オドくんの温泉旅行:序【辺境伯のもとへ】
夜、旅館。床に直置きされた布団の中。
オドに密着した、鱗を持った皮膚は、冬にも関わらず熱気を帯びていて。
それが体を這うたびに、彼はビクッと反応する。
愛をささやく吐息が耳に当たり、身をよじろうにも、四肢は拘束されてしまっていた。
(どうして、こんなことに)
彼は何がまずかったのだろうと、今回の旅の発端を思い返してみることにした。
【スピンオフ:オドくんの温泉旅行】
【序:辺境伯のもとへ】
ソルモンテーユ皇国、水の季節。
粉雪がこんこんと舞い、その一粒を捕まえようとする子供や、その様子を微笑ましく眺める母の姿が見える。
今、その雪が一欠片、都市中を流れる澄んだ川に落ちる。
雪と別れ、川を遡り、都市の外壁をも超えたその先の集落に、大きな栗の木が見えてくる。
トレオ=マロニエ。大陸中に根を張る世界樹のうち、小の一つ。
その根本に、オドたちは居た。
目の前の女性の指示に従い、ティーテーブルの片側に腰を下ろす。
「結構、警備が厳重なんですね?」
彼はあたりを見渡し、確認する。
光偽装、音偽装、進入禁止、人払い。
最低でも四重の結界が張られているように思える。
それを維持するにも、相応のコストがかかるだろう。結界内部には、何人ものエルフが、ローテーションを組んで魔力を調整している。
すなわち、先方は、この会談にかなりの期待を持っていると言える。
仲間は、一人だけ同行を許可されていた。
種族は竜人族。
オドの背後、ピンクのポニーテールを揺らしながら、全長三メートルの躯体で存在をアピールしている。前回の冒険の後、オドは護衛の必要性を痛感しており、黄砂連合まで出向いて集落の長に頭を下げたのだ。
なお、彼女はこれでも小さい方だ。まだまだ育ち盛りであった。
名前は、レシュと言う。
「噂、聞いてるわよ。この会談、皇太子の耳に入ると面倒なんでしょ?」
開口一番、探りを入れる。
情報源はアルム少年。彼は、「水の季節だとシュヴィルニャ地方は外にも出れなくて暇だもん」と、季節限定でオドのパーティに加わっている。
彼の性癖はともかくとして、斥候としては優秀である。故に、ソルモンテーユに入国するやいなや、この国の権力構造をオドにもたらすことができた。
対面の女性は、クスクスと笑い、一行に紅茶を勧める。
彼女の名はレヴィアテレーズ・シャロル・ド・ル・ソルモンテーユ。姓が示す通り、彼女は皇族。それも第一王女である。
「ええ。流石は黒の神子様。この国について、既にある程度の情報を掴んでいらっしゃる様子」
彼女はティーカップを持ち、上品に口をつける。当然のことながら、慣れている。
オドは「頂きます」と告げ、控えめに口に含んだ。
柔らかな味だった。
「ソルモンテーユは水の都。客人に出す紅茶も、美味しくなくては困りますから」
和やかな笑みを浮かべ、王女は語る。
その表情の裏側には、数々の苦悩が隠れている。オドはなんとなく察し、本題に入ることにした。
「そういえば、この国には青の神子が滞在しておられますよね。件の皇太子に求婚されたとか。わざわざ王女様からコンタクトを取ってくださったのは、この件ですか?」
神子。
この世界には、ルノフェンやオド以外にも召喚された人間が、何人か居る。
有名なところだと、赤の神子。表沙汰にはなっていないが、オドが召喚される数年前に、大陸南東の軍事国家であるシュヴェルトハーゲンで起こった革命のキーパーソンである、と噂されている。
三ヶ月前、オドやルノフェン一行が解決した「イスカーツェル・レガシー異変」でも、しっかり活躍したらしい。
とはいえ、神子の全てが戦える人間というわけではない。アルムによると、青の神子はどうも一般人とのことらしい。
