21-2 ロザンナの魔素ペン
いつもロザンナが座る場所に薄紙で被われ、洗濯バサミが周囲に何個も付けられた何かがあった。
よくよく見れば、ロザンナの前に置かれているのは、『神への感謝』を備えた『水出しの魔法円』の型紙が張られた木板だ。
「ロザンナ、いよいよ描くんだな?」
「はい、今日の朝から始めました」
嬉しそうに答えるロザンナの手元へ目をやれば、少し年季の入った魔素ペンを手にしている。
俺は、不思議に思った。
そういえば、ロザンナに魔素ペンを与えていなかった。
サノスは、東町の魔道具屋の女将さんから譲られたが、ロザンナの魔素ペンは、一体どこで手に入れたのだろうか?
「その魔素ペンは?」
俺が尋ねると、ロザンナは魔素ペンを軽く振りながら答えた。
「これは、昨日、祖母から渡されたんです。今日から水出しを描くと言ったら、母の使っていたのを渡されたんです」
なるほど、魔力切れで亡くなったロザンナの母さんが使っていたものか。
ロザンナの言葉には、親子三代の物語が込められているようだ。
その魔素ペンは、ロザンナにとっては只の道具ではなく、家族の絆と歴史を象徴するものだな。
「使い方は、サノスに教わったのか?」
「はい、先輩に教えてもらいました。これも魔素を扱う練習になりますね」
そう応えるロザンナの手元を見れば、魔素循環を教えた時とは違って、右手に魔石を入れた袋をくくりつけていない。
「ロザンナ、魔石はどうしてるんだ?」
「あぁ、もうぶら下げてます。昨日の夜に祖母からいろいろと教えてもらいました」
ククク、そうだよな。
ロザンナは家に帰っても、魔素の扱いを教えられる先生がいるんだよな。
これは、ロザンナへの魔素の扱いの指導では、ローズマリー先生と一度話し合った方が良いかもしれんな。
「イチノスさん、もう体調は良いんですか?」
ロザンナが、俺の体調を気遣う言葉を口にしてきた。
「心配させてすまんな」
「実は、イチノスさんの寝不足な感じを見ていて、亡くなった両親を思い出したんです」
おいおい、ここでロザンナの亡くなった両親の話が出てくるのか?
ロザンナが言う、亡くなった両親、その母親は治療回復術師だったと俺は聞いている。
俺は、心がざわつく感じがしてきた。
ロザンナにポーション作りの様子を見せるべきじゃなかったのか、と心がざわつくのだ。
「実は、母と父が亡くなる前に、討伐用でポーションを作っていたことを思い出したんです」
「ロザンナ、ちょっと待ってくれ。その話を俺にしても良いのか?」
俺は話を続けそうなロザンナを、思わず手で制してしまった。
だが、ロザンナは思わぬ言葉を口にしてきた
「えぇ、イチノスさんには聞いて欲しいんです」
そこまで言われると聞くしか無いよな⋯
俺が、制していた手を下ろすと、ロザンナが続きを語り始めた。
「討伐があるからと、連日、母と父が協力してポーションを作っていたんです」
連日?
ロザンナの両親が、かなりの無理をしていたのだと『連日』の言葉に引っ掛かりを感じた。
あんな睡眠不足に陥る作業を、連日でロザンナの両親は続けていたのか?
