25-13 夕暮れの大衆食堂で再会

 

 広い湯船と水風呂を往復すること二回で、俺の体はエールを求め始めた。


 その往復の間に、ヴァスコとアベル、そして見習い冒険者達は揃って浴場から出ていった。


 代わりに入ってきた顔に覚えのある数人と軽く会釈を交わす。

 会釈を交わした連中は、俺の店を訪れた冒険者が半分ぐらいで、他はリアルデイルの街に住む人々だ。

 彼らの交わす言葉の端々から、麦刈りが順調な様子がうかがい知れた。


 改めて思うが、リアルデイルの街は冒険者たちの活気と、街に住まう人々、そして東方の大農園地帯を支える農民の方々の穏やかな生活が共存する独特の雰囲気を持っている。

 なぜか今日は特にそれを強く感じる。


 三度目の広い湯船に体を浸せば、心地よい湯の温かさが体に染みわたる。

 蒸し風呂が使え無くとも、広い湯船と水風呂を往復することで体と心が十分に整えられた。


 そして俺は仕上げに水風呂の水をかぶり、風呂屋を済ませた。


 カーン カーン


 ちょうど風呂屋を出たところで、教会の鳴らす鐘の音が耳へ届く。


 その鐘の音を聞きながら、俺は出来上がった体へエールを注ぐために、大衆食堂へと向かった。


 いつも街兵士が立つガス灯を曲がると、歩道へ張り出したテントを片付ける様子が見て取れる。


 何気に西の空へ目を向ければ、既に建物の向こう側へ陽が隠れようとしている。


 今日は混んでるだろうかと軽く心の中でつぶやきながら、大衆食堂の扉に手を掛けた。


 ガチャ


「は~い いらっしゃ~い」


 大衆食堂に足を踏み入れれば、いつもの声で給仕頭の婆さんが迎えてくれた。


「イチノスか」


 そう付け足した婆さんは笑顔だが、少しだけ引っ掛かる口ぶりだ。


「そうだな、イチノスだ(笑」


「いつものでいいね」


 婆さんは俺の返しを無視して、いつもの長机へと案内してきた。


 勧められるままに長机に着いた俺は、エール2杯分の代金を渡すと、木札を置いた婆さんは厨房へと向かった。


 いつもの席から店内を見渡すと、半分ぐらいの長机が見慣れた顔で埋め尽くされており、皆が賑やかに語らっている。


 その中には色鮮やかなベストを纏った商人も混ざっている。


 俺の視線に気が付いた連中が気軽に手を上げ、それに応えて俺も軽く手を上げて行く。


 ん?