故に、心配ではあった。直接的な力こそないとはいえ、神子は神子。象徴としての影響力は強い。皇太子による求婚騒動で立場も危うくなった青の神子に、手を回す貴族も居ることだろう。
なお、オドには、「黒の従徒」という称号が与えられている。神子はルノフェンの方だ。こっちの世界の彼は、人間をやめたけれど。
「惜しい、ですね。関係はしておりますが」
声色を変えず、王女は、懐から一通の手紙を取り出す。
「これは?」
オドが問う。
「これ自体は単なる手紙。これを、皇国西方にあるサヴィニアック辺境伯の妻、セレスティナに届けていただきたく」
シンプルな白地の封筒だ。封蝋がないどころか、そもそも閉じられてもいない。
奇妙なことだった。
「ねえ、その封筒。もしかして、アタシたちに『届ける途中に開けて読め』って言ってる?」
念のため、レシュが確認する。
答えは分かっているが、念のため、である。
「はい。この都市を出次第、お読みください。あなた方の移動速度でしたら、門を出てから三十分もすれば問題ないでしょうね。読んだ結果、辺境に行きたくないなと思ったら、破り捨ててください」
ちゃんとオドパーティのスペックも調査されているようだった。
「封蝋がないのは、あくまで私的な手紙を装うため。こうしておけばあの兄は興味を持たないでしょうから」
王女は説明を終え、質問を待つ。
「じゃあ、まずはアタシから。報酬、出るんでしょうね?」
ちょっとレシュ、と制止するが、王女は笑って答える。
「わたくしの見立てが正しければ、先方は相当に“溜め込んで”おられるはず。ですので、この一件が片付いたら、そこから拝借するのがよろしいかと。それでも足りなければ、セレスティナに支払わせますよ」
含みはある。が、レシュは少し悩んで、承諾。
「ん。なんとなく分かったわ。最終的には手紙を読んでから決めるけど、基本は前向きに考えとく。オドはどう?」
話を振られた彼は。
「そうだね。盗賊団制圧とかだったら断るかもだけど、王女様もこっちのことは調べてるみたいだし、人の命を奪うような依頼は書いてないと思う。だから、わたしも同意見かな」
表に居る残りの二人も、オドの方針には従うだろう。
「では、そのように」
立ち上がり、手を差し出す。
オドはその手を取り、王女と目を合わせる。
「オド、吉報を待っていますよ」
彼女は最後に優しくほほえみ、これをもって会談は終了した。
「では、お帰りならこちらに。《マス・テレポーテーション》で皇都西口付近まで飛ばします。残りの二人はすでに移動させておりますので、ご安心ください」
結界を維持していたエルフの一人が、オドを呼ぶ。
「じゃあ、またお会いしましょう。今度はもっとゆったりお話したいです」
王女に一礼し、エルフの魔法を受ける。
ブン、と転移魔法の音がした後、結界が解かれた。
王女はティーセットをメイドに片付けさせ、ぽつりと呟く。
「青の神子、ですか。暫くは静観するとしても、最悪の場合はこっちで引き取っても良いかもしれませんね」
さて、オドの側。皇都西部。
「む、主の会談は終わったようだな」
オドを主と慕う、象の
彼の名前はクレオネス。立てば四メートルにもなる巨躯を持つ。実年齢は三十五だが、長寿故に扱いはギリギリ成人だ。
「うん、こっちも認識できた。迎えに行こう」
その背に乗り、足をぶらぶらと揺らしているのはアルム。
つまるところ、オドのパーティは、四人だ。
事前に唱えられていた、互いの位置が分かる呪文。その効力で、オドたちが転移したことを彼らも掴んでいる。
「立つぞ、捕まっておれ」
「はーい」
