第10話 浜昼顔の咲く浜辺で



 宿題もそれなりに終えた八月の中旬、悠馬は夜遅くに一人の少女の夢を見た。少女は夢の中で白いパラソルを持って、海を見つめていた。少女は誰かと瓜二つだった。海は相変わらず穏やかで歯向かう術も知りもしなかった。灼熱の太陽光もパラソルの下では感じられない。二人で親交を深める恋人のように並んでいた。ハッと悠馬は真横を見ると、少女は夢の中の悠馬の手を握った。辻褄の合わない夢だ、と思いつつもいきなり少女に手を触れられて、悠馬は手汗が滲み出しそうになった。浜昼顔が咲く白砂の浜辺ではその真珠色のパラソルの帆柱も溶け込みそうだった。海は取り分け反射しつつも青い。夢なのに足の裏が煮え滾るように熱く考えてみたら素足だった。ビーチサンダルさえも履いていない。


「私は図書館の本の中にいるの」

 図書館の本って? と悠馬が聞き返すと精巧な蝋人形のような少女はそうよ、本よ、と小さく答えた。

「回天の本よ。革表紙の」

 曇天の曠野に抗う金糸雀のような声は何度も悠馬の耳朶を打った。回天ってあの回天だよね? と悠馬が聞き返すと少女はその刻印された薄桃色の唇の先を割った。

「そうよ。私はあの写真の中でしか生きられないの。夏が終わったら終わりなの」

 どんな意味なのか、傍観した悠馬には微塵も分からなかった。少女の瞳は静かな月夜の海のように深く澄み渡り、悠馬の姿もはっきりと映っていた。知恵を絞って考えても回天と少女とあの転校生と結びつく、三角形の見取り図が思い描けない。何が終末とカウントされるのだろう。あの夏の午後を何度も廻る走馬灯のように悠馬は思い巡らせた。少女の手からパラソルが離れた。風が背中を押すように吹き渡り、その白いパラソルは水平線の彼方へと夜露のように跡形もなく消え去った。


「私は行かないと行けないの。あの灯台に」

 少女が突然、顔を伏せて砂の上にしゃがみ込み、泣き出し始めた。悠馬は慌てて少女に寄り添い、母親が赤ん坊をさするように背中を撫で始めた。夢の中なのに直で触れたように小さな背中は温かった。大丈夫だよ、と悠馬は潮風に吹かれながら何度も声をかける。今宵も皓々たる満月が空に浮かび、海の生き物は安らかに眠るのだろう。顔を押さえた少女の手の隙間からは生温い雫が伝わり、星の砂の調べと逆光した。

「私はあの灯台でさまよっているの。永遠に閉じ込められている」

 ちょっと待ってよ、と告げる前に悠馬は思わず、瞬時に立ち上がり、身を翻そうとする少女の手を握った。その手は夢なのにずっと冷たかった。思わずひやりとさせるほど。顔から手を離した少女の微笑がスクリーン上に点滅する綺羅星のように消えていく。待ってよ、待ってよ、と悠馬は胡蝶の夢の中で叫び続けた。やっとの思いで図書館に何かヒントがあるのかもしれない、と思いついたとき、悠馬はびっしょりと汗を掻きながら目を覚ました。茶褐色の天井を見上げるとまだ辺りは黎明で、夏の暑さに市販されていない薄闇に包まれていた。

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