3・突然の……?!

 母同様。

 大林の言葉を心の中で和宏は反芻はんすうする。

 

 大林の母は確か若い愛人がいたはず。

 どこかのセレブのようだと思ったことは否めない。


「沙希もあんな風になるのか⁈」

 思わず驚いて大林の方を見ると、

「運転中はよそ見をしてはなりませんわ」

と怒られる。

「好いた殿方とデートするくらい許されるのではありませんこと? 好きでもないあれと伴侶にならねばならないのですから」

 毅然とした態度でそう口にする彼女。

 好いた殿方という言葉がどうにも気になる。


「沙希、好きな奴がいるのか?」

とおずおずと尋ねると、

「何を言ってらっしゃるの?」

と言われた。

 そんなことを言われても、まったくわからない。

 いつの間にか車は目的地へ着く、駐車場へ辿り着きブレーキをかける。


 すると、止まったままの車内で彼女が呆れたようにため息をついた。

「和宏は昔から鈍感でしたわね」

 彼女がシートベルトを外すのが音で分かり、和宏が手をかけた時だった。

「こんなにアプローチをしているのに、どうして気づいて下さらないのかしら?」

と言うと、彼女は和宏の方へ身を乗り出す。

「え?」

 そして大林は和宏のシャツの襟元をがしっと掴むと、そのまま口づけたのである。


 しばし、思考停止。

 世界から音が消えた。


「さあ、行きますわよ」

 固まる和宏をそのままに、彼女は車のドアを開けて外へ出る。

「ちょ、は?!」

 和宏は慌てて車から降りると、鍵を車に向けロックをかけつつ大林の後を追う。

「なに、今のどういう意味?!」

 パニックになる和宏に、先に歩き出していた彼女がきゅっと音のしそうな勢いで立ち止まり、くるりと和宏の方を向く。

 ふわりとスカートの裾が舞い、その姿に魅了されそうになったものの急に立ち止まった為に和宏は彼女にぶつかりそうになり、これまたきゅきゅっと音のしそうな勢いで立ち止まる。

 そんな和宏の心臓あたりに人差し指を突きつける、大林。


「鈍感にも限度がありましてよ? わたくしはあなたが好きだと申しましたの」

 キッとこちら睨みつける彼女。

 だがその彼女に自分も好きだと告げてはいけないことも分かっている。

 何故なら、彼女は他の男と結婚が決まっているから。

「これはデートですのよ? 毎日お誘いしているにも関わらず、全く分からない鈍感な殿方」

 彼女だってそれは分かっているのだろう。

 和宏の気持ちを聞こうとはしない。


 和宏はなんだか切ない気持ちになって、自分を突き刺すその手をそっと掴むとその手の甲に口づけた。

 まるで家臣が姫に忠誠でも誓うように。

「わたくしは、結婚しようがこれからも和宏をお誘いしましてよ? 断るなんて野暮なことはなさいませんわよね?」


 籠の中に囚われたこの天使の様な幼馴染みが、自分といることで自由でいられるというのなら。その自由は守りたいと思う。

 人は心を縛られた時、本当の自由を失うのだ。


「仰せのままに」

「行きますわよ。ここのランチがとても美味しいと評判なのですわ。和宏もきっと気に入りましてよ」

 例え叶わなくても、好きな人の笑顔が守れるならそれでいいと思った。

 手を繋ぎ嬉しそうに歩きだす彼女の笑顔が守れるなら。


 だが和宏の平穏は既に壊されていたのである。

 知らないのは和宏本人のみ。

 大林はすでに『ライバルが二人いる!』と危機を感じ取っていたのだった。


「……(この鈍感男、どうしてくれましょうかしら?)」

「お奨めは?」

「そうですわねえ」

 メニューを見ながらニコニコしている彼女の本音を和宏はまだ知らない。

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