悪から善を作る
第三帝国無くして世界人権宣言がありえなかったように、キリスト教による精神的支配無くして近代合理主義はありえず、アメリカ合衆国の成立と拡大を通じたネイティヴアメリカンの虐殺無くして自由主義社会の全球的拡大はありえなかった。君は悪から善を作らなければならない、それ以外に方法がないからである。seu felix pulca.
翻って言えば、誰にとっても、事実として存在した悪を認めることはできる。当為問題としての悪の是認ないし峻拒という判断の次元ではなく、存在問題として悪があったと認識することは可能である。しばしば存在問題と当為問題が混同される。「然々は決して許されない」――しかし然々が存在することは、「許されない」と話す者も認める、むしろ存在を認めるからこそ当為の次元でこれを否定する。20世紀には存在と当為の二分法に対する論難もあったがここでは無視する。ある事柄について、それは存在するのか、どのように存在するのか、存在するというとき、存在という言葉で何を言おうとしているのか、といったことが問われる必要がある。
大日本帝国に対する一連の裁判が勝者の裁きであった旨は夙に指摘される。ところで連合国はなぜ枢軸国に勝利できたのか。理念によって勝ったのではない。理念によって戦争に勝つことはできない。勝利をもたらすのは弾薬であり、兵站であり、資材である。より多くを持つ者が勝利する。連合国は枢軸国よりも多くを持つために勝利した。なぜ連合国は枢軸国よりも多くを持っていたのか。米英は既に植民地を獲得し、人間を虐殺し、これを搾取していた。虐殺と搾取による利益を通じて、連合国は枢軸国よりも多くを得ていた。「勝者の裁き」は、「より先により多く殺し奪った者による、より後からより少なく奪った者への裁き」である。一連の審判がこのようなものであったために、戦略爆撃、航空戦力の計画的長期的投入による虐殺について裁かれることはなく――なぜならそれらは連合国もまた使用した戦術であったがゆえに――世界で最初の戦略爆撃、中華民国戦時首都重慶に対するA.D.1939~41の「戦政略爆撃」について、「東京裁判」の場においてその罪悪が諮られることはなかった。
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Gratia naturam non tollit, sed eam perficit. -Thomas Aquinas
現実態としての革命。大衆=質料。大衆という質料に前衛党とそれが与える理念という形相が合わさることで、革命=現実態が生まれる。前衛党の観念の古代的解釈。
Gratia naturam non tollit, sed eam perficit. 恩寵は自然を破壊せず、むしろ完成させる。前衛党=恩寵に依る大衆=自然発生的抵抗の完成。前衛党の観念の中世的解釈。
理性は進歩する。前衛党は理性を把握している。後衛たる大衆を導く必要がある。前衛党の観念の近代的解釈。
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