26-5「疑念の影」

 

「イチノスさん、他言無用で願います」


 ん? なんだ?


「現在、アキナヒはリアルデイルの街にはおりません」


 えっ?!


「実はですね、ストークス領に出向いているのです」


 あっ! 一気に理解できたぞ。


 商工会ギルドのギルマス=アキナヒさんは、製鉄所の件でストークス領へ出向いているのだ。


 もしかすると、冒険者ギルドのギルマスであるベンジャミンも同行しているのかもしれない。

 そう考えると、ここ数日、俺がギルドに行っても二人と顔を合わせないことに納得がいく。


 それにしても、ギルマスのアキナヒさんが不在の時に、こんなクダラナイ話が持ち込まれるとは⋯


「では、呼んできますので、今しばらくお待ちいただけますか」


 メリッサさんは俺の返事を聞かずに立ち上がると、そのまま応接室から出て行ってしまった。


 俺も座っていた応接から立ち上がり、部屋の中を見回す。

 格子のはめられた窓からは陽の光が差し込み、外の景色がぼんやりと見える。


 静かな時間が流れているが、俺の心の中は忙しく、疑念と憤りが交錯している。

 どうしてこんな風に話がこじれてしまったのか。転売の疑いを晴らすために、どうすれば良いのか。

 俺は頭を悩ませながら、待つしかなかった。


 コンコン


 静かな部屋にノックの音が響き、俺はすぐにその音に反応して振り返った。


 開け放たれた応接室の扉から、ワゴンを押して入ってきたのは、製氷業者の指名依頼で伝令や馬車の手配をしてくれた若い女性職員だ。


「お茶をお持ちしました」


「あぁ、すいませんね」


 彼女の名前は⋯

 確か『ナタリア』だ。冒険者ギルドのタチアナさんの友人のナタリアさんだ。


 そんなナタリアさんの押してきたワゴンには、ティーセットとティーポット、それに『水出しの魔法円』と『湯沸かしの魔法円』が見て取れた。


「間も無く参りますので、もうしばらくお待ちください」


 ナタリアさんは控えめにそう告げると、部屋の端に置かれている丸い椅子を応接の脇へ運び始めた。

 ナタリアさんが、ワゴンに置いていたメモ用紙の束とペンを手に取り、自ら運んだ丸い椅子へ座り、整然と準備を整えている。


 ナタリアさんが一通りの準備を終え、肩の力を抜いたところで、俺は声をかけることにした。


「そういえば、まだ正式に名乗っていませんでしたね?」


「はい?」


「魔導師のイチノス・タハ・ケユールと申します。先だっては、伝令や馬車の手配、さらには指名依頼の結果報告を受け取っていただき、ありがとうございました。今後もよろしくお願いします」


「あっ!」


 ナタリアさんは慌てた様子で、可愛らしい声を漏らしながら立ち上がり、少し乱れた姿勢で礼をする。


「すいません、私まだイチノスさんに正式に名乗っていませんでした。『ナタリア』と申します。今後もよろしくお願いします」


 少し恥ずかしそうに微笑む彼女に、俺は軽くうなずく。

 さて、この後の打ち合わせがどんなものになるのか、少しばかり気が重いが、ナタリアさんの存在が少し和らげてくれた気がする。


 コンコン


 再び開かれた応接室の扉をノックする音が響き、メリッサさんが静かに入ってきた。


「お待たせしました」


 彼女の背後には獣人文官のレオナさんがいて、さらにもう一人、見慣れない男性が続いていた。


 レオナさんはいつものように文官服を着ていたが、続いて入ってきたその男性は、見たこともない白くて襟の開いた半袖のシャツを着ていた。


 俺はてっきり商人が来るものと思っていたが、この男性は商人特有の色鮮やかなベストを着ていない。

 何だろう、この男。商人じゃないのか?


