11-14 従業員に関する二つの事
ゴリゴリ ゴリゴリ
イルデパンが珈琲ミルで豆を挽く音が静かに室内に響いて行く。
目の前では、先程、ローズマリー先生が胸元に入れた袋を取り出した。
中の『ゴブリンの魔石』を取り出して机の上に置くと『オークの魔石』を戻している。
「イチノスさん。魔素を使い切って、ごめんなさいね」
「いえ、シーラの治療のためです。ローズマリー先生が気にすることじゃありません」
机の上に置かれた『ゴブリンの魔石』は、明らかに『魔石光(ませきこう)』を発しておらず、中の魔素が使い切られているのがわかる。
それを見ながら俺はローズマリー先生へ問いかける。
「魔石で思い出しました。今日からロザンナが来たんですが⋯」
「ロザンナが何かご迷惑をかけましたか!」
ローズマリー先生、慌てないで。
イルデパン、豆を挽く手が止まってるぞ。
「イルデパンさん、良い香りですね(笑」
「おっと、そこまで香りが届きましたか?」
ゴリゴリ ゴリゴリ
再び豆を挽く音が室内に響いて行く。
どうやらイルデパンは豆を挽く方に気持ちが戻ってくれたようだ。
「それでロザンナが何かしました? 今日から行かせたのは、やはりご迷惑でしたか?」
「いえいえ、今日も明日も同じです。むしろ今日から来てもらって良かったです。働いてもらう条件とか注意事項を話せましたから」
「イチノスさんは本当にお優しいですね。ロザンナのわがままを聞いていただいて、本当にありがとうございます」
ゴリゴリ ゴリゴリ
イルデパンが安心したようで、豆を挽く手に戻ってくれた。
「それで2点ほど気になったことがあるんです」
「何でしょう? 遠慮せずに話してください」
ゴリ ゴリ ゴリ ゴリ
また豆を挽く音が変わってきた。
もう、イルデパンの様子を気にするのは止めてロザンナの話しに集中しよう。
「実はですね、ロザンナが魔石と魔素の関係を正しく理解していない感じがしたんです」
「あぁ⋯ あの子はまだ理解できていなかったのね」
俺の言葉でローズマリー先生が肩を落とした。
「初めて『魔石』を使った時に教えたんですけど、正しく理解できていなかったのね」
「そうですか、少し安心しました。ローズマリー先生が教えているなら、ロザンナの理解だけですね。もしかして先生が教えていないのかと心配したんです(笑」
「あの子はそういうところがあるんです、本当に娘に似てて⋯」
すいません、ローズマリー先生。
私はあなたの娘さんを知らないんですが⋯
「それなら今日の夜にでも、もう一度教えます」
「それでお願いします」
あれ?
何やら豆を挽く音が消えている。
イルデパンに目を移せばお湯を沸かし始めていた。
俺の視線に気が付いたのかイルデパンが応える。
「イチノスさん、間もなくです。もう少しお待ち下さい」
「それにしても良い香りね」
「そうですね。この香りは癒されますね」
「そうでしょう、そうでしょう」
ローズマリー先生の言葉に応えた俺の返事にイルデパンが嬉しそうだ。
やっぱり、俺とローズマリー先生の会話はイルデパンに聞こえていたんだな。
「もう1点の話は、この香りと味を楽しみながらでも良いですか?」
「えぇ、そうですね」
ローズマリー先生の返事が聞こえたのか、イルデパンが嬉しそうな顔で頷いた。
◆
「うん、確かにこれは良い感じですね」
「そうね。この前より美味しいかも?」
「今回は試しに、焙煎して10日目の豆にしてみたんだ。やはり焙煎してこのぐらい置いてからの方が美味しいな」
3人でイルデパンの淹れてくれた珈琲を楽しむ。
10日前というと⋯ イルデパンと風呂屋で会った付近だな。
なるほど、珈琲の豆は焙煎して暫く休ませた方が味わいが良くなるのか。
これは頭の隅に置いておこう。
「それで、イチノスさん。ロザンナに関するもう一点をお話しいただけますか?」
ローズマリー先生から切り出された。
イルデパンも珈琲カップを手にしたままで、どんな話しか興味のある顔をしてきた。
俺は飲み掛けの珈琲カップを皿へ置き切り出す。
「魔力切れの話です」
「「⋯⋯」」
イルデパンとローズマリー先生が一瞬固まった。
一人娘を魔力切れで亡くしている二人には辛い話だろう。
