スティーブン・キング『呪われた町』を読んだ
文春文庫版『呪われた町』を読み終えた。
実験的な構成の『キャリー』に続く第二長編は、ニューイングランドの田舎町を舞台に吸血鬼の跳梁を描く骨太の王道。現代の都会に現れれば自動車の群れに轢かれて死ぬドラキュラ伯爵も、アメリカ中に点在する田舎町では外部に悟られることなく支配力を好き放題拡大できる。『キャリー』の舞台になったキャッスルロックにも似て、大人はだいたい顔見知り、三十年前の事件が今でも語り継がれる「おれたちの町」が、じわじわと吸血鬼に侵略されていく。眷属となった町民達の様子と、彼らの狡知が作り出す最終盤の破局は痛ましいものがある。
解説の風間賢二によれば、1975年に上梓された本作は「侵略者としての吸血鬼」を描いた作品の最大のものであり、その完成形でもあるという。以後この路線は書き継がれず、「退廃的で耽美的な貴族としての吸血鬼」、「憂いに満ちた美青年としての吸血鬼」像が米国でも流行ったらしい。日本でも須永朝彦が「美しく官能的で耽美的な吸血鬼」を、『呪われた町』よりも早い1970年以来(あるいはより前から?)書き継いでいた。侵略者としての吸血鬼像はいささかマンネリ化しており、太平洋の東西を問わず新味が求められたというところだろう。
うえお久光による『悪魔のミカタ』シリーズの終盤には、日本の田舎町に現れた吸血鬼「ザ・ワン」の侵略と、それに立ち向かう町の人々を描いたエピソードがある。先にそちらを読み、比較しながら本作を読んだが、当然色々と違う。
終盤ベンに宿る「より根源的な善の力」は初めキリスト教的意匠を纏って、キャラハン神父の聖水の形でも登場するが、日本ではキリスト教は米国ほど浸透していないので、こうした超常的な力は日炉理坂の舞原一族の嫡子・咲杳によって、神道の巫女めいた意匠の下に現れる。その現れ方も異なる。キリスト教は物理的世界から超越した、形而上的metaphysicalな神を信仰する、従ってその力も何か現世を超越したような現象として現れる。対して神道は八百万の神、この世の木々や川泉をそのまま神々として信仰するものであるから、咲杳が発する悪を薙ぎ倒す力も、物理的physicalなものとして、彼女自身がそのまま巨大な力の塊であるかのように語られる。
もう一つ言ってしまえば、『悪魔のミカタ』で吸血鬼の侵攻を受ける人々はセイラムズロットの人々より大分タフである。割と生き残って対抗する住民達は、彼ら自身の力で吸血鬼を撃退してしまう。とはいえこれは、両作の吸血鬼とその眷属の生態がかなり異なっているからこそ可能なことでもある。『呪われた町』の吸血鬼(というか、その眷属)はほとんど死んだような悍ましい雰囲気を纏っている。彼らはひたすら生きた人間の血を貪り、その食欲には際限が無い。対してザ・ワンの眷属は、彼ら自身もまた支配者ザ・ワンの一部であり、普段は生前の意識をすっかり保っている。作中でしばしば群体生物と呼ばれるザ・ワン(の眷属)は、あくまで計画的に人間の血を管理しており、無駄に吸い殺すことがない。そして、闇の力の象徴であることよりもヒトを超越した種であることが強調されている。SF的な講釈が加えられる『悪魔のミカタ』はいわば世俗的吸血鬼を扱っており、その事実は同意匠の通俗化を物語る。
また、ザ・ワンの侵略はあくまで本丸を落とすための足掛かりで、最初からセイラムズロットを滅ぼしてかまわなかったバーローとは作戦が違う。絶対に外部に悟られてはいけないから日常生活を送らせなければならない、そのためには全面的な吸血鬼化はできない、ゆえにこそ反撃の芽もある……という改変を、うえお久光は「田舎町を襲う吸血鬼」というモチーフに加えている。
類似点、というか『呪われた町』にインスパイアされたんだろうという点もないではない。『呪われた町』には、「モーゼに魔女を殺せと命じた神」を信仰することをやめ、慈善事業に精を出す現代の教会を厭う呑んだくれ神父のキャラハンが登場する。彼は吸血鬼との闘争を決意すると惜敗二千年以上を生きる吸血鬼バーロー自身の血を飲むことを無理強いされる。逃げ帰って教会の扉に触れると掌を火傷したことで自身の穢れを知ったキャラハンはジェルーサレムズロットを去る。
『悪魔のミカタ』にも信仰を失った聖職者、こちらは牧師が登場する。教会へザ・ワン直々の襲撃を受けた牧師は、大型の聖書を呑み込むよう強いられて、頭部の形を呑み込んだ聖書そのままの直方体に変形させられる。以後彼は町の人々にブックマンと呼ばれて全3巻中の2巻がそんな感じで過ぎるので、私も彼の本名を忘れている。
……しかし半世紀前の作品なだけあってどこかで見たことのあるような退屈さが拭えない。「モダンホラーの帝王」の面目躍如だが、さながらシェイクスピアめいたところがある。誰もが知っている、しかしだからこそマンネリである。スティーブン・キングのgiven nameは冠を意味するギリシア語のστέφανοςに由来する。王冠にしろ桂冠にしろ、古く優れた彼に与えられるに相応しい名前である。
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