18-18 若い男の名は⋯
若い男から急かされ、広い湯船から出て脱衣所へ行こうとするその瞬間、細身の男が呼び止めてきた。
「おい! ここで終わりって⋯ 今日の宿はどうするんだ!」
すると若い男は呆れたような表情で返した。
「はぁ? どうするも何もないでしょ? どこまで私に頼るんですか?」
「頼る? 助けてやったのはこっちだろ!」
「はぁ? 私が一度でもあなた達に『助けてくれ』って言いましたか?」
「い、いや⋯」
「そもそもあなた達とはこの街までの約束ですよ」
「し、しかしだな⋯ あ、あの石はどうするんだ?!」
「はぁ~ん。あの石を売って金にしたいんですか?」
「うっ⋯」
「それなら、あなた達であの石を売って金にしますか?」
「い、いや⋯」
「まぁ、あなた達じゃあ無理ですね。あの石の価値も知らないんでしょ?」
「いや、お前が金になるっていうから⋯」
「どうしても欲しいんなら差し上げますよ。どうぞ自分達でお金にしてください(笑」
「い、いや⋯」
「それとも、私に助けて欲しいんですか?」
「うっ⋯」
「ここで終わりです。これ以上は私につきまとわないでください」
「⋯⋯」
細身の男は言葉に詰まり、無言となってしまった。
ザバァ~
すると、腹の出た男が水風呂から大きな音を立てて立ち上がった。
その水音は細身の男を振り返らせるのに十分だった。
腹の出た男が何か言うかと思って軽く身構えたが、一言も口を開かずに蒸し風呂へと消えて行った。
細身の男は慌ててその後を追い、蒸し風呂へと消えて行く。
大工達はその様子を唖然とした顔で見ていた。
これまでのやり取りを見ていた俺は、思わず若い男を見ると、にっこりと笑顔を向けてきた。
「さあ、イチノスさん。エールへ行きましょう」
「いや⋯ いいんですか?」
俺の問いに若い男は自信に満ちた表情で答える。
「構いません。これであの連中とは終わりですよ。さあ、エールへ行きましょう」
ふと大工達を見ると、広い湯船に浸かりながら蒸し風呂の入り口をじっと見つめている。
これは、あの腹の出た男と細身の男、そして大工達を残して行ってもいいものか、迷う瞬間だった。
一つの誤解や誤った一歩で、他の街から来た冒険者と大工達が再び衝突を始めるかもしれない。
「おう、イチノス。来てたのか?」
「ここで会うとは珍しいな」
急に脱衣場の方から声がかかり振り返れば、声の主はアルフレッドとブライアンだった。
どうやら、領主別邸での報告会が終わって二人が揃って風呂屋に来たようだ。
「二人とも無事に終わったのか?」
「終わった終わった」
「いやぁ~、肩が凝ったよ(笑」
アルフレッドとブライアンは報告会の疲れをこぼすように答えてくる。
「おーい、ブライアン!」
挨拶を交えながらアルフレッドやブライアンと話していると、広い湯船から大工達がブライアンを呼び寄せた。
「おう! 二人揃っててちょうど良かった。ワイアットから伝言があるんだ」
そう言って、ブライアンは広い湯船に浸かる大工達の方へ向かっていった。
残されたアルフレッドが尋ねてきた。
「イチノス、この後、どこか行くつもりか?」
アルフレッドがエールを煽るような仕草を見せた。
それに若い男が興味を示した。
「イチノスさん、大衆食堂ですよね。先に行って皆の分の席を取っておきましょう」
「お、おぅ⋯」
若い男の言葉にアルフレッドが戸惑いを見せる。
「ククク⋯」
俺は思わず笑いがこぼれてしまった。
この若い男はなんて風変わりな奴なんだろう。
他の街の冒険者との関係をあっさりと切り捨てた後、今度は初対面であろうアルフレッドに明るく答えている。
こんな奴を俺は初めて見た。
この若い男を交えてアルフレッドやブライアンと飲むのも面白いかもしれない。
「イチノス、ブライアンと一緒に追いかけるから、先に行っててくれ」
アルフレッドが若い男の提案を受け入れる言葉を口にした。
これで皆でエールを飲めそうだ。
ん?
