ひとめぼれ
僕がすむ清川町は、どこにでもあると言えば、どこにでもありそうな町だ。
繁華な駅前には複合商業施設があり、休日には賑わう。中規模の駅の中には、チェーンの喫茶店が三件くらいある。駅を河原の方へ少し歩いていくと、図書館があった。
図書館は小高い場所にあって、通りを挟むと「星の丘公園」という小さな公園がある。
公園には、「星を見上げる人」と言うモニュメントがある。
このモニュメントは、その名の通り、西の方を見上げる青年の像だ。
何でも、この像のモデルになった人物は、昭和時代に活躍した学者らしく、この町の繁栄に寄与した偉い人だ。実態は資料館に行けば正確にわかるが、あえて調べる人もいない。大きな石造りの台座には、落書きがしてある。相合傘や、ヤンキーが書いたような落書きが。
「星を見上げる人」のすぐ横にあるベンチに腰かけて、僕は、弁当箱を広げていた。
サランラップにくるまれたおにぎりが二つ。具は両方とも梅干しだ。タッパには、昨夜の豚の焼き肉の残りがキャベツを添えて入っている。
箸を取り出して、まずは焼肉から口に運ぶ。途中で水筒に入れた麦茶を飲み、おにぎりをつかんで頬張る。
今日は金曜日で、午前中いっぱいは図書館で受験勉強をしていた。
夏休みが始まったばかりだが、受験生である僕に、休む暇はない。
昼食を終えると、また図書館に戻って、勉強を再開しなくてはいけない。
空になった弁当箱をバッグにしまって、立ち上がると、大きく伸びをした。
木々の間から漏れる光が一瞬目に入り、僕は片目をつぶった。
その時、不意に声がした。
公園の入り口の方に目をやる。
「よう、勉強ははかどっているか、未来の弁護士先生」
そんなふうに呼ぶから、公園にいたほかの人たちがちらりと僕の方をうかがう。
僕はため息を吐く。
「やめろよ、ひまじん」
と返す。
僕は、そいつの横をすり抜けて、公園を出ようとした。
そいつは髪を金髪に染めていて、僕よりも頭一つくらい背が高い。二メートルとはいかなくても、それに近いくらいあるから、やたら周囲の目を引く。何よりも、肌が白くてすらりとしているし、普通にファッション雑誌の表紙に乗っていても不自然ではない容姿だ。インディゴブルーのダメージジーンズをはいていて、赤いキャンバススニーカー、そして無地の黒いTシャツの胸元には、星をかたどったシルバーネックレスをしている。
そいつは、まるで武器のように背中にギターケースを背負っていた。
「ひまじんとは失礼だな。俺はいずれ忙しくなるんだ」
そいつは、そう言ってニッと笑った。
僕の同級生で、名前が早川翔太と言った。
高三である現在は、クラスが別だけど、一年、二年の頃は一緒のクラスだった。
「これからゲーセンにでも行かねえか?」
と翔太が言うが、僕は首を横に振る。
「僕は受験生だぞ」
と念を押すように言うと、翔太は肩をすくめて、
「息抜きも大事だろ」
「今日決めた分だけ、勉強を進めないといけないんだよ。せっかくだけど、付き合ってやれないな」
「そうか。じゃあ、俺は一人で行くか。あーあ、せっかく女を紹介してやろうと思ったのにな。実はゲーセンで二人組の女子と待ち合わせをしてんのよ。まあ、別の奴を誘うかな。ほんとう、まったく、残念だ。がり勉くん」
翔太はそう言うと、スマホを取り出し、僕に背中を向けた。
僕は、まあ、待てとばかりに、翔太の肩に手を伸ばした。まあ、待てよ。早まるなと。
「ああ? な、なんだよ、いきなり掴むなって」
「今日の勉強のノルマは、明日に持っていくよ」
と僕は、二回頷いた。
「だろ。そうこなくっちゃな」
翔太は悪代官みたくニヤッとして、頷き返す。
「じゃあ、これから……」
と言いかけて、翔太は押し黙った。
僕は翔太が突然固まったように、表情を消したので、翔太の肩に置いた手をゆすった。どうした、どうしたというんだという感じで。
翔太の視線が、ワオッという感じで、赤いハートマークになって、僕の頬の横をかすめ飛んでいった。
僕は、すぐに振り返った。
僕の目は、大きく見開かれた。同じように赤いハートマークになった。
僕と翔太の視線を釘付けにしたその女性は、夏らしい柑橘系の香水の匂いを振りまいて、僕らのすぐ横を通り抜けていった。
「今日の予定は変更だ」
女性が僕らに悪戯っぽい視線を送ってきた。天使みたく微笑んできた。翔太の予定は変更になった。僕もまた予定を変更することにした。
僕らはしばらく様子をうかがう。タイミングを見計らう。あせってはいけない。がっついてもいけない。よし、クールに行こうか。
女性は、純白のサマーニットにキラキラとした雨上がりの空みたいなブルーの水玉のロングスカートをはき、品のいい薄ピンクのスニーカーを履いている。腕にはカラフルなビーズのブレスレットを重ね付けしていた。右耳に太陽みたいな赤いピアスをしている。髪を後ろに束ねていて、赤い髪紐をほどいたら、セミロングくらいの長さだろうか。髪の色は少し茶がかっていた。
目はくっきりとした二重で、薄ピンクの口紅を塗っていた。まるで、曇りのないガラスのような透明感がある。びっくりするくらい、僕の好み。
女性は、ベンチに腰かけて、大きめのリュックサックを背中から降ろすと、リュックサックのジッパーをあけ、中を探りだした。