クレオネスが加入して以降、平地でのパーティの移動手段はもっぱら彼の背に乗り、運ばれる形となっている。
彼はノシ、ノシと、ゆったり歩く。
それでも、常人の早歩き程度のスピードは出る。
でかいは強い、だ。
アルムはクレオネスの背に乗ったまま、眼下の街を眺める。
「《コレクト・サウンド》」
ルノフェンを見習って独学した風の初等魔法を用い、市民の立ち話を聴く。
「盗み聞きは感心しないぞ」
クレオネスに咎められるが。
「カタブツめー。これも情報収集でーす!」
言い返す。
軟派なアルムと硬派なクレオネスでは、時折こういった衝突が起こる。
とはいえ。
「程々にな」
最終的には、余程のことでなければクレオネスが折れることになっていた。
「あ! こっちだよこっち!」
街路を外れ、石橋の上。オドがぴょんぴょんと飛びながら、クレオネスたちに存在をアピールしている。
オドとレシュの二人は足元に駆け寄り、前者は《テレポーテーション》で、後者は脚に巻き付くようにして這い登り、クレオネスの背中に移動した。
「お疲れー。どうだった?」
アルムの問いに対し、オドは言葉を選んで情報を共有した。
「ということで、当面の目的は辺境サヴィニアックになるかな。二人とも、情報持ってる?」
西門に向かいながら、仲間に尋ねた。
オドは転移者なので、まだまだ大陸についての知識に疎いのだ。
答えたのは、クレオネス。
「サヴィニアックか。ソルモンテーユ領内だが、シュヴェルトハーゲンに隣接している穀倉地帯だな。
気候に恵まれ、過去に皇都周辺の貴族主導で行楽地化を行おうとしたが、当時の辺境伯が開発に抵抗し、“貴族のみが困窮する、奇妙な飢餓”を発生させた件で、今も恐れられているとか」
「こわーい」
アルムも知っていることだろうに、と小言。
「ねえ、今シュヴェルトハーゲンの近くって言った?」
話題に食いつくレシュ。
「火の国と水の国の中間ってことはさ、もしかしたら温泉が湧くんじゃない?」
彼女の目は、キラキラしている。
「話、聞いてたか?」
クレオネスは、暗に「視界一面全部農地だぞ」と言っている。
「でもさー、絶対温泉はあるでしょ。むしろその立地で湧かなかったら嘘だよ。行こうよ、温泉」
既に温泉がある体で提案するレシュ。
「まあ、僕もあるとは思うよ? 行楽地にする案が出てたのは確かだし。観光用の整備された宿があるかどうかは別だけどさ」
冷静にアルムが補足。
「んー。とにかく、手紙見てから決めない? わたしは結局行くことになるかなって思ってるけど」
議論が堂々巡りになりそうだったので、オドがまとめる。
他の三人も、特に強固な意見を持っているわけではなかったので、とりあえず同意した。
「ほら、西門も近いしさ!」
オドの視線の先には、石造りの大きな門がある。
塗装は若干色あせているが、言い方を変えれば年季が入っているとも言える。
門の手前には、都市を出るための検査ゆえに、人の列ができているようだ。
行列の先頭に視点を移そう。
聖都デフィデリヴェッタ方面へと向かう巡礼者の一団を心底つまらなさそうに見て、その男は言葉を発した。
「ああ、問題ない。通れ」
特注の椅子に座り、全身に最高級の衣類を身に着けている彼の名は、ルシュリエディト・エトルシェ・ド・ル・ソルモンテーユ。
この都市で、彼の名を知らぬものは、ほとんど居ない。
何を隠そう、この国の皇太子だ。
その皇太子が、何故かわざわざ出国の手続き現場を監視している。
理由は、気まぐれ。
彼の頭の中では、この行為によって国民を管理しているということになっている。
皇太子は、門を通ろうとする
「君はどこ行きだ? 冒険者か?」
