パラニューク『ファイト・クラブ』を読んだ

 半年くらい積読していたチャック・パラニュークの初期作品二作をようやっと読んだ。

 スルスル読めるリズミカルな文体と先が気になって仕方ないサスペンスに釣られて一気読みしてしまい、「パラニューク節」とでもいうのか、独特の調子が頭に染み込んでしまった。忘れないうちに感想を書いておこうと思う。

 よく知られているように『ファイト・クラブ』は映画化されて、現代北米の新右翼いわゆるオルタナ右翼にとって『マトリックス』と並ぶ聖典になっている、らしい。三十過ぎのしがないサラリーマンの「ぼく」と、「ぼく」を誘って「ファイト・クラブ」を作る映画技師タイラー・ダーデンのコンビは、映画では二人の役者によって演じ分けられている。しかし客観的なタイラーの姿というのは「ぼく」が作り出した幻であり、マーラを含めた周囲にとっては「ぼく」こそがタイラーその人である。この辺りの内幕は原作小説の方が事細かに語られている気がする。不眠症に悩んでいる「ぼく」は、自分が寝入った途端別人格の「タイラー」が目覚めて活動してしまい、たとい意識が眠っても体は決して休まない状態が続いていた。「ファイト・クラブ」を始めて不眠症が改善してきたかのようだが、それは実のところタイラーの力が強まり、「ぼく」が起きていられる時間がどんどん短くなっていくことを意味した。「ぼく」は自殺することで自分諸共タイラーを滅ぼそうとするのだが……?

 映画ではゴキゲンな爆発と勃起した怒張のカットでしめくくられるが、小説の結末は対照的にかなり陰惨である。自殺は失敗する。繰り返し語られていた「ぼく」の頬に空いた穴から銃弾は出て行き、「ぼく」は命拾いをして、テロリズムの首謀者として逮捕・収容される。しかし看守や掃除夫がふと囁きかける。

「復帰を心待ちにしています……」

 文明全てを滅ぼそうとするタイラーに心酔する「スペースモンキー」は、連邦政府にさえ入り込んでいたのだ。「ぼく」は自分の別人格を崇拝する敵に囲まれて過ごすことを強いられる……。ひどい。なんてことをするんだ。「ぼく」はすっかり凹みきって、看守たちを天使の軍団だとか言っている始末。


『ファイト・クラブ』の題名は作中でタイラーが作る「クラブ」の名前に由来し、タイラーは他にも「騒乱プロジェクト」なる集団を作る。放火、強襲、悪ふざけ、等々の「コミッティ」が曜日ごとに活動する。「情報操作は木曜」。

「組織的カオス。無政府統治。わけがわからない。」

「ぼく」はこれを「互助グループ」と呼ぶ。「互助グループだ。一種の互助グループ」。

 2015年発売の文庫版『ファイト・クラブ』には米文学者による解説の他に著者自身のあとがきも含まれている。本作刊行後の反応に言及しているこの「あとがき」は、パラニュークが本作を含めて八冊の本を出版した後に書かれたものらしい。その中でパラニュークは、ちょうど同時代に「力を合わせる女性たちを描いてひとつの社会的モデルを提示した小説」が多く出て、「しかし、男同士が人生経験を共有する新しい社会的モデルを提示している小説は一つも見当たらなかった」と言う。

 必要は発明の母Mater artium necessitas。

 ……必要necessitasは女性名詞だからこういうことになる。

 というわけでパラニュークは書き始めた。「感傷的すぎないものでなくてはならない。集まって力を合わせる新しい方法の見本とならなくてはならない」。べつに「喧嘩ファイトクラブ」じゃなく、「納屋の棟上げクラブ」でも「芝球ゴルフクラブ」でも何でも良かった。ただ、パラニュークの執筆環境が題材を決定した。書き上げたものをカフェかバーで朗読して反応をもらう。そこではコーヒーマシンや話し声がやかましいし、サッカーのテレビ中継をやったりもする。バーやカフェの「お試し聴衆」が騒音や邪魔の中でも聴いてくれるのは「ショッキングで、バイオレントで、ダークで、面白おかしい話だけ」だ。「納屋の棟上げクラブ」や「芝球ゴルフクラブ」は、あまりに退屈だった。

 そういうわけで、こういうものができた。

「ぼく」とタイラーはとにかく暴れまくる。高級ホテルのスープに小便を仕込み、カナッペにくしゃみを吹きかける(大勢いた客のうち三人が「塩気が強すぎる」と抗議に来たらしい)。ATMに穴をあけカスタードプディングを注入する。石鹸と一緒に爆弾を作り、パソコンにガソリンを詰めて、「ぼく」の上司を爆殺する。最後のをやったのは「騒乱プロジェクト」の尖兵、タイラーの忠実なしもべ「スペースモンキー」達だが、似たようなものだ。

 ショッキングで、バイオレントで、ダークで、面白おかしい。

 ひどいと言ってもいい。

 しかし、あるいはそういうものなのかもしれない。

 爆殺に比べればまだ害のない悪戯の数々は、パラニューク自身が見聞きしたものを直接組み込んだものだという。「友人たちから聞いた話を残らず盛り込んだ。パーティに行くたびにネタは増えた」。あまり卑猥だったり何だりするので「真似する読者が出たらどうする」と心配する友人もいたそうだが、パラニュークはこう答えた。「おれたちなんてオレゴン州在住の公立校出のブルーカラーの凡人だぜ、……おれたちが考えつく程度のこと、ほかの何万人って連中がもうやり尽くしてるさ」。

 パラニュークは最初、「男同士が人生経験を共有する新しい社会的モデルを提示している小説」を構想した。それは「オレゴン州在住の公立校出のブルーカラーの凡人」が、「友人たちから聞いた話を残らず盛り込ん」で作ったものだった。

 田舎の秀才でもない凡人な男たち、何か特別なものを持っているわけでもない凡人の男たちの互助グループ構築の物語……ではある、なくはない、『ファイト・クラブ』は。

 しかしどうしたって物語であるから、耳目を引くものであることが第一義だ。

 読者の一人が訊く……あなたはこのテロリスト集団を実際に作るべきだと思っているんですか?

 あるいはまた別の読者が……自分の町のどこを探せばファイト・クラブはあるでしょうか。

 また別の読者が……女性がファイトできるクラブはないでしょうか。

 パラニュークは書く。

「しかし、ファイト・クラブの第一のルールはこうだ。“オレゴン州在住の公立校出のブルーカラーの凡人が考えつく程度のこと、ほかの何万人って連中がもうやり尽くしている……”」

 パラニュークはここでD・I・Y、Do It Yourselfというきわめてアメリカ的な自主独立の精神を暗示している。

「やりなさい、それを、あなた自身で。」

It is YOU who imagine it.

Realize the imagination.

Do it.

By yourself.

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