20-6 アリシャ・バンジャビ


「では、こうした物をご覧になったことがありますか?」


 俺は店のカウンター下の引き出しから、携帯用の『水出しの魔法円』を取り出した。


「これです! アルフレッドさんもこんな感じのを使ってました!」


「そうですか、アリシャさんはこれを使ったことがありますか?」


 ブンブン

 アリシャさんが首を振る。


 その様子から使った事がないと即座に判断できた。

 アルフレッドはこれを使ってアリシャさんに紅茶を振る舞ったと言っていたが、魔法円までは触らせなかったんだな。


 俺の描いた魔法円には『神への感謝』が無いので、魔素を流せる者でないと使えない。


 俺はアルフレッドや冒険者へ携帯用の『魔法円』を売る際には、一つの警告を添えている。

 その警告に従って、アルフレッドはアリシャさんに『水出しの魔法円』を触らせなかったのだろう。


 魔素を扱えない者にとって、俺の描く携帯用の魔法円を使おうとすると、時に魔力切れを引き起こす危険性が伴う。

 そして魔素を扱えない者にとっては、何の成果も得られず意味の無い代物となる。


 そんな代物に無理に魔素を流させて、魔力切れを起こしたら騒動になってしまうだろう。


 さて、魔法円や魔道具に触れた事の無いアリシャさんは、魔素を扱えないと考えた方が良さそうだ。


「わかりました、まずは実際に使ってみましょう。少々お待ちください」


 俺はそう告げて、アリシャさんを店舗に残して台所へ向かった。


 両手持ちのトレイに『神への感謝』を備えた『水出しの魔法円』を乗せ、ティーカップと片手鍋も乗せる。

 おっと、普段使いの魔石も忘れない。


 それらを持って店舗へ戻ると、アリシャさんが店内を見渡していた。


「アリシャさん、お待たせしました。こちらが一般的なご家庭に設置する物です。出る水は同じですから、これで試してみましょう」


「はい、ありがとうございます」


 店のカウンターに『水出しの魔法円』を置いてティーカップを乗せ、魔石も並べて行く。


 並べた代物にアリシャさんの視線が向いたところで、俺は『水出しの魔法円』の使い方を説明して行った。



「これよこれ! 何のクセも感じないえわ!」


 アリシャさんは、自分でティーカップへ出した水を、何の躊躇いもなく飲み干し終えると開口一番に褒めてきた。


「イチノスさん、水の違いってわかります?」


 そしてアリシャさんの言葉は止まらず、追いかけるように水の違いを問い掛けてきた。


「はい、硬水(こうすい)と軟水(なんすい)ですね?」


「さすがは、魔導師さんですね」


 いや、魔導師とは関係⋯

 少しは関係あるかな?


「それで、この魔法円と魔石はお幾らですか?」


「えっ?!」


 俺は思わず驚きの声を出してしまった。


 アリシャさんは、即決で購入するのか?

 初めて俺の店を訪れて、魔法円が良い水を出すからと即決で購入するのか?


「いや、アリシャさん落ち着きましょう。折角ですが、一旦、持ち帰って検討されてはどうですか?」


「えっ?」


 今度はアリシャさんが驚きの声を上げた。

 そんなアリシャさんを説得するように、まずは価格からの説明を俺は始めて行く。


「実は、魔法円と魔石の組み合わせは、かなり高額なのです」


「どのくらい高額なのですか?」


「はい、この魔石だけでもこのぐらいするのです」


 そう告げた俺は右手の指を立てた。


「えっ? もしかしてそれは金貨ですか?」


「はい、金貨です」


「では、こちらの魔法円はお幾らぐらい⋯」


 俺の返事に驚いたアリシャさんだが、それでもめげずに魔法円の価格を問い掛けてくる。

 それに答えて左手を出して指を立てた。

 それを見た途端に、店のカウンターへ張り付いていたアリシャさんが、半歩後ろへと下がった。


 そんなアリシャさん追うように、俺は説明を続けて行く。


「アリシャさん、アルフレッドのような冒険者は、冒険者という職業から、水を得れるかどうかが時に生死に関わるのです。従って、こうした高額でも、水出しの魔法円と魔石の購入を検討するのです」