彼女は耳をピクッと震わせる。声の主が、皇太子であると気づいてしまったのだ。
「さ、里帰りです! ミトラ=ゲ=テーア大森林に!」
「そうか」
椅子から立ち上がり、おもむろに距離を詰める皇太子。
「あ、あの、何を?」
そのまま、戸惑う少女の衣服をパン、パンと叩いてゆく。
「ボディチェックだ。国外に出るのだろう? 密輸してないかどうか確かめねばな」
「えっ、あの、さっきの巡礼者にはそんなことしなかっ……」
荷物を勝手に開け、物色する。
「皇太子による抜き打ちチェックだからな。悪いようにはしないさ」
端的に言うと、皇太子はクソ野郎であった。
ソルモンテーユ上層部にとっても胃痛と頭痛の原因である。
なんなら、王女レヴィアテレーズからは「廃嫡するのもあり」とすら思われている存在でもあった。
彼はそのまま五分ほど荷物を観察し、細かな私物を一つ抜き取った後、少女は困惑しながら都市から出る許可をもらった。
万事がこの調子であり、行列の消化は滞っていた。
そういうわけで、二時間ほど待たされてからオドの順番がやってきたのである。
「む?」
オドが許可を得るためにクレオネスから降りてくるなり、彼は己の目を疑った。
裾が膝程度で切り落とされた巫女服。薄いタイツに包まれた脚はすべすべとしていそうで、手や顔を見る限り色白。童顔。正直可愛い。
だが、女の子にしては胴にくびれがなく、ストンと落ちている。フェロモンは男のそれだ。女癖の悪い彼にはわかる。
「なんだ? 我が主のことをジロジロと見ているな」
声を潜め、クレオネス。
皇太子はオドの周りをうろつき、じっくりと観察する。
「男……? いや、女……?」
オドはともかく、皇太子の方も困惑している。傍から見れば、奇行であった。
「ふむ」
一通り目で確認して、彼はうなずく。
「通してくれる? そろそろお昼ごはんの時間なんだけどな」
アルムが催促するも、聞こえてはいないようだ。
「じゃあ、最後に確かめさせてもらおう」
オドの正面に向き直り。
彼の、平らな胸に向けて手を伸ばす。
「え」
硬直するオド。
しかし、硬直の原因は皇太子の手に対してではない。
何かが上から飛来する。
矢にしては重く、隕石にしては唐突すぎる、質量の塊。
ZGAM!
大きな破砕音を立て、二人の間の地面に突き刺さったのは、石の槍だ。
レシュが、怒気を湛えながら、クレオネスの背中から投擲したのだ。
一瞬遅れ、致命の一撃を受けかけていたことに気づいた皇太子は尻餅をつき、後ずさる。
「おっ、おおおおお俺は皇太子だぞ!? 無礼千万!」
「!? お怪我は!?」
駆け寄る皇太子の乳兄弟、ブリュノール。彼は最初からやり取りを見ていたが、普段に比べてまだマシな彼の対応を前に、沈黙を貫いていた。
有無を言わさず二射目を構えるレシュ。召喚物なので、魔力が続く限り何度でも投げられるのだ。
「家に帰ってお漏らしして寝ろクソ王子! ほら、この隙に行くよ、オド!」
「わ、分かった!」
オドは我に返り、《テレポーテーション》。クレオネスの背中に転移する。
「ったく。最後は力技か。《タイガー・スプリント》」
「レシュさあ、やっぱ我慢するの苦手だよね。《スピードアップ》!」
「うう、ありがとうって言えばいいのか分かんないよぉ。《アクセラレーション》!」
補助魔法を大量に付与されたクレオネスは、競走馬もかくやというスピードで門に突っ込み、走り去ってゆく。
その様子を眺めていた商人の一人が、検問が機能しなくなったことに気づく。
「なあ、もしかして俺たちもこのまま行けるんじゃないか?」
同僚と顔を見合わせ、同意見であることを確認する。
「あのクソ王子だけなら押し通れるんじゃねーノ?」
