9-2 『薬草栽培の研究』


 結局、薄紙で包まれた『魔法円』は1つになった。

 『湯出しの魔法円』だけが薄紙で包まれ、その4スミを洗濯バサミでガッチリと止められている。


 俺はシスターが届けてくれた初等教室の教本に目を通している。

 今読んでいるのは、王国の歴史についての教本だ。

 まあ、3時に来る教会長との会談へ向けての予習のようなものだ。


 一方のサノスは時間をもて余している感じだ。

 店の外を掃除し、店内を掃除したところで、やることが無くなったようでいつもの席に座って暇そうにしていた。


「そんなに暇なら、ギルドにでも行ってロザンナの煮出しを手伝うか?(笑」

「⋯ お昼ご飯を食べてないです」


 なるほど、持ってきた昼御飯を食べてから冒険者ギルドへ行きたいんだな。

 時計を見れば10時になろうとしている。

 俺は基本的に朝食を食べないので、それなりに空腹を感じているのだが⋯


「サノスはお腹が空いてるか?」

「う~ん⋯ もう少したてば⋯」


 どうやら空いていないようだ。

 そんなサノスが棚に置かれた薄紙で包まれた『魔法円』へ目をやる。


「明日まで型紙は書けないぞ(笑」

「師匠、それはわかってます」


 いつまでも暇そうにしているサノスが忍びないので、ある本を読ませることにした。

 (『忍びない』を『目障り』と読んじゃダメよ)


