12:木曜日 その4

 深夜──────

 ケンはパチリと目が覚めた。

 目をしばたかせる/頭が冴えている/額にじっとりと汗をかいている/それなのに妙に寒気もする───季節が秋に変わって夜が冷えるせい。

 魔法で電気がタダになったせいで空調は常に動いている/それが嫌で窓を開けて寝ていた。

 手を暗い天井にかざす/手のひらにくっきりと残る4つの爪の跡。たぶんいつもと同じ夢を見ていた/いつもと同じなので記憶にとどまらない。

 ケンはベッドを這い出ると、洗面台へ向かった。

 個室が与えられ定期的に清掃にも来てくれるので常磐の宿舎は陸自のときよりも幾分住みやすい。

 洗面台───歯ブラシ/歯磨き粉/コップ、そして白い錠剤の入ったピルケース。

「ちくしょう、昨日のは偽薬プラセボだったか」

 パカッ───ピルケースの蓋を開けるがケンは躊躇した。

「シャワーでも浴びてくるか」

 深夜とは言えタンクトップ+ボクサーパンツで出歩こうとも思えず/適当なスウェットパンツだけを履いて宿舎を出た。

 男子用のシャワールームは同じ階/宿舎の端にあった。そこから明かりが漏れていた。

 こんな時間に起きている野郎やつがいる? 考えられる可能性───ジュンが飲みすぎて吐いている?

 湿気に満ちた脱衣所/小さな宿舎なのでせいぜい10人が同時に使える程度/鏡と洗面台と質素な備え付けの棚。

 その中央に見慣れた人物がいた。

「あ、ケン、シャワールームを借りてるよ。いやぁ、女子用のが故障中でさ。でこちゃんに魔法でお湯が出るようにしてもらったけど効き目? が切れちゃったみたいで」

 リン─── 一糸まとわぬ姿/隠そうともせず。

 濡れた髪をかき上げている───普段は隠れている赤い左右非対称アシメの髪の下/傷跡/戦場で骨に達する傷を応急処置したせいで消えずに残っている戦いの跡。

「あはは、ごめんごめん、あんた、これを見るのが嫌だったわね」

 リンは普段どおりの位置に髪を下ろして傷跡を隠した/指先が細くも筋肉質な体を沿って撫で、皮膚に似せた腰回りの機械化義肢で止まった。

「こう見えてね、失ったものがあるけど得たものだってあるのよ」



 あの戦闘から1ヶ月。

 ケンのルーティーンは小田原刑務所に拘置している合衆国海兵隊の捕虜たちを監視することだった。弾倉の入ったままのライフルを構え、暴動が起きないよう/脱走が起きないよう/ただ見るだけ。

 フェンス越し───屈強な兵士たちが手持ち無沙汰な様子で/空を見る/談笑する/運動をする。

 刹那的な戦闘に加え、すべての電子機器が使えなくなったせいで噂が噂を呼んでいる。

 確定事項=東京は消滅した/東京だった場所に黒いドームが見える/化け物が人々を襲い街を破壊している。

 ケンに与えられた辞令=捕虜の監視任務───手書きの命令書に上司の拇印という雑さ。

 相模湾に接近したアメリカ軍空母機動部隊&相模湾に上陸を仕掛けてきた海兵隊。

 ケンたち酒匂さかわ川に位置する中央部隊は結局接敵せず/両翼の砂浜に上陸した部隊とで激しい戦闘が繰り広げられた。仲間の死者数50名、重傷者20名。敵の死者数───不明。

 死体は魔導災害の被害者とまとめられて処理をされた───その後は知る由もない。

 はっと気づく。捕虜たちの警戒する視線/ケンの瞳に光が戻ると皆そそくさと去っていった。

「お前、ケンだな? ひさしぶり」

 捕虜の気丈な日本語の挨拶/甦る記憶=スチュワート・タウンゼント/アイルランド系のアメリカ人/短い赤毛の爽やかな青年。

「“ブルドッグ”か?」

「その呼び名は懐かしいな。去年のリムパックのときか」

「ああ。お前がポーカーで負けてすっからかんになって、代わりにブルドックソースを一気飲みしたんだ。朝まで皆で酒を飲み続けたせいで、真っ青な顔でオアフのジャングルの中を丸一日歩き続けた」

