12-4 麦畑と彼女の名


「おはようございます、イチノスさん。冒険者ギルドへようこそ」


 いつもの笑顔と言葉で、美味しい紅茶を淹れてくれる若い女性職員が俺を迎えてくれた。


 彼女と会うのは一昨日の日曜以来だよな?

 あの時は商人達の攻勢に疲れた感じだったのに、今朝はずいぶんと元気な感じだ。

 彼女をよく見れば髪の毛もきちんと整えられていて、跳ねた毛などどこにも見えない。


 今日はまだ商人達の対応で削られていないようだ。


「おはよう」

「イチノスさん、今日はどういったご用ですか?」


 俺は彼女の声に動かされ、店で書いてきたメモ書きをカバンから取り出す。

 そのメモ書きを見ながら、どの順番で依頼をするべきかと少し思案して、手紙を出す依頼から始めることにした。


「今日は何件か依頼があるんだ。まずは王都の研究所へ手紙を出したい。それと北方の隣街、ノースセルに住む魔導師のイスチノさんへ手紙と送金をしたいんだ」

「手紙が2通と送金ですね。他にありますか?」


「サブマスと話がしたいんだが?」

「サブマス? あぁ、キャンディスさんですね(笑」


 ん? 若い女性職員がほくそ笑んだ気がするぞ?

 キャンディスを敢えて『サブマス』と呼んでみたが不味かったのか?


「ちょっと聞いて良いかな?」

「はい、なんでしょう?(笑」


 やっぱり、若い女性職員が笑っている気がする。


「サブマスのキャンディス」

(ククク)


 やはりキャンディスを『サブマス』と呼ぶことが、彼女の笑いのツボになっているようだ。


「もしかして、キャンディスさんは『サブマス』と呼ばれるのに慣れていないのかな?(笑」


(サブマスと呼ぶと機嫌が悪くなって返事をしなくなります)


 俺の問いかけに若い女性職員が囁きで返して来た。


 はいはい。わかりました。

 まだキャンディスは『サブマス』と呼ばれるのに慣れてないんですね。


「わかった。注意するよ。教えてくれてありがとう(笑」


 そんな会話をしつつ、研究所の元同僚への手紙とイスチノ爺さんへの手紙、それに送金の手続きを進めた。



 現在、魔導師イチノスは2階の応接室に通され、美味しい紅茶をいただいております。

 もちろんこの美味しい紅茶は、受付カウンターで俺を迎えてくれた若い女性職員が淹れてくれたものです。


 メモ書きの残りの用件を話すと、直ぐに2階の応接へと案内された。

 サブマスのキャンディスが少し時間が掛かると言うので、若い女性職員の淹れてくれた紅茶をいただきながらメモ書きを眺めております。


 残る冒険者ギルドでの用件は⋯


 ・薬草の手配

 ・魔法円の商談

 ・魔石の調達


コンコン


 この3点であることを確認していると、応接室の扉がノックされた。


「どうぞ~」

「失礼します」


 俺が応じるとキャンディスの声が応え、応接室の扉が開いてキャンディスと共に若い女性職員が一緒に入ってきた。


 キャンディスは片手に複数の書類を抱えており、若い女性職員はメモとペンだけな感じだ。


「イチノス相談役、本日は冒険者ギルドへ足を運んでいただき、ありがとうございます」


 応接室に入ってきたキャンディスが、俺の名に『相談役』と言う不釣合(ふつりあい)な敬称を付けながら、お辞儀で挨拶をしてくる。

 その後ろでは若い女性職員が静かに扉を閉めている。


 キャンディス、俺の名に『相談役』と付けて呼ぶのは何かの意図があるのか?

 もしかして、若い女性職員の前だから『相談役』を付けて俺を呼んだのか?


 ちょっと仕返ししちゃうぞ(笑


「いえいえ、こちらこそサブギルドマスターであるキャンディスさんの都合も伺わず、しかも先触れも出さずに訪ねてしまいすいません」

「いえいえ、イチノス相談役の訪問なのですから何よりも優先させていただきます」

(⋯⋯)


「そうですか。サブマスにそう言われると恐縮してしまいますな⋯ ハハハ」

「ふっふふ⋯」

(⋯⋯)


