第6話 海幸山幸神話


 回天の話はどうしても、暗くなりがちだ。悠馬は熱を入れる友輝じいちゃんに気を遣うと尽かさず、悠馬の故郷の宮崎に伝わる、海の神話に話を振るのだった。

「邇邇芸命と木花之佐久夜毘売の間にお生まれとなった三人の御子のうち、長男が海幸彦こと、火照命、その末子が山幸彦こと、火遠理命だな」

 古事記の上巻にある説話を友輝じいちゃんは誇らしげに語ってくれた。試験にもし、出題されたら、すらすらと答案を書ける自信が悠馬には十分胸を張って言えるくらい、いとも簡単に諳んじられる。日向の大海原を舞台にした神話を語り継ぐときの友輝じいちゃんの嬉しそうな横顔は、絵本にプリントされたお天道様のように輝いて見えた。


「ご成長された海幸彦は磯辺で釣りに出かけられ、山幸彦は山で狩猟に出かけられた。ある日、山幸彦は兄の海幸彦に『たまには兄上の釣り針と交換して、私も海で釣りというものをやりたいのです』と仰せられ、海幸彦は渋々ご自身の釣り針を渡された。山幸彦はその釣り針で鵜戸の海岸で釣りをなされた。その釣り針は何かに引っ掛かり、遠く彼方の海底まで藻屑となってしまった。大事な釣り針をなくした山幸彦は海幸彦に数多の釣り針を拵え、言葉では言い尽くせぬほどお詫びなさったが、海幸彦は義憤に駆られ、深海に潜り、血涙を吐くまで釣り針を探さないと俺は許さぬ、とおっしゃった。困惑した山幸彦は現在の青島の浜辺でしくしくと落涙されていた」

 その太古の昔からこどもの国がある、青島は存在したのだ、と悠馬は改めて感心した。マンゴー味のソフトクリームが売ってあるお土産屋やハイカラなハンバーガーショップなどが軒を連なる青島近辺は、宮崎県内でも有数の観光地だった。その頃は棕櫚の木やフェニックス、ワシントンニアパームは自生していたのだろうか、と悠馬の頬は赤みを帯びる。


「そこにどこからともなく、塩椎神という白髪頭のおじいさんが山幸彦のもとへ歩み寄られた。『そこの坊、なぜ、しくしくと泣いているのかね』と投げかけられると山幸彦は『兄上の大事な釣り針を海の底に落としてしまったんです』と涙ながらに訴えられた。塩椎神はふむ、と唸って閃かれた。『綿津見神宮には行かぬか』と早速、塩椎神は海亀に乗って山幸彦を連れ、綿津見神の国へと向かわれた。綿津見神宮には豊玉毘売と呼ばれるお姫様と父である綿津見神もいらっしゃられた。豊玉毘売と山幸彦は恋仲となり、三年余りの月日が流れ、すっかり綿津見神宮の生活に慣れた山幸彦は地上の様子をお気に召され、地上へ舞い戻ろうとされた。事情を父君の綿津見神と豊玉毘売に説明なさると豊玉毘売は鯛を集められ、とりわけ痛がっている鯛に尋ねられた。その中で『異物を飲みだしてから痛みが止まらないのです』と懇願した鯛の口を開けると海幸彦の釣り針が引っ掛かっていたので取り出し、事なきを得た鯛は痛みから解放され、無事山幸彦は兄の釣り針を取り戻すことに成功なさった。帰り際に綿津見神からあるものを承り、それは五つの釣り針と塩満珠と塩涸珠だった。山幸彦が地上へ舞い戻られると海幸彦は険しい顔をされて立ちはだかられていたが、『俺は許さんぞ』と海幸彦は臍を曲げられたままだったので、山幸彦はその二つの玉を海幸彦にめがけてお投げなされ、たちまち海幸彦は押し寄せる大波に溺れられた。『分かった! 分かったから助けてくれ!』と海幸彦は苦し紛れに哀願され、山幸彦はひとまず一安心された」

 串間から程なく近い日南市に所在のある鵜戸神宮にはその塩満珠と塩涸珠が大切に奉納されているという。太古の昔から伝わる、秘伝の玉。どんなものなのか、悠馬には盛んな想像が次々と浮かぶ。


「山幸彦は豊玉毘売が懐妊されたことを知り、大層お慶びになった。豊玉毘売は愛する山幸彦に『どうか、産屋を見ないでください』と言伝を残された。鵜の羽であしらわれた産屋に籠られ、山幸彦は今か今かと耐え忍ばれていたものの、つい気になられ、その産屋の戸は開かれた。目前には一尾の鮫がもがき、生まれたばかりの赤子が産声を上げられていた。驚愕した山幸彦はその鮫が愛する妻だとは、ご理解できず、呆然とされていたが豊玉毘売は『出産のときには本来の姿に戻るのです。今となっては大海原へ帰らないといけません』と御子を残して碧海へとお帰りになった。残された御子は鵜葺草葺不合命と名付けられ、父と子は渇いた陸上で来る日も来る日も果てしない海をご覧になった」



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