「は、はぁ⋯」


 もう少しな気がする。

 もう少しで、今すぐに水出しを手に入れたいという、そんな強い欲求からアリシャさんが解放されて、冷静に現実を見てくれる気がする。


 それに、大事なことを確認しておく必要がある。

 アリシャさんは、初めて魔石へ接するのだ。

 時に魔物から得られる物へ、忌避感を抱く方は少なからず存在するので、その事も確認しておこう。


「それにですね、この魔石は彼ら冒険者が討伐する、魔物から得られるのをご存じですか?」


「それは、一応、知っています」


「そうですよね、失礼しました。もう少し掘り下げますと、アリシャさんはオークと呼ばれる魔物をご存じですか?」


「オークは、自分の国にいた頃に捕らえられたのを見たことがあります」


〉自分の国にいた頃


 おっと、アリシャさんが自分から他国出身だと口にしたぞ。


「それに、オークベーコンとかは美味しいですよね? この街の肉屋でも売ってますよね?」


 どうやら、アリシャさんは魔物への極端な忌避感は抱いていないようだ。


「そうです、そのオークを討伐して得られるのが、この『オークの魔石』なのです」


「そうですよね⋯ そうなんですよね⋯」


 そこまで口にしたアリシャさんが言葉を止めた。

 その様子から、アリシャさんは魔物から得られる物に、若干だが忌避感があるのだとわかる。


 世の中にはこうした人々もいるのだ。


「アリシャさん、アルフレッドのような冒険者であれば、魔石を得るために魔物の討伐を考えることもできるでしょう」


「コクコク」


「ですが、アリシャさんでは⋯」


 俺が言葉を止めると、再び頷いたアリシャさんが、自身へ言い聞かせるように答えた。


「はい、あの大きな魔物を捕まえるとか討伐するなんて、私では無理です」


「そうです。彼ら冒険者は自分の命をかけて魔物と戦っています。そして、討ち取った魔物から魔石や肉を収入として得ているのです」


「イチノスさん、言わんとすることがわかってきました」


 どうやら、アリシャさんは魔石の価格がそれなりに高額である理由を理解してくれたようだ。


「さて話を戻しましょう。アリシャさんは、このリアルデイルの井戸水が硬水(こうすい)なので、紅茶や珈琲を楽しむのに軟水(なんすい)が欲しいのですね?」


「そうです。それで、これで出した水なら⋯」


 未だにアリシャさんは、カウンターに置かれた『水出しの魔法円』と魔石から目を離さない。


 そこで、俺はカウンターへ置いた一式を両手持ちのトレイへ片付けるように乗せ、アリシャさんの注意を引き付けた。


 案の定、アリシャさんはその美しい顔に残念な思いを浮かばせ、俺の顔を見てきた。


 独特な魅力を湛えた瞳と目が合ったところで、俺は言葉を続ける。


「アリシャさんは魔道具をご存じですか?」


「マドウグですか?」


「はい。先ほども話しましたが、例えば水の涌き出る水瓶(みずがめ)や水の出る水筒です」


「水の涌き出る⋯ そうした物もあるのですか?」


 おいおい、俺は水の出る水筒や水瓶(みずがめ)の話はしている筈だぞ。


「私からは魔道具の価格についてお伝えできませんが、そうした物も選択肢に入れてはどうでしょうか?」


 そこで、アリシャさんの顔に何かに気が付いた表情が加わった。


「なるほど、イチノスさんが言わんとすることが、わかってきた気がします」


「はい、お店で使うのであれば、この魔法円に拘らずに、そうした魔道具も検討された方が良いと私は思うのです」


「イチノスさん、この街にマドウグを扱う店はあるのですか?」


「はい、東町に1軒あります。その店は東町の街兵士から『御用達(ごようたし)』を受けている店です」


「街兵士から御用達(ごようたし)⋯」


「ですので、かなり信用できる店ですね」


 すると、アリシャさんの顔が微笑みに満ちた顔へと変わった。


「フフフ、イチノスさん、随分と回りくどい方ですね?」


回りくどい?


 いや、アリシャさんは王国語が堪能じゃないから、この表現なんだ。


「イチノスさんの言わんとすることがわかってきました。そうですよね、色々な方に聞いてみるのも、手ですよね」


 そこまで告げたアリシャさんが俺を見つめると、見事なまでの笑顔を見せてきた。


 やはり、この人の年齢がわからない。

 だが、この笑顔は魅力が溢れ、実に人を惹き付ける顔をしている。


「それにしても嬉しいわ」


えっ?


「水の違いと、それが紅茶の味わいに影響を与えるのがわかる方が、この街にいるなんて」


えっ? えっ?


「イチノスさんお気に入りの紅茶は何かしら? 私はね⋯」


えっ? えっ? えっ?


 まだ話が続くの?

 水の話が終わったら、今度は紅茶の話ですか?

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