旧エヴァを見た

 シン・仮面ライダーの前座として新世紀エヴァンゲリオンを劇場版まで一気見しました。今日だけで11話から劇場版まで、まる一日かけてしまった。

 特に20話以降が新劇場版とは異なる展開を見せることもあり面白く観ました。ツイートからコメントをコピペ、編集。


16話

 地上を覆う影を砕き…………浮かぶ球体、「影」を切り裂いて這い出てくる、赤い血にまみれ咆える初号機!  超かっけえ!


19話

 使徒と同じコア、使徒と同じ体組織、使徒と同じ、外部電源の要らない独立した巨人!

 ゼルエルが初号機のコアを壊そうとしたことと併せて、完全に同じ種族同士の殺し合いの様相を見せ、対する初号機もまた使徒に極めて近いものへと変わっていく。

 モビルスーツ同士の戦争、脱走した改造人間の戦い、古くは山田風太郎の抜け忍物まで遡る(?)「同族殺し」の伝統がいよいよあらわになってきた。


22話

 ジェイコブズラダー、ハレルヤの合唱、虹色の反射が重なる白い光の中で身をよじる二号機!

 ハレルヤの中での光の攻撃と二号機の身悶え、零号機のロンギヌス投擲、超気持ちいいアニメ活劇でした。


23話

 活劇が面白いアニメだったのにここに来て急に活劇の量が減って、きな臭い痴情の縺れの話が出張ってくる……しかし使徒の出現からレイの爆死と復活、赤木の述懐と謀略までを1話で済ませるのだからえらい密度ではあるのか。この辺の展開を既にどこかで読んで知っているので退屈なのかもしれない。

(面白いのは活劇だったのに終盤に至って活劇の比率が極端に減ってきてないか。何が作家性だよという気分にはかなりなる。)

「間も無く最後の使徒が現れる。それを消せば願いが叶う。もうすぐだよ、ユイ」――その台詞通りに23・4話の展開を溜めにして最終25・6話の決戦に雪崩れ込めばよかったものを、自意識をまろび出させたがために均衡を崩して……いないか? どうなんだ?


24話

 シンジを籠絡した最後の適格者が使徒へと変貌、無人の二号機を操りターミナルドグマへ潜航する! メチャクチャ面白い展開なのに1話で消費するから結構がワヤになっている。

 24話に至っていきなり登場した5thが2号機を操ってターミナルドグマに潜るというのは、シンジの怒りを含めて感情や展開の導線の引き方がここにきて雑すぎる。やはり4thとして登場してじわじわシンジくんをたらし込んだ方が良かったろうとしか思えぬ。

 登場・篭絡・侵入・絶縁・敗死を24分でやる奴があるか?

 1使徒は1話で片付けるというルールをここまでちゃんと遵守してるからそういうことになるのかもしれないが、いかにもキーパーソンというふうな思わせぶりな口ぶりや、二号機を操り宙に浮くという特異な挙動は、ぽっと出の美少年よりも多少とも苦楽を共にした第四の操縦者のものにした方がその魅力を増す。


25話

「終わる世界」……いつの間にか終わった! 似たようなカットが延々と続くので内容に乏しく見えるのか。

 粗雑な相対主義、「現実」「世界」等の無闇にデカい語句の雑な使用……大塚英志が25・6話の展開を「まるで自己啓発セミナー」と呼んだらしいけど、本当にそんな感じになってきたぞ。大丈夫なのか。


26話

 現実、世界、他人とかデカいテーマを、他人に開かれていこうという道徳的なテーゼを語れば「文学的」になるとか「作家性」が出るとかそんな事を考えたのか知らないけど、「使徒」の異形とアニメーションの楽しさという強みを全部放り出してこれをやって満たされるのは作り手のエゴだけである。


「Air/まごころを、君に」

 TV版の痛快アクションを想起させる二号機の大立ち回りとTVの規制から解き放たれたド級のゴア表現、極め付けにサードインパクト/人類補完計画が魅せる全地球的規模の破滅的スペクタクル! LCL化した人間の心をそのまま描くような実験的表現も気持ち良い。大満足!

 CGのデカい綾波が大量に歩いていたシンエヴァが出来の悪いパチモンに見えてくるくらい、超巨大綾波リリスの姿は唯一無二、超弩級の魅力を放っている。

 25・6話を見たらそりゃ「庵野死ね!」ぐらい言いたくなるに決まってるが、お釣りどころではなくなった。ありがとう庵野!(正直なところ、これが面白くなかったら庵野はエヴァ制作前に業界人としては死んでいた方がよかったと判断せざるを得ないのではないかと思っていた)


 wiki調べでは25話は旧劇場版の内容の予定で、26話はそのままのつもりだった……と庵野秀明は語っているらしい。LCLへの全人類の還元・融合という手札を見せておかないと最終2話の実験的手法の意味も伝わらないわけで見せ方に関して失敗していたと言ってよい。

 この失敗を踏まえて、と言えるのかどうか、劇場版では補完計画の内実を示した上で、「全人類の心が全て溶け合う」という状況下の出来事として心象風景の混濁を実験的手法で描いており、映像内容に対する疑問へのエクスキューズを与えている。

 エヴァ本編では明示的に語られなかったけれど、全人類の心の壁の破壊・LCLへの一体化は人の心の中のあらゆる感情を剥き出しに接触させるので、当然普段隠している小さな悪感情さえ相手へ筒抜けになる。終盤の罵倒は、シンジの自罰的妄想と共にミサトやアスカの内心の不満としても読める。

 おそらく25話がAir〜まごころ前半の内容であったなら、エヴァはTV版でしっかり完成していた。劇場版ではTV版の失敗を踏まえた調整によって怒涛のスペクタクルと思弁的内容を噛み合わせている。


(新劇場版とシン・ウルトラマンを見て、「庵野はそれっぽいオカルト要素その他を組み合わせるセンスエリート(笑)しぐさが同世代に受けただけで、24分単位以上の長さの整合的なプロットを構成する能力がまともに無いんじゃないか」ぐらいのことを思っていましたが、よし半分は当たっているかもしれないにしても他人や現実が云々という主題はいちおう一貫していたし、活劇と異形の二本柱の魅力はやはり旧アニメにおいても輝いている。)


 それはそれとして、現実だの虚構だの真実だの、その辺の言葉の使い方がこの時代は一般に普通に粗雑だし、地球規模の破滅という黙示録的想像力も世紀末のこの頃だから可能なものではあった。人類というか一民族の破滅・終焉と宇宙=地球の破滅・終焉を同列に語ろうとする、黙示録=古代におけるセカイ系的想像力をそのまま現代に敷衍したのがエヴァの世界観でもあるわけで、嘘は嘘と言わなければならないという話にもなってくる。

 美味しいところだけ頂いて、古い物は閉架に収めるに限る。庵野を……過去にするぞ! 時間の必然として!


(総評?)

 アダムだのリリスだの、その辺は単なる意匠・マクガフィンであって何の意味もないというスタンスでSFスペクタクル活劇として見ると、Air・まごころを、君にの最終2節で大満足のド級の活劇とスペクタクルを見せてくれるので、そういう方向でエヴァを見ることをまだ観てない人にはお勧めします

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