王国歴622年5月22日(日)

10-1 今朝は曇り空のようです


「師匠! 起きてますか~?」


 まだ頭の中には睡気がこびりついているのだが、サノスの声で目が覚めて行く。

 周囲を見渡せば、いつもの自分の寝室で、いつもの朝を迎えていた。


 カーテン越しの外光に朝日を感じない。

 それでも日は昇っている感じがする。

 どうやら、今朝は曇り空のようだ。


 ベッド脇の卓上時計を見れば、朝の8時前だ。

 今日もサノスはこの時間に来たんだなと思いながら着替えを始める。


「師匠! 起きてますか~?」

「あぁ~ 起きてるぞぉ~」


 サノスの声に応えながら着替えを済ませ、階下へ降りて行く。

 たまった尿意を済ませ、店の作業場へ顔を出すと、お茶の準備をしているサノスの姿が見えた。


「師匠! おはようございます」

「おう、おはよう」


「御茶を淹れようと思うんですが、私がお湯を出してもいいですか?」


 何でサノスは、そんなことを聞いてくるんだ?


「ん? 『魔法円』は?」


 そうか⋯

 『湯出しの魔法円』は薄紙に包まれたままだ。

 作業机には、昨日俺が出したままの『水出しの魔法円』と『湯沸かしの魔法円』が置かれている。


「あれ? サノスはこの携帯用を使ったことは無かったか?」

「無いです。私が使ってみてもいいんですか?」


「別に良いぞ。何か心配なのか?」

「『携帯用の魔法円』を初めて使うんで、実験になるかと思って師匠が起きてくるのを待ってたんです」


 あぁ、魔導師修行を始める時に交わした約束の件か。


「サノスは、ワイアットのを試した事があるんだろ?」

「それなりにありますけど、思い返してみれば父さんが側にいました」


 ワイアットなりに、子供に一人で『魔法円』を使わせない配慮をしているんだと知ることができる。


「なので、私一人で魔素を流したことはないです」

「そうか、俺の描いた『魔法円』だ。安心して魔素を流して良いぞ(笑」


「はい。じゃあ、さっそく」


 そう言って、サノスが慎重にティーポットを『水出しの魔法円』へ乗せる。

 丁寧に『水出しの魔法円』の内円へ収まるように、ティーポットをずらして行く。


「じゃあ、流します」


 魔素注入口に片手を置き、もう一方の手を胸元へ添える。

 サノスの胸元の『魔石』から少しずつ魔素が流れて行く。


「このぐらいで大丈夫かな?」

「そうだ、ついでにマグカップにも差し水をだしといてくれ」


「あぁ、そうですね」


 そんな会話の後、サノスはティーポットを『水出しの魔法円』から降ろし、自身のマグカップを置いて再び魔素を流した。

 続けて、隣に置かれた『湯沸かしの魔法円』の内円にティーポットが収まるように慎重に置いて行く。

 昨日話したとおりに、作用域がティーポットの水に収まっていれば問題はないのだが、サノスなりに慎重にやっているので特に俺からは指摘をしない。


 サノスが『湯沸かしの魔法円』へ魔素を流すと、直ぐに湯気が昇り始めた。

 湯気の昇る様子から、サノスがかなり大胆に魔素を流しているのがわかる。


「サノスはいつも、そんな感じで魔素を流すのか?」

「えっ?」


「そんなに大胆に流さなくても、俺の描いた『魔法円』は機能するぞ(笑」

「そんなに流れてましたか? 私は少しずつ流してるつもりなんですが」


「ククク それなら今度はもっと絞ってみろ。そんなに普段から流してると、魔素ペンが直ぐに壊れるぞ(笑」

「それ! 女将さんにも言われました!」


 はいはい、朝から大声を出さない。


「これは練習しかないからな。魔素を流す機会があれば、その都度、出来るだけ絞って流す訓練をするんだよ」

「はい。がんばります!」


 『おう、頑張れ!』


 としか、言えないな(笑


 魔素を流す場面で、どう流すか、どれだけ流すかは、経験を積んで加減を覚えるしかない。

 今の俺も試行錯誤しているのが事実だ。


 サノスの出してくれた御茶に口をつければ、爽やかな味わいが広がる。

 うん、今回の湯温はなかなか良いようだ。

 渋みも少なく、むしろ甘味を感じるぐらいだ。


「今朝の御茶が一番うまいな」

「えぇ、私もそう感じます。この味わいが毎日出せると良いんですね」


 互いに御茶の味わいを口にしたところで、サノスの予定を確認する。


「今日も昼過ぎにはギルドへ行くのか?」

「はい、昨日と同じです。今日はロザンナが来ますよね?」


「あぁ、昼過ぎの2時に祖父母と一緒に来るな」


 サノスは自分の予定よりも後輩のロザンナが気になるようだ。


「昨日は薬草も少なくて煮出す鍋は一つなので、ちょうど良かったです」

