映画「LAMB」を見た

 劇場公開当時なのでもう数か月前になるが感想を改めて言語化するために書く。

 アイスランドの片田舎で牧羊を営む夫婦は、ある日とりあげた羊の赤んぼうに異変を見出し、やがて「羊と人間のキメラ」を育てることになる……というあたりは予告編で示唆され、実際すぐ明らかになる。

 キメラはアダと名付けられる。父母と娘が暮らす。メインとなる、焦点が頻繁に当たる人物は母親らしい。ここに父親の弟、いささか問題のある人物がやってきて、母親といちゃつきだす。弟は羊面の人間を見て度肝を抜かれる。兄相手に「あのきちがい沙汰を止めさせたほうがよい」というようなことを言うが、父は母の行動を前に説得を既に諦めているようだった。娘アダは父親の肉親を客人として憎からず思っているようだが、如何せん羊の目をしているので感情が読みづらい。ねじれる四人の関係。そこに、借金の取り立てだかで弟を追ってきた全くのよそ者が、アダらのいる牧場へと行き着く……と、おおまかなあらすじを書けばこういうことになる。

 全体として弛緩した雰囲気が続く。結論から言えば弛緩したまま盛り上がりが無く終わる。画面には、どこか不穏で、カタストロフの予感を孕ませた静かな空気が漂い続ける。全体が2,3の節に別れており、各節の終わりにひとまずオチを付けるためのアクションがあるものの、そこもかなり静かに進行する。その静けさがかえって観客に破滅的な終幕を期待させるのだが、ついに観客を満足させるだけの破局は訪れない。

 人間たちのドラマと並んで羊のドラマも進行する。アダを生んだ母羊は、娘を奪った飼い主に物言わぬ抗議をするべく、日々リビングの窓の前に立つ。人と羊、ふたつの種族の母が、娘をめぐって対立することになる。母はついにこの羊を撃ち殺してしまうのだが、それは当然アダの生みの親を殺すことでもあった。羊と人間の相克、そしてその結節点に位置するアダ、という物語上の配置は、同胞を殺された羊たちの逆襲を予感させる。そしてここでもやはり観客の期待は裏切られる。

 絡まった筋書きを大団円に持ち越すべく無理矢理に導入される解決法を揶揄してデウスエクスマキナと呼ばれる。本作では大団円をもたらさないデウスエクスマキナが導入される。突如、パンを連想させないこともないような半人半羊の神らしきものが現れ、人の母親を撃ち殺して本作は終幕する。静かな高原に、鳴いていた羊たちの群れはいない。いささか期待外れの、「ドントウォーリー、ダーリン」とはまた違った面白くなさに支配された作品だった。

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