第6話 逃げ足の速さも、立派な技術のひとつ
俺は地形調律棒を取り出して、周囲の地形効果を調べた。
開けた空間には【物理防御と魔法防御の上昇】が埋め込んであった。
おそらくダンジョンの設計者は、初心者の冒険者が、モンスターとの戦闘で死なないように、配慮したんだろう。
だがしかし、あくまでもゴブリンぐらいの弱いモンスターを想定しているわけで、エンシェントドラゴンなんて規格外のモンスターは想定していない。
ちょっとぐらい物理防御と魔法防御が上昇したところで、ドラゴンブレスの前には焼け石に水だ。
では、どうやってピートとかいう金持ちのクソガキを救出するかといえば、足を速くすればいい。
俺は、開けた空間の地形効果を【人間族だけ移動速度が上昇する】に書き換えた。
「人間族だけ移動速度が上昇するなら、エンシェントドラゴンの移動速度は上昇しない。あとはエレーナが囮をやってくれれば、あのクソガキが亀みたいに鈍足だったとしても、エンシェントドラゴンがブレスを吐く前に逃げられるだろうさ」
俺の立案した作戦に対して、エレーナは苦笑いした。
「あたしを囮に使うなんて発想、いい度胸してるじゃない」
「勇者パーティーの魔法剣士だからこそ、こういう無茶な役割を頼めるんだよ。普通に金で雇った護衛に、この手の作戦を提案すると、最悪裏切って俺のほうを攻撃してくるからな」
俺の経験からして、金で雇った傭兵というのは、あくまで雇った金額分しか働いてくれない。
過去、ちゃんと相場通りの報酬で雇ったのに、イザというときに裏切ったやつがいた。
あいつは自分の命が危険にさらされて、俺の命を差し出す方が生存率が高いと判断した瞬間、裏切ったのである。
まぁ俺のほうも、こいつは裏切りそうだなぁと思っていたので、なんとか逃げられたのだが。
「あたしがゲイルを裏切って攻撃するとは思わないわけ?」
「エレーナは悪女だが、最低限の仁義は守る。俺を裏切る余力があるなら、その分あのクソガキを助けるためにリソースを割くだろうさ」
まごうことなき本音である。俺が何度もエレーナの色仕掛けに騙されて、タダ働きさせられることになっても、それでも人間関係が断絶していないのは、彼女が仁義を守るからだ。
お互いの距離感と価値観を推し測れるなら、頼もしい味方になりうるからである。
どうやらエレーナも、俺の受け答えに満足したらしい。
「悪くない信頼ね。いいでしょう、囮をやってあげるわ」
● ● ● ● ● ● ●
エンシェントドラゴンから、ピートとかいうクソガキを助けるために、すでに地形効果は上書き済みだ。
なお時限式にしてあるので、三十分後には元の地形効果に戻るようになっている。
あくまで開けた空間の地形効果を操作するのは、ピートを助けるためだから、この案件が終わったあとは、元の状態に戻ってもらわないと困るからだ。
あとはエレーナがうまくやってくれれば、ピートは助かるはずだ。
エレーナは、囮の役割をこなすために、エンシェントドラゴンに近づいていく。
「かかってきなさい、図体がデカいだけのクソザコドラゴン」
エルフの魔力によって、ドラゴンにも言語の意味が伝わった。
エンシェントドラゴンは、バカにされたことを理解して目を血走らせると、すぅっと息を吸い込んだ。
ドラゴンブレスを吐くつもりだ。
もし直撃したら、普通の人間は骨すら残らないだろう。
だがエレーナは、くいくいっと手のひらを揺らして挑発した。
「さぁ、ご自慢のブレスを撃ってきなさい」
エンシェントドラゴンの巨大な口から、ごぉおおおっと猛烈な勢いでブレスが飛び出した。
あまりにも高温のブレスなので、開けた空間の温度が急上昇した。
土煙や小さな虫が焼けて、小さな閃光が無数に瞬く。
青白い濁流の塊が、エレーナに迫っていく。
だがエレーナの表情には、余裕があった。
「あら、火遊びのつもりかしら?」
長細い剣を、くるんっと風車みたいに回したら、野太いドラゴンブレスがかき消されてしまった。
なんで高温の炎の塊が、剣の動きだけで消えてしまうのか、俺みたいな職人には理解できなかった。
まぁ剣術の理屈を理解できなかったところで、俺は戦闘職じゃないんだから、生き残れれば全部オッケー。
がんばれエレーナ、俺は自分の仕事をこなすぜ。
というわけで、こそこそ動いた俺は、ドラゴンに気づかれないまま、ピートのところにたどりついた。
「おい金持ちのクソガキ、いまのうちに逃げるぞ」
ピートは、隠蔽のマントを外すと、俺の顔を見て、びっくりした。
「あなたは、地形効果職人のゲイルさんじゃないですか!」
「え、俺のこと知ってるの?」
「当たり前ですよ。僕は大商人の息子なんですから、名の知れた経営者のことは把握しています。ゲイルさんは、職人として凄腕なのに、美人の色仕掛けに弱くて、いつも損してるって、商業組合でも有名ですね」
あぁ、俺の評判って、そんな感じなんだ。
くっそー、でも事実だから、なにも言い返せない。
いや、落ち着け。いまは俺の評判なんかどうでもいいんだ。
「おいピート、細かい話はあとだ。エレーナが囮をやってくれるから、いまのうちにダンジョンから脱出するぞ」
「ええっ!? エレーナさんを置いて、ドラゴンから逃げるつもりですか? ぼくには、そんな卑怯なことはできませんよ」
このピートというクソガキは、客観的な事実よりも、己の主観が優先している。
だからエレーナの強さを無視して、自分の感情が判断基準になっているわけだ。
よく言えば純情であり、わるく言えば足手まといだな。
ただし、利益という客観より、性欲という主観が上回る俺がいっても説得力はない。
それはそれ、これはこれだ。
いま大切なことは、ドラゴンの魔の手から生き延びること。
「いいかクソガキ、あの性悪おっぱいエルフは、ドラゴンなんて楽勝で倒せるの。でも俺たちがここにいると、足手まといになるから、むしろダンジョンから脱出したほうが援護になるんだ」
「で、でも、ぼくは、エレーナさんが認めてくれるぐらい、強い男になりたいんです。そのためには、女性を残して、モンスターから逃げちゃいけないような……」
「エレーナを普通の女性としてカウントするな。あいつは一種の超人だ。上級悪魔の攻撃魔法が直撃したって、ゾウが死ぬほどの猛毒を飲んだって、ステータスが高すぎて死なないんだ。それがわかったなら、さっさと逃げるぞ」
誇張表現ではなく、事実だ。レベルが三桁になった戦闘職なんて、とっくの昔に強さが限界突破しているのだ。
どうやらピートも、エレーナの強さを認識できたらしい。
「わ、わかりました。エレーナさんを困らせないためにも、急いで脱出しましょう」
ようやくピートは、俺と一緒に逃げ出した。
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