「そうだそうだ! 最初からそうすりゃよかったんだ!」
やがて、混沌の塊となった群衆が歩みを始める。
「おい、よせ、俺の仕事がっ……」
馬車、象、
門に向かう者の中には、もはや皇太子の言葉に耳を貸すものは居ない。
「なんということだ……」
皇太子は諦め、《プライベートチャネル》の掛かった指輪から、震える声で遠方の配下に指示を出す。
「検問を強化するんだ。どの境界に集中させるべきかは聞いていない。とりあえず全部だ。特に、象のレゲルに乗った奴らはその場で懲らしめてほしい」
その後、彼はブリュノールに分単位の頻度で慰められながら、何食わぬ顔で王城に帰還した。
◆◆
「ふー、少し落ち着いてきた。何なのあのクソ王子。アタシだってオドの胸は触ったこと無いのに!」
風を切りながら走るクレオネス。その上で、オドたちは状況を整理していた。
「レシュ、オドのこと大好きだもんねー」
「ばっ! 別にそんなんじゃないし! 気にかけてるだけだし!」
アルムがからかう。気があることは、オド本人も含めてとうにバレている。ちなみに、オドはまだアルムにも襲われていない。彼がルノフェンの意向を汲んでいるためだ。
オドには師匠兼恋人が居る。最近のオドは内面も急成長を遂げており、何度か師匠の方をドキドキさせる展開になっているとか。
とはいえ、レシュからの好意に対し、応えられないという意味での罪悪感を感じてもいるようだ。
「そ、それはともかく、手紙見ようよ。サヴィニアックに入る前にさ」
強引に話題を変える。
ひとまず、恋愛感情については先延ばしにすることにした。
「ん。そだね。みんなで読もう」
「声に出してくれ。己の背後に目はないからな」
わかった、と承諾し、オドは封筒を取り出す。
封筒の中には、二枚の便箋が入っていた。
片方は辺境伯の若妻セレスティナからレヴィアテレーズに宛てたものの写し、もう片方はその返答であった。
序盤には、セレスティナの近況が書かれている。皇都から辺境に引っ越し、苦労はしているものの順調であること。皇太子から婚約破棄された結果、巻き込むことになった辺境伯を、結局は好きになってしまっていたこと。
「これ、わたしたちが見ていいものなのかなあ」
なんのことはない、日常の手紙である。
中程では、青の神子について案じている。皇太子に酷いことはされていないか、ひどい目にあっていればいつでも引き取るから連絡をくれ、といった調子だ。
「ソルモンテーユ貴族の私通、シュヴェルトハーゲンが滅茶苦茶欲しがりそうだ」
アルムは他人事のように呟く。
ところが、後半に入ると毛色が変わってくる。
「えーと、『シュヴェルトハーゲンの革命以降、あちらの土地開発に伴ってモンスターがこちらに押し寄せております。
辺境伯軍は精強にして屈強、襲撃を防ぐことには概ね成功しておりますが、あくまで公的な軍であるため、国境に隣接したモンスターの拠点に攻め入ることができません。
特に厄介なモンスターは、
「なるほどな。ということは、もう一枚は返答という体の依頼書ということか」
息を切らさず、クレオネスが音読を促す。
結果的には、その通りであった。
国という枠に縛られない神子という戦力を、国境をうまく利用して逃げる敵にぶつける。特に、このケースならソルモンテーユもシュヴェルトハーゲンも損はしないので、問題は恐らく起こらない。
合理的ではあった。
「ドラゴン、しかも老熟クラスかあ」
ため息を吐いたのはオド。
老熟。つまるところ、長い時を生きた上位存在である。現在のシュヴェルトハーゲンは軍事国家であることもあり、容赦なくそのドラゴンを住処から追い出してしまったのだろう。
「勝てると思う?」