 ケンもつたないながら英語で返した。

「お前たち陸自は強化外骨格を着ていただろう。俺たちゃ生身だったから羨ましくて仕方がなかった」

「その分、MGを3挺、まとめて担いでやっただろう」

「はは、そうだったな。まさかそんなお前らと戦うことになるなんてな。あの演習のとき少し思ったんだ。ガンダムみたいな強化外骨格に銃弾を通さない魔法の盾。こんなの相手に戦う連中がいるなら相当のバカか命知らずだってな。まさか俺たちになるなんて」

 “ブルドッグ”=スチュワートの嘲笑にケンは胸が裂ける思いだった。

「謝るべきではないが、だが、俺たちも戦いたかったわけじゃない」

「ああ、こっちも同じさ。突然の訓練だったが普段と違ったのは重装備だったってこと。横須賀を出発して相模湾に着いた時、上空に閃光が見えた。ありゃどう見ても核攻撃だ。艦長はペンタゴンと連絡が取れないのに出撃命令を下した。まったくクソッタレFuckだ」

 核攻撃の閃光───1ヶ月前の戦闘の直前に見た。そして電磁パルスのせいですべての電子機器が使えなくなってしまった。しかし唯一、常磐興業の魔導セル動力で動く強化外骨格APSは正常なままだった。

 “ブルドッグ”=スチュワートは自嘲気味に続けた。「電磁パルスで航空機もヘリも使い物にならなくて、それ無しに俺たちは上陸用舟艇LCACに乗らされたんだ。が、運良く途中で俺たちのLCACがぶっ壊れて動かなくなった。浜に流れ着く頃には戦闘が終わってて、で白旗を挙げて投降したってわけだ」

 だから俺たちの中央部隊は接敵しなかったのか。

「お前が無事で良かった」

「榴弾の至近弾が着弾した時は焦ったけどな、ハハ。陸自の練度は知ってる」

「計算機が電子パルスで故障したから手書きで計算したんだ」

「やっぱり、陸自は敵に回したくないよ」

 “ブルドッグ”=スチュワートはぺたんとその場に座り込んだ。「で、俺たちはいつ開放されるんだ?」

「師団長の話では戦時捕虜扱いだから犯罪や裁判などはない。ことが落ち着けば帰国できはずだ。だがまだ衛星通信どころか電話回線も───」

「そーじゃない。何かとんでもない災害が起きているんだろ? 俺たちにも手伝わせてくれ。武器をくれって言ってるんじゃない。何か手伝えることがあるだろう。地震のときも台風の時も力を合わせてきたんだ」

「すまない。本当に知らないんだ」

 知らない/あるいは知らされていない。部隊内でも情報が錯綜している。毎日のように東京から重傷者が運ばれてくる/病院に収まりきらない患者が学校やホテルにあふれている。

「俺は日本が嫌いだった」“ブルドッグ”=スチュワートは唐突に言った。「俺の曾祖父さんはルソン島で戦死したんだ。その話を聞いてからずっと嫌いだった。爺さんはベトナム、親父は海軍でアンダマン海の戦いに行った。だから俺も軍人になるよりほかはなかったんだがまさかの横須賀配属でな。正直嫌だったが、いざ来てみればいい国だよ、ここは。善人ばかりだ」

「かならずしもそうとは言えないが」

 ケンは苦笑した。

「彼女もできた。日本人だ。俺は日本が好きだし日本のために働きたい。あの戦闘はいわば事故だ。災害と核攻撃のせいでちょっとした行き違いがあっただけだ」

「わかったよ。お前の気持ちはよくわかった。今度、師団長に会った時、それとなく聞いてみるよ」

 情報を捕虜に伝えるのは規定違反だが非常事態のためかどこも規律が緩んでいる───噂=相模湾の一件は他言無用と厳命された。防衛省が東京の災害で消え代わりの第2師団長直々の指令だった。巷では第三次大戦と囁かれているのに。

