映画「容疑者xの献身」を見た
原作未読のまま映画を先週末1/3と今週末2/3とで分割して見るという外法をやり、先ほど視聴完了。良い作品でした。
東野圭吾による「探偵ガリレオ」シリーズ第三作(初の長編)である同名原作は2005年刊行、映画は2008年と14年前のものになる。同年のテレビドラマ版の直接の続編と言える作品であり、「ガリレオ」の異名を取る物理学者・湯川と、彼をして「天才」と言わしめる数学教師・石神の旧友同士による頭脳勝負が展開する。この石神は「シリーズ最大の強敵」と言ってよく、その犯罪計画は難攻不落、けっきょく湯川ひとりでは彼の罪を白日の下に曝すことはできなかった。湯川はただ密室で自らの推理を提示しただけである。石神はそれを仮説として是認しつつ実証の不在を理由にはねのけた(「仮説は実証してはじめて真実になる」)。
『容疑者xの献身』は推理小説である。探偵は罪人の狡知を暴き、「犯人はあなただ」と宣言しなければならない。湯川に代わって天才・石神の完全犯罪を暴き、罪人の素性を公衆を前に宣言したのは誰か――石神がその罪を被ろうとした隣人・花岡靖子である。
完全犯罪を愛が崩す。――中盤、「誰にも解けない問題を作ることとそれを解くことはどちらが難しいか」と湯川は石神に問う。天才同士の精神の火花が弾け、ぶつかり合う、それはそういう問いだった。作品は警察による捜査と湯川・石神の対話を主としてその後も進行していく。雪山での対話では湯川はまだ定まった推理を話すこともできず、石神はほとんど富樫慎二殺しを自白するようなことを言う。そのうちに石神は自首。拘置所移送の直前に再び登場した湯川は「分野をAとみせかけつつ実はBの問題を出す」という石神の作問の癖を引いて「アリバイトリックにみせかけた死体のすり替えトリック」仮説を提出し、花岡親子を守るために無関係なホームレスを惨殺した石神を告発するが、この時点ではまだ富樫の死体は発見されておらず上に引いた言葉で突き返される。湯川は最後の足掻きとばかりに自分の推理を花岡親子に伝えたことを明かすが、石神は気にも留めない。終映まで残り13分。ここまで観客の私の注意はかなりの程度まで湯川と石神の推理対決に向いており、「果たして湯川はここからどう逆転するのか?」とばかり気を揉んでいた。
石神は勝ち誇るように湯川の許を離れ、官憲に従って留置所の廊下を歩く。「私はあなたに救われたのですから」という彼が花岡に送った手紙の文言のリフレインに続き、回想の挿入。ある日、自室で首吊りを実行する寸前でチャイムに呼ばれ玄関に出た石神は、隣室に越してきた花岡親子を顔を合わせる。二人は隣人として挨拶に来たのであり、まさかお隣さんが自殺をしかけたとは思わない笑顔の明るさが銀幕上で輝く。その後も花岡親子は隣人の石神と、あるときは弁当屋の店主と客として、あるときは登校/通勤中に会うお隣さんどうしとして、天真爛漫な明るさで交流する。そこには広い愛と善意がある。いっとき生きることに絶望していた石神はこの愛と善意によって救われた。自らを生かした二人に報いるべく、人間ひとりを惨殺して無実の罪を被ろうと彼は決意したのである。
石神は花岡親子を守るため、無関係なホームレスを惨殺し、遺体をひどく損壊して遺棄した。愛と善意の人である花岡靖子が、隣人のこのような恐ろしい罪を知りながら、自分たちだけはのうのうと生きていくことができるだろうか?
事実できなかった。留置所の出口へ至りついた石神を背後から呼びとめる声がある。彼がその罪を被るために人ひとりを惨殺した花岡靖子が娘と共にいる。花岡靖子は繋がれた石神に追い縋り、崩れ落ちながら「自らも石神とともに罪を償う」と宣言する。探偵ガリレオにすら解ききれなかった「誰にも解けない問題」が瞬く間に崩れ落ちる。石神の献身――無辜の市民の殺害――は徒労となり、彼が愛しその罪から守ろうとした親子は正しく己の罪を負うこととなるだろう。石神を敗北させたのは湯川ではない。かつて石神を死の淵から救い、石神をしてかれらを愛せしめた愛と善意が、全くそのままに彼の完全犯罪を撃ったのである。
花岡靖子は役柄上は探偵であった。しかし彼女は探偵ではない。町に暮らす人に食事を売る、しがない弁当屋の主人である。だから彼女は頭脳によって天才によって犯人を暴くのではない。彼女は愛と善意によってこれを成した。狡知に長けた犯人は、隣人の愛と善意の大きさを測り間違えた。故に彼は決して解きえない問い、というより寧ろ謎に直面し、「どうして?」とだけ繰り返しながら涙を流すこととなったのである。
* * *
自然の探究を旨とする諸学問はその分野によって方法論を異とする。湯川自身が作中で語っているように、「物理学者は観察し、仮説を立て、実験によって実証していく。しかし、数学者は全てを頭の中でシミュレーションしていく」。そして方法論と同時に――数学と物理学は数式という共通言語によって相互に通約可能であるとしても――その帰結もまた、形態や志向を異とする。
石神は数学の天才である。教師業の傍ら現役の大学教授に匹敵する資料収集を行い、己の容貌など気にすることのなかった男である。
優劣ではなく得手不得手の問題であった。あるいは彼の環境の問題であった。……
* * *
花岡靖子の主体性という点に重きを置いて見ると、天才同士の頭脳対決という『容疑者x』像がいささか変わってくる。犯人であり探偵でもある花岡靖子が、自らの、そして石神の罪を衆目に晒し暴く、その決意に至るまでの物語でもある。それは冒頭で偶然の絡み合いの中で前夫を殺してしまった彼女の行為とはかけ離れたふるまいである。彼女の行為は偶発的な殺人から決意的な宣言へと移り変わる。
振り返ってみれば、冒頭の殺害から石神による疑似ストーキングに至るまで、いかに彼女の無実を造り出そうという石神の計画のためとはいえ、一貫して花岡靖子は状況に翻弄される人物であった。石神の自首という衝撃的な展開の直前、彼が送った狂言脅迫の手紙の存在を知り慄く靖子は、事態を深刻視しない娘を前に叫ぶ。「私は一生石神さんのことを気にしながら生きてかなきゃいけないの? ――これじゃ富樫が石神さんに変わっただけじゃない」。
実際そうだろうと思う。そしてこの台詞は花岡が冒頭を除けば作中ほとんど唯一明確な怒気をもって発したものでもある。彼女の台詞の中でも印象的なこの言葉は、観客の記憶によく定着するだろう。
……
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