第12話 常夏の白い夕日


「落ち着けよ。分かったよ。俺だってそれくらいは分かるさ。ただ、もう何十年も前の話なんだよ。歴史上の話だよ。そうやって思い入れるのは感心するけど、現代を生きている悠馬がどんなに焦っても過去は取り戻せないだろう?」

 過去は取り戻せない。どんなに科学が進歩しても、その歴史のワンシーンが入れ替わることはない。何がしたいんだろう。急かされる波動のように悠馬は焦燥感に駆られた。

「宗佑は何も感じないのかよ! あんなに人が亡くなったのに。俺たちの故郷でこんなに若い人たちが死んだんだぞ!」

 これはさすがにおかしい、と傍目から硝子越しに冷静に観察している自分もいた。宗佑が異を唱えたので、悠馬はさらに食って掛かり、ワッとなって重い頭を抱えると、頬が生ぬるく湿っていた。知らないうちに悔し涙を流しているなんて、宗佑の哀しげな表情を見るまでちっとも気付けなかった。自分でも不思議なくらいだった。どこか、心を押し殺し、現実から目を背けようとしていた。咽喉に刺さった小魚の骨のように、その哀しい真実はいつも心に引っ掛かっていた。海幸彦の釣り針を誤って飲み込んだ鯛のように。

「宗佑は何も分からないんだな……」

 事足りない主張を訴えても何も変わらないじゃないか。これまで歩んできた人生の経過も、降りかかる運命の序章も、待ち受ける未来の果ても。

「そうか。そうか。君はそんなに気遣ってくれるんだ」

 炎帝に生を謳歌する油蝉の声がもう、蜩のカナカナ、カナカナ、という静寂を鳴らす声音に変わるまでは、そんなに時間は下らなかった。宗佑? と悠馬の投げかけた声が冷たい廊下に滴り落ちる。悠馬は乾き切った本をしっかりと抱えたまま、窓辺から射し込む常夏の白い夕日を浴びていた。

「どうせ、どうせ、君にも誰にも自分自身でも分からないんだ。どうして、視界が霞むまで立ち続けなければいけないのか。どうして、僕がここにいるのかって」

 ふと鈴が鳴らす潮風を感じた。標高の高いこの図書館までは磯の香はしない筈なのに。

「君は忘れないんだね。過去の哀しみも過去のありのままの姿も」

 その正体を悠馬は痛すぎるほど分かっていた。口から発せられる前に彼は静かに頷いた。その姿見はハッとさせられるほど、芳香を匂わせる少年の姿となっていた。

「行こうか、あの世界へ」

 悠馬はかすかに震えながら見つめていた。

「僕はあそこで待っている」



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