5:火曜日

「みなさん。よろしくおねがいします」

 自己紹介/機会の少ないコミュニケーション/基礎にして最高難易度のあいさつ=第一印象が社会人生の趨勢を左右する。

 多数の視線が集まる=人数×2の目がぎらぎらと光る/早く終われ/こっちは忙しいんだ/何ヶ月持つかな/使えるのかこの新人。

 渾身の自己紹介に対しての返事=ぱらぱらの拍手/残る髪の毛が心もとない課長の当たり障りのない言葉たち。

 ニシの挨拶が終わると、課の社員たちはそそくさと自らの仕事に戻っていった=サラリーマンはつまらなそうだな。

 するとニシの前へ低いヒールのパンプスを鳴らして、就活ポスターに登場しそうな若い社員がモデル然とした凛々りりしさで立ちふさがった。

「はい、こんにちは、ニシくん・・

 なんだこの元気な人は/握手まで求めてきた。

「どうも。ニシです」

 小さくて冷たい手を握り返した。

「私はハセガワ。今日からニシくんのOJTを担当することになったから。よろしくね」

 背格好はカナと同じぐらい/元気さはリンを上回る鬱陶うっとうしさだ。

実地研修OJTですか。よろしくお願いします」

 そういえば=昨日の新人研修で言ってたな。最初の1ヶ月間は先輩社員とタッグを組んで仕事をする。

「あーだめだめ、ニシくん。いーい? 営業職の基本は、元気、笑顔、やる気! いい?」

 平成1桁時代の会社員のような用語/新人研修では言われなかった彼女独自の座右の銘モットー

「はい! ハセガワさん」

 ニシは柄にもなく声を張り上げた。

「うん、いい! その調子」ハセガワのサムズアップ。「私は入社2年目の先輩社員だからね。わからないことは何でも! 聞いてくれていいんだからね」

 入社2年目=大卒なら23か24歳/たぶん、ニシは彼女の後輩&年下と思われている。

 思案=魔導麻薬を作っている不届き者を探しに来たのに新人サラリーマンみたいなことをやっている/この潜入捜査は意味があるのか。

「それじゃあ、ニシくん! さっそく営業開始だよ。まずは私がお世話になっているお取引様のところへあいさつ回りをするよ! 大丈夫、もうアポは取ってあるんだから」

「取引先って、会社の外ですよね」

「アハハー当たり前じゃない。嫌なのお外? もしかして吸血鬼さん? そ・れ・に、“お取引様”だよ。営業なんだから言葉に気をつけないと」

 ああもどかしい=捜索対象は社内にいるはずなのにいきなり外回り/効率が悪い/嘘をついている後ろめたさ。

「あの、ハセガワさん」

「なーに、ニシくん」

「社内は回らないんですか。企画部とか製造部とか」

「え、あ、うん、そうだね」ハセガワは一瞬だけ空を見た。「午後から行こう。それでいい?」

 ニシ/うなずいて答える/捜索の時間が確保されるのならそれでいい。

 エレベーター/頭上の数字のカウントダウンが地上へ向かっているのを知らせている/ついそこに目が行く=あるいはハセガワと目が合わないように。

 ニシのすぐ目の前のショートボブ=「社会人とはかくあるべき」を体現した彼女/あるかどうかは分からないが、夢に邁進する新人社員2年目。

 チン

 軽い音とともに社会の荒波へ向けた扉が開いた。

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