第4話 星々のための鎮魂歌



 目障りな部活動がやっと終了し、あの転校生って変じゃないか? と宗佑から投げかけられたその日の帰り道、悠馬は校門を抜け、早期米の稲穂がたわわに実る農道を歩いていた。

「悠馬も思うだろう。あいつ、ひ弱そうに見えるのにあんなに体力があるんだぜ」

 夏休みも入ったばかりなのに宗佑の真っ黒に日焼けした顔が目に入る。宗佑の指摘通り、並外れた体力をあの転校生は持ち合わせていた。あの動きはちょっとやひょっとでは身に付けた動きではなく、まるで、軍隊で修練したような敏捷さだったのだ。二人で自転車を押しながら世間話をしていると、数多くの話題をさらった謎多き転校生が、湊にある石碑の前に立っていた。あいつに声をかけてみるか? と宗佑に促されるまま、悠馬はつい軽いため息をつきながら、石碑の前まで駆け寄った。何を見ているんだよ、と尋ねると岬は悠馬の手を突然握り、コクリと上目遣いを見せた。拒む前にその握られた手があまりにもヒヤッと冷たかったので、悠馬は思わずひるんだ。


「回天の碑だよ。こんなに苔が生している」

 ふさふさとした緑苔が生えたブロンズ製の石碑には緑青で風化を物語っていたものの、見定めるように『鎮魂 回天の碑』と記されていた。

「ここに僕は眠っている」

 唐突に岬が呟いたので、悠馬は動揺が隠せなかった。どういう意味? と言い返す前に岬はその銅板の文字を丁寧になぞっていた。


「夕日が今日も綺麗だ。――ほら」

 県内で唯一、海辺の町から感じる夕映えは一際大きく瞬いて見えた。白鷺が数羽、埠頭の置石に止まって、疲れ切った羽を休めている。テトラポットにか弱い白波に当たり、オレンジ色の浮標が波頭に漂いながら、船虫が船尾に這い、数隻の漁船が繋留していた。波止場に碇泊した漁船の船首に掲げられた大漁旗がはためかせながら、波間に休憩していた。


「僕は写真の中で生きているんだ、今となっては。誰にも見られない革表紙の中の一ページに記載されている」

 宗佑が自転車のサドルを握ったまま辛気臭そうに待っている。三毛の野良猫が気だるげに夕日を浴びて、閑静な漁港でくつろいでいた。早くしろよ、とせかすように宗佑のブーイングが潮風を浴びながら聞こえた。門限を破ったら母にも怒られる、とじれったくなりながらも一転して、その転校生の文字をなぞる西日に照らされた白い手を見ると、こんな夕日を父さんも子供の頃に見たんだろうか、と悠馬の心に思い出の風車が回った。

 悠馬の父、海野颯馬が例年になく、荒れ狂う海で救命のために海難事故で殉職した暁、残された悠馬の家族には、一生使っても使い切れないほどの賞恤金が支払われた。父の墓碑に記された行年は二十九歳という数字だった。若くして未亡人となった母、たった一人の忘れ形見となった、幼子の悠馬はその哀しい賞恤金のおかげで、今まで何とか路頭に迷わず、雨露を凌いできた。

 

 人の命を換算する憤りと切なさは母がいちばん知っている。今でも災害や事件と事故で巻き込まれた、多くの無辜な市民がしたくもない、理不尽なお金の勘定を決めている。そんな耳を塞ぎたくなるようなニュースを耳に挟むたびに、悠馬は自分と同じような悲痛な胸の内を抱えているのは自分だけじゃない、と深く噛みしめるのだった。

 写真の中でしか、生きられないのは父も同じだった。悠馬、帰るぞ、と宗佑の不満げな声を察知して悠馬は別れ際なのに挨拶も忘れて後退りをした。ふと船端から強風を浴びたのでまばたきをすると、岬は木枯らしのように石碑の前からいなくなっていた。



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