10-3 キャベツのポタージュスープ


「これは、美味いな」


 温められた昼食のスープを口にした俺は思わず感想を述べてしまった。


 キャベツのポタージュスープが、実に良い感じなのだ。

 一緒に出された硬めのバケットを口にすれば、その塩分がキャベツの甘味に絶妙に合う。


「やはりオリビアさんが作ったのか?」


「はい。お婆さんと料理長、それに母さんの3人でグルグルゴリゴリやってましたよ」


 そうだよな。

 これだけ舌触りが良く、キャベツの食感が残らないのは、かなりの手間を掛けているのがわかる。


「そうだ、師匠。明日も大丈夫ですか?」


 オリビアさんと婆さんの奮闘する姿を思い浮かべていると、サノスが明日の予定を聞いてきた。


「明日か? 明日は⋯ 月曜だよな? 俺は店に居ないと思う」


 明日の月曜は、ウィリアム叔父さんとの会合が待っている。


 ギルマスの言葉だと、何処で何時からかもわからない会合だ。

 ウィリアム叔父さんが襲撃されないため、イルデパンの発案で、会合の参加者にすら場所や時間を明確に知らされていないのだ。

 警備のためとは言え、参加を求められる側は、一日拘束されるようなものだ。


「お出掛けですか?」


「あぁ、ちょっと野暮用なんだ」


 ウィリアム叔父さんとの会合だとサノスへ伝えるのは、サノスを巻き込むことになるやも知れん。

 こうしたサノスとの会話ですら注意が必要だろう。


「へぇ~ ニヤニヤ」


「ん?」


「ヘルヤさんとお出掛けですか?」


「いや、違うな(キッパリ」


「⋯⋯」「⋯⋯」


 まったく!

 俺の気遣いにサノスは関係無しか⋯

 まあ、仕方がないよな。


 貴族のゴタゴタに庶民のサノスを巻き込むわけには行かない。

 俺も出自が貴族である以上は、それなりに庶民の生活を守る必要があるだろう。


「師匠が居なくても、店に来ても良いですか?」


「構わないぞ。但し2階には昇るなよ」


「了解です!」


 サノスの顔は明るく、明日も店に来れることが嬉しいようだ。



 昼食を済ませ、洗い物を台所へ運ぼうとするサノスに声を掛ける。


「この後の御茶だが、来客用のティーセットを準備してくれるか?」


 ロザンナと祖父母の訪問を想定して、4人分の御茶を淹れる練習が必要だろう。


 昨日の教会長の訪問では、二人分の御茶は上手く淹れることができた。

 今日はロザンナと祖父母、それに俺の分を含めて4人分の御茶を淹れる必要がある。

 湯温の調整は、沸かす水を倍にして差し水も倍にすれば済む筈だが、一応、練習しておこう。


「来客用ですね」


 そう告げて作業場を離れるサノスを見送りつつ、俺は棚から『薬草栽培の研究』を探す。

 昨日、サノスに貸し与え、サノスが読み込んでいた本だ。


 サノスはロザンナの教えで裏庭での薬草栽培に手を出そうとしている。

 そのロザンナは祖母から教わったと述べていた。

 そうなると、サノスがロザンナから教わるのは、いわばロザンナの祖母が有する知識や技術だ。


 今日のロザンナの祖父母との面談では、そのロザンナの祖母の知識や技術をサノスが授かる許諾を得ようと考えている。

 弟子であるサノスが教えを受けるのだ、師匠である俺も、それなりに薬草栽培の知識を確認しておく必要があるだろう。


 一度は目を通した本だが、それも半年以上も前の話だ。

 俺があまりにも無知なままでは、ロザンナの祖母に申し訳ない気がしたのだ。


 本棚から『薬草栽培の研究』を取り出し椅子に座って目を通していると、サノスが両手持ちのトレイにティーセットを乗せて作業場へ戻ってきた。


「師匠、来客用って、これで良いんですよね?」


 そう告げて作業机に置かれたティーセットは、母(フェリス)が訪れた際に使ったティーセットだ。


「おう、それで良いぞ」


 改めてティーセットに目をやれば、俺の研究所への入所祝いで父(ランドル)が贈って来たもので、かなり良いものだ。


 手にした本を脇へやり、御茶を淹れる準備を始める。

 『水出しの魔法円』にティーカップを乗せて魔素を流し、まずは1杯分の水を出してティーポットへ入れた。

 それを3回繰り返したところで、手が止まった。


 あれ?


 単純に朝の倍で御茶を淹れると、4杯分のお湯+2杯分の差し水で6杯分の御茶を淹れることになるな。


 御茶に最適だったお湯の温度は⋯


 98度のお湯を2杯

 17度の水が1杯


 『湯沸かしの魔法円』で沸かすと、約98度ぐらいになる。

 『水出しの魔法円』で水を出すと、今日の気温ならば、約17度ぐらいで出せるだろう。


((98度×2杯)+(17度×1杯))÷(2杯+1杯)=71度


 なるほど。

 美味しい御茶を淹れることが出来たのは、湯温が71度だったからだな。

 そうなると既にティーポットに入っているのが3杯分だから⋯


((98度×3杯)+(17度×○杯))÷(3杯+○杯)=71度


 差し水は1杯半で良いのでは?


