15:金曜日 夜 その2
深夜の会社のロビーはガランとしてて寒々しかった。ロビーの四隅と奥のエレベーターホールへ続く通路の両側に警備ロボットが鎮座/赤色のLEDが点滅し異常を探さんとする人類の下僕。
「イモビのランプみたいですね」
「芋?」
深夜に強面の髭面のおっさんとふたりきり/ニシはなんとなしに冗談を投げてみた。
「バイクのセキュリティですよ。ICチップが鍵に埋め込まれていて車体側と合致しないとエンジンが掛からないんです」
「だが、ふつう車の鍵は生体認証だろう?」
「自分のバイクはガソリンエンジンなので」
強面&髭面の藤堂社長は唸って納得した。
「わしは反対側の、搬出用出口から近づく。お前さんは社員用通路を通ってそっと近づいてくれ」
ニシは適当にうなずいて合意した。
仮に逃げられたら魔導を行使しなければならない/正当な使用状況か逡巡=魔導不正使用取締法と過去の判例を思い出してみる。
「社長、やっぱり魔導を使うと法に触れる気が」
「もしそうなったらうちの顧問弁護団がしっかりと援護しよう」
藤堂社長は犯罪の可能性については否定しなかった。
ここまで来ては断れない/ニシは歩を進めて地下の作業用区画へと進んだ。
機械は24時間休みなく動いている/ベルトコンベアを流れる魔導天然水、魔導化粧水、魔導サプリメント、魔導日焼け止め───どれも薬事法の抜け穴の商品ばかり。
その先=大口顧客用に箱に詰める機械の群れ/その反対側の小口顧客向けに小さなダンボールに商品と緩衝材を詰めてる工程。
小口顧客向けの工程は人の手が入っているらしく、派遣社員やアルバイトの社員たちが夜にもかかわらずせっせと作業をしていた。
「眠くならないのだろうか。俺なら、30分で集中力が切れてしまうな」
ニシ=単純作業よりも複雑作業派/もっとも魔導を駆使して作業なんてさっさと終わらせてしまう。
ニシは更衣室へと進んだ/防犯カメラが頭上から監視中/心なしカメラに背を向けた。
高速詠唱。声なき声を唱えた。
マナを探知する魔導陣を展開/予想的中───マナの気配/ここに魔導士がいた。しかも魔導セルや電気に含まれるような人工的なマナじゃない、ムラのあるマナだった。
階下/作業場へ降りる。ワイシャツに首から社員証をぶら下げたラフな姿/左腕には乳白色の腕環/
流れ作業に集中していた作業員たち/帽子に藤堂製薬のロゴ入り作業着/普段とは違う人物の影に一瞬だけ目配せ/しかしすぐ褪せた瞳をベルトコンベアを流れてくる雑多な商品へ向けた。
給料は悪くないはずだが───社会が安定化し魔導機関をもとに発展を遂げたとしても味気ない仕事をせざるをえない人たちは多い。
「社会は変わっても人の根底部分は変われない、ってことか」
高速詠唱。声なき声を唱えた。
再びマナを探知する魔導陣を展開=機械の群れ/魔導機関で作られた電気で動く機械たちのせいで遠くまで魔導士を探知できない。
ニシは忙しく行き交う人達の間を抜ける/睨まれる/会釈して更に進む=見えた。
ニシの視界に
