26-8「信頼の重み」と「責任の影」
「それじゃあ、わしらはそろそろ失礼しますわ」
「シーラさん、イチノスさん、今日はありがとうございました」
ラインハルトさんとベネディクトさんが会合の終了を告げて立ち上がった。それに続いて、メリッサさんも椅子から立ち上がる。
隣に座っていたシーラも立ち上がろうとしたが、俺はそっと彼女の腕を押さえて、立ち上がらないように合図を送った。
一瞬、シーラは驚いた表情を浮かべたが、すぐに俺の意図を察したのか、再び椅子に座り直してくれた。
「では、お二人をお見送りしてきますので、イチノスさんとシーラさんはもう少しこちらでお待ちいただけますか?」
「そうですね。シーラ魔導師と魔道具の保守について少し打ち合わせをしておきます。向こうの件は、その後でよろしいですか?」
俺はメリッサさんの提案にうなずきながら、壁の時計に目をやった。もうすぐ12時になろうとしている。
「はい、ありがとうございます。それでは、しばらくお待ちください」
メリッサさんが答えると、ラインハルトさんとベネディクトさんが割り込んできた。
「いやいや、メリッサさんもお忙しいでしょう」
「わしらは自分たちで帰れますので、ここで失礼しますよ」
「いえいえ、そういうわけにはいきません」
そんなやり取りが続く中、メリッサさんに案内されて、製氷業者の二人は会議室を後にした。
廊下に出た三人の話し声が聞こえなくなったところで、シーラが口を開く。
「イチノス君、ありがとうね。この会合のホストは商工会ギルドのメリッサさんだから、私たちが出口まで見送るのはちょっと違ってたね(笑」
これは、さっきシーラが立ち上がろうとしたのを俺が止めたことについて言ってるんだな。
反省するようなシーラに、俺は軽く微笑んで話題を切り替えるように問いかけた。
「シーラが遅れるなんて珍しいな(笑」
「あぁ、それね。商工会ギルドに入ったところで、商人さんに呼び止められて、それで遅れたの」
ん? シーラが商人に呼び止められた?
シーラが『商人に呼び止められた』と言った話に、俺は首をかしげた。
このリアルデイルの街で、シーラの顔を知っている商人なんてほとんどいない。いや、皆無だと思う。商工会ギルド経由で商人たちから俺への接触をうまく防いでいるつもりだったが、今度はシーラに向かったのか?
「シーラ、その商人って知り合いだったのか?」
「一人は見たことがある気がする。前に店に来たことがあったかもしれない。でも、すぐに名前が思い出せなくて(笑」
「じゃあ、その商人って、サルタンにいた頃に会った商人なんだな?」
シーラは少し思い出すように頷きながら答えた。
「そうだね。まさかリアルデイルの街で再会するとは思わなかったけど、確かに見覚えがあったよ」
「じゃあ、久しぶりに会った感じか?」
「そうだね。あの商人さんがリアルデイルにいるなんて、全然想像してなかった」
シーラは淡々と答えているが、俺の心には何とも言えない引っかかりが生じていた。
「もしかして、イチノス君、気になるの?」
「えっ?」
「私が商人さんに声を掛けられたこと、気になってる?」
「いや、特には⋯⋯」
「ふ~ん」
そう言いながら、シーラの緑色の瞳が俺を真っ直ぐ見つめてきた。その瞳の奥には、どこか楽しんでいるような笑みが浮かんでいるように見えた。
「シーラはどうするつもりだ?」
「何を?」
「製氷の魔道具の件だよ」
「あぁ、それね。イチノス君は、店で魔石を買ってもらって自分たちで交換する方法にしたいんでしょ?」
「そうだな。前にも話したけど、それが一番手間がかからないし、あの魔道具なら簡単には壊れないだろう」
「じゃあ、イチノス君は、魔道具自体の保守にはそれほど手間をかける必要がないと考えてるのね?」
「そうだな」
「だとすると、問題は魔石の消費量よね。あの魔道具がどのくらい魔素を消費するか次第で⋯」
