映画「ドントウォーリー、ダーリン」を見た
「ミッドサマー」とフローレンスピューが主演と聞き、新作「ドントウォーリー、ダーリン」を見た。ただ本作は監督・助演のオリビアワイルドの長編第二作でもあり、そのカラーの方が色濃く出ている作品であると感じる。「ユートピアスリラー」のキャッチコピーでコマーシャルを打たれた(※1)本作は、ユートピア/ディストピアとそこからの脱出というプロット上の主題よりも、繰り返される円形・対称性(完全性の象徴)のイメージや「古き良きアメリカ」=1950年代を模した美術面を注視すべき映画であり、思弁的側面については「敵」の戯画がいささか著しくチープである点で欠点となる。
予告編でも示されるように、映画の前半では、「ビクトリー計画」の一街区に住む夫婦の微笑ましい生活とその崩壊の序曲が語られる。不気味な映像のリフレイン、建屋やダンスレッスン、フラッシュバックで繰り返される「円」の意匠……と、「明かされるもの」、「円=完全性に潜むもの」を期待させながら、中身のない卵、消えた子供、墜落する飛行機など不穏さを掻き立てる要素が放り込まれる。夫たちが昼間仕事に行く間、妻たちは居住区にある自宅の掃除や育児、ショッピングセンターでの買い物をして過ごすが、街区の外にあり「計画本部」と呼ばれる夫たちの仕事場へ行くことはおろか、街区の外へ出ることも禁止されている(ビクトリー計画はカリフォルニア州の砂漠に造られた人工都市で行われており、街区を出ても環境の苛酷な砂漠が広がっているだけなのだが)。ピュー演じるアリスはショッピングモールから巡回バスで帰るさなかに丘へ墜落する飛行機を目撃し、これを追って「計画本部」に接触してしまう。前後して隣家の主婦が精神に異常を来して自殺未遂を図り、アリスは彼女の幻覚に悩まされるようになる。
アリスは次第に「ビクトリー計画」の怪しげな裏に気付きはじめる。不安を募らせるアリスを夫ジャックは医師に診せるが、彼女は一時的なヒステリーという診断も処方された薬も拒否する。ついには計画の責任者を招いたホームパーティの席上で計画を糾弾したアリスは、赤い服の集団によって拘束され、「治療」を受けることとなる……。
しかし不穏な印象を残しながら提示される「完璧な町の秘密」は、あまりにも貧相かつ場違いな道具立てから成っていると知れる。「ビクトリー計画」の裏側への不安を精神的な疾患とみなされ強制的に「治療」を受けたアリスは、封印されていた「現実」の自分の記憶……医者として働き詰めてヒモを養う生活……を思い出す。その後観客に示されるあらましはこうだ。ヒモのジャックは自尊心を拗らせるだかして動画配信サイトで参加者を募る「ビクトリー計画」に入れこむ、アリスに無断で(あるいは説得したかもしれない)申し込んだ計画のための施術として彼女をベッドに拘束し輸液を繋いで、深い催眠状態にするデバイスを装着させる。そして自らも同じデバイスを装着したジャックはベッドに横たわり、二人は「ビクトリー計画」に参加する夫婦という幻を今もなお見ている……そういうことらしい。要するに、1950年代風の建物や調度に囲まれた「ビクトリー計画」の空間はすべてが機械が見せる幻、VRMMOであって、アリスをはじめとする女性たちは「計画」と契約した夫の決定に従い拘束されているのだ。
腹立たしいのは、「ユートピア/ディストピア」の舞台装置として舞台そのものをここまでぶち壊しにする要素を導入する必然性らしきものが見受けられないこと、あまりに突拍子もないために以後の展開が「何でもあり」になってしまうこと、ダークウェブのオルタナ右翼の戯画だろう「ビクトリー計画」と現実のジャックの描写がアリスの敵とするには不適格なほど安っぽいことだ。