その他多数と同じように作業着に身を包んだ男/まるで生きた機械のように黙々と手を動かしている。
さてどうするか=商品の化学式を麻薬成分に書き換えられるほどマナへの感応力がある/黄色もしくは橙に近い実力/単に捕縛しただけでは抜け出されてしまう。
攻撃魔導=否/周りに一般人が多すぎる/少なくともこちらから派手に攻めることはできない。
やや背が高い男/マスクの隙間から無精髭が伸びている/表情は読み取れないが、目が合ってしまった。
先程まで機械的に動いていた手先が止まる/瞳孔が大きく見開かれるのが分かった。
「待てっ!」
言った後に気づく/ばかだったなぁ=こんなことを言ってしまったら誰しも逃げ出してしまう/しかしこんな場面で言うべき言葉は知らない/映画ドラマ好きのカグツチなら知っているかもしれない。
作業員の男は振り返ることなく駆け出した/ニシのいる出口とは逆の搬出口=上りのスロープに沿ってベルトコンベアが上階で待機しているトラックへ荷物を運んでいる。
男は近くにいた同僚を魔導の力で押し飛ばした/宙を舞う体。
高速詠唱。声なき声を唱えた。
重力を制御し落下する人体を緩やかに=うず高く積み上げられたダンボールに軟着地した。
ニシが不幸な作業員に気を取られているスキ=男は身体能力を強化/高く飛び上がって搬出口から逃げてしまった。
「ただの魔導士、というわけでもないだろう」
ニシ=予備動作なしの跳躍/たくさんの作業員たちの頭上を飛び越えて搬出口に着地。
視線の先=トラックの間を縫って走る男。
ニシは声を張り上げた。「待てっ! 何もしない、話を聞くだけだ」
少なくともニシだけは。
ニシは後を追う/男は振り向きざまに小瓶を放り投げる=藤堂製薬の社名とロゴ/媚薬成分があるというマニキュアの小瓶。
小瓶が地面に接触/割れた瞬間に強い刺激臭を感じた=魔導で作られた麻薬?
高速詠唱。声なき声を唱えた。
ニシの両腕に魔導陣が出現───右腕の魔導陣のひとつが消失/消費。
高い天井近くに臭気が集められる/突如火炎が勃発=焼き尽くす。
さらに左腕の魔導陣がひとつ消失/消費。
男は深夜のオフィス街を疾走=かなり速い/ニシはその後姿を目で追った。
「──かつて天と地を結んだ
静かな詠唱/魔導を悪用したことへの怒気も込めて。
街灯から鈍く光る金の鎖がスルスルと生えてくる/男の足を絡め取ると空中へ釣り上げる/頭をしこたま地面にぶつけたがアスファルトが派手に破壊される=やはり魔導障壁も展開していたか。
地面からさらに金の鎖が生えてくる/鎖は生き物のように男の体を這い、手足を縛る/上下逆さまのまま頭すら動かせぬよう身動きを封じた。
「くそ、くそ、クソ魔導士! 離せ、俺が何をしたっていうんだ!」
男が喚く/文字通り頭に血が上って顔が真っ赤になっている。
マナの奔流を感じる=男は力技で鎖を引きちぎろうとするが、鎖はガシャガシャと音を立てるだけだった。
「無実だって言うんならなぜ逃げる」
「おま、お前がその腕環をぶら下げているからだ!