中から出てきたのは、スケッチブックだった。
女性は、さらに革製の筆箱を出し、鉛筆を一本ぬくと、それを「星を見上げる人」の像の方に親指を立てるように向けた。
片目をつぶって、像をじっと見つめている。
そして、軽く頷いてから、スケッチブックを開けた。
僕らは、女性のすぐ近くのベンチに腰掛けると、女性がスケッチする様子を、それとなく見ていた。いくら女性の顔がミロのヴィーナスみたくに見えるからって、じっと見つめるとか、そんな無粋な真似はしない。僕らはよく駅前でナンパした。翔太は、百戦錬磨の騎士。僕はお供の馬引き童貞野郎と言った風情。翔太いわく、「お前は、小道具だ。ナンパという芸が、成功するために、欠かせない存在だ。わかるか。お前は、俺の人生になくてはならないエレメントなんだよ」。言うなれば「女子を安心させる存在」と言いたいのだろう。「君って、見かけ通り、まじめで、いい人よね」と僕は翔太にお持ち帰られる女の子に言われることが多い。
一人で、帰り道を帰る時、女子を頭の中で、無茶苦茶にしている。しかし、現実の翔太は、女子の手を優しく握っている。この差は何だ。簡単だ。翔太は、イケメンで、僕は普通。翔太は話術がたけて、僕は口下手。背だって頭一つ違うし。僕も、翔太みたく、女子の手を優しく握ってみたい。と鉛筆を握る女性の細く白い手に日光が反射しているのを眩しく見つめた。
きつめの柑橘系の香水の匂いが、僕らのまわりに漂ってきている。女性が額の汗をハンカチで押さえつけるように拭う。ふと香水にまじって汗の匂いはしてこないだろうかと考えた。いかんせん、発想自体がもてないんだ。首を左右に振る。しかし、桜の絵が刺繍してあるハンカチがベンチの横に置かれると、僕の眼はハンカチにぐっと注がれる。桜が好きなのかなとふと思っただけで、ドキドキしてくる。
「ギター、弾くの?」
そう女性が声をかけてきたのは、僕らが女性のスケッチに無言で付き合い始めて、一時間位したころだった。女性の声は、マイナスイオンのように涼しげで、潤いに満ちていた。
「ああ、弾くよ」
と翔太が答える。
「どんなギター弾くの?」
「よく、破壊的とか言われる」
「ヘヴィメタル?」
「いや、人によっては、七十年代後半のニール・ヤングって言ったり、カート・コバーンと言ったり、ああ、最近はジャック・ホワイトに近いって言われたりする」
「ニール・ヤングとカート・コバーンが近いっていうのは何となくわかるけど、そこにジャック・ホワイトが加わると、よく想像できないな」
女性は、思案げに、あごに指を添える。
「まあ、聴けばわかるよ。『超』破壊的だから」
「ふうん。聴きたい」
「俺は翔太っていうんだ」
女性は鉛筆を動かす手を止めて、チラッと翔太の方を見た。
「私は、桜子」
それを耳にした途端、翔太が昔のきざな洋画みたく指をパチッと鳴らした。
「桜に子が付くと、もうまいっちまうよね。世界一かわいい名前だよ。本当に、君を見たら君が桜子って知らなくても、だれでも、桜子って呼びたくなるよ。完全にはまってる。そう、はまってるんだ。君は桜子だね。それ以外の名前は、出てこないよ。いやそれ以外の名前は聞きたくない。世界は、桜子という名前が似合う女子だけでいい」
桜子がきょとんとしてから、すぐにふきだした。
僕は内心、落ち着かない。そして、負けていられるかと思って、とにかく褒めまくればいいんだと思い、さかんに誉め言葉を探すが、陳腐な言葉ばかりが脳裏に浮かんで、口がもごもごする始末だ。
「そうだ、横のこいつは健っていう名前で、サックスプレーヤーだ」
と翔太が言って、僕の背中を強くたたく。
「え、意外」
「俺の付き人じゃないぜ。ましてや、ぱしりでもない。まあ、はたから見るとよく間違えられるんだけどね。こいつは、最高のテナーサックスプレーヤーだよ」
僕は思わず、そっぽを向いた。照れてしまったからだけど、桜子は「かわいいね、顔が赤くなるなんて」と言ってからかってきたので、僕は、昔のきざな洋画みたく、お手上げといった感じで、肩をすくめた。
僕らは桜子と約束を取り付けるのに成功した。
桜子は、東京からやってきた美大生で、近くのビジネスホテルに夏中滞在しているという。
明日また会おうと言ってくれた。
僕らが指定する場所と時間でいいと言った。
翔太が僕よりも先に「こいつの家でいい?」と言ったので、桜子は怪訝な顔をした。
僕がすぐに、
「僕の家は、ジャズ喫茶をやっているんだよ。リバーサイド・ブルーっていう名前で」
と説明する。
「あ、知ってる!」
「本当? 桜子さんって、土地勘あるの?」
「ええ、私のお師匠さんが、昔よく通っていたって言ってた。だから、一度はリバーサイド・ブルーへ行ってみなさいって。ちょうどよかった。確か、一階が洋菓子屋さんでその地下よね」
「そうそう」
とりあえず、僕らと桜子は公園でいったん別れた。
桜子が先に公園を出て見えなくなると、翔太は雄たけびを上げ、僕は大きくガッツポーズを決める。公園のほかの利用者たちがぎょっと僕たちを見て、すぐに視線を逸らしたのが分かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます