ハイテクのゴシックロマンス:映画「忌怪島」を見た

 6月17日封切のホラー映画「忌怪島」を見た。「犬鳴村」以来の「村」シリーズと同じ監督・脚本ということでいささか期待値を下げて行ったが、それなりのものは見られたと思う。少なくとも良いカット、良いシーンはあった。ある一シーン、一カットをクライマックスと見て、それ以外の部分はどうでもいいというような乱暴な見方をすれば、かなり面白い。一本の映画全体としては、またクライマックスに全体の各部分がどれほど奉仕しているかという構成上の美観の問題を考えると、辛口に評価せざるをえないところがある。

 14時台上映開始の回で見に行ったせいかほぼ満員というホラー映画らしからぬ盛況ぶり。中部~関西地方のアイドルユニット「なにわ男子」のメンバーが主演をつとめるらしく、メインを張る四人の女性はいずれも若くて美人と、なるほどこういう誘引策かと思わないでもない。ともあれそういった座組で展開するのは奄美地方の離島を舞台にした幽霊譚とその因縁、現在まで続く呪いの連鎖という陰惨なものである。


 本作の周辺情報について今一つ言うと、予告編で現代の最新技術であるVRをホラーと掛け合わせるという趣向が語られている。舞台となる境島は奄美地方の離島で、主人公はこの島を丸ごとスキャンしてフルダイブ可能なVR空間のテストモデルを作るプロジェクト、チーム「シンセカイ」に参加するべく境島にやって来たのだった。潮の匂いまで再現しようとするプロジェクトの野心のために島の住民からも被験者が選ばれる。その中の一人がとりわけ強い「ある記憶」を持っていたために、取り出されたデータを媒介にするかのように、VR空間から現実世界へと、積年の怨みが漏れ出してくる……と、そういうことらしい、と推測される。


 高原英理のひそみにならい、かいつまんであらすじを書き起こしておく。

 若き脳科学者・片岡はチーム「シンセカイ」のチーフ井出の紹介をきっかけに、奄美諸島に属する境島へやってくるが、プロジェクトは暗礁に乗り上げていた。井出が不可解な心不全で急死していたのだ。被験者の一人も同日同時刻に同じような死を迎えており、データは一時放置されていた。改めてこれを立ち上げた片岡はVR空間にダイブするも、途中不具合が起き、見知らぬ座標へ飛ばされ奇妙な光景を目の当たりにする。そこに現れたのはチームのメンバーのいずれでもない赤い装いの女、そのノイズ交じりの影のようなものだった。超常的なものの臭いを嗅ぎ取った片岡は、チームの雑用を担う老人・新納のつてで知り合っていた島のユタ・南トキの脳波をサンプリングして「シンセカイ」に組み込む。次の朝、動作試験を行った片岡たちはVR空間の異常な座標転移と、海中に半ば没した朽ちた鳥居の映像を目の当たりにする。その鳥居が映像から消え去り、一瞬だけ実験室に現れるように見える。それは事実現れたのだった。その証左に、実験室には赤い服の女が、ノイズ無しに、実体を持って現れる。VR空間に現れ、井出と被験者を殺した謎の女は、現実世界へと跳び出してきたのだ。

 その縁起は南トキから語られる。境島にはイマジョという、色情や狂女の代名詞となっている幽霊譚があった。幕政時代、あるヤンチュ(薩摩藩下のサトウキビプランテーション労働に従事する奄美人奴隷)の女が領主に手籠めにされた挙句、嫉妬に狂った正室に拷問され、ついには鳥居状の磔に縛られて晒される。潮が満ちたことで溺死した女は怨霊となり、領主や正室をはじめ、直接には無関係な者にまで力を及ぼし、多くがとり殺されるか発狂した。時間の経過とともにイマジョの呪いは収まっていったようだが、その名前だけは残り、よその男と無節操に寝る女はイマジョの名で呼ばれて、その親族もろとも村八分にされるのだという。

 イマジョを封じ込めるには現実世界に出てきた彼女を元いた場所に戻したうえで、通り道を塞がなければならない。片岡は今一度VR空間に潜り、偉丈夫のプログラマー・山本はイマジョが磔にされたという鳥居を切り倒しに向かう。鳥居を切り倒すことには成功したものの、これを燃やす・焼失させるという第二ステップに至る前に山本はイマジョに殺され、突如実験室に現れた新納が鉈を振るって機材を破壊してしまう。新納はイマジョを呼び起こした「シンセカイ」に感謝するような謎めいた言葉を残して去る。被験者の脳波データの中に新納のものを見つけた片岡は、彼の記憶を覗き、その真意を知る。