 ケンの背後から声がかかる───交代の時間だ。

「“ブルドッグ”、お前と話せてよかった」

「俺もだ。たまには日本語を話さないと、忘れてしまうからな。あ、それと───」“ブルドッグ”=スチュワートは声を低くした。「───死ぬなよ」

「俺が? 俺の任務はここで待機してるだけだ。戦いに行くわけじゃない」

 しかし“ブルドッグ”=スチュワートは意味ありげにはにかむ・・・・だけだった。

 つまらない任務が終わる/宿舎に戻ってガンロッカーに銃をしまう/シャワーを浴びて着替えの戦闘服へ着替える。東京への派兵指令を期待するも、ロッカーには書類の一枚すら差し込められていない。

「くそったれが」

 薄いアルミ製のロッカーを音を立てて閉めた/少しだけ心がスッキリした。

 西や北の駐屯地からの隊員がどんどん関東方面へ派遣されている/予備役も招集された/それなのに毎日意味のない捕虜監視の任務。

 ふと横を見る=いつの間にか現れていた人影/少し怯えている=物に当たったところを見られたか。

「ハシ……か。久しぶりだな」

「え、ええ、お久しぶりです、ケンさん」

 ハシの丸メガネがキラリと光る/施設科から強化外骨格運用の教導隊に来た知識オタク/野戦砲の弾着修正を紙と鉛筆で計算し、LCACを牽制した=記憶の中のハシより少し痩せたか。

「通信設備の復旧にずっと駆り出されてたんだったな。どうだ? だいぶ治ったのか?」

「ええ。4G回線の基地局は復旧半ばですが、NTTの有線を借りてなんとか東北、北海道、関西の師団本部とつなぐことができました。衛星通信も各国との緊急直通回線ホットラインだけはなんとか電波をつかむことができました」

「で、どうなんだ?」

「どう、とは?」

 ハシは顔をしかめた=質問の意図が分かっているが知らないフリをしている。

「俺は、はぁ───俺だけじゃねぇ。街の外の情報が皆無なんだ。避難してきた住民やらの噂話ばかりが独り歩きしている」

「たぶん、いずれ正式な発表があると思うんですけど」ハシの目が泳いでいる/フラフラと一周した後、焦点が定まった。「秘密を守れます、よね」

「当たり前だ。硫黄島の演習のときだって中隊長に黙っててやっただろうが」

「あ、あれは……ジャンプと機密情報じゃ全然ちが……まあ良いです。ケンさんのことは信頼してますから」

 ハシは唇を真一門に結んで言葉を探している/自身のロッカーに多機能収納帯チェストリグをしまいながら口を開いた。

「まず、えっと、東京が壊滅したって話は?」

「ああ。ここからでも黒いドームのような……何なんだあれは?」

「常磐興業の技術者は“潰瘍”と呼んでいました。なんでも魔法使い以外はあそこに入ると死んでしまうとか。東京と岐阜、富山にも出現しています。海外でも何箇所か。ホットラインを繋いだ中国とアメリカでも同様の災害が起きているらしく、潰瘍が発生し、怪物が溢れ出てきた、と。死傷者も数え切れないくらいです」

「アメリカは、どうなったんだ?」

「いや、あのそれについてはマジで……あ、自分、英語がぜんぜんわかんないので」

「嘘つけ。ハワイでオタク仲間の海兵隊と英語で話してただろ、しかもひどい早口で」

「ケンさん、ほんと、ほんと、誰にも言わないでくださいよ。自分のクビが、いやその物理的ながかかっているんですから」

 ハシ=早口でまくり立てている。

「で、どうなんだ?」

「アメリカとのホットラインはつなげました。D.C.が核攻撃に遭い、偶然、地方で選挙活動をして難を逃れた副大統領が今、ボストンで復興の指示に当たっています。やはり相模湾での戦闘は偶発的なもので両国首脳とも、紛争へ発展させないことで合意しました」