そう言えば、ワイアットは一緒じゃないのか?
「ワイアットはどうした? 一緒に行ったんだろ?」
「ワイアットは⋯」
そこまで言ったアルフレッドが若い男を見て、俺を見てきた。
ワイアットに何かあって来るかわからない。
それに、初対面の若い男がいるので、アルフレッドはワイアットの動向については言葉を選んだのか?
「わかった。後で聞かせてくれ(笑」
「そうだな(笑」
そう答えたアルフレッドが再び俺と若い男へ目をやる。
アルフレッドは俺と若い男の関係を気にしているのだろうか?
いや、アルフレッドは見比べている感じだ。
若い男と俺の外見が似ているとでも思ったのだろうか?
「おーい、アルフレッド!」
今度はブライアンがアルフレッドを呼んできた。
アルフレッドとブライアンが大工達と一緒にいるなら、あの他の街から来た冒険者と早々にいざこざは起きないだろう。
二人へ丸投げする感じになるが、この場から離れよう。
ブライアンの呼ぶ声に俺はアルフレッドへ告げる。
「じゃあ、先に行ってるぞ」
「おぉう」
「アルフレッド~」
何やら楽しそうな声で再びブライアンがアルフレッドを呼んだ。
◆
脱衣所で服を着終えたところで、若い男の身なりに目を向けてみた。
特に目立った感じはないが、俺が古代遺跡の調査隊へ着ていったのと同じ様な感じの服装だ。
厚手のズボンに長袖のシャツを合わせて革製のベストを着ている。
この革製のベストは皮鎧の一部じゃないのか?
冒険者とは言い切れない感じの服装で⋯ どこか埃っぽい感じがする。
〉今日の宿はどうするんだ!
そう言えば細身の男がそんな事を口にしていたな。
もしかして、他の街から来た服装のままで風呂屋へ足を向けたのだろうか。
そんな若い男と一緒に風呂屋を出ようとすると、若い男が受付のオバさんへ声を掛けた。
「預けた荷物をお願いします」
「はい、これだよね」
そう言って預かり札と交換で、受付のオバさんが重そうに両手で布袋を受付台へ出してきた。
「やけに重い袋だね。何が入ってるんだい?」
「すいませんね、変な物を預けちゃって」
「明日は宿にでも置いてきておくれよ(笑」
「そうします(笑」
改めて若い男を見れば、俺が外出に使っているのと大差がない大きさの斜め掛けのカバンと、今受け取った何かが入った布袋を手にしているだけだ。
この程度の荷物で他の街から来たのか?
随分と軽装な感じだな。
そんなことを思いながら風呂屋を出て、若い男と並んで歩き、大衆食堂へと足を向けた。
陽の落ちた街並みはガス灯に照らされ始め、闇が迫っている時刻だ。
早目に店を出てきたのに、既にこの時間になってしまったんだな。
通りの先のガス灯の元に二人の街兵士の姿が見える。
この時間からあそこに立ち始めるんだと思っていると、若い男が聞いてきた。
「イチノスさん、私は名乗っても良いでしょうか?」
「ん? そう言えば聞いていませんでしたね(笑」
「私がイチノスさんの名を知っていて、イチノスさんが知らないというのも変な感じがするんですよ」
まあ、確かに若い男の言うとおりに変な感じではあるが⋯
「あいつらとも縁を切りましたから、名乗らせてもらいますよ」
「えぇ、どうぞ(笑」
「私はムヒロエといいます」
ムヒロエ?
聞いたことが無い名前だな。
「珍しい名前ですね。どちらの生まれなんですか?」
「よし、イチノスさんがようやく興味を持ってくれたぞ(笑」
はぁ?
何だこいつは嬉しそうな顔をしたぞ。
そう思った時に、視界の端に俺へ向かって王国式の敬礼をする街兵士が見えた。
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