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大江健三郎および三島由紀夫の読解のための参考文献
高橋由貴TAKAHASHI Yukiによる論考
・高橋由貴「大江健三郎の核時代観とW・H・オーデン―深瀬基寛訳の「志那のうへに影が落ちる」の受容―」
・高橋由貴「大江健三郎のフランス・ユマニスム受容―『痴愚神礼賛』と消雪的豊かさ―」
・高橋由貴「大江健三郎「アトミック・エイジの守護神」論」
・高橋由貴「大江健三郎における深瀬基寛訳『オーデン詩集』の受容―「政治と性」の震源としてのオーデン―」
他――
・大江健三郎『大江健三郎 作家自身を語る』『私という小説家の作り方』
自らによる解題。
・南徽貞「大江健三郎研究―「死と再生」という主題をめぐって―」
東京外国語大学に提出された博士論文。
『個人的な体験』『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』『新しい人よ眼ざめよ』『人生の親戚』(+『治療塔』)の作品論。
・田中聖仁「大江健三郎の小説における読書行為 テクストを秋尺する登場人物」、『表現文化』第11号、2022年3月28日刊行
『「雨の木」を聴く女たち』以降の大江作品に見られる、文学史上のテクストを解釈しようとする登場人物、書物を通じて己の「現実認識を刷新しようと努める、いわばパーソナルな読書行為の担い手」というモチーフについて。
こうした「読者」は、「文学テクストを媒介に、エピファニーに近い形で新たな現実認識を得ることで、現実の問題に折り合いを付けようとする傾 向が見られる」……と言われる。
・南相旭「三島由紀夫における「京都」と「戦後」―『金閣寺』を中心として―」
・井上聡「三島由紀夫の天皇論の特徴―近現代の諸天皇論との比較を通じて―」
・菅孝行「三島由紀夫の〈敗戦〉」
……pdfで読める論考。
・菅孝行『三島由紀夫と天皇』平凡社新書
……天皇論という論点に関して言えば、三島個人というよりも彼以前以後の種々の論及の流れを追う必要がまずある。国学、国文学、その他。
【世俗的なsecular/信心深いdevout ... poet and novelist or writer】
高橋由貴「大江健三郎における深瀬基寛訳『オーデン詩集』の受容―「政治と性」の震源としてのオーデン―」には、「周知の如く、オーデンは、心理分析を用いた文明社会批判とニュースを取り込んだジャーナリスティックなモチーフ、マルクスを経由した社会変革を希求する政治参加を特徴としている」と言われる。そこからすると、オーデンはどうやらsecular poetであるらしく、大江もまたsecular novelistだろう。『みずからわが涙を…』ではAD1945/8/16に天皇暗殺計画のための資金を得るべく銀行強盗に及び射殺された父親との思い出を語る人物を登場させ、彼が8月16日に見聞きしたと主張する天皇の幻影や父親の言葉を、彼の母親をして、後知恵によって構築された妄想であると暴露させる。このようにして天皇崇拝者の虚飾を描こうとする大江の筆致は、彼の少年時代に頂点に達した天皇信仰に対する辛辣な非難と嘲弄を含んでいる。
一方で三島はいたって真面目に天皇という主題に取り組んでおり、そのさまはdevoutと呼ぶにふさわしい。彼はdevout novelist (or more broadly devout “writer” … Oe can be called a secular “writer” too)である。三島にとって、あるいは三島が描いた特攻兵たちにとって、天皇とは人間を超越したもの、現人神であった。このようなものに対する熱情と執着は西欧世界における神秘主義をも彷彿させる。その様子は超越的なものの実在的な臨在、あるいは実在的に臨在する超越者に対する深い信仰と呼ぶにふさわしい。
実在的に臨在する超越者という規定は――地中海世界における神の公現に類似するが――神聖不可侵天皇期の末期に超国家主義的天皇崇拝を規定した『国体の本義』に見ることができる。
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