 その男性の顔立ちは、思ったよりも若々しく、老けた感じがしなかった。

 そして、その佇まいからは職業を伺うことができない。

 まるで正体を隠しているかのような、謎めいた雰囲気を持っている。


 彼が一歩踏み出すたびに、白い柔らかなシャツの生地がふわりと揺れ、静かな存在感が一層際立つ。

 その静けさが、逆に俺の注意を引きつけてしまう。


 俺と目が合うと、男性は軽く会釈してきた。

 何気ない仕草だったはずなのに、なぜかその瞬間だけが鮮明に感じられた。


 どこかで見たことのある顔だが、思い出せない。

 俺はしばらく男性の姿を見つめながら、頭の中で過去の記憶を探ろうとしていた。


 メリッサさんに勧められ、その男性とレオナさんが俺の向かい側へ並んで座る。

 メリッサさんは、まるで当然のように俺の隣の空いている応接に腰を下ろした。

 皆が応接に座った所で、白いシャツの男性が口を開く。


「イチノスさん、お久しぶりですね。イワセルです」


 その声を聞いた瞬間、俺の中で大衆食堂でのやり取りが鮮明に甦った。


 あの時は特に何かのトラブルがあったわけじゃない。

 だが、このイワセルがクダラナイ苦情を商工会ギルドへ申し入れたのではないかという疑念が強く浮かんできた。


 その想いにとらわれた俺は、強く意思を込めた目でイワセルの目を見つめてしまった。


 そんな俺の視線に気付いたイワセルが言葉を続けた。


「イ、イチノスさん、私が魔石の入札について商工会ギルドへ苦情を入れたわけではないことを理解してください」


 そう言ってイワセルが頭を下げた。


 俺は無表情を装っていたつもりだったが、イワセルは俺の視線に気が付いてしまったようだ


 思わず俺は、隣に座ったメリッサさんへ目を向けたが、彼女はそれとなく目線を逸らした。


「メリッサさん、イワセルさんが苦情やら提言を持ち込んだわけではないのですね?」


「えぇ、違います。先程、イチノスさんに伝えましたが、商工会ギルドへ寄せられた苦情に詳しいのがイワセルさんなのです」


 逸らした目線を軽く戻しながらメリッサさんが答える。


 〉商工会ギルドへ持ち込まれた

 〉この苦情や提言に詳しい方から

 〉お話を聞いて欲しいのです


 メリッサさんが応接室を出る前に言っていたことを俺は思い出し、少し肩の力を抜いた。

 そして、俺は自分が心の動揺から来る憤慨に、未だに動かされているのを改めて感じた。


 だが、まだ目の前のイワセルのことを俺は完全には信じ切れていなかった。


 何故なら、他者を陥れようとする者は、『誰それさんが言っていた』、そんな無責任な話をすることが多いからだ。

 この目の前にいるイワセルが、そうした行動をしていないとは限らない。


「イチノスさん、重ねてお願いします。もしも私が苦情を商工会ギルドへ申し入れたという考えをお持ちなら、まずはそれを抑えてください」


「そうですか⋯」


 イワセルさんと目を合わせると、再び自身の無実を唱えてきた。


 俺はその言葉に応えながら、再び隣に座るメリッサさんを見やった。


 すると、俺の動きに釣られたのか、イワセルとレオナさんが揃ってメリッサさんへ問い詰めるような鋭い視線を向けた。


「イチノスさん、むしろ私は苦情など気にするなと、レオナさんやメリッサさんに伝えている立場です」


 早々に俺へと視線を戻したイワセルさんは、真摯な態度でそう告げてきた。


 それでも俺はイワセルの言い分に納得ができない。

 メリッサさんから聞かされた話が、まだ俺の心に引っかかっている。

 これは、俺の心の中に何かしら負の感情が隠れているのかもしれない。


 ここは一度、気持ちを落ち着けてイワセルやレオナさんから詳しい話を直接聞いた方が良いかもしれない。


 すう~ はぁ~


 皆へ聞こえるように深呼吸をしてから俺は口を開く。


「わかりました。では、イワセルさんとレオナさんから、お話を伺います」


 俺の答えに二人が姿勢を直すように応接へ座り直した。

 それを見届けて、ナタリアさんの脇に置かれたティーセットの乗ったワゴンを指差しながらメリッサさんとナタリアさんへ声を掛ける。


「メリッサさん、ナタリアさんにお茶の支度をしてもらってもよろしいですか?」


「は、はい」


 ナタリアさんが声と共に慌てて腰を上げた。

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