく、初めての仲間を認識した。
【続く】
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