 先ほど風呂屋でヴァスコとアベル、そして見習いたちを押し付けてきたロレンツ親子もいるが、向かい側には二人の商人が居座っているな。


 風呂屋でヴァスコとアベル、そして見習いに迫られ、ここ大衆食堂では商人に迫られているのか(笑


 ドンッと音が響き、給仕頭の婆さんがエールの満たされたジョッキをテーブルに置いてきた。


「はいよ、まずは一杯目だよ」


 そう声をかけてくれる婆さんに、俺は木札を渡し、一気にエールを喉へ流し込んだ。


 ゴキュ ゴキュ ぷはぁ~


 今日のエールは、なかなか冷えている感じだ。この風呂上がりの一杯で、俺の一日が終わったことを実感した。


「イチノス、お代わりだろ?」


「おう、頼むぞ」


 そう応えながら空のジョッキと木札を婆さんに渡すと、その向こうにロレンツの息子たち二人がジョッキを手にして、俺の座る長机に寄ってくる姿が見えた。


「イチノスさん「相席させてください」」


 断る理由も無いな。


「あぁ、問題ないぞ」


「さっきは、「すいませんでした」」


 開口一番に二人から出た言葉は謝罪の言葉だった。


「気にするな。ヴァスコとアベルに絡まれたんだろ?(笑」


「そんな感じです「へへへ」」


 ヴァスコとアベルが見習い達を引き連れ、全員がフ○チンで迫られたら、逃げたい気分になるのも理解できる。

 俺も風呂屋のあの状況から逃げたようなものだからな(笑


「親父(オヤジ)さんは⋯」


 そう応えながら再びロレンツを目で追えば、色鮮やかなベストを纏った三人の商人の相手をしていた。


 先程までが二人の商人で、このわずかな時間でもう一人増えるとは⋯

 向こうは向こうで忙しいことになっている感じだな(笑


「イチノスさん、結局のところどうなんですか?」


 対面に座った兄の方が問い掛けてくる。だが、まずは『何が』どうなのかを俺の方が聞きたい気分だ。


「東の方に行ってたんだろ?」


 俺の言葉に、兄弟が顔を見合わせる。


「イチノスさんには隠せないですね(笑」

「ここだけの話でお願いします。あまり喋ると親父に叱られるんで(笑」


「しばらく見掛けなかったけど、今回は長かったのか?」


「えぇ、長かったですね。けど、ダンジョンにも初めて行けましたよ」


 何気ない会話のつもりだったが、弟の方から『ダンジョン』という言葉が出てきた。

 東の方のダンジョンということは、ランドル領のダンジョンだろう。


 ドンッ


 その瞬間、俺の目の前で起きた音とともに場の空気が変わった。


「あんたら、こっちの席に移るのかい?」


 いつの間にやら、お代わりのエールを持ってきた婆さんが聞いてきた。


「えぇ、こっちに移ります」

「向こうは親父に任せました」


「お代わりはどうする?」


 婆さんの指差す兄弟のジョッキには、半分ぐらいしか残っていない。


「た、頼みます」

「俺もお願いします」


 ロレンツ兄弟が財布から代金を出し、それを受け取り木札を置こうとした婆さんの視線が店の入り口へ向かった。


 ガチャ


 婆さんの動きと扉の開く音に釣られて俺も視線を向ければ、そこには男ばかりの大衆食堂には不釣り合いな二人の女性が立っていた。


 女性たちは一目でわかるほど人目を惹く雰囲気をまとっている。


 俺たちは互いに目を見合わせ、ここで出すべき言葉を探してしまった。


「シンシアと⋯」と呟く声が聞こえた。

「リリアか?!」と驚く声も続く。


 向かいに座る兄弟が、二人の女性に気が付いたのか腰を上げて声を上げたのだ。


 リリアとシンシアって⋯

 サカキシルの宿屋の娘で冒険者の姉妹か?!


 確かにあの雰囲気というか、目を惹く豊満な胸元はリリアとシンシアに思える。


 今日の彼女たちはあの時の皮鎧ではなく、姉妹揃って二の腕を出した藍染のワンピースでいかにも町娘な装いだ。それにしても男ばかりの大衆食堂に、その姿は似合わないな⋯


「久しぶりに見る顔だねぇ(笑」


 婆さんがリリアとシンシアに告げながら、俺やロレンツ兄弟が座る長机を勧めている。

 兄弟も手を上げて姉妹を誘っている。


 その様子や兄弟二人の嬉しそうな顔、それに姉妹の綻んだ顔から、この4人は顔見知りなのだろうと伺える。


 改めて4人の顔を見れば、年齢が近い気もするな。


 ん? まてよ?


 ロレンツの兄弟はヴァスコとアベルよりは年上だよな?

 サノスが来年に成人でヴァスコとアベルは今年の春に成人したはずだ。

 もしかして、相席したこの4人は俺との年齢が近いんじゃないのか?


「ほら、誰が出すんだ」


 リリアとシンシアが同席すると、婆さんが問い掛けた。


 その声に慌ててロレンツ兄弟が財布から代金を出そうとするが、それを姉妹の姉であるリリアが手を出して制した。


「イチノスさん、先月の馬車代」


「えっ?!」


「ほら、西街道でうちらの馬車に乗った時の分だよ」


「いや⋯ あれは⋯」


 リリアが言わんとするのは、古代遺跡からの戻りで乗った馬車のことだろう。


「じゃあ、イチノスが払うんだね」


 そう言って手を差し出す婆さんのにやけた顔が、思いの外に鬱陶しいぞ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る