ん。
藤間伊織
その手をとる
俺はぼーっと空中の一点を見ていた。彼女の部屋の部屋で飲み始めて数時間。酔っぱらって考えるのは決まって俺たちが出会った頃のことだ。
お互い、社交的なタイプではなかったので、俺たちが知り合ったのは友達経由だ。それも偶然。もう会うことはないだろうと思ったが、おとなしくて優しそうな人だと思った。しかし、それだけに彼女が彼女を紹介してくれた友達と仲がいいというのは少し不思議な気もした。まあ、まったく違うタイプだからこそ、ということもある。かくいう俺もそうだから。彼女の隣に立ついわゆる「憎めない」タイプの友人に視線を移す。彼女もこいつのあの妙に流されてしまうペースに巻き込まれたのだろうかと思い親近感がわいた。
それから、一度結びついた縁というのは不思議なものでこうして付き合うに至ったのだが。
人生最大の勇気を振り絞った俺は正直、断られたときどうやって立ち去るのが自然か、ということで頭がいっぱいだった。しかし、俺の予想はいい意味ではずれ、顔をあげると俺と同じくらい赤面した彼女が手を差し出していた。そのときのことは忘れられない。
今考えれば全部あいつに仕組まれたのか……?まさかな。
思い出の中から意識を戻すと現在隣にいる彼女が目に入る。すっかり酔っているらしく、顔がわずかに赤く、目もほぼ閉じられている。
さっきまで見ていた映画はすでにエンドロールに入っており、ラストシーンを見届けられるかも怪しかった彼女の集中力は完全に切れたようだ。
彼女は俺の視線に気づいたのか、少しだけ残っているエネルギーでうっすら目を開けた。そして、「にっこり」という表現が似合いすぎる柔らかいほほ笑みを浮かべ、こちらに腕を伸ばしてきた。いつも通り。
というのも、最初のころ、恋人同士の適切な距離感をお互いが考えすぎた結果、俺たちの間には変な距離が生まれてしまっていた。これはどうも違うらしい、と薄々気づき始めた俺たちは話し合いを重ね、もう少し距離を詰めてみることにした。
隣を歩く時の距離を物理的に近づけてみたり、おそるおそるだが手をつないでみたり。中学生の初恋か?という例の友人のつっこみは無視した。
そんな努力が俺たちなりに落ち着いた、最終形態ともいえるのがこれである。きっかけは確か、どこかで知った「ハグにはストレス軽減効果がある」というのを持ち出し、腕を広げた彼女。そんな姿にキュンとする場面だったのかもしれないが、俺は自分からそんな提案をした彼女の心意気に尊敬の念を抱いた。
そうして挑戦した結果、今自分たちは恋人っぽいことをしている……!という謎の感動を共有した俺たちは、これはお互いの気持ちを近づけるのに非常に有効だ、と結論づけたびたび疲れたなどにやってみるようになった。
とくに彼女は大分しっくりきた様子でよくこうして腕を伸ばしてくる。最初は遠慮がちだったが、今ではすっかり「甘える」ということを覚えた。慣れって
そしてそんな彼女を抱きしめかえす、という一連の流れができあがった。
ただ今日は酔っているので「甘えたい」というハグではなく「もう寝たいから運んで」と抱っこを要求しているのだろう。
「はいはい……」と自分の表情筋が緩むのを感じつつ、いつも通り持ち上げようとする。が、首を振って拒否された。しかし彼女の腕は伸ばされたまま。「違う」と言いたいのだろうか?
とりあえずそばによると、いつもどおり俺の首に手をまわしてくる。……これは、体の向きを見るに「お姫様抱っこ」がいい、ということか?
そう思って抱え上げると今度は簡単に持ち上がった。
すっかりわがままを言うようになった彼女はとてつもなく満足気である。
「えへ」
アルコールの影響か、完全にゆるみきった笑顔に思わず「フッ」と少し噴き出してしまった。
さあ、運ぶか……と彼女を抱えなおすと、首にまわされた手に力がこめられ、
頬に、ふに、とやわらかさを感じた。
反射で手をやりそうになったが、あいにく両手がふさがってる。
先ほどまで寝てるのかと思うほど大人しかった彼女は、相変わらず目は半分までしか開かないようだったがはっきりといたづらな笑みを浮かべこちらを見ていた。
「やった」
「……酔ってるね」
こちらが防御できないのをいいことに、彼女はすっかりご機嫌だ。
なんとかベッドまで運び「着きましたよ~」と呼びかけたが、すでに夢の中へと旅立っていた。
ベッドに寝かせるとすやすやと規則正しい寝息をたてはじめた彼女の顔をしばらく見て悩んだが、そっと髪をよける。
俺だって恥ずかしい思いをしたんだし、これくらい許されるよな?
「おかえし」
ちゅ、と同じ場所にキスをかえす。
目の前の眠り姫は目を覚ます様子もなく、段々恥ずかしくなってきた。
なぜ俺の方が照れているのか。
ほ、と一息つき相変わらず穏やかな寝顔を見る。
「おやすみ」
ん。 藤間伊織 @idks
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