「くそったれが。何人死んだと思ってるんだ」

「まあ、ケンさん、落ち着いてください。たぶん、いや自分の推測ですけど、冷戦期の自動防衛システムが潰瘍を攻撃と判断したのかもしれません。核攻撃も関東地方やD.C.だけではないかもしれません。ヨーロッパ方面もきっと」

「88年にクレムリンが吹っ飛んで冷戦が終わったのに、まだそんなものがあったのか」

「ええ、アダンマン海海戦の時みたいに秘匿されていたんでしょう。それが連鎖的に核の応酬の原因に」

「そのうちの数発が日本で、か」

「ただ、すでに常磐が世界各国に支援を始めました。ほら、何年か前に、魔法で水やら肥料やらを作る機械を配っていたでしょ。そのコネクションを生かして、医薬品や都市の復興、あと放射能除去もやってみせたとか」

「事実なんだろうな」

「自分は、常磐は悪いとは思ってませんよ。強化外骨格APSだって実質的に常磐からの無償提供ですし」

「じゃあ、今は誰と戦っているんだ? 毎日のように負傷者や避難者が運び込まれてくる」

「常磐の技術者、魔導士、だったかな。曰く、“怪異”と。銃弾や爆弾は効かず常磐が専用の弾薬を配布しています」

「じゃあなぜ、俺たちに出動の命令が来ない! 強化外骨格APSが扱える隊員はまだ100人は無傷で残っている」

「あれ、自分もそこに入っていますか?」

「当たり前だろう」

 ケンは唸った。

「師団長たちの話を、盗み聞きしたんじゃなくて聞こえただけなんですが、この機に乗じて侵略する外国勢力と対決するために強化外骨格APS部隊は温存する腹積もりらしく。米軍が動けない中、紛争地域が拡大しているので。第3次大戦だと言う人もいます」

「じゃあ俺たちは“かも知れない”のために待機させられてるのか。チクショウが!」

 ケンの怒気にハシは思わず後ずさった/高さの低いベンチにブーツの硬い底がぶち当たって盛大に金属音を立てた。

「すまん、ちょっと気が立ってたみたいだ」ケンも気まずさに顔をしかめた。「先に上がる。今日の炊き出し、うなぎが入っているから無くなる前に行くんだぞ」

 ケンは仮設テントを後にした/その時背後からハシが声をかけた。

「ケンさんが戦いに行きたいのは、本当に人助けのためですか?」

「何?」

「いえ、なんでも無いです。あ、そうだ、それ。自分が代わりにしまっておきますよ」

 ハシの視線の先/指差す先=ポケットが膨らんでいる/拳銃のグリップが上着の隙間からチラリと見えている。

「ああ。

 ケンはポケットから拳銃を出すと弾倉を抜き取り、薬室をフルオープン状態にしてハシに渡した───ハシはその拳銃を固く握った。

「死なないでくださいよ」

 ハシの握力は思った以上に強かった/びくともしない。

「何のことだがさっぱりだ」

「他の隊でも自殺者が毎日出てるんです。ひどい状況ですし文句を言いたくなるのもわかるんですが、今は耐えてください」

 ハシは言いたいことを言うと拳銃一式を受け取った/小声でスミマセンと言うとガンラックへ足を向けた。

 をするわけないだろう/しかしポケットには拳銃が入っていた。

 希望なんてない/だが絶望もない=あるのは鬱屈した毎日。

 ケンは宿舎を出ると早歩きのまま北へ向かった。炊き出しの湯気をくぐり、小さい丘を登る/電気の来ていない電柱=「津波避難所100m先」/いまや臨時の野戦病院に姿を変えた中学校。

 校庭の半分は陸自のトラックその他装備品が占め、もう半分が仮設テントを組んだ病院だった。

 迷彩服のまま歩くケンを誰も咎めない/誰しもが自身に任せられた仕事と命に向き合っている。

 3階/建物の南側。「2年6組」の札が見える/今は6つのベッドが並んでいる重傷者用の病室/その隅=顔の左半分に包帯を巻いて、右の目を窓の外に向けて力なく眺める小さい人影。