 新納の母もまた「イマジョ」なのだった。夫を亡くしてから色狂いとなった新納の母は、島の男たちと次々に寝て、息子もろとも爪弾き者とされた。「イマジョ」とその息子、「イマジョ」の家の者だとして、息子が老人となった現在でもなお村八分は続いている。島の伝承の記憶、そして彼自身その生涯を通じて浴びせかけられた呪詛の記憶が、「シンセカイ」のためのデータ採取の過程で取り出され、現代のイマジョはVR空間に、そして現実に出現したのだった。

 現実世界に現れたイマジョは既に数名の島民とチーム「シンセカイ」の二名を殺めていた。津原泰水『妖都』を彷彿させる青ざめた死者が画面の端々に映り込み、破滅の気配が迫るなか、片岡は今一度VR空間へダイブし、間一髪のところでイマジョを封じ込めることに成功する。切り倒された鳥居はガソリンを撒いて火を点けると跡形もなく燃え落ち、殺戮は防がれる。


 おおむね以上のように『忌怪島』は進行する。

 上のあらすじで省略した副筋がふたつある。ひとつはラブロマンスであり、いまひとつはイマジョの根幹にある呪いとその継承、そのゴシックな味わいにかかわる。

 片岡は、チーフの井出と同時刻に死亡した男を探るなかで、その遺骨を受け取るべく島に訪問していた園田環と知り合う。イマジョを追うなかでふたりは親密になっていき、最後島を去る際にはおもむろに手を繋ぐカットが示される。

 いまひとつは新納と、実は冒頭近く以来画面に断続的に登場する少女・金城にまつわる筋である。金城は村八分にあっている新納の家へ日々弁当を届けに行っており、その道すがら島の同級生たちにいやがらせを受けるくだりが、彼女の初登場シーンとして強く印象付けられる。ここで三人の同級生たちに対して金城の目鼻立ちが露骨に利発なあたりに差別の美的な配慮を感じずにはいられないがそれはともかく、境島において共同体から疎外されている者という金城の性格は、この時点で明確である。彼女は新納宛ての弁当に千代紙で折った鶴を入れているのだが、新納もその几帳面に折られた鶴をモビールのように部屋に吊るして飾っている。ただその程度のものだが、無言のうちの絆が両者のあいだにはあることも、こうした小道具からわかる。

 終盤、機材を破壊した新納はチームの許を去り、家に戻って折り鶴を集めると、居合わせた金城をイマジョから守るべく奥の部屋に閉じ込める。新納は島の集落を一望する高台へ上り、籠に入れていた折り鶴をばらまく。折り鶴は風に乗って飛んで行き、集落の随所に降り、地下の実験室にさえ届く。もはや折り鶴は物理的実体というよりも、島全体にかけられた新納の、イマジョの呪いの徴のようなものとなっている。しかしながら、ぎりぎりのところで片岡によって現代によみがえったイマジョは封印され、その娑婆における消失と平仄を合わせるように、新納もまた命を落とす。

 後日、片岡と園田が島を離れるとき、ふたりは切り倒したはずの鳥居が同じ場所に立っているのを目にする。確かなことはもう二人にはわからない。しかし、その入り江の浜には金城がいて、新納の形見の三線を弾き、新納と同じ島唄を歌っていた。歌い終わると、金城は三線を砂浜に置き、藪の向こうの集落へ決然とした眼付きで振り返ると、制服姿のまま海へ入っていく。画面中央の鳥居へまっすぐ歩いていく金城を、カメラは微動だにせず映し続ける。そして金城は鳥居の下で海水に沈み、島に対する呪いの継承を示唆して映画は終わる。


 次に、このような作品がどうしてゴシックロマンス的と呼べるのか、を言わなければならない。

 上の筋書きの紹介をいっそう要約すると、次のようになる。(アイドルユニット「なにわ男子」の西畑大吾演じる)片岡は、優れた脳科学者=学識ある人物で、色の白く見目麗しい男である。彼はユタやイマジョへの信仰の残る後進的な土地である境島で、怪異・イマジョに遭遇する。危機を潜り抜けた片岡の活躍によりイマジョの殺戮は寸前で食い止められ、境島の秩序は回復される。終幕には片岡と環という男女の結合、これは結婚と言い換えてもよいが、それが示唆される。

 まず、観客ないし読者と異なる信仰が根付いた「後進的な」地域は、『オトラント城奇譚』以来のゴシックロマンスが採用する典型的な舞台であると言ってよい。『オトラント』はイタリア、『マンク』はイスパニア、『ヴァテック』は東方と、いずれもブリテン島からは遠く隔たり、カトリック、イスラーム、それ以外の邪教といった異なる信仰を持つ地域を舞台にしている。

 超自然的な脅威の背景として後進的な遠隔地が設定されるというゴシックロマンスの要素は、本作にもよくみられる。境島では序盤以来、イマジョを磔にしたというものを含め、赤い鳥居がくりかえし登場して、島の「後進性」の象徴になっている。ユタの南による占いや儀式のシーンでは背景にある種々の護符や蝋燭、掛け軸が映され、その雑多さとともに「シンセカイ」の先端的・現代的な雰囲気とは異質な印象を与えている。物理的に隔絶された奄美の離島であるという点も、都会出身である片岡や彼に同調する観客に対して場所と自分とが隔たっているような感覚を与えてくる。