「そうだな。そこを考えると、保守契約を結んでも、魔石の交換は別料金にした方が、こちらが損しないだろうな」
「イチノス君は、魔石の交換まで含んだ保守契約は考えてないの?」
「う〜ん、今のところは考えてないな」
「⋯⋯ わかった」
シーラ、その一瞬の間はなんだよ。
問い詰めたい気持ちが湧いたが、そこで俺はふとあることに気がついた。
「待てよ⋯⋯」
「?」
「たとえ俺の店で魔石を買ってもらって自分たちで対応してもらうにしても、俺の店が常に魔石を供給できる体制、つまり在庫を確保しておかないとまずいよな?」
「うん、そうだよね。あの魔道具を動かし続けるには魔石は必須だし、もし魔石の魔素が切れた時にイチノス君の店に在庫がなかったら、大変なことになるね」
「それって保守契約を結んだら、必ず魔石を供給できる体制、つまり店で在庫を備える必要があるってことだよな?」
「フフフ イチノス君、それは保守契約を結ばなくても同じじゃないかな?」
「えっ?」
「ラインハルトさんとベネディクトさんに、イチノス君の店で魔石を買って自分達で対応してもらうって話をしたら、それは実質、同じ約束をしているんじゃない?」
「あっ!」
〉私の店で買うこともできますよ
俺は、この言葉をシーラの目の前で、あの二人へ口にした記憶がよみがえった。
しかも、魔石の入手方法を説明する際にも、『私の店で売っています』と言ったことを思い出した。
これって、俺はかなり問題になる発言をしてしまったんじゃないのか?
待てよ⋯ シーラもラインハルトの奥さんに伝えたって言ってたよな?
『氷屋の女将さんにイチノス君のお店で魔石を買うのを勧めちゃったの』
帰りの馬車の中でそんなことをシーラが口にしていた気がする。
「シーラ、たしか氷屋の女将さんに俺の店で魔石を買うのを勧めたって言ってたよな?」
「うん、伝えたよ。『魔石はイチノス魔導師のお店で買えますよ』ってね。もしかしてまずかった? イチノス君が店で買えるって言ってたよね?」
そうだよ。それでセルジオが俺の店に魔石を買いに来たんだ。
これって、明らかに俺が原因だよな?
もしも俺の店で魔石の在庫を切らしたら、本当に大問題になりそうだぞ。
はぁ〜
思わず俺は軽くため息をついた。
俺の店で魔石を確実に確保することは、相談役に就任した俺自身の信頼、ひいてはこの街の領主代行を務める母(フェリエス)の信頼にも関わる話だ。
さらに、シーラもラインハルトさんの奥さんに俺の店を紹介している。つまり、これは俺一人の信頼だけではなく、シーラの信頼にも関わるということになる。
責任が重い――
俺の信頼、そしてシーラの信頼、領主代行に就いた母(フェリエス)の信頼、一つ間違うとウィリアム叔父さんの信頼にまで及ぶ話だ。全てが俺の店での魔石の確保にかかっている。
トントン
落ち込みながらも考えが周囲の信頼にまで至った時、ふとシーラに目をやると、彼女は指で机をトントンと叩いていた。
「イチノス君が『製氷の魔道具が動かなくなったら、店で魔石を買ってください』って伝えて⋯」
シーラが独り言のように呟くが、その言葉は落ち込みかけた俺の心を突き刺す。
「でも、それって保守契約を結ばなくても、イチノス君のお店に求められることで⋯」
はいはい。おっしゃる通りです。結局、俺の店で魔石の在庫を確実に確保する必要があるんです。
「なあ、シーラ」
俺は独り言を呟くシーラを眺めながら問いかけた。
「ん?」
「やっぱり、俺の店で魔石を確保しておく必要があるよな?」
俺は、思考の海に漂うシーラを引き戻すように尋ねると、シーラは笑いながら答えてきた。
「イチノス君、今ごろ気づいたの? それで、今日は魔石の入札に参加したんじゃないの?」
はぁ〜
俺は先程よりも深いため息でシーラに答えてしまった。
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