武井彩佳『歴史修正主義』を読んだ
三時間ていどで読み終えてしまった。
歴史家論争におけるノルテの議論の問題点について、武井は実証の欠如を指摘する。ノルテは第三帝国期の絶滅収容所について、類似の収容所はスターリン時代の「収容所群島」のかたちでソビエト連邦にも存在し、したがって第三帝国のそれは唯一無二ではなくソ連のそれに先例を持ったものであると主張した、と言われる。ノルテは相対化不可能な犯罪とされた第三帝国の暴力を、類例と比較しその差異を見ようとした。そして第三帝国は先行事例としてソ連の収容所を持ち、そこにガス室という「改良」を加えたものである、とされる。
これに対して武井は「彼の主張は、実はソ連の収容所群島がアウシュヴィッツに時間的に先んじたということを言っているに過ぎない。だが、両者に因果関係があるように見せている。ナチズムがボルシェヴィズムをモデルにしたという解釈は、実証的には根拠薄弱だ」(p. 130.)と指摘する。
確かに時間的にはソ連の収容所は第三帝国のそれに先行する。この事実については誰もが認めるところである。しかし、この時間的な前後関係と、時間的に後続する第三帝国の収容所がソ連のそれを下敷きに自らを設計したという因果関係は、明白に異なる。ノルテはこの両者を混同しているという武井の指摘は当たっている。
ただしこのことは、裏を返せば、相対化不可能な特異点としての絶滅収容所を認めず、ソ連や大英帝国のそれに後続する漸進的発展として収容所の歴史の中にそれを位置付ける現代における歴史認識の可能性を、必ずしも否定するものではない。
武井の指摘は、事実関係として第三帝国はソ連の収容所を参考にしたという主張が当たらない、というものである。第三帝国がその収容所の設計に際してソ連を参考にしたという意図ないし事実の実在を証明するには、相応の手続きを踏む必要があるだろう。武井の指摘は厳密にこの一点を狙っているために、ノルテの理路の弱点を正確に射抜いている。
そして、まさにそのことのゆえに、彼女の指摘は、後続する人間の都度の歴史認識の選択肢を狭めるものではない。絶滅収容所を相対化すべからざる絶対悪とみなすことはできるし、事実そうみられてきた。対して、大英帝国のボーア戦争における捕虜収容所とソ連における収容所群島という「帝国」による収容所の時間的後継者として、またT4作戦を通じて練り上げられた工業的な規模の人間の抹殺機能という改良を加えられた20世紀前半の収容所の「完成形」として、これを認識することもできるだろう。この収容所の歴史は遠く水陸の彼方、現代のグアンタナモにまで、現代のガザにまで伸びている。
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