レシュが皆に問う。このパーティだと、極度に強い敵と交戦した経験を持つものは、オドとクレオネスだけだ。
「相手の装備次第かなあ。
知能が高いモンスターは、当然道具も扱えるのだ。
「己としては戦いたい。そいつはシュヴェルトハーゲンから逃げてきたのだろう。極端な被害について手紙に書かれていないならば、人の手で御せるはずだ」
クレオネスはやる気だ。
「僕も参加でさんせー。巨大モンスターとの戦い、一度はやっておきたいからね」
アルムも同意し、全会一致でサヴィニアック行きが決まった。
いざ方針が決まってしまうと、その後の旅程は、比較的順調だった。
ただ、一点だけ、特筆すべきことがあった。
サヴィニアック領入口、検問地点。
辺境というだけあって舗装路は入り組んでおらず、仮に皇都から他の領地を経由せずに侵入しようとすると、必然的に道は一本に絞られる。
その道の中に、バリケードが敷かれていた。
バリケードの手前側には、ブレストプレートとグレートソードを装備した騎士にして司令塔。それと、司令塔の背後から様子をうかがう、バックラーとショートソードを装備した軽戦士。
奥には弓使い。斥候や魔法使いは居ないようだ。
彼らはこちらを視認するなり、戦闘準備を固める。
「主よ。穏やかならぬ雰囲気だぞ。バフをくれ」
「わかった。《マス・グレーター・プロテクション》。《マス・アンチ・クリティカル》。《グレーター・ストレングス》」
オドも《ディテクト・トラップ》から情報を得ている。目視で相手の装備を確認し、汎用的な補助をかける。
クレオネスは走る速度を徐々に緩め、穏やかに距離を詰めてゆく。
兵士からすると気の毒なことに、クレオネスの体躯は巨大であった。いつの間にか暮れつつある、赤い太陽に照らされる彼の姿を見て、意志が揺らぐ。
「と、止まれ! 皇太子ルシュリエディトの命により、象のレゲルを含んだ四人組は、ここで成敗することとなっている!」
「ほう」
一歩一歩を見せつけるように、なおも距離を縮める。
「構えろ!」
騎士は気を奮い立たせ、戦闘準備を促す。
足こそ震えているが、気合で持たせているようだ。
「面白い。その有様でやれるのか?」
「悪役みたいだよ、それ。もうちょっと別の言葉なかったの?」
アルムの突っ込みを無視し、腕組みしながら騎士の前に立って見下ろす。
「提案しよう。一発だけ、無防備で攻撃を受けてやる。それが戦闘開始の合図だ。主よ、それでいいか?」
オドに対し確認。
「わかった。
でも、命までは取らないこと。
騎士さん、依頼主は明かせないけど、わたしたちはサヴィニアックの問題を解決しようとしてる。『戦わない』って選択肢もあるし、わたしとしてはお互い無傷でここを通りたいんだ。クレオネスはとっても強いよ?」
あくまで降伏を勧めるが。
「この、騎士を舐めやがって……! 最初の一撃は俺が入れる! その後一斉に襲い掛かれ! 行くぞ!」
戦意あり。グレートソードを下段に構え、クレオネスの太い脚を狙う。
「ふむ、悪い選択ではないな。己がバランスを崩せば、主とご友人達は高さの優位を失うだろう」
「切り落とされても吠え面かくなよ……!」
二者は視線を交錯させ。
「どりゃあーッ!」
全力を込め、水平に斬りつける。
しかし。
カァン! という鋭い音で、渾身の一撃が虚しく弾かれたことを知る。
騎士の手に伝わったのは、まるで大岩を叩いたかのような、硬質な衝撃。
「は?」
皮膚にしては硬すぎる。バフが入っていたとしても、並の魔力ではこうはなるまい。
「では、始めるか」
騎士が我を忘れていた一瞬の隙を突き、クレオネスが攻める。
武器は、丸太のような己の前足。この程度の相手に、装備は使えない。
