26-6「沈黙を破る知らせ」
「どうぞ」
ナタリアさんが、紅茶の満たされたティーセットを応接机に並べ、皆へ勧めてくれた。
俺は、その一つを無言のまま手に取る。
ここまで、ナタリアさんが紅茶を淹れる間、応接室の全員が沈黙を保っていた。
イワセルさんと俺のやり取りが、ここにいる全員に少なからず影響を与えて、誰も口を開かなかった。いや、開けなかったのだろう。
俺の不機嫌な様子に、皆が呑まれてしまったのだ。
商工会ギルドへ寄せられたクダラナイ苦情に俺は憤慨してしまい、イワセルさんに筋違いな怒りを込めた応対をしてしまった。
その事で、同席したレオナさんを含めた応接室に集まった皆の緊張を高め、皆の言葉を止めてしまい、不必要な沈黙を招いてしまったのだ。
俺のイワセルさんへの不機嫌な応対から、皆に要らぬ緊張を与えてしまったことは、深く反省しよう。
ここにいる誰かが責められたり、何かを問われるような問題を起こしたわけじゃないのだ。
それにしても、この不必要な緊張を招いたのは、悪手だった。
結果としてこの緊張のせいで、イワセルさんからもレオナさんからも、商工会ギルドへ寄せられた苦情の詳細について、何も聞き出せなかったことが悔やまれる。
コンコン
出された紅茶の二口目を味わおうとした時、ノックの音が応接室内に響いた。
「どうぞ」
メリッサさんが、救いを求めるような眼差しで、応接室の扉を見つめながら応える。
扉がゆっくりと開き、質問状の担当者として先ほど紹介されたナログさんが顔を出した。
「メリッサさん、ベネディクトさんとラインハルトさんがいらしてます。会議室へ案内しましたので、お願いします」
「は、はい」
その言葉に壁の時計を確かめれば、11時を指そうとしていた。
これは一つのチャンスだと感じた俺は、空かさずイワセルさんとレオナさんへ声をかける。
「イワセルさん、レオナさん、申し訳ありませんが少し中座させていただきます。できるだけ早く戻りますので、しばらくお待ちいただけますか?」
「「はい⋯」」
二人の緊張が隠った声を聞きながら、そのまま俺はメリッサさんにも声をかける。
「メリッサさん、先に製氷業者の方々との会合を済ませましょう」
「はい」
俺とメリッサさんが立ち上がった瞬間、イワセルさんが俺の動きを追うように見ているのがわかった。
「イワセルさん、少し頭を冷やしてきますので、お時間をいただけますか?」
「はい、お待ちしています」
イワセルさんの返事を聞き、俺はカバンから記入済みの魔石の入札申込書を取り出すと、先に立ち上がって待っているメリッサさんへ手渡した。
「メリッサさん、魔石入札の申込書です。締め切りは今日の11時ですよね? 受理を願います」
「わ、わかりました。イチノスさんの魔石入札への参加を受け付けました」
「ナタリアさん、折角、淹れていただいた紅茶を味わえずに申し訳ありません」
「いえ、気にしないでください」
ナタリアさんへの言葉を告げて応接室を出ようとすると、俺の渡した入札申込書を、メリッサさんがナタリアさんに手渡しているのが視界の端に入った。
これで魔石の入札の件は終わりだ。
商工会ギルドにどんな苦情が届こうと、どんな提言がメリッサさんへ届こうとも、俺には関係が無い。
確かに商工会ギルドが受けたという苦情の背景には多大な興味があるが、その興味も俺の荒れた心情が招いている気がする。
そんな感情に突き動かされる時間が、俺は惜しくなってきた。
それに、俺がイワセルさんから苦情の中身を詳細に聞き出せたとしても、苦情と称して商工会ギルドへ話を持ち込んだ人々の考えは変えられないのだ。
むしろ、俺を標的にして、俺を陥れるような話を商工会ギルドへ持ち込んだ連中に、何らかの仕返しをしたい気分になってきた。
そうした連中には、自分で自分の首を締めるような行為をしたんだと、理解させたい気分になってきた。
ふっ、これも変な感情が招いている考えかも知れないな(笑
「イチノスさん、そちらです」
俺に続いて応接室から出てきたメリッサさんが、廊下の向かい側の扉を案内するように指し示す。
そう言えば、シーラはどうしたんだろう?