「だったらなおのこと逃げる理由があったはずだ」
「何も知らん! とっととほどきやがれ」
禅問答/上下逆さまの顔と話をしていても埒が明かない。
その時、こつこつと地面をならして強面の男が暗闇から現れた。
「意外と早かったな」
「社長、出口に回り込む手筈じゃ?」
「ふむ、たしかに。だが
「どういたしまして。まあ、レプリカみたいなものですよ。伝承通りのものを再現したので本物ではないです」
「ふむ、言われ慣れている、と言った感じだな。だがワシの場合、素直な称賛じゃない。魔導士としての畏怖と敬意だ」
藤堂会長はダビ超えでニヤリと笑った/奥歯の銀歯が光っている。
「そういうのでしたら大歓迎です。自分も、自分より高位の魔導士の術を見たいとは思っているので」
「魔導士の秘密主義はイカンよなぁ」
藤堂会長は喋りながらも手が終始動いていた/指先が印を結ぶ/ポケットから取り出した小瓶から白い粉が宙に舞う/有意味とは思えない輝きを残した。
「さて小悪党。ワシの質問に素直に答えるんだ」
「……はい」
上下逆さで宙吊りの男は、目をとろんとさせ焦点が合っていない。
「貴様はうちの商品に細工をして麻薬を作っていた」
「はい」
「それを売って荒稼ぎしていた」
「俺は報酬を受け取っていた。発送先の指示はメールで、暗号文で届くから、ただその通りにしただけだ」
藤堂会長は満足げに不気味に笑った。「罪は、確定だ」
「自白剤?」
ニシは眉をひそめた。
「クイズだ、
「西洋文明では悪魔、欲望、快楽の象徴……いやそれはヤギか。羊となると」
「昨日の夕食がジンギスカンだったからだ。行きつけの肉屋に頼んで骨と血を分けてもらったんだ」
何が言いたいんだ。
「ところで
高速詠唱。声なき声を唱えた。
金の鎖は空気に溶けるように消え、男の体は落下/藤堂会長が軽々と受け止めると肩で担いだ=会長自身、身体強化をしているようだ。
「
「ええ、わかりました。でもその男はどうするんですか」
「こやつか? クククッ、なあに殺しはせんさ。ちょいとワシの実験に協力してもらうだけだ。どのみち逃したところで背景にいる組織がこいつを放っておくわけないだろう。それなら、ほとぼりが冷めるまでワシの実験室にいたほうが幾分マシというやつだ」
藤堂会長はハンドサインで暗がりに合図を送った/魔導セル仕様の高級ワゴン車が滑るように停車し、意識が薄い男を放り込み後部座席に乗り込むとそのまま深夜の街へ消えてしまった。
「終わった、か」
ニシは乳白色の腕環を左腕に戻した/無意識下でもそれがふわふわと前腕部分で浮遊する=魔導士としての戒めと責任の象徴。
「少しは人のためになっただろうか」
ニシは返事を期待して言葉を投げた/受け取ってくれた。
「我には分かる。よくがんばったと思うぞ」
空気が揺れる/季節違いのアロハを着た大男が出現する。
カグツチ=自称・神の大男はニシの頭を鷲掴みにいて雑に撫でた。
「そういうのはいいから。子どもたちは?」
「うむ。さきほどまで起きていたが、小さき魔導士に追いかけ回されそして寝た。うむ、いつも通りだ」
「子守どうも」
ニシは尻ポケットにしまったスマホを覗く/常磐と藤堂製薬、両方の
「不在着信、不在着信、不在着信、カナからだ。『ちょっと来て』 ほほぉ、GPS情報と一緒に経度と緯度の情報まで」
相変わらずの丁寧さ/不器用さ。
「光の魔導士、か。ふーむ、我にはいい
「お前、いつから愛と性欲の神になったんだよ」
「はて、繁殖目的という意味ではないのだが」
「じゃあどういう意味だよ」
スマホの地図でカナの送ってきた情報を参照/新横浜駅の駅前/そんなに遠くない。
「人間の言葉で言うなら、うむ、無い。わからん。神代の魔導士たちの祭祀で見ただけだからな」
「ったく、石器時代の祭祀なんて──」
興味がないと言うのは嘘だ。その叡智があれば魔導を、さらに強い魔導が扱えてあのジンとかいう不気味な存在にも打ち勝てるはずだ。
「カグツチ、競争だ。新横浜駅はわかるよな」
「うむ。小さき魔導士たちと“しょっぴんぐ”に連れ立ったことがある」
「久しぶりに競争しようじゃないか。だが不可視化は無しだ」
「興だな。脚力を競うのは5年前のあの血湧き肉踊る戦い以来だ」
また変な言葉を覚えたらしい。
カグツチ=ニヤリと笑うと予備動作なしに跳躍/高層ビルの屋上へ飛び上がった/さながらハルク。
高速詠唱。声なき声を唱えた。
ニシも負けじと漆黒の空へ飛び上がった。
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