第14話 アクアマリンの流砂
「よく来たね」
追い打ちをかけるように灯台の物陰から鈍い物音が聞こえた。その声の主は指摘されなくても峻別できた。目の前には奇跡のような美しさを持つ少年が拗ねたように立ちはだかっていた。悠馬はその鬼気迫った姿に圧倒され、息が詰まった。右手に銀色に明々と光る凶器を見つけたとき、悠馬は踝から震えた。俺がお前に何をしたって言うんだ、と叫ぶ前に、あの海の血潮となった搭乗員の澄んだ眼を思い出し、悠馬の身体は一抹たりとも動けなかった。
「痛かったんだよ。荒波に揉まれて身体ごとに渦潮を感じて。君に何が分かるだろうよ」
痛かっただろう。想像を絶するほど。目の前に聳え立つ灯台は今日も変わらず、待ち侘びるように立っていた。こんなにこの灯台は大きかったんだ。果てしない巨人のようにも見える。多くの船舶を光源にも導き、死の船出をも導いたのだ。こんなにも世界は小さかったのか。こんなにも世界は狭かったのか。
「君たちは本当につまらない世界を生きているよ。ちっとも感心しない」
悠馬は発作的に言い返せなかった。自分に何ができるのだろう。何を報いれろ、と言うのだろう。動けなくなった悠馬は弱々しく息をするしか、出来なかった。闇は視界を腐敗させるほど、淡々と時を投げ打っている。
「君は僕らからむざむざと奪ったんだ。僕の中にある大事なものを」
目線の先には妖しげに乱反射するナイフがある。寸手のところでその刃先で皮膚を切り裂きそうだった。黒い宙に向かって血煙を上げ、回天の暗影の中で事切れた搭乗員のように、無惨な死を突きつけられるだろう。死は急激に荒れた。死を連れる波風がくねり出す。
「大事なものって何なんだよ……」
「それも分からないんだね。僕の母さんを殺したくせに」
高慢な岬は遮るように真意をひた隠しながら激怒した。誰が? 誰を? いや、今、言ったじゃないか。誰がお前の母さんを殺したんだよ、と言い返す前に岬は冷淡に微笑んだ。
「君のお父さんは僕の母さんをこの灯台のデッキから突き落としたんだよ。偽装工作もばれそうになって嵐の海に自ら入水したんだ」
嘘だろう、そんな筈はない、と心も身体も本能的に拒絶していた。ひたひたと迫る酷薄な言葉の刃は悠馬の本音さえもじっくりと阻んだ。
「その夜、僕の母さんは新しい命を授かっていたんだ」
それ以上言うな。それ以上知りたくない。海から吹きつける鉄砲雨が強さを増している。ああ、俺は死んじゃうのかな、と悠馬は思わず重い頭を抱え込んだ。
「……お腹にいた子供が」
潮風がこんな残酷な星が降る夜であっても頬に絡まった涙と同じ匂いなのはなぜだろう。
「それが僕なんだ。颯馬さんと母さんの間の」
何者かに後頭部を金槌で殴られたような、激痛が血走る。パンドラの匣はついに開けられ、反論する気力も悠馬には微塵も残されていなかった。冷酷なナイフの切っ先はあと一歩のところで喉笛を切り裂こうとしている。もう駄目だ、と天に向かって白旗を掲げようとしたとき、突風が海辺から吹きつけた。篠突く雨は長く続いた水中戦が終了したように一斉に止み、瞬時のうちに晴れ渡った夜空が出現した。濡れた服も早送りするかのように乾いていく。崖から見下ろすと視界を貫くように暗い海が青く発光し、その皓々たる光はアクアマリンの流砂のように空中に煌めいた。
「――新助お兄さん!」
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