「げっふぼあァーッ!?」
オドの防御魔法によって硬質化した、シンプルゆえに凶悪な蹴りが、騎士の腹部にクリーンヒットする。
「うっわ痛そー!」
煽るアルム。戦意を削ぐ意図もある。
蹴りの勢いで吹き飛ばされた騎士は、バリケードに背中から衝突した後、「ムン」と間抜けな声を漏らし、気絶した。
「どうする? アタシたちはまだやれるけど」
レシュは武器を生成している。ただし、槍ではなく、穂のないただの棒だ。
「怯むな! 射掛けろ!」
地上の軽戦士が弓使いに命令を出す。
なお、軽戦士にはできることがない。グレートソードを弾く皮膚の前には、ノーマル品質のショートソードなど爪楊枝に等しい。
このため、彼も三秒後には場上からレシュの攻撃を受け、抵抗すらできずに意識を失う事になる。
「ら、らじゃ!」
指示を受け、弓に矢をつがえようとするが。
「あ、あれ? 私の弓は?」
つい先程まで手に持っていた弓が、背中の矢筒と一緒に消失している。
「ここだよ、ここー!」
声の主は、クレオネスの背中。
闇陰の初等魔法、《スティール》によって奪い取られた装備一式が、アルムの手の中にあった。
「嘘でしょ? アレ支給品だから、もしかして懲罰になる?」
とんだ失態である。この世界の魔法は、その難易度を問わず凶悪なものが多い。
特に、装備奪取や装備破壊系は、成立させることが難しいにも関わらず、常に抵抗のリソースを配分しておかなければ非常に厄介なことになるのは、今見たとおりである。
「勝負あり、かな?」
全ての敵が戦意および攻撃手段を失ったことを確認し、一行はクレオネスから降りる。
オドは慣れない手付きでバッグから手枷を取り出し、騎士と軽戦士を簡易的に拘束する。
その横で、アルムは弓使いに土下座させ、装備を返してやっていた。
「《ヒール》。《アウェイクン》」
前衛組を覚醒させ、レシュを呼ぶ。
「お、片付いた? 尋問する?」
『尋問』の単語を聞き、彼らの体がこわばる。
「うーん、皇太子殿下の指示って最初に言っちゃってるし、聞くこと無いかも。やっておきたいことある?」
敵の前で、「お前らの持ってる情報に大して価値はない」と言っているようなものだ。
生殺与奪の権を握られた彼らは、ガタガタと震えだす。
「じゃあ、ちょっと保険をかけておくね。三分だけ頂戴」
レシュはするすると指揮官の眼前に迫る。
「何をする気だよ、おい……!」
答えは、呪文で返ってきた。
「《チャーム》」
姉から学んだ魔法だ。オドも受けたことがあるその魔法は、緊張と警戒心を剥ぎ取り、偽りの愛情を植え付ける。
「あっ、あっ、あっ」
目がうつろになり、脱力する。騎士とは思えないような甘い声が漏れ、レシュに服従を申し出る気にすらなってくる。
「うん、これでよし。ふたつほど、アタシと約束しようね。あなた達は、象のレゲルの四人組は見なかったと報告する。それと、アタシ達が戻ってきたとき、笑顔でここを通す」
「精神操作系の魔法、やはり恐ろしいな」
クレオネスは冷ややかな目で見ている。彼にも覚えがあるのだ。
「はい、わかりました」
熱に浮かされたように“約束”したことを確認し、レシュはクレオネスの上に戻っていく。
「よし、行こっか! 早く到着しないと日が暮れちゃうよ!」
空を見ると、太陽の下の部分が、既に欠けている。
それからは、寒空を切りながら、ひたすらに走った。皆の思いが、温泉に入りたいという一点で一致していた。
そして、どうにか太陽が沈み切る前に、一行は辺境サヴィニアックの都市に到着したのである。
【続く】
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