 お湯:差し水 = 2:1 = 3:1.5


 良し。

 比率で確認しても差し水は1.5杯が妥当だ。


 俺はティーポットの中の水量を確認して、ロザンナの祖父母が訪れた際の水量を記憶した。

 続いてティーポットを『湯沸かしの魔法円』に乗せ、サノスに声を掛ける。


「サノス、これを沸かしてくれるか?」


「はい!」


 サノスがティーポットの位置を確認して『湯沸かしの魔法円』に魔素を流して行く。

 いつになく、慎重にサノスが魔素を流している感じだ。

 昼前の俺の指摘を実行しているのか、少しずつ少しずつ、魔素を流している。


 ティーポットから湯気が強く立ち昇り、お湯が沸いたところでサノスが一息入れた。


「ふぅ~ 師匠、これってかなり疲れますね」


「ククク 慣れだよ慣れ」


 サノスは肩から力を抜くような仕草をしたところで、俺はティーカップに差し水を出しティーポットへ1杯分を入れ、続けて半分ほど水を出し、これもティーポットへ入れた。


「これで御茶の葉を入れてくれるか? 朝より少し多めで良いぞ」


 サノスが御茶の葉を入れたところで聞いてきた。


「これで美味しく出せるんですか?」


「あぁ、俺の計算だと4杯分ぐらい、朝と同じ感じで出るはずだ」


「へぇ~ やっぱり面倒くさいですね」


「⋯⋯」


 サノス、俺もそれは感じているぞ。

 『湯出しの魔法円』が使えるようになったら、こんなストレスも無くなるのはわかっているぞ。


 浸出した御茶を、サノスが濃さが同じになるようにティーカップへ注いで行く。


「師匠、味見をお願いします」


 差し出された御茶を口に含めば⋯

 うん、良い感じだ。


「どうですか?」


「朝と同じ感じだな」


 俺の言葉を聞いたサノスも御茶を口に含む。


「うん、これです! 朝と同じ感じです。この温度なら飲みやすいです」


 よしよし、サノスも御茶の味わいに満足気だ。



「師匠、そろそろギルドへ行って来ます」


「ん?」


 サノスの声で俺は集中を解いた。


 『薬草栽培の研究』から、壁に掛かった時計に目を移せば、既に12時30分になっていた。


「椅子も2脚、持ってきましたから大丈夫ですね」


「すまないな」


 ロザンナとその祖父母が来ることを考えて、店舗の椅子をサノスが作業場に運び込んでくれた。


「師匠、ロザンナのお爺さんとお婆さんに出す御茶の準備は、台所にしてあります」


「おう、ありがとうな」


「これで万全ですね。じゃあ、ギルドへ行ってきます」


「気をつけてな」


コロンカラン


 サノスが、バタバタと出て行く様子を聞きながら、俺は『薬草栽培の研究』へ目を通し続ける。


 やはり薬草を栽培するには、裏庭に土を入れる必要がありそうだ。


・混合肥料の準備

・土の取得

・土と肥料の混合

・植え付け用の薬草の採取

・薬草の植え付け

・水やり


 ざっと見直しても、これだけの手間が必要だ。


 うん、やはり手間が掛かる。

 これだけの手間を掛けて薬草を手に入れるのは、俺には向かない気がする。

 このリアレデイルなら、野に出て薬草を採取するか、冒険者ギルドで買い付ける方が手間が掛からないと判断したのを思い出せる。

 まぁ、サノスがやるから俺の手間にはならないが⋯


 それにしても、この本は読みやすい。

 以前に目を通した時にも感じたが飽きる感じが無い。

 理解が及ばず、躓きそうな内容になる付近で絶妙な解説が記されている。

 これならば、サノスがこの本を食い入るように読んでいたのも頷けた。


 俺のように植物の栽培に興味が薄くても、それなりに読み進めることが出来る。

 こうした本が増えて、魔法学校などで教材に使われれば、生徒も学びを深め、教師も苦労が減らせるだろう。


 それでこそ、教会の初等教室で使っても良いと思える本に仕上がっている。



コンコン


 店の扉をノックする音がする。

 ふと、壁掛けの時計を見れば2時になろうとしている。

 そろそろロザンナと祖父母がみえる時間だ。


コンコン


 再び店の扉をノックする音がする。

 それまで読んでいた『薬草栽培の研究』を作業机に置き、席を立ち上がって店舗へ顔を出す。

 出入口の扉のガラス越しにロザンナらしき姿が見えた。


カランコロン


 店の外のロザンナからも俺が見えたのか、扉を開けて店舗にロザンナが入ってきた。


「こんにちは、イチノスさん。祖父と祖母を連れてきました」


「こんにちは、ロザンナ⋯」


 俺はそこまで言って、ロザンナの後ろに立つ60代ぐらいの男性を見て固まってしまった。


「こんにちは、イチノス殿」

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