24-2 既婚女性へ声を掛ける

 

 この甘い焼き菓子のような香りはどこからだろう。


 仄かに漂う焼き菓子のような甘い香りは、以前に商工会ギルドへ来た時には感じなかった。


 この付近に新しく焼き菓子屋でも出来たのだろうか?


 そう思って周囲を見渡すと、南北に走る通りを渡った向こう側に数名の女性が並んでいる店が見えた。


 この甘い焼き菓子の香りは多分だが、あの女性達が並んでいる店から漂って来ている気がする。


 他にそれらしい店はないよな?


 俺は周囲を見渡し、それらしい店が他に見当たらないのを確かめた。


 そうして見渡していて、あることに気が付いた。


 道の向こう側の焼き菓子屋。

 その脇の路地は東町の風呂屋へ続く路地じゃないのか?


 と言うことは⋯


 俺が背を向けている反対側のこの路地は、東町の魔道具屋へ通じる路地な気がする。

 振り返ってみると、東町の魔道具屋の前の道の面影を感じる。


 サノスと共に東町の魔道具屋を訪れた時に、なぜ気が付かなかったんだろう。


 確かに、俺は今まで目の前のこの南北に走る通りから東町の風呂屋へ行ったことはない。


 リアルデイルの街を東西に走る大通りを東の関へ向かって進み、この南北に走る通りを超えてから、途中で右へ曲がって東町の風呂屋へ行った記憶だけがある。


 それに、東町の魔道具屋へ足を向ける時には、中央広場を抜けて商工会ギルドの手前で曲がっていた。


 この南北に走る通りから、この背後の路地から魔道具屋へ行ったり、東町の風呂屋へ足を向けたことはなかった。


 自分の経験のある道から、歩いた経験のある道から眺めると直ぐに気が付くのだろうが、こうして逆方向からとか、歩いたことの無い道筋からだと気が付かない。


 これは、リアルデイルのような格子状の街のあるあるだな。


 そんなことを思いながらも、俺は焼き菓子屋の正体を確かめることにした。


 通りのこちら側からでは、やはりあの店の正体がわからないな。


 通りを行く馬車越しに、焼き菓子屋の外観を眺めていて、俺はあることに気が付いた。


 あの店は、以前はパン屋だったような気がする。


 思い出してきたぞ。

 5月に納税で商工会ギルドへ来た際に、あの店は入口を閉めているのを見掛けた気がする。


 パン屋を閉めて焼き菓子屋に切り替えたのだろうか?


 馬車をやり過ごし道を渡り終えると、ますます焼菓子のような甘い香りが周囲に漂っている。


 目的の店が俺の店のように大きめの窓ガラスならば、店内を確かめられるが、この店の通りに面した窓は小さめで格子が入っており、中までは良く見えない。


 一人か二人のお客さんが店内にいるのはわかるのだが、この甘い香りに引かれるように、先ほどより並んでいる列が伸びていて店内がよく見えない。


 しかも、並んでいるのは全てが女性で、店内を確かめようとすると、そこに並ぶ女性達をジロジロと見ているようにも思われるな。


 女性ばかりの列に、男の俺が並ぶのは躊躇われるが、俺は列の最後へ加わってみることにした。


 列の最後尾へと並ぶと、それまで最後尾だった女性が俺を確かめるように振り返ってきた。


 軽く目が合ったので、俺は機会を得たと軽く問いかける。


「すいません」


「え、えっ? な、何ですか?」


 俺の問い掛けに、一瞬、女性が身構えると、再度俺を確めるように見て来た。

 女性が俺を見れば、俺も女性を確める時間が出来る。

 この女性の年齢は、多分だが、俺よりも少し年上だろう。


「少し教えてもらえませんか?」


「わ、私ですか?」


「実は、このお店からの香りが気になったんです。以前は、このお店はパン屋だった記憶があるんですが、一時期、店を閉めていましたよね?」


 そう問い掛けを続けると、さらに前で並んでいたもう一人の女性が振り返った。

 振り返った女性は俺の身なりを確めるためか、足元から顔まで舐めるような視線を向けてきた。


 やはり、見知らぬ女性に声をかけるのは無謀で、不審者に思われたか?


 しかし、俺は諦めないぞ。


「もしかして、そのパン屋が新しくなって、何かを売り出してるんですか?」


 そこまで言い切ると、話しかけた女性と、舐めるような視線を向けてきた女性が互いに目線を合わせた。


「4月まではパン屋でしたね。それが改装して『ワガシ』を扱う店になったんですよ」


 俺に舐めるような視線を向けた女性が答えてくる。


 その言葉には、俺の記憶を揺さぶる『ワガシ』という言葉が含まれていた。


 『ワガシ』の言葉を聞いて、俺は研究所時代にワリサダ達が開いた御茶会を思い出す。


 あの御点前(おてまえ)とか言う抹茶を味わった時に、『茶菓子(ちゃがし)です』と告げられて出された黒い物体が『和菓子(わがし)』だと学んだ。


 あの時にいただいた柔らかい不思議な甘さの⋯

 そうだ、『羊羹(ようかん)』という黒く甘いものをいただいた記憶がある。


 だが、あれは焼菓子じゃあなかったし、こんな甘い香りはしなかったぞ。


「和菓子(わがし)と言うと、私は『羊羹(ようかん)』ぐらいしか知らないのですが?」


「あら、ヨウカンをご存じなんですね。『夫(おっと)』は甘過ぎると言うんですが、ヨウカンも美味しいですよね」


 ヨウカンの話題で、俺が問い掛けた女性が急に打ち解けてくれた気がする。


 いや、違うな。

 今、この女性は強目に『夫(おっと)』と言ったよな。


 もしかして、俺が声を掛けたのが軟派(ナンパ)か何かと思ったのか?


「そのヨウカンは、このお店でも売ってますよ」

「はい、私もこのお店でヨウカンを知ったんです」


「えっ? 羊羹(ようかん)を扱ってるんですか?」


 二人の女性の答えに思わず質問を返してしまった。


 これはますますこの店の正体を、そしてこの甘い香りの正体を確めるべきだな。


「それにしても、この香りは気になりますよね。この甘く美味しそうな香りは、焼き菓子の香りですよね? 何の焼き菓子かご存じなんですか?」


「ごめんなさい、私もこの香りに誘われて並んだんで、何があるかまでは知らないんですよ」

「うんうん」


「そうですか、それは楽しみですね。しつこく聞いてしまってすいませんでした」


 そこまで会話を重ねて、俺は列の前に並ぶ女性達との会話を終わらせ、大人しく順番を待つことにした。


 チリンチリン


 店の出入口が開き、2人の女性が甘そうな焼菓子の香りと共に店から出てきた。


「じゃあ、すいません」

「お先に」


 先ほどまで会話を重ねた二人がそう告げると、入れ替わりで店の入口ポーチを登って店内へと入って行った。


 列の先頭になった俺は、店の出入口に貼られた張り紙に目が釘付けになった。


 ┌─────────┐

 │店内が狭いため  │

 │一度の入店は   │

 │2名までで願います│

 └─────────┘


 その張り紙の下に


 ┌────────┐

 │カステラあります│

 └────────┘

 ┌────────┐

 │ドラヤキあります│

 └────────┘


『カステラ』と『ドラヤキ』?


 そんな呼び名の和菓子は聞いたこともない。いったいどんな和菓子なんだ?

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