 俺はそれまで読んでいた教本を置き、作業場の本棚を指差して暇そうなサノスへ告げる。


「サノス」

「はい、なんでしょう」


 よっぽど暇なんだな。

 俺からの声掛けに、満面の笑みを見せてくる。


「本棚から本を取ってくれるか?」

「なんて本ですか?」


 急いでサノスが席を立ち上がり、本棚の前で待ち構える。


「『薬草栽培の研究』という本だ」

「やくそうさいばい⋯ やくそうさいばい⋯ ありました!」


 サノスが作業机に置いたこの本は、俺が研究所を辞めるときに餞別として贈られたものだ。

 研究所には、俺と同じように風呂好きの同僚がいて、その彼から餞別として贈られたものだ。


 そもそも薬草というのは栽培が不可能とされている。

 魔法学校でも栽培は不可能と教えられていた。


 研究所がそんな薬草の栽培に成功した。

 この本を贈ってくれたのは、その研究所の薬草栽培に成功した部署に所属する彼だった。


 彼とは王都の風呂屋で偶然の出会いだった。

 研究所の寮で部屋は別々だったが、王都の風呂屋でバッタリ会ったのは驚きだった。


 おっと、ダメだダメだ。

 思考が研究所の頃へ戻りそうになった。

 本の話へ戻ろう。


『イチノス、リアルデイルへ行くなら、この本が一番だな』


 そう言って渡されたのが、この本だ。


『この本のおかげで、研究所は薬草の栽培に成功したと聞いている』


 彼の言うことが本当なら、この本に書かれている方法を実践すれば、不可能と言われている薬草も栽培できることになる。


 それまでの俺は、薬草の『栽培』には特に興味が無かった。

 むしろ薬草への興味は、より上級のポーションを作る方へ寄っていた。

 しかし、店を開くことになりポーションを扱おうと考えたとき、この本のことを思い出して一度だけ読んでみたのだ。

 ポーションの原料である薬草を手に入れるため、一時ではあるが栽培も考えたということだ。


 だが、結果的に薬草栽培の実践はやっていない。

 リアルデイルでは、王都と違って薬草が簡単に手に入るからだ。


「この本は⋯ 読んだこと無いですね⋯」

「サノスは裏庭に薬草を植えるんだろ? そんな話をロザンナとしてたよな?」


「えぇ、ロザンナがお祖母さんに許可を貰ったら、裏庭は薬草畑にしたいです」

「それなんだが、ロザンナのお祖父さんとお祖母さんが日曜日に来るんだよ」


「その話ならロザンナから聞きました」

「ロザンナのお祖父さんとお祖母さんが来た時に、ロザンナの教えでサノスが薬草栽培を始めて良いかを聞こうと思うんだ」


 そこまでの話を聞いたサノスが、一瞬だが躊躇うような悩むような顔をしてきた。

 それを無視して俺は話を続ける。


「ロザンナのお祖母さんから了解を貰ったら、サノスはロザンナから教われば良い」

「それって⋯ ダメだったら⋯」


「その本でサノスが学んでやってみれば良いんじゃないのか?」

「うーん⋯」


「もしかして、サノスはロザンナと一緒にやりたいのか?(笑」


 俺の言葉に、サノスの顔がパット明るくなった。


「どちらにせよ、サノスが事前に学ぶのは良いことだと俺は思うんだ」

「そうですね。この本、お借りします」


 決断がしきれない顔で本を受け取ったサノスだったが、結局は本の人になった。



 そろそろ初等教室の教本に飽きてきた。

 それに空腹が強く食事を求めている。


 目の前のサノスは薬草栽培の本に読みいっている。

 気が付けばサノスの手元にはメモ書きが準備され、読み辛い字で何かが書かれている。


 壁の振り子時計を見れば11時を過ぎていた。


「サノス、昼御飯にしないか?」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 サノスは薬草栽培の本から目を離さずメモ書きに筆を走らせる。

 その手が止まって、ようやく返事をしてきた。


「はい、師匠。何ですか?」

「少し早いが昼食にしよう」


「そうですね。直ぐに温めます」


 先ほどまで書き込んでいたメモ書きを本の間に挟むと、サノスが席を立ち台所へと向かう。


 サノスはかなり熱心に読んでいたな。

 俺は薬草栽培には格別な興味はないので、この本はサノスに暫く貸し出しでも良いな。

 餞別で受け取った物なので、サノスへ与えてしまうというのも少し気が退ける。

 こうして餞別で贈られた物というのは、若干、扱いに困るな。


コンコン


 ん? 誰かが店の扉をノックしているような⋯


 席を立ち店舗へと足を入れると、店の窓はブラインドが降ろされていた。

 だが店の出入口の扉のガラス窓はブラインドが上がっていた。

 昨晩に俺は全てのブラインドを降ろしたはずだが、サノスの気遣いで出入口だけ上げたのだろう。


コンコン


 再び、出入口の扉がノックされた。

 ノックする主をガラス越しに見れば青年騎士(アイザック)だ。


 たぶん、ウィリアム叔父さんからの伝令だろうと思いながら、店の出入口の扉に手を掛けると、内鍵が掛かっていなかった。


「アイザック、何用だ」

「イチノス様、ウィリアム様からの伝令で伺いました」


カランコロン


 扉を開きアイザックを店内へ招き入れると、王国式の敬礼をしてくる。

 それに応えて俺も返すと、アイザックが叫ぶように強い声をあげた。


「ウィリアム伯爵様よりイチノス・タハ・ケユール様への口頭の伝令である」

「イチノス・タハ・ケユール、ウィリアム様からの伝令を聞こう」


「明日、5月22日は日曜日。1時に領主別邸へご案内せよとのことである」

「あい、わかった。お断りする」


「しかとイチノス様の返礼を⋯ えっ?」


 俺が即答で『お断り』を告げると、アイザックが目を見開き、敬礼をしたままで驚愕の表情で俺を見てきた。

 アイザック、こうした時は敬礼を解いてよいんだよ(笑


「あ、あのぉ⋯」

「すまん、日曜日の昼は予定があるんだ」


 俺が敬礼を解いたのに気がつき、アイザックも礼を解いた。


「い、いや⋯ その⋯」

「わざわざ来てもらったのに、良い返事が出来なくてスマンな、アイザック」


「イチノス様、よろしいのですか?」

「致し方ないだろ? 予定があるんだから」


「ですが、領主のウィリアム様からの呼び出しですよ」

「大丈夫だよ。アイザックは何も心配するな。断ったのは俺、アイザックが責められる話じゃない。気にする話じゃないんだよ(笑」


「まあ、そうですが⋯」

「この先、伝令で断られる時もあるだろう。その練習だと思ってくれ(笑」


「は、はい。イチノス様の返礼。このアイザックが承りました」


 俺の言葉に少し安心したアイザックが敬礼を返してくる。

 俺がそれに敬礼で応えたのを確認すると礼を解き、踵を使った綺麗なターンを見せて出入口の扉を開けた。


カランコロン


 店の出入口のガラス越しに青年騎士(アイザック)の後ろ姿を見送っていると、サノスが店に顔を出してきた。


「師匠、お客さんですか?」

「いや、俺宛の伝令だ」


「そうですか。スープが温まりましたけど?」

「おう、食べよう。今日は何だ?」


「今日はグリーンピースとバジルのコンソメ仕立てのスープです」

「おぉ、うまそうだな」


「美味しいですよ、母さんが作ったんですから」

「ハハハ パンもあるよな?」


「ありますけど⋯」

「ん?」


「お婆さんが捏ねたんで期待しないでください(笑」

「ククク⋯ 硬そうだな(笑」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る