この事実が明らかになってからの本作の展開は、ご都合主義の嵐の様相を呈する。真相を知ったアリスは「計画」空間からの脱出を試み、縋りつくジャックを殴り殺してしまう。ここで「「計画」空間で死んだ男は現実世界でも死ぬ」という設定が明かされる。セーフティは無いのか? また、男は、と限定が入る。女はどうなるのか?(字幕ではこう書いていたが何と言っていたか記憶がはっきりしない。字幕で余計な限定が加えられたか)。そして現実世界にいる「計画」スタッフがアリスの肉体を殺しに来るだろう、と言われる(※2)。一体「計画」はどういう運営をしているのか? 以後、アリスの逃避行が描かれ、「計画本部」=現実との境界面に辿り着いたアリスは本部の扉に触れてこれを開ける……そこで映画は終わる。しかし逃避行と言うなら、目覚めた彼女は現実世界での追っ手からも逃れる必要があるのではないのか? 1950年代風の調度はコンピュータグラフィックスとなり、しかもそこでの死は現実である。何かが食い違っている。ぶち壊しとご都合主義が同居している。
VRMMOと書いた。「計画」の催眠空間に人間を閉じ込める装置が作中に一瞬登場するが、これは次のような見た目をしている。
>このVRMMOに人を閉じ込めるガジェットが「瞼を上下にこじ開けて赤い光の催眠波?を目に直接注ぎ込む」というバカみたいな造りの、形は大体モノクルという代物で、その構造といい、CGで描かれているらしいその質感の安っぽさといい、迂遠なギャグのつもりでやってるんじゃないかと疑わせる。
催眠にしても、もう少しどうにかならなかったのか。
また、「ビクトリー計画」やそれに入れ込むジャックの描写は、Qアノンをはじめ動画サイトで跋扈する左派へのバックラッシュや、ビッグテックに潜むミソジニーな欲望、ダークウェブに集うインセルの戯画であるとあからさまに知れる。髭を剃り、髪を整えて、いかにもなビジネスマン風の「計画」空間内のジャックとは正反対に、現実世界のジャックは目深にニット帽を被り、髭を伸ばしっぱなしで、縁の太い眼鏡をかけている。両者ともあからさまに記号的である。
なんだってダークウェブの陰謀のカリカチュアが、あんなチープなコンピュータグラフィックが、ベッドに繋がれたフローレンスピューという悲惨さがあからさますぎて胸焼けする絵面が、謎に満ちた不気味な「ビクトリー計画」の舞台裏としてことさらに提示されなければならないのか……馬脚を現すと云うが、現された馬脚があまりにも貧相で堪えがたい思いがする。「計画」のボスのフランクが持っていた老獪な魅力は、カリカチュアライズされたミソジニーな欲望へと失墜する。そしてそれに反抗するアリスも同時に、ただ反抗する女性というカリカチュア以外の性格を失っていく。
とはいえ、オリビアワイルドがなんだってこんなものを書いたのか、筋書きや現実世界の道具立ての部分をこうまでなおざりにしたのかという点については、弁護しうるというか、擁護しうるというか、理由として考えられることがある。(後述)
さりとて、なればこそ本作はもっと面白いものにできたはずではないのか、とも私は惜しむ。アリスの敵手として魅力的だったのは、ヒモのジャックでもビジネスマンのジャックでもなく、老獪なボスのフランクだった。なぜ彼女とフランクの一騎打ちの対決が描かれないのか。
※1 「「ドント・ウォーリー・ダーリン」は、熱病に侵されているかのような物語 O・ワイルド監督が紐解く“ユートピアスリラー”の謎」
https://eiga.com/news/20221111/13/
※2 これは「計画」に自ら志願した友人の女性・バニーの言だった。彼女は失った子供たちと共に生きるために現実世界の人生を捨て、「計画」の非現実空間を選んだ。パンフレット中の児玉美月のコラムではバニーは「ビクトリーの(家父長制的な……引用者)実態を知りながらも、その生活に甘んじていた」と言われるがそれは違う。彼女は家父長制的な実態を受け入れたのではなく、子供と現実を天秤にかけて前者を取った。
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