 男女の結合については、同じ『オトラント城奇譚』を思い出していただければわかるとおり、あの作品もそもそもは城の嫡男の結婚に関する話題に始まり、巨大な黄金兜という異常現象を挟んで、貴顕の地位にある男女の結婚という閉幕を迎える。あるいは副筋として貴族の結婚話が挿入されるという例になると『マンク』が挙げられる。こちらの主な筋は修道院長アンブロジオの堕落と、その過程で彼が経験する姦淫・殺人・悪魔との遭遇ということになっているが、彼の毒牙にかかる少女の兄やその友人もかなり長く前景に登場する。

 第三に秩序の回復という点を指摘できる。黄金兜の全身が天を衝いて現れ、真の後継者を告げる『オトラント』はもちろんのこと、『フランケンシュタイン』でも最終的に怪物は北極圏へと去る。『ユドルフォ城の怪奇』をはじめとする超常現象の合理的解決へ進む小説群はその構造自体が秩序への回復の傾向を示しているし、『マンク』や『ヴァテック』では悪逆を尽くした主人公の破滅といういわば裏返しのかたちで秩序を回復させている。『忌怪島』でも、イマジョの系譜と現代のイマジョの悲惨を抒情的に語り起こしていき、観客をしてかれらに同情を抱かせながらも、やはり秩序の回復と維持が優先され、片岡ら現代の貴顕が後進的地域の怪奇に勝利する。

 最後に配役について、とりわけ金城の役回りについて言うことができる。チーム「シンセカイ」が先進的地域やその技術文明に通ずる現代の貴顕である旨は既に述べたが、この金城は序盤で「迫害される乙女」めいた印象を与えられ、クライマックスでいかにもゴシックロマンスめいた状況に遭遇する。イマジョの脅威から逃がすと言って新納は奥の部屋に金城を連れて行き、外からノブを紐で縛って去る。金城としては無害極まる隣人の豹変に驚かざるをえず、抗議するのだが、声は聞き届けられない。ここでは悪漢は新納である。彼を追って家に来た環がこれを解き中に入ると、そこはイマジョの画を壁に架け、鳥居を模した祭壇に無数の蝋燭の火をあつらえた、新納が長年拝んできただろう禍々しい異形の祭壇があった。ふたりの目の前で三枚のイマジョの画の中央のものが剥がれ落ち、土壁も崩れて、中から女の屍が薄らと見える。それは新納が少年の時分に手にかけた実の母であり、彼は母殺しの後半世紀近くに渡って、自宅の小部屋をイマジョのための祭壇として設え、島民に対する呪いを蓄積してきた。その呪いがチーム「シンセカイ」の実験の際に読み取られ、VR空間という擬似的な異界≒あの世に植え付けられたことで、現代のイマジョは半世紀に渡って積み上げられた怒りと怨みを顕わにする機会を得たのだった。隠された邪教の祭壇、壁に塗りこめられた、あるいは埋め込まれた屍体というモチーフは、これもまたゴシックロマンスを彷彿させるものである。また、先ほど悪漢と書いたが、ゴシックロマンスにはしばしばうら若き乙女を苛む悪漢が登場する。『ユドルフォ城の怪奇』のモントーニはフランス出身の主人公エミリーを執拗に責め苛む。いっそう酷い例では『マンク』のアントニアは修道院長アンブロジオの策略により辱められることとなる。本作で面白がれる点は、このささやかに登場する悪漢モチーフの翻案として、乙女を閉じ込める「悪漢」はその乙女の身の安全を案じる無二の友であり、乙女が脱出を望むのはただ友と同道したいと望むからであるという変奏が加えられている点にある。

 後半部で明かされるイマジョの来歴とその呪いの継承に関することどもは、悪漢の志を引き継ぎ自ら新たな怨霊と化そうとする乙女の決意的行動へと収束する。悪漢から受け継いだ三線を弾き、島歌を朗じ、イマジョへ繋がる鳥居に向けて歩いていく。カメラは微動だにせず、ただ新たな怨霊となる乙女の姿と、千篇一律に揺れる波、入り江に立つ鳥居ばかりを映し続ける。そのカットだけで2時間分の満足がある。とはいえ距離感覚が曖昧にしか示されないことで生じる違和感は所々拭いがたく、秩序の回復という最終目標のためか、はたまた予算不足のためか、多分に正当性のあるイマジョの報復は十分に描かれないまま映画は終わる。一抹の寂しさとともに呪いは受け継がれる。いつの日か赤い怨霊の活き活きとした殺戮をこの目で拝みたいものだ。

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