第5話 天鳥船



「特攻作戦では終戦間際になると、鉄製品が不足して、ベニヤ板で『震洋』と呼ばれる魚雷を拵えたこともあったんだ。ベニヤ板だよ。ベニヤ板。悠馬、分かるか?」

 子守歌のように何度も聞いた話に海風を浴びる蘇鉄を一瞥しながら悠馬は耳を寄せた。

「そうか。子供の頃に兵隊さんと何度か会ったこともあったんだよ。訓練中の光景も目撃したこともある。回天は電話線で地上の通信兵と連絡を取りながら、敵艦までの距離を的確に計算し、上下を自在に操る特眼鏡で海中を目視で確認しながら突き進むんだ。そんな過酷な訓練中に搭乗員が重圧に耐えきれず、難攻不落の岩礁や海底にぶつかり、暴れ回る回天を制御できず、亡くなるケースも多かったようだ。あらゆる特攻作戦の中で最も回天作戦が訓練中に命を落とすケースが多かった」

 水死だった、と友輝じいちゃんは硬い表情のまま、瞳孔も曇らせず、淡々と言った。大量の水がベニヤ板でできた艦内に侵入し、水圧に耐えきれず、そのまま溺死したケースも多かった、という。悠馬は暗く狭い艦内に澱んだ海水が入り込み、見る見るうちに酸素も足りなくなり、目深までその塩辛い水に浸かりゆく惨状を想像した。揺曳する回天は卒塔婆を連れる天鳥船となる。思い浮かべただけでも咽喉がカラカラに渇き、身体の深奥から静まり返りそうだった。引き上げられたベニヤ板で塞がれた震洋は赤黒い血で深く染まり、青々と満ちた海水も不透明となり、発作的に目を背けてしまうほど凄惨で本物の地獄絵図だった、と友輝じいちゃんは紅蓮の炎のようなハイビスカスを見ながら付け加えた。


「回天は一度、イルカ運動と呼ばれる、イルカのように海中をうねるように進み始めたら、一巻の終わりだった。海面から魚雷が飛び出せば敵勢に見つかり、襲撃される可能性も大きくなる。何より内部に伝わる衝撃に抗いきれず、艦内にいる人間もろとも決死するしかない」

 大海原を突き進む、イルカのように波浪とうねりを上げたら、と悠馬は静かに想像する。回天は見る見るうちに回転速度が増し、たちまち酸欠状態になり、ガス中毒に陥れば、かすかな息切れさえも吐けなくなる。進行の足手纏いになるにつれ、敵軍の精鋭なレーザによって感知され、無慈悲な無数の爆撃を受けるしかない。悠馬はその返り討ちを受けない光景が爆ぜる陽炎のように浮かんだ。


「戦況が刻々と悪化する帝国海軍では昭和十七年六月七日、ミッドウェー沖で日本軍の多くの戦艦ともに玉砕し、火蓋は切られ、神風特攻隊と同じように水面下で新たな特攻作戦を決行しようとしていた。命を引き替えの回天作戦はなかなか受理をされなかったが、発案者である黒木博司中尉の血書の嘆願書が出されたのは終戦までわずか、二年半も前の昭和十八年の秋だった。当初は海軍当局でも命を引き換えにした特攻作戦は相当な躊躇と葛藤があったんだよ。それでも、追い打ちをかけるように戦局は悪化し、日本各地で空襲警報が発令され、多くの主要都市が焼け野原と化した。日増しに戦況が悪化するにつれ、形勢逆転のために設立されたのが菊水隊と多々良隊、金剛隊と千早隊、白竜隊と天武隊、轟隊だった。神風特攻隊が華々しく新聞等で戦況の成果を報道されたのとは対照的に回天作戦、――回天の知らされる筈だった別名、神潮特攻隊は市民の間でも秘密裡にされ、知る者は数少ない関係者だけだったという」

 友輝じいちゃんの声音が、いつもより早くなっているのを悠馬は敏感に察していた。


「乾坤一擲、本土決戦に備えて回天基地は山口県の大津島に本部が置かれ、この南九州でも続け様に五つの地域、細島、栄松・大堂津、内海、油津、内之浦に部隊が設置された。本部から発進された回天は豊後水道を通り、地上戦に見舞われている沖縄本島やミクロネシア海域まで敵艦を撃沈するために日々決行された。……悠馬、何度もすまんな。回天について話すと口がせわしなくなるんだ。知ってはいるだろうが回天は一度発射したら、もう二度と停止することはないんだよ。文字通り、決死の特攻兵器だ。無論、脱出装置さえもない。乗り込んだら暗い搭乗室で息を潜めながら黙って三途の川を渡るしかない。終戦までに亡くなった搭乗員は整備員も含めて千二百九十九人、その大多数が二十歳前後の学徒兵や少年兵だった。勝ち目なんてなかった。敗戦を喫するしか方法は残されていなかった」

 歴史の授業で悠馬は他の教科と違って居眠りもせず、いつも真剣に聞いていたのは、友輝じいちゃんの熱心な手解きの影響だった。


「堅忍不抜、その大事な命を散らして。どんなに無念だったろうよ。もし、多くの若人が未来の礎となれたら戦後どれほどまで世界に貢献できただろうに、戦争は一瞬のうちに森羅万象をも破壊し尽くす。玉音放送が流れたあの夏の日、深々と跪いて礫の上を叩きながら号泣する、大人たちを戦後数十年経ったこの期に及んでも克明に覚えている。子供ながらに言葉に言い尽くせない虚しさを覚えたものだった。戦争はいかんな。いかん、と心の底から思うよ。絶対にいかん。いかんものはいかんと」

 友輝じいちゃんも青年の頃、悠馬の父と同じように海上保安官だったのだ。水中での得も言わぬ、目の色を変えて降りかかる恐ろしさは身に染みて理解している。豊後水道では瀬戸内海からの潮流によって流れが急速になるという知識ももちろん知っている。

「山幸彦の話は? じいちゃん」



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