それをわかってはいるが俺は話を続ける。
「心を落ち着けて聞いてください。私の店でロザンナが働く以上は、どうしても魔素を扱う機会が出てきます」
「「⋯⋯」」
「ご存じのとおりに、大量に魔素を扱うと魔力切れを起す事が多々ありえます」
「「⋯⋯」」
「先程のシーラように魔力切れを知っている魔導師でも魔力切れを起こします。これは私のような魔導師や、ローズマリー先生ような治療回復術師の抱える宿命だと私は思っています」
そこまで言って二人の様子を伺う。
二人とも俺から目線を外さず、次の言葉を待ってくれているようだ。
「従って、ロザンナの成長を願うなら魔力切れの怖さをロザンナに教える必要があります」
「そうね⋯ イチノスさんの言うとおりだわ」
ローズマリー先生が俺の言葉に同意してくれた。
イルデパンは押し黙ったままだ。
「『魔力切れの怖さを知った上で魔素を扱う』これは魔導師や治療回復術師の定めだと私は思っています」
そこまで言って俺はカップに残った珈琲を飲み干した。
ローズマリー先生が口を開いた。
「イチノスさん、魔力切れをロザンナに教えるのは⋯ 急いでますか?」
思わぬ答がローズマリー先生から返ってきた。
「いえ、急いではいませんが?」
サノスもロザンナも、今は魔法円の型紙に取り掛かってるから、暫くは魔力切れは起こさないだろう。
「そうですね⋯ 2~3日中には直面すると思います」
きつめな言葉だが、これは二人に覚悟してもらう大切なことだ。
俺は心の中で二人への理解を強く願った。
するとローズマリー先生の手が、机の上に置かれた『ゴブリンの魔石』へ伸びた。
「イチノスさん、この魔石は何かしてるの?」
「えっ? これですか? 私の魔力で調整してありますが?」
「そうよね。さっきシーラの治療に使った時、魔素の出方が素直で凄く使い易かったの」
ローズマリー先生は何が言いたいんだ?
もしかして魔力切れの話は避けたいのか?
「イチノスさんに相談したいんだけど⋯」
「はい、何でしょう?」
「これを、売っていただけるかしら?」
ローズマリー先生が空になった『ゴブリンの魔石』を買い取りたいと言い出した。
「良いですけど? これはもう空ですよ?」
「空でいいのよ。これでロザンナに魔力切れを経験させたいの」
「えっ? いいんですか?」
ローズマリー先生が大胆な事を言ってきた。
確かにロザンナに魔力切れを経験させるなら、ローズマリー先生が側にいた方が良いだろう。
『空の魔石』で魔力切れを経験させるとなると⋯
俺がヴァスコとアベルに経験させた方法があったな。
けれどもあの時、二人が魔素を扱えるか否かがわからなかったし、俺の手品で『空の魔石』を握らせて体内魔素を使わせたんだよな⋯
待てよ。
ローズマリー先生は、家庭で使う『魔石』に普段から魔素充填をしてるんだよな?
「もしかして、ロザンナに魔素充填をさせるんですか?」
「えぇ、家で使ってる『魔石』やこの『オークの魔石』だと、ロザンナが諦めるかもしれないの。けれどもこの小さい『ゴブリンの魔石』なら、それなりにロザンナは努力すると思うの」
ローズマリー先生が胸元の『オークの魔石』に手を添えながら答えてきた。
けれどもこの『ゴブリンの魔石』は俺が調整した物だから、魔素は取り出しやすくしてあるが、他の者での魔素充填は為難(しにく)い状態にしてある。
これは魔素充填の仕事を他の魔導師にさせないための一つの方法だ。
「構いませんけど、私の魔力が干渉してるから魔素が入りづらいですよ」
「だからいいのよ。ロザンナの魔力じゃイチノスさんの調整は破れないから、まず確実に魔力切れを起こすでしょ?」
ローズマリー先生、結構スパルタですね(笑
「わかりました、お持ちください。シーラの治療に使う『魔石』と同様にお代は不要です。従業員の教育代ですから(笑」
「フフフ そこでシーラなの?(笑」
えっ?
ローズマリー先生、何か勘違いしてませんか?
「お二人とも、珈琲のお代わりはいかがですか?」
絶妙の間で、イルデパンが珈琲のお代わりを勧めてきた。
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