製氷業者との会合に、シーラは参加するんだよな?
遅れているのだろうか?
コンコン
「どうぞ~」
そんなことを思っていると、メリッサさんが扉をノックし、中から応える男性の声に合わせて扉を開けた。
メリッサさんの肩越しに見える会議室は、冒険者ギルドと同じ作りだ。
大きめのテーブルの奥には、製氷業者のラインハルトさんとベネディクトさんが座っているのが見て取れた。
「ベネディクトさん、ラインハルトさん、商工会ギルドへようこそ」
「いえいえ、こちらこそ」
「急な願いを受けていただき、ありがとうございます」
メリッサさんが丁寧に頭を下げる挨拶をすると、二人が慌てて立ち上がり、それに応えた。
「イチノスさん、土曜日はありがとうございました。おかげさまで氷室を閉めずにすみました」
「イチノスさん、本当にありがとうございました」
ラインハルトさんとベネディクトさんが、俺に向かって礼を述べて来た。
「その後はどうですか? 問題ありませんか?」
「はい、おかげさまで問題なく氷を作ることが出来ています」
メリッサさんの案内で席に座り、ラインハルトさんに製氷の魔道具の状況を問えば、良い答えが返って来た。
これは良い感じだ。これなら穏やかな気持ちでこの会合に臨めそうだ。
「シーラさんは、今日はご一緒じゃないんですか?」
ベネディクトさんがシーラの参加を持ち出してきたな。
「シーラさんからは会合に参加するという返事をいただいていますが⋯」
そう告げながら俺を見るメリッサさんの視線を無視して、壁の時計に目をやると、11時を指していなかった。
先ほどの応接室の時計が進んでいるのか、この会議室の時計が遅れているのか、どちらかだろう。
「イチノスさんは、シーラさんについて何かお聞きになっていますか?」
「シーラ魔導師もこの会合に参加すると私は聞いていますよ」
「そうですか、どうしましょう? 先に始めてもよろしいでしょうか?」
「いえ、シーラ魔導師は定刻にいらっしゃると思いますが、メリッサさんは急がれますか?」
俺はそう告げながら壁に掛かった時計を指差せば、皆の視線が時計へ集まった。
「⋯⋯」
「いえ、私らは特に急ぎません」
「私らの来るのが早かったんでしょう」
ラインハルトさんとベネディクトさんは承諾したが、メリッサさんは少し慌てている感じだな。
まあ、レオナさんとイワセルさんを待たせているのが気になるんだろう。
「では、シーラ魔導師がいらっしゃるまで、私の方から別件(べっけん)の話をさせていただいてもよろしいですか?」
「「「別件(べっけん)?」」」
「いえ、ちょっと個人的な話で申し訳ないのですが、お二人のお時間に問題なければ、シーラ魔導師が参られるまでの場繋ぎとでも考えてもらえますか?」
「私らは問題ないです」
「えぇ、大丈夫ですよ」
ラインハルトさんとベネディクトさんの答えを聞いて、メリッサさんへ目をやれば軽く頷いてくれた。
「少々、変な話ですが聞いてください。実は私の店では二人の未成年を雇っているんです」
「あぁ、セルジオが言ってました」
「それって、先生のお孫さんのことですよね?」
どうやら店へ魔石を買いに来たセルジオは、サノスとロザンナの話を、ラインハルトさんとベネディクトさんにしているようだ。
それにベネディクトさんが『先生のお孫さん』という表現をしてきた。
これはベネディクトさんとローズマリー先生は、面識があるということだな。
「良くご存じですね? やはりあれですか? どこかを痛めてしまって、ローズマリー先生にお世話になったとか?(笑」
「いやいや、身体の方は至って元気ですよ。ですが、今年の2月に大雪が降ったでしょ? あの時に凍った雪に足をとられて腰を痛めたんですわ」
「氷屋が、凍った雪に足を取られて滑って転んだという笑い話ですよ(笑」
今年の2月の大雪というと、俺が店を開いた時の事だな。
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