第110話 畳の上で死なむ
西行法師は「願はくは花のしたにて春死なむその如月の望月の頃」と詠み、その願いはかなったらしい。
僧侶として、お釈迦様の亡くなった頃に自分の命も終えたいと考えたのだろう。
今の世なら「ピンピンコロリ」と言うところか。
▼多くの老人が願う「ピンピンコロリ」にも気がかりな点がある。
「自宅で死んだら警察が入って(大変なこと)になる」と世間が騒ぐ〈検死〉だ。
この検死は(同じ読みの)検視と検案・解剖を包括する、というからややこしい。
『在宅医療が日本を変える』のなかで、中野一司氏は「在宅医療は検死を減らす」と強く主張する。
▼主治医が定期的に訪問診療をしている場合でさえ(自宅で冷たくなった患者さんを見つけて動転した)家族が救急車を呼んだら…。
救急隊から連絡を受けた警察も「すわ、不審死か?」と飛んで来るはず。
そんな〈大変なこと〉を避けるため、中野氏は「私へ連絡するように」と初診時から家族へ助言しているそうだ。
▼ちなみに「病院で死ぬのは勿体ない」という言がある。
費用の面から試算すると、一人分の入院費で二~三人が在宅医療を受けられる。
でも〈お金〉ではなく、本人や家族の〈気持ち〉が大切なのだ。
「自宅で最期を迎えられずに勿体ない」という素朴な気持ちを尊重したい。
▼さて〈看取りの質〉を考えてみよう。
「家で死にたい」とは「死ぬまで家で生きたい」という願いの表現。
ポイントは「家で」にある。
「死にたい」のではなく「生きたい」のだ。
○わが家にて最期を迎ふるが願ひなり妻とつくりし庭をめでつつ
▼どこの老健でも同じだろうが、コロナ禍で面会も満足にならない状況の看取りを余儀なくされている。
ここで発想を転換させて…。
先の見えない自宅介護は無理でも、数週間なら家族で最期を楽しめるのではなかろうか。
ぜひ御一考を。
(20210607)
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