第13話 苦しい。疲れた。もうやめたでは人の命は救えない
その白亜の灯台は帰らぬ人を待ち続けていた。幾年月もどんなに雨風にそっぽを向かれようと、どんなに人々から素知らぬ顔をされようと、その灯台はじっくりと身を構えていた。朽ち果てた言の葉をもう一度紡ぐように。
気が付くと悠馬は都井岬の灯台の展望デッキに座り込んでいた。狐に化かされて瞬間移動でもしたのだろうか。雨曝しとなった海風が真っ向から吹きつける。今日は入道雲さえもない完璧な晴天だったのに感傷的な少女が流した涙のような夕立が降って来たからか、悠馬は繁吹き雨に打たれながら身震いをしていた。
「国のために命を落とすなんてこんな惨めな話があるか! 父さんは誰かを救うために命を懸けたんだ。何で父さんが死なないといけなかったんだよ!」
悠馬は自分でも知らず知らずのうちに慟哭を叫んでいた。――海上保安庁には代々語り継がれている言葉があるんだよ、それは『苦しい。疲れた。もうやめたでは人の命は救えない』。颯馬君もよく言ったものだよ。『どんなに訓練が大変でも誰かの命を救えるのならばこの職務を全うできて本望だ』と。
多くの人の手によってめくられ、ついには背表紙がざらついた一冊の本のように何度も友輝じいちゃんから聞いた話。一命を懸けて愛する人を守りたいという強い使命感。分からなかった。悠馬には信じられなかった。自分の命よりも大切な動機がある。父はその揺るぎない信念を胸に秘め、この嵐の海を漂い、最期は闇夜の海に召される霊魂と化した。
ドライフラワーと化した紫陽花を見下ろす展望デッキにはある筈のない、兵器を悠馬は見つめていた。視界が見る見るうちに暗転し、鈍器で脳天を殴られたような衝撃が脳裏をよぎった。海に向かって連なる日陰の視界の先にあった回天は想像よりもずっと大きかった。大きかった。海征く屍として生存したまま入棺する棺桶のようだ、と月並みな発想しか、悠馬には考えが及ばなかった。死を導く墓標としてはあまりにも小さいじゃないか、とも思えた。生きて帰れるわけがない。こんな人を飲み込むような代物で勝利できるわけがない。何より、命を弄んで、命に何の未練もなくて、――強烈な吐き気さえも襲ってきた。心底からの凄烈な悪寒がのたうち回っている。
最果てで露となった若人らは綿津見宮へ還られた。その逸話は山幸彦と豊玉毘売の悲恋をなぞらえているかのようだった。かつて、二人が手を取り、見つめた海でかの惨劇は起こったのだ。あの大戦で引きつれた殺戮は都合よくは消去できない。どれだけのそのかけがえのない命を喪ってきたのだろう。一人一人の人生があったのだ。一人一人に家族があったのだ。一人一人に有望な未来が開かれている筈だった。服はびっしょりと濡れ、生暖かい潮風に吹かれながらも、悠馬は何とか歯を食いしばった。
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