「今日は起きていたんだな、リン」

 包帯のある側=死角から近づいたせいで小さい影がやや飛び上がった。

「何よ、また来たの。お見舞いなら花のひとつくらい持ってきたらどうなの」

 リンは見づらそうに、首を大きく振って右目でケンを見た。右目の白目にまだ血が滲んだままだ。

「お前、そういうの好きじゃないだろう。それに昨日は寝てただろう」

「全身麻酔が効いたままだったからよ。ってか毎日来てるんでしょ、あんた。看護師から聞いた。どーせ、あたしのカワイイ寝顔でマスでもかいてるでしょ。筋肉ドーテイ」

 病室の他の患者たちのおしゃべりが一瞬止まった/まるで時間が止まったかのように。しかしケンは意に介さず、

「気分が落ち込んでいると思ってな。来てやっているんだよ。お前、余裕が無いときはいつもを言うだろ。硫黄島のときだってそうだ。足を痛めたから担いでやったのに『これで1週間はに困らないわね』とか抜かして。結局足の骨が折れてただろ」

「フン! 男と違って痛みには強いのよ」

 相変わらずの減らず口=合同演習の際は海兵隊からは肉食獣クーガーとあだ名された。

 リンの変化=以前より言葉のが強い。

「何かいいことでもあったのか?」

「ええ。イケメンの看護師が毎晩慰めてくれるの。なかなかいい病院よ。あんたみたいなドーテイ筋肉野郎には到底及ばないわね」

 またしても病室の空気が凍りついた/何人かの患者は点滴スタンドを持って病室から出ていってしまった。

「そりゃ、楽しそうだな。あと俺はドーテイじゃない」

「あらそう? 知らなかった。女性隊員わたしたちでシャワー室に入った時、全員がモジモジして、体格の割に貧素なモノをおっ立ててたから、ついね」

「あれは! 俺たちは時間を守ってた。勝手に入ってきたのはそっちだろ」

「入浴時間が過ぎたせいで男連中は教官ともどもランニング10kmの罰だったわね。女性隊員わたしたちみんなで大爆笑だったわよ。ヒカル、ヨミコ、トウカ。みんな死んじゃったけど。───そんなに暗い顔、しなくていいんだからね」

「ああ。昔話は懐かしかった」

「ねえ、トーギ先生の話、覚えてる?」

 ケン&リン=入隊が同期だったからこその思い出/平和だった頃の記憶が呼び起こされる。

「“溜まったモノ”の仕方とかか」

「ちがう。真面目な話。3割のやつ」

「全軍のなかで接敵、戦闘が3割。そのうち3割が戦死する。勝った場合は」

「そそ。戦うのも生き残るのも運。あんたは別に悪くないんだから生き残ったことに責任を感じることなんてないんだから」

「俺は、別に」

「どーだか。鏡見てみ? ひっどい顔よ。まるで今にも銃口を口に咥えそうな感じ」

 リンが血の滲んだ右目でじっと見てくる/空いた窓から初夏の海風が吹いてくる。

 ケンは返す言葉がなかった/死ぬわけがない、という宣言が重かった。

「あたしはね、決めたの。生きるって。ほら、そこの封筒」

 リンが顎で示す先/もともと教室にあったであろう机の上=痛み止め&水差しとその横の茶封筒/水差しを通った光が常磐興業のマークを照らしている。

「この前に常磐の社員が来たの。最新式の機械化義肢の無償提供と永続的なメンテナンス。それと引き換えに最低10年間、常磐の保安隊で戦う。ほら、化け物が東京を荒らし回っているでしょ。その対処。臨時政府に根回しして武器も入手済みだって」

「じゃあ、陸自を辞めるのか」

「ええ。給料も良さそうだし」

「機械の義足ということは、じゃあ足を切ってしまうのか」

「足というか、骨盤と損傷した脊椎から下全部ね……って何よその顔。あたしの体なんだから切り取ろうがくっつけようがあたしの勝手でしょ。傷の手当が終わったらここを追い出されちゃうのよ、下半身不随のまま。それだったら動かない足なんて切り取っちゃって戦える体になったほうがいいでしょ」