「鍋が一つ?」


「えぇ、ちょっと薬草が足りなくて、一つ分しか漬け込みが出来なかったんです」


 昨日は鍋が二つで、サノスとロザンナで分担したんだよな。


 今日は一つか。

 ポーションは足りてるのだろうか。

 ギルマスは、ポーションがなくなったら討伐依頼も中断すると言っていたから、大丈夫だろう。

 俺がここで心配してもポーションを増やせる訳じゃないからな。


「何時に教会長が来るんだ?」

「今日は教会長じゃなくてシスターが来るそうです。昼前は教会でミサがあるんでシスターが3時に来るそうです」


「じゃあ、今日も昼御飯を食べたら行くのか?」

「はい、1時にはギルドで煮出しを始めようと思います」


「じゃあ、それまでは型紙作りなんだろ?」

「はい、きっちりと描き上げますよ」


 そこまで話したサノスが、思い出したように話を変えてきた。


「そうだ、師匠はエンリットさんの話を聞きました?」

「あぁ、聞いたぞ。オークに襲われたらしいな。西の関で治療を受けて歩いて帰ったと聞いたが?」


「私も又聞きですけど、ケガは大したことがなかったようです。大事をとって今日の討伐調査は不参加だそうです」

「討伐調査?」


「えぇ、父さんと仲間で泊まり掛けになるかもしれないそうです」


 なるほど。

 アンドレアが話していた『古代遺跡』の件で、ワイアット達が出向いてるんだな。

 泊まり掛けとなると、かなり本格的な調査をしているということか。


 御茶を飲み干したサノスは直ぐに片付けを始めた。

 きっと、早く型紙作りを始めたいのだろう。


 俺は昨日の続きをしようと、棚から作業中の箱を取り出し、昨日書いたメモ書きを読み直して行く。


 う~ん⋯

 新たな『魔法円』は、無理というか、無駄なものを感じてしまう。

 イスチノ爺さんに負けじと、水出し+湯沸かし+氷結の3機能で考え始めたが、方向性が違う気がしてきた。


 まず水出しは必要だ。

 湯沸かしにしろ氷結にしろ対象である水が無ければ意味がない。


 そう考えると⋯


  水出し+湯沸かし

  水出し+氷結


 これらの組み合わせならば意味があると頷ける。


 だが、


  湯沸かし

  氷結


 この二つを一緒にすることに意味があるのか?


 そうした視点で見始めたら、物凄く違和感を覚えてしまった。

 お湯を沸かせて、氷も作れるのが一つに纏まれば便利だろうとは思うが⋯ ダメだこれは。


 昨日は煮詰まったと思ったが、日を改めて眺めると欠点が見えてくる。


 こんな『魔法円』では、冒険者にお勧めすることはできない。

 確かに水出し+湯沸かしは2つの『魔法円』を携帯する必要が無くなり利便性は高まるだろう。

 そこに氷結の為の機能が必要だろうか?

 むしろ氷結を無くして、小さくする方が良いのでは?


 逆もそうだ。

 水出し+氷結であれば、冷たいものが欲しい時に有効だろう。

 これからの暑くなる季節には、打って付けだろう。

 だが、そこに湯沸かしが必要だろうか?


 イスチノ爺さんへの対抗心で設計を始めた『新たな魔法円』だが、売れるかどうかを考えると方向性が間違っている気がしてきたぞ。


「師匠、何か悩んでます?」

「おぉう、ちょっとな(笑」


 台所から戻ってきたサノスに言われて軽く答えた。

 軽い問題では無いのだが、何故か軽く答えてしまった。


 サノスは何も答えず、薄紙に包まれ四隅を洗濯バサミで止めた『湯出しの魔法円』を棚から取り出す。

 それを机の上に置き、嬉しそうな顔で眺めている。

 『魔法円』を包む薄紙はピンと張られ、型紙を描くには十分な状態だ。


 続けてサノスは自分の作業用の箱を棚から取り出し、机の上に置き椅子に座り直した。

 箱からペンを取り出すと、さっそく、薄紙に向かって型紙を書き始めた。


 その様子は何らの迷いも感じられず、どんどんと書き進んで行く。


 これは始めてじゃないな。

 一度や二度ではなく、何度か同じことをやっている可能性があるな。


「サノス、型紙作りは家でも何度かやってるのか?」

「⋯⋯」


 返事が無い。

 ただの屍(しかばね)⋯ いや、手が動いているから『屍(しかばね)』ではないな(笑

 まあ、集中しているのだろう。


 俺が再び自分のメモに目を戻すと、サノスが口を開いてきた。


「師匠、静かにしてください。集中しないと描き漏れが出ます」

「そ、そうか⋯」


 何故かサノスに叱られた気分になってしまった⋯

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