 ほらほら、不機嫌を含んだ笑い声を出すと若い女性職員が困っちゃうだろ(笑


 そんなキャンディスが応接へ着席し、一方の若い女性職員は紅茶を運んできたワゴンの前へと向かう。


「さて、今日のイチノス相談役のお話ですが⋯」


 着席するなりキャンディスが話しに入ろうとする。

 改めてキャンディスの様子を見れば、髪は綺麗に纏めているのだが、疲れからなのか所々で髪が跳ねているのがわかる。

 以前に会議室で悩んでいる時のように、少しだが髪が乱れている感じだ。


「お忙しいようですね。紅茶を楽しむ時間もありませんか?」

「えっ?」


 急ぎ話を続けようとするキャンディスへ問い掛ければ、ちょっと詰まった感じの声が返ってくる。


「私は彼女の淹れてくれる紅茶が好きなんです。キャンディスさんも忙しいとは思いますが、一緒に彼女の淹れてくれた紅茶を楽しみませんか?」

「そ、そうですね⋯ はぁ」


 俺の言葉でキャンディスが少し肩の力を抜いて応接に座り直してくれた感じがした。

 それにしても朝から二人目の溜め息を聞くとは⋯ いや、キャンディスのは力を抜いた息継ぎかな?(笑


 若い女性職員へ目をやると、紅茶を侵出しているのか、ワゴンの前で両腕のヒジを張って両手を腹の前で重ね、休む姿勢をして笑顔を俺に向けてくる。

 その笑顔に軽く頷いてキャンディスとの話へと俺は戻った。


「キャンディスさんは、最近はお休みは無いのですか?」

「えっ? お休みですか?」


「私は昨日まで臨時休業でお店を休ませてもらいました。ちょうどギルドで討伐依頼が出たおかげで来客も減っていたので久しぶりの息抜きですよ(笑」

「久しぶりの息抜きですか?」


「えぇ、店を開けて3ヶ月。毎日、店を開けてましたが、さすがに疲れましてね」

「そういえば、イチノスさんのお店が臨時休業と聞きました」


 よしよし、キャンディスがいつもの呼び名に戻ってくれたぞ。


「店を休みにしても、結局、毎日、出掛けてましたが良い気分転換になりましたね」


 そこまで告げた時に視界の端で若い女性職員がティーカップを並べているのが見えた。


「イチノスさん、お代わりはいかがですか?」

「あぁ、ありがとう」


 若い女性職員の問い掛けに俺が返事をすると、新たなティーカップを取り出して紅茶を注いで行く。


「キャンディスさんは最近、何か気分転換をしましたか?」

「気分転換ですか?」


「キャンディスさんなら、良い気分転換の方法をご存じかと思いました(笑」

「そうねぇ⋯ 買い物にも行ってないし⋯ 散歩もしてないし⋯」


「散歩ですか?」

「えぇ、そろそろ麦刈りの季節じゃないですか。この季節は麦畑が綺麗に色づくんですよ」


「ほぉ~ 麦畑か、なんか良いですね。行ってみようかな?」

「今の季節は綺麗ですよ。こう、一面が小麦色に変わってくんです」


「どうぞ」


 キャンディスが仕事から離れ、麦刈りの話を始めたそんな良いタイミングで若い女性職員が皆へ紅茶を差し出してくれた。


「ありがとう。本当にこの紅茶がギルドへ来る楽しみのひとつだよ」

「ありがとうございます」


 嬉しそうな顔で応える彼女と違って、キャンディスは麦畑に気持ちが行っているのか何かを思い出すような顔をしている。

 若い女性職員も応接に座り、新しく出された紅茶を全員で味わう。


 キャンディスがティーカップを置いたところで、まずは俺から切り出す。


「キャンディスさん、私の相談役就任は来月からです。それまでは今までどおり、のんびりと行きたいですね」

「そうですよね。忙しくなるのは来月からですよね(笑」

「うんうん」


 ようやくキャンディスの言葉の端に笑いが感じられた。


 キャンディスもサブマスに就任してウィリアム叔父さんの公表が出されてと、今日までバタバタとしてきたのだろう。

 どうせギルマスのベンジャミンが、例の調子で次々とキャンディスへギルド内の仕事を振りまくったのだろう。


「今のキャンディスさんは、多数の仕事をギルマスから振られて忙しいかもしれませんが、優秀な部下がいるじゃないですか」

「優秀な部下ですか?」


「そうです。キャンディスさんには⋯」


 そこまで言って、俺は若い女性職員の名前を覚えていないことに気が付いた。

 ふと、俺とキャンディスで一緒に若い女性職員を見てしまった。


「ターニャの事ですか?」


 キャンディスから彼女の名が出た。


 ターニャか⋯

 ターニャは確か『タチアナ』の愛称だよな?


 名を呼ばれたターニャ=タチアナは、そ知らぬ顔で紅茶を味わっている。

 こいつ、なかなかに腹が据わってるな(笑


「タチアナさん?」

「はい、何でしょう?」


 やはり彼女の名は『タチアナ』で、愛称が「ターニャ」なようだ。

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