22-15 風呂屋での思索

 

 風呂屋の蒸し風呂で、声を掛けてきた班長との話を少しだけ振り返った。

 振り返っても、班長とのやり取りが少し疲れるほど長かった印象しか残っていない。

 それと、別の街兵士が声をかけてくれて、ようやく話が終わったぐらいしか思い出せない。


 そのぐらい無駄な感じの話だった。


 それにしても、この時間の風呂屋は予想外に空いているな。


 まだ明るい時間、冒険者ギルド前の通りにテントが張られている時間だから、お客さんはまばらなのだろう。

 もう暫くすれば、商隊の護衛から戻って来た連中で、この風呂屋も賑わうのだろう。


 そう思いながら、蒸し風呂から出て水風呂で体を軽く冷まし、仕上げの広い湯船へ行こうとしたところで名前を呼ばれた。


「おう、イチノス!」


「イチノスさん!」


 声の主はブライアンとムヒロエだ。


「後で行くんだろ?」


「行きますよね?」


 二人が揃ってエールジョッキを煽るような仕草をしてくる。


「あぁ、先に行って席を取っとくよ」


「おう、頼むぞ」


「イチノスさん、お願いしますねー」


 そんな言葉を軽く交わすと、ブライアンとムヒロエの二人は仲良く蒸し風呂の扉を開けて、姿を消して行った。


 そうか、あの二人は東方の麦刈りから帰って来たんだな。


 そうなると、他にも麦刈りから戻って来た連中が風呂屋になだれ込んで来そうだな。

 それに、この後の食堂が混む予感がするぞ。


 そうしたことを思いながらも、広い湯船でじっくりとエールが欲しくなる体へ仕上げて行く。


 そしてシーラが馬車の中で口にした言葉を思い出す。


『魔導師の役割は何か?』


 シーラはなぜ、そんなことを俺に聞いてきたのだろう?


 店を出る前に、俺が思ったのは、


 〉シーラが魔導師を選んだのは

 〉実家の都合だからじゃないのだろうか?


 だったな。


 シーラは、ゴリゴリの魔導師の家系に生まれ、魔導師になるしか道がなかったんじゃないのだろうか?


 俺はシーラの家がどんな家だったか、その家でシーラがどう育ったか、そうした詳しいことは知らない。


 それでも、シーラの家=メズノウア家が有名な魔導師を輩出してきた家だということは知っている。


 魔導師の家系に生まれ、魔法学校へ入り、魔導師への道を進む。

 幼いシーラに、そうした将来しか与えない家族の中で育ったような気がする。


 う~ん、もしかして俺に似ているのか?

 どこかそんな気がしてきた。


 そういえば、シーラは店を継いだような事を言っていたよな?


 実家が魔導師の店を営み、その家に生まれたシーラに課せられたのは、家業を継ぐことだったのだろうか?


 いや、シーラには兄がいると言っていた。


 あの母に傾倒している東町街兵士副長のパトリシア・ストークスと、一時、婚約していた兄がいると言っていた。


 家業を継ぐのならば、シーラの兄が継ぐのが流れだよな?


 兄がいて父親が亡くなったのならば、その兄がメズノウア家の子爵位を継いでいるのだろう。

 魔導師としての家業で店を営んでいるとしたら、その兄が全てを継いでいるのだろうか?


 シーラは父親の看病の為に学校を休学し、その後に復学してまで魔法学校を卒業した。

 そこまでして魔法学校を卒業したシーラに待っていたのは何だったのだろう?


 家業の店を継ぐことだったのだろうか?


 〉店をやってる時に

 〉店をやってた時に


 そんな言葉をシーラは口にしていた。

 これは、シーラは店を継いだが、その店を閉めたってことだよな?


 家業の一つであった店を閉め、生まれ故郷のサルタン領から離れ、王国の遥か西方のリアルデイルの街へとシーラは赴いたと言うことだ。


 これは俺の想像でしかないが、シーラは今回の相談役への就任に、かなりの覚悟で挑んでいる気がしてきた。


『魔導師の役割は何か?』


 この問い掛けを再びシーラと語り合うには、もっとシーラの背景を知る必要があるな。


 俺はシーラの問い掛け、その奥にあるであろうシーラの思いについて、考えるのを止めた。


 もっとシーラの背景を聞き出さないと、あの問い掛けについてシーラと語り合うのは無理だ。

 シーラのそうした背景を何も知らないままでは、あの問い掛けについて、互いに実りある話が出来るとは思えない。


 出来ることと言えば、俺の考えを伝えるだけだろう。


 ん? 待てよ?

 シーラはそれが知りたいのだろうか?


 俺の持っている『魔導師』という職業への考えを聞きたかったのだろうか?


 そして、学校時代の学年主任の問い掛けは、そうした事を問い掛けていたのだろうか?


 俺はそこで考えるのを止め、湯船を出て脱衣所で衣服を纏って風呂屋を後にした。


 ◆


 風呂屋を出た俺は、真っ直ぐに大衆食堂へと向かった。


 エールを求めて急ぎ行く俺の足取りは、夕暮れを越え夜の闇に染まろうとしている中でも迷いなく進んでいった。


 道を照らす主役がガス灯に切り替わろうとする中、大衆食堂の扉を開けると、半分ほどが埋まっているが、いつもの長机が空いている。


「いらっしゃーい、イチノスか?」


 給仕頭の婆さんが、いつもの声で迎えてくれた。


「そうだな、イチノスだ(笑」


「いつもの席でいいね」


 俺の返しを無視して、婆さんはいつもの長机を勧めてきた。


 勧められたいつもの長机に着いたところで、後からブライアンとムヒロエが来る事を婆さんに伝えておく。


「後からブライアンとムヒロエが来るんだ」


「そうかい。どうする? 先に飲むのかい?」


「あぁ、一杯先にくれ」


 エールの代金を支払い、木札を手にした俺は周囲を見渡す。


 店内の半分ほど埋まった長机のどこにも見知った冒険者の連中が座っており、目の合った彼ら全員に軽く会釈をして行く。


 彼らは商隊の護衛から戻ってきて、冒険者ギルド経由でここへやって来た連中なのだろう。


 もしくは、ブライアンやムヒロエより早く麦刈りを終え、風呂屋経由でここへやって来た連中なのだろう。


 そうした皆への挨拶を終えて厨房へ目を戻すと、婆さんがジョッキを片手にこちらへ向かっていた。


「お待たせ~」


「おう、ありがとう」


 木札を渡してエールを受け取り、一気に喉へと流し込んだ。


 ぶはぁ~

 うん、良く冷えていて上手いぞ。


「イチノス、ベネディクトとラインハルトがお礼を言いに来たよ」


 お代わりを待ってくれる婆さんが、聞き覚えのある名前を出してきた。


「ベネディクトとラインハルト?」


 どこかで聞いた名前だな?

 どこで聞いたんだろう?


「ほら、氷屋だよ」


「あぁ、氷屋の話しか」


「明日には直すんだろ?」


 いや、明日に直すなんて誰も言ってないぞ。


 これは間違って婆さんに伝わっているか、あの製氷業者の二人に間違って伝わっている可能性があるぞ。


 明日、あの二人に会ったら『まずは観に来た』事を伝える必要がありそうだ。


「いやいや、確かに明日の昼過ぎに観に行くが、直すまでは行かないよ。何が悪いか、どう直すか、それを明日の昼から観に行くことになったんだ」


「そういえば、イチノスはシーラって子と仲が良いのかい?」


 おいおい、そこで俺の話を無視して、どうしてシーラの話が出てくるんだ?


 そうか!

 シーラは、今日の昼間にキャンディさんと一緒に、この大衆食堂で早目の昼御飯を済ませているんだよな。


 キャンディスさんの親族である婆さんなら、キャンディスさんからシーラを紹介されていてもおかしくはないな。


「そのシーラと一緒に、明日の昼から氷屋へ行くんだよ」


「そうかい、そうかい。随分と仲が良い話だねぇ(ニヤリ」


 俺の目に映る婆さんのニヤリとした顔が鬱陶しい。

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