「俺が言いたいのは、どうしてそこまで戦いんだってことだ」

 ケンは口をつぐんだ=さっきまでハシと交わした問答。

 ケンの戦う理由=贖罪にほかならない/生き残ってしまった/敵兵を殺してしまったかもしれない/安全地帯にいるうちに救えなかった命に対して。

「あたしはね、勇気をもらっちゃったの。ほら、あれ」

 ケン=立ち上がってリンが指差す先を見た。

 物資の集積場/官民問わず10tトラックが並ぶその荷台=数百キロはあるパレットに乗った荷物が軽々と空中へ浮かび載せられている/その中央に青年の人影。

「魔法使い? 常磐のか?」

「ううん。あたしが会った社員は知らないってさ。でも目黒で数百の化け物相手にひとりで戦って数百万人を救ったっていう英雄」

「強いのか?」

「さあね」

 ふたりが見下ろしていると、その青年は東京へ向かうトラックの荷台の上に飛び乗って走り去ってしまった。

「あたしね、決めたの」血の混じった瞳に決意がこもっている。「あたし、こんなところで潰れてちゃダメ。もっと強くならないと。さっきの魔法使いみたいに強くてにならなきゃいけないの」



「つーかさ。あたしはだけど、それ以上裸を見るんだったら金を取るわよ。1秒1万円」

 ケンは備え付けの棚からバスタオルをほおってやった/常磐興業のエンブレムとスローガン=「社会に光をもたらします」

「俺は戦う理由を見つけたから、死んだりはしないさ」

「ん、何のこと?」

 リン=ショートヘアをゴシゴシ拭きながら/体格が小さいおかげで体の大半はバスタオルで隠れている。

「いや、なんでもない」

 ケンはくるりと背を向けると背後の裸体を気にすることもなくバシャバシャと洗面台で頭を洗った。

 顔を上げる/パンツを履こうとしているリンが映っている/棚からタオルを引っ張り出して顔を拭くふりをして視線をそらした=せめてもの良心。

「得たものといえば、あれか。ニシのことだろう」

「ふーん、あんたにしては察しがいいわね」

「だが見た魔法使いかどうかはわからないだろ」

「バカね、石頭筋肉ドーテイ。名も知れぬ魔法使いじゃなくって、ニシがいいの」

 リン=ブランド物のスポーツブラ/スラッとした義肢にホットパンツ&ブランド物のパンティーをちら見せ=いくぶんか直視しやすくなった。

「その割には手をみたいだが。このごろニシは佐藤女史と仲がいい。同じ魔法使い同士だし歳も同じくらいだ。アラサーじゃ勝ち目がないんじゃないのか」

「こらそこ! こんなにかわいくて美しくて強い女の子をそーゆーふうに言うんじゃないの! あといい女ってのは男になのよ、わかる?」

 わからない=呆れたような面白いような、ついケンは笑ってしまった。

 戦闘の天才ゆえに考えていることは常人に理解できない=頭のネジが何本か抜けているが、これは陸自の教育隊時代からずっと/体力試験の記録は男子隊員と遜色ない=まさに肉食獣クーガ―

「あ、そうだ、あんた、明日暇?」

「明日は潰瘍の監視ポストの交換作業があるだろ」

「そーじゃなくて、夜。暇でしょ。合コンがあるんだけど、来て」

「ああ、ジュンが言ってたなそんな事。あのパツキン野郎、下の毛を剃るか剃らないか悩んでた」

「で、どうなの? 来るの? 来ないの? それとも石頭筋肉ドーテイには合コンは刺激が強すぎる?」

「俺はドーテイじゃない。そういうチャラケタところが嫌なだけだ」

「じゃあ、数合わせだけならいいでしょ。あんたの会費もあたしが出してあげるから」

「わかった、わかった。そこまで言うなら参加するさ。だが勘違いするなよ。あくまで同期のよしみってやつだ」

「はいはい、わかったわよ。じゃ明日、ヒトキューマルマル。新横浜駅集合。遅刻したら腕立て100回なんだからね」

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