俺は、ロザンナの両親が亡くなる切っ掛けとなった5年前の大討伐について、詳しい情報は得ていない。
冒険者ギルドのベンジャミンなら、知っているとは思うが、彼もその付近は全く口にして来ない。
ワイアットやアルフレッド、もしくはブライアンなら、詳しい話しは知っているだろうから問い掛ければ語ってくれるかも知れない。
「それで、祖母の話だと、そうした無理も重ねての魔力切れだと聞かされました」
「そうか」
「だから、イチノスさんには、無理をして欲しくないんです」
「わかった、ロザンナの気持ちはわかったよ。だが、俺の話も聞いて欲しい」
「はい」
そう応えたロザンナが、椅子に座り直した。
「ロザンナが心配してくれるのは、ありがたいことだ。そこで、まずはロザンナに理解して欲しいが、俺のポーション作りは、月に一度だけだ」
「はい、サノス先輩からも聞きました」
「とてもじゃないが、連日なんて無理なんだよ」
俺の言葉を聞いたロザンナの顔に、明かりが灯った気がした。
心配をしてくれているロザンナを眺めていて、俺はあることを感じた。
これは、ロザンナの見方というか、接し方を、少し変えた方が良いかもしれない。
俺はローズマリー先生から、ロザンナは両親を魔力切れで亡くしていると聞いている。
そうしたことから、ロザンナは魔力切れに強い忌避感を抱いているんじゃないだろうかと考えていた。
けれども、そうした考えは俺の思い込みかも知れないと、感じて来たのだ。
今までの俺は、ロザンナには魔力切れの可能性を、出来る限り聞かせないように配慮していた。
だが、そうした行為は、魔力切れそのものから距離を置いたり、蓋をして見せないようにしている気がするのだ。
それよりも、どんな無理をすると魔力切れに至るのか、そうした事を俺の経験を交えて、もっと具体的に説明して行くべきだと思い始めたのだ。
「イチノスさん、大丈夫ですか?」
「あぁ、すまん。少し考えてしまったな。水出しを描くのに戻ってくれ」
「はい」
明るく返事をしたロザンナは、集中し始め、魔素ペンを器用に使い始めた。
ロザンナに感じた魔力切れの件は、ロザンナに限った話では無いな。
今も、台所でポーションの煮出しをしているサノスも同じだ。
サノスとロザンナが、もっと魔力切れと真摯に向き合えるよう、自身で考えて防いで行けるように教えて行くことが、俺の役目な気がして来た。
今のロザンナに教えている魔素循環も、魔力切れに陥る可能性が無いわけではない。
これから、サノスに教えて行く魔素充填も、魔力切れに至る可能性は十分にある。
今後も幾多の魔素の扱いを、俺はサノスとロザンナに教えて行くだろう。
その都度、どんな無理をすると魔力切れに至るかを、俺の経験を交えてもっと具体的に説明して行くべきだと感じてきた。
ロザンナとの会話を終わらせ、台所でサノスが行っているポーションの煮出しの様子を見るために席を立った。
ん?
台所へ入ると、左手を見詰めるサノスに出くわした。
サノスは何をしているんだ?
サノスがじっと見詰める左手には、魔素がうっすらと纏われている。
一方の右手は、『湯沸かしの魔法円』の魔素注入口へ置いて、魔素を流している。
もしかして、湯沸かしでポーションを煮出しながら、指先に魔素を纏わせる練習をしているのか?
それは、『並列思考(へいれつしこう)』の練習に思えるぞ。
「サノス」
「えっ?!」
俺が声を掛けたことで、サノスの両手から魔素が消えて行くのが見て取れた。
「師匠、どうしたんですか? 御茶が欲しいんですか?」
「いや、気にしないでくれ。ポーションの状態を見に来ただけだ」
「順調ですよ」
そう言いながら、サノスがポーション鍋の蓋を開けた。
沸き立つポーション鍋から、立ち上る湯気が、特有の香りと共に台所へ広がって行く。
ふと、氷冷蔵庫の上を見ると『製氷の魔法円』が置かれていた。
俺は、何故かそこに『製氷の魔法円』が在ることに、強い違和感を覚えた。
いつもの場所に『製氷の魔法円』が置かれているだけなのに、何か変な感じがする。
「師匠、気になりますか」
「ん?」
「この後に、それで冷ましますよね」
サノスの言葉で、俺は違和感の正体に気が付いた。サノスの言うとおりだ。
煮出しが終わった後に、これで冷ますのだ。
「サノス、良いことに気が付いたな(笑」
「へへへ(笑」
笑いながら、サノスが嬉しそうな顔を見せてきた。
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