第7話 美女に弱い俺と、運動不足のクソガキが、運の悪さを実感する
俺とピートは、泥まみれになりながら走っていた。
エンシェントドラゴンがブレスを吐いたせいで、ダンジョン内の温度が上がって、その蒸気が地面をぐずぐずに緩くしてしまったのだ。
「ゲイルさん、いつまで走らなきゃいけないんですか? いくら地形効果で足が速くなっても、スタミナは増えませんよ」
どうやらピートは、金持ちの息子らしく、運動不足のようだ。
「ダンジョンの外に出るまでだよ。エレーナは囮をやってくれたけど、あのドラゴンが、いつ俺たちに標的を切り替えるか、わからないんだ」
俺はピートの背中を押して、力まかせに走らせた。
たかが徒歩十五分で攻略可能なダンジョンである。
たとえレベル一の冒険者であっても、最初から最後まで普通に走れるはずだ。
しかしピートは、運動不足なので、すでに息が切れていた。
「げ、ゲイルさん、ぼく、足も痛いし、脇腹も痛いです……どこかで休みましょうよ」
なんて情けないやつ……だがある意味、肝が据わっていた。
エンシェントドラゴンが近くにいるのに、死に物狂いで逃げないんだから。
そんな精神面のストロングポイントはあれど、シンプルに体力不足だと冒険者に向いていないだろう。
「お前な、いくらエレーナの気を引きたいからって、なんでそんな貧弱なのに冒険者なんて始めたんだよ」
「だってエレーナさん、いびつなカッティングをされたダイヤモンドみたいな美人じゃないですか。みんなは悪女だっていうけど、あの人は不器用なだけですよ。だから僕は、エレーナさんに認められるぐらい、立派な男になろうと思ったんです」
ピートは、宝石みたいに純粋な瞳で、エレーナへの憧れを語った。
彼の言いたいことの一部だけ、俺にも共感できる。
エレーナが不器用という一点だけだ。
もし本当にエレーナが強欲にお金を稼ぎたいなら、人類のルールを無視すればいい。
表社会ではフロント企業を作って社長という肩書きを名乗りつつ、裏社会ではマフィアの大ボスとして不正取引に手を染めればいい。
それをやれるだけの実力があるし、たとえ敵対組織に狙われても単騎で撃退できるだろう。
だがエレーナは、最低限のルールを守っている。
強盗や組織犯罪には手を染めない。
ではなぜ、恋愛詐欺を働くのか?
色仕掛けによって相手の心を落として、財産を差し出させたなら、それは説得の一種だからだ。
なんだかエレーナが義賊みたいな、性根の真っすぐな悪党みたいな評価になりそうだが、そうではないのだ。
「おいピート、お前は恋は盲目って状態になってる。だから一度正気に戻れ。あの性悪おっぱいエルフは、自他ともに認める悪女だぞ」
エレーナは、良いところもあるが、基本的に悪女である。
そうでなければ、ありとあらゆる男に恋愛詐欺を仕掛けて、お金をむしりとっていないだろう。
たとえターゲットに彼女や妻がいても、おかまいなしに資産をちゅーちゅー吸い上げる。
それがエレーナだ。
しかしピートは、かたくなに認めなかった。
「だったらなんでゲイルさんは、いまエレーナさんと一緒に行動してるんですか? もし悪女だってわかってるなら、近づこうとしないはず」
「いやそれがさ、俺だってエレーナと関わらないようにしてたんだよ? でも偶然再会してさ、あっさり色仕掛けに引っかかってさ、いまこうして無償労働してるわけだ……」
おっぱい肘に押し付け攻撃や、抱き着き体温攻撃や、ほっぺにちゅー攻撃を食らった直後は、性欲が理性を凌駕しているので、冷静な判断ができない。
だが一時的にエレーナと離れて、ピートという第三者と会話していると、いかに自分が色仕掛けに弱いのか自覚してしまう。
あぁ、俺ってば、なんでこんなに美女に弱いんだろう。
弱点克服って、難しいよな。
「ゲイルさんが、美女に弱いせいで赤字になりがちっていう評判は、本当だったんですね……」
なんで俺は年下のガキに同情されているんだろうか。
っていうかなんだよ、この冷え冷えとした空気は。
ああはいはい、どうせ俺が美女に弱いのが悪いですよ。
と投げやりになったところで、俺たちの後方から熱源を感じた。
ピートが持っている、魔法のほら貝から、エレーナの声が聞こえた。
『二人とも伏せて! ドラゴンのブレスが流れ弾でそっちに飛んだ!』
流れ弾であろうとも、直撃すれば人は死ぬ。
俺はピートに覆いかぶさるようにして、地面に伏せた。
エンシェントドラゴンの青白いブレスが、ごぉおおっと頭上を通過していく。
高温の気体が、せまい空間を流れたせいで、俺たちの頭髪と衣服が軽く焙られた。
それでも微動だにせず、ひたすらブレスが通り過ぎるのを待つ。
もしちょっとでも頭を上げたら、俺たちは丸焦げだ。
ようやくドラゴンブレスが消えたとき、俺の髪は軽いパーマがかかって、チリチリになっていた。
「なんだか音楽の得意そうな髪型になっちまったが、まぁ命が助かったからよしとしようか」
ピートは命が助かったことに安堵した。
「た、助かりました、ゲイルさん。その髪型、結構似合ってますよ」
「お世辞はいらん。俺にこういうおしゃれなヘアスタイルが似合わないのは自覚してるから。そんなことより、俺たちの脱出計画は、順風満帆ってわけにはいかないらしいな」
さきほど俺たちの頭上を通過していったドラゴンのブレスが、ダンジョンの出入り口に直撃。
天井と壁が崩れて、出入口をふさいでしまったのだ
ピートは「あわわわ」と取り乱していたが、俺は勤めて冷静に振るまうことにした。危機に慣れた大人の責務として。
まずは出入口をふさぐ瓦礫に、そっと手を触れた。
多少の隙間があるから、太陽の光がまばらに差し込んでいる。
これなら窒息で死ぬことはなさそうだ。
だがそれは不幸中の幸いでしかなくて、ダンジョンの外につながる唯一の道が閉ざされたことに変わりはない。
あともうちょっと走るだけで、ダンジョンの外に出られたのに、まさか流れ弾で退路をふさがれてしまうなんて。
しかもなにが最悪かといえば、エンシェントドラゴンの物々しい足音が、だんだん俺たちに近づいてくるのだ。
どうやら俺とピートは